08_Audit trail
その日、辻本と合流し、最初に向かったのは町役場だった。
理由は単純。集合場所の辻本の家から近いのがそちらだったからだ。
途中、通りかかった小学校からは、何やら和風のぴいひゃらした音楽が響いていた。昨日言っていた『めおとぎょうれつ』のお囃子の練習をしているのだろう。都会では遭遇しなかった光景だ。
(……そういえば学校のことは覚えてる筈なのに、ああいうのはやった記憶ないな)
「ようこそいらっしゃいました」
駅から程近い、こぢんまりとした町役場にぞろぞろと入って行くと、冷房の効いた空気と昨日神社で話した初老の職員――吉田が迎えてくれた。
「今日は宜しくお願いします!」
「こちらこそ、宜しくお願いします。ではどうぞ、おいで下さい」
彩乃の元気な挨拶ににこにこと応えながら、吉田は役場の隣に併設された公民館へと私たちを先導していく。
「随分手際が良いな」
「昨日、別れ際に話しておいたんだよ。祭とか神社の資料が見たいって」
疑問符を浮かべた辻本の耳打ちに、私は小声で答える。
「成程ね」
「……まあ、他にもいろいろあったんだけど」
「ほう?」
興味があるというようにこちらを覗く悪友。
私は、いや、と首を横に振った。
「調べ物が先だ。後で話すよ」
「こちらが所謂、郷土史のコーナーです」
吉田に案内されて着いたのは、書棚の並ぶ殺風景な一室だった。
一応壁には、地元の園児か小学生の作らしき色紙の飾りがぺたぺたと貼られているが、元の四角四面な部屋の無機質さはあまり軽減されていない。様々なコーナーに掲げられた職員の手作りと思われる『みんなでまなぼう!みんなのまち!』というようなゆるい看板は、空気を和らげるというより気の抜けた雰囲気作りに一役買っているが。
吉田は中央のテーブルに積まれた数冊の本や冊子を指し示す。
「概要のまとまっている資料はこちらに出しておきました。一部は子供用なので、入門として読みやすいかと」
「わあ、親切にありがとうございます」
「いいえ。もっと詳しいものが読みたければ、年中行事や伝統の催し物は本棚の奥から二番目あたり、神社関連はそこと、三番目の棚が古い郷土史についてのものなので、そちらを見ていただければと。もっと古い記録は禁帯出の方にありますので、係の職員にお声がけください。退出の際も同様にお願い致します」
立て板に水の説明を終えると、初老の職員は祭の準備があるというので足早に去って行った。
「うーん、至れり尽くせりだね」
早速テーブルの上の本をパラパラと捲り出す彩乃。
私も辻本も手近な冊子を手に取って開いてみた。かつて小学校の課題か何かで似たようなものを目にした、という感覚が脳をくすぐる。
「うわ、初めて見る筈なのに既視感やべえな」
辻本の呟きは、彼が私と同じ感覚を得ている証拠だった。
「ここの本のは大体、昨日聞いた分とあんまり変わらないね」
私たちがおかしな感覚に襲われている間、彩乃は早々に数冊の本を流し読みしている。
「他は、不思議なことが起こった人の、ひとりひとりのお話が何個か書いてあるかな。なんか昔話って感じだけど」
「正確に物事を伝える記録というより、分かりやすく読んでもらうためのものみたいだね」
「そうそう、そんな感じ」
こちらの言葉に彩乃は頷いて。
「でも『神隠し』の話、幾つかあって……これって元になった『記録』は別にあるってことで良いのかな? つまり行方不明になって帰って来た人が居るっていう記録が?」
「たぶんね」
私は手に取った冊子を捲り、最後の方のページを開く。
「ここにある参考文献を探せば、元になった話が載ってるんじゃないかな。そこから辿って行けば大元の、禁帯出の方にある古い記録……一次資料まで行けると思う」
「へー、そういう風になってるんだ」
「レポートの書き方みたいなやつで、こういうのはちゃんと載せとけって言われるからね」
「そうそう、何も書いてないと再提出ですっげー面倒なことになる」
うんざりした顔の辻本が別の冊子を手に取って捲る。
「まさか単位取る以外で役に立つ日が来るとはな」
私たちは顔を見合わせ苦笑いを交わす。
それから午前中は、資料集めに没頭した。
時折、私は資料を読む彩乃をチラチラと観察したが、普段と変わった様子は無い。普段通り、と言い切れるほど長い付き合いではないにせよ『いつもの感じ』くらいは分かるつもりだ。
彼女は何も変わりなく『普段通り』に見える。
(何だったんだ、昨夜のアレは……)
もやもやとしたまま、私は手元の古いページを捲っていく。
書棚を漁って入手した『昔話』は既知のものより少し詳しい程度だった。
ただ祭の内容は詳細で、主催向けの手引き書とかつての町民の日記、偶然訪れた文筆家のエッセイなどの内容を纏めたレポートのような形をしていた。
日記の元は他愛無い日常で、夏休みの絵日誌に毛が生えた程度の記述だったろう。しかし一つの視点から見れば平面でも、移動して組み重ねれば立体感が出るように、幾つもの老若男女の『日々の記録』は、私たちの祖父母すら生まれる前の祭の景色を鮮やかに描き出していた。
華やかな縁日は無いものの、温かに光を放つ提灯が山道を照らし、祭の前夜から境内に組まれた舞台を篝火が夜闇から浮かび上がらせる。昼間は神社に参詣し、玉の首飾りや腕飾りの御守りをいただき、夕べは大人たちが祝い酒を片手に親交を深めた。
(ああ、神主さんが着けてたのはこの飾りか。数珠じゃなくて)
記録を読みながら、私は一人納得する。
(珍しいけど、そういうのもあるんだな)
更に資料を読み込んでいく。
メインイベントは祭当日から夜にかけて行われる『めをと行列』という催しだ。
神様役とその相手役、二人の巫女を中心に、着飾った数十人が町中を決まったルートで練り歩き、家々を巡って願いを聞いたり祈りを捧げたりするという。挿画ではまるで花嫁行列のように華やかな一行を人々が見物する光景が描かれていた。
(現代だと交通規制とかするやつだ。都会だと渋滞ヤバそう)
不思議なことは花嫁行列と違い、『めをと行列』の『めをと』は華やかだが同じ衣装で描かれていることだ。正直、どちらが神役でどちらが相手役か分からない。
(まあ、夫婦設定は後付けって言ってたしな……)
町中を行列した後は『本宮』に戻り、夜の宴を見守るという。境内に建てると言っていた舞台はこのためのものだろう。こちらを描いた挿画はまるで等身大の雛人形のようだった。
(にしても、ほとんど一日がかりでその上徹夜か。絶対やりたくない)
「なあなあ」
それぞれ冊子を広げそれぞれ眉間に皺を寄せる私たちに、辻本が一冊の資料を開いて渡す。
「このあたりが『神隠し』の話みたいだぜ」
そこに書かれていたのは数ある『不思議なこと』のうち、昔話というオブラートに包まれた幾つかの遭難事故の記録。軽く目を通してすぐ、彩乃は顔を顰めた。
「ちっちゃい子とかもいるんだね」
「だな……老若男女、満遍なく、って感じだ」
「そう見えるか?」
私たちの感想に、悪友が声を低めて囁く。
「? どういうことだよ」
「俺も最初そう思ったんだよ。幼稚園くらいの子から爺さん婆さんまで、ってな」
「実際そうだろう?」
「そうだけど、そうじゃないんだって」
彼は更に声を低くして。
「気になってカウントしてたんだけどさ、この中には小学校高学年から中学くらいの齢の子がいないんだ」
言われて、私と彩乃はページに目を落とす。
「……このくらいの子たちは『神隠し』対象じゃないってこと? なんで?」
困惑する彩乃の言葉に、私の背筋にぞっと寒気が走った。
「違う、そうじゃない、その逆だ」
思わず呟いた声に少女がきょとんと振り向く。
辻本は、わかったか、と頷いた。
「……どゆこと?」
「昨日の夜、聞いただろ。『神隠し』に遭った人は皆に忘れられる。記録は残っていても記憶からは消えてしまう。でも戻って来たら、ちゃんと思い出せる」
「うん、それが?」
「このくらいの齢の子が一人もいないのは『神隠し』以外で消えてしまったからだと考えられないか?」
「……もしくは『神隠し』の後、戻って来なかった、のかも」
「『いなくなったこと』自体が無かったことに? そっちもありそうだな」
「え……」
彩乃が絶句する。
大きな眼が私たちを睨み、それからすぐに記録をじっと眺める。
「……ほんとだ」
暫しの沈黙の後、消えそうに小さな呟きが静かな部屋に響く。
これを物証として良いのかは分からない。けれど、町で伝えられる、いなくなっても帰って来られる『神隠し』以外の失踪事件が存在していて、私たちが探している二人はその条件に当てはまる。
「もし、そうだとして」
沈黙の後、彩乃が呟く。
「その子たちは、どこに行っちゃうんだろ」
「うーん、『イブキ様』が関係あるかも分からないからな……」
「絞れないのかよ。範囲広すぎね?」
「いやでも、その神様は関係あると思うよ」
資料を見つめて考えていた少女が言う。
「だってぼくたち、お姉ちゃんのこと何回も忘れてるもん。こんなこと普通は起こらないでしょ。コレって神様の力じゃないの?」
「待て待て!」
辻本が思わずといった調子でボリュームを上げ、慌ててすぐにひそひそ声に戻して囁いた。
「それだと神様がいるってことになるだろ。マジで」
「じゃあ何で? お姉ちゃんたちの記憶が無くなるのはどうして?」
「それは……」
問われて悪友は口籠る。
無理もない。神様とやらの力でないとしたら、やはり未知の病原菌か霊現象か洗脳かというような、オカルトや陰謀論的なものしか結局浮かんで来ないのだ。これももう何度も浮かんで否定してきた考えだ。
(確かに……信じられないけど)
私が悶々としている間に、二人の会話は進んでいく。
「神様関連だとしたら、どこにいるって思うんだよ」
「山の上の神社、『奥宮』だっけ? 今は道塞がって誰もいないんでしょ? 人を隠しとくにはもってこいじゃん」
「道が塞がってるってのに?」
「岩とかでドカッと塞いでるんじゃないなら通れるんじゃない? 別の道があるかも知れないし」
「だったら山から普通に降りて逃げられるだろうが」
「記憶がないからそういうこともできないんじゃないの? あと、ぼく、あの神社に入ったら頭のもやもやが強くなったんだ。それってあの神社の……祀ってる神様のせいでしょ?」
「いや、待って」
捲し立てる彩乃の言葉に、私は割って入った。
不満そうな視線を受け止めつつ、ひそひそと口を開く。
「私は逆に、頭がスッキリした。都会の神社のときみたいに。記憶をどうにかしてるのが同じ神様なら、私の頭ももやもやしないとおかしいじゃないか」
「あ……」
彩乃が驚いた顔で固まる。
仮説の上の希望。その腰を折ることになり、申し訳ない気持ちに苛まれながらも、私は続けた。
「だから神社の中というのは、というか、神様の仕業と決めるのは難しい気がする」
「ぼくはそう思うんだけど……?」
「絶対に神様関係じゃないって、思ってる訳じゃないんだ。ただ、神様がいる前提にしても説明がつかないことが気になってる」
「……それが分かったら納得する?」
「かも知れない」
「なんだよ、確約じゃないのかよー」
彩乃は頬を膨らませたが、すぐに、よし、と言って読み終えた手元の資料を手早く積み重ねる。そしてペンとメモ帳をボディバッグに詰め込んで立ち上がった。
「じゃあぼく、これの原作?じゃない、元の資料、見てくるよ。もしかしたら説明できる話が書いてあるかもだし」
「俺たちも一緒の方が早くね?」
辻本の疑問に彼女は腰に手を当てて。
「調べなきゃいけないコトは他にいっぱいあるんだよ、昨日の地図の家とかさ。廃墟探索とか、ソロだと危ない系でしょ?」
そして胸を張ってボディバッグをぽんと叩き。
「今まで一人でいっぱい調べてきたからね。こういうの実は得意なんだ。だから任せてよ」
胸を張ってニヤリと笑う。
自信満々な態度に、私は悪友と顔を見合わせて苦笑した。
「分かった」
「肉体労働なら任せとけ」
分担を決めた私たちは職員に睨まれないよう、音を出さないハイタッチをした。
暑い日差しの中、私たちは地図にある有香里の家へ向かう。
まだ午前だというのに、カンカンと照り付ける太陽は道の先に陽炎を立ち昇らせている。
「涼しいんだろなー、禁帯出の閉架書庫」
辻本が早々にぼやいたが、引き返すつもりは無いらしい。
有香里の家――元・仲本家の場所は田畑と木々に囲まれた、閑静な田舎の住宅街。閑静なのは、そこここに目立つ空き地や『売家』の看板も一役買っているだろう。
到着した先に待っていたのはやはり無人の廃墟だった。
仲本家は滝沢家と同じ頃にこの町に来て、やはり同時期に退去したと想定していた。だから建物も似たような状態だろうと思っていたが、意外とそうでもないようだ。町中ということもあって草木にこそ覆われていないが、壁や柱、窓枠の劣化はこちらの方が激しい。
製材所の宮守曰く滝沢家は新築だったそうだが、こちらはそれなりの築年数の家に越してきたのかも知れない。
そしてどうやら引っ越した後には、誰も入居しなかったようである。
「セーフ。更地になってなくてラッキーだな」
ぐるりと周囲を見渡すが、気温の上がる時間でもあり、道に人はいない。来る際は畑に遠く人影があったが視界には入らない。
が。
「あんたたち、そこで何してんの」
不意に掛けられた声に、私たちは悪戯を見咎められたように足が竦んだ。
ぱっと振り向けば母より十か二十ほど年長と思しき女性が、水の入った手桶を提げ、柄杓を手にして胡散臭そうにこちらを見ている。
「あー……えっと」
当然、顔も何も思い出せることはない。
固まった私たちを見上げて、彼女は顰め面で。
「見ない顔だけど、その家に何か用かい」
「いやあ、用ってほどじゃないんですけど」
先に表情を繕った辻本がへらへらと女性に笑いかける。
「実家に帰って来たんで、ついでにあちこち見てたとこなんですよ。ここ確か友達の家だったよなーって」
「そうかい。だけど何も残っちゃいないよ」
吐き捨てるように言い、手桶の水を路上に撒き始めた。
辻本はあからさまに落ち込んで肩を落とした振りをして。
「え、マジですか、残念だなー。本当に何も無いですか?」
「ここの子と仲良かったんならあんたたちの方が詳しいだろうに」
「いやでも、俺たち子供だったし、ご近所さんの方が付き合いあって当時のこと詳しいかなーって」
するすると探りを入れる悪友に舌を巻いていると、女性は不機嫌そうに眉を顰めた。
「確かにご近所ではあったけどね、それだけだよ。そりゃ最初の頃は良くしてたけども。緑がいっぱいで空気のきれいなところに住むのが夢だったんですーって愛想良くニコニコしてて」
どこで聞いたんだか、と彼女は溜息一つ吐き。
「だけどいつになっても都会っ気が抜けなくて、そのうち話もしなくなってさ。それでお嬢ちゃんのことがあって……あれについては気の毒だったと思うよ? だけど子供が勝手に山で迷ったのを田舎の所為だとか、こっちが悪い風に言われちゃ堪ったもんじゃないよ」
「はあ、そりゃ確かに」
立て板に水の如き愚痴の奔流に、流石の辻本もたじたじである。
どうやら有香里の両親は、ご近所のとの折り合いが宜しくなかったようだ。
緑あふれる田舎への幻想は、都会育ちの学友から聞いたことがある。映画のスクリーンに映し出されるようなファンタジーめいた『田舎』の絵図。初めて耳にしたときは馬鹿馬鹿しく思ったものだ。しかし思えば、私たちが『都会』に見ていた幻想も似たようなものだったのかも知れない。
住めば都とはいうものの、都にできなければどちらにとっても良い話にはならないだろう。
考え込んだ私に気付いて、女性は少し慌てた様子を見せた。
「ああその、だけどまあ……あんたたちのお友達のお嬢ちゃんは良い子だったよ。挨拶はきちんとできたし、引っ越す前に仲良くしてた友達がこっち来るんだって嬉しそうにしてて……まさかその友達があんたたちかい?」
「いや、俺たちここが地元なんで」
「ふうん、そうかい」
知ってることはそれくらいだよ、と彼女は言い、手桶の残りの水を撒いてそそくさと家の中へ戻って行った。
「……こっちに来る友達って、朱音ちゃんのことだよな」
「だろうな」
どうやら先に有香里が越してきて、次に朱音が、という時系列のようだ。
(じゃあ、二人がこの町に来たのは偶然……なのか?)
首を捻ってみるが、当時を知る者が不在もしくは軒並み記憶が曖昧な以上、確実なことは分からない。
(どっちみちご近所があんな感じじゃ、記憶があっても詳しい話は聞けそうにないな)
気持ちを切り替え周囲を見回す。
相変わらず路上に人影はない。ただ、話をして情報は得られたものの、少し長く立ち止まり過ぎたような気もする。
黙って辻本と視線を交わす。
お互い何も言わなかったものの、考えていることは同じだったらしい。
何気ない様子を装い道を進み、その先の角を曲がって大周りをして家の裏手へ回り、人気のないことを確認して素早く裏門を乗り越え庭へ転がり込む。入ってしまえば空き家の塀や生垣に遮られ、騒いだり覗き込まれたりしなければ、そうそう見つからない筈だ。
こそこそと身を屈め、私は小学校時代の悪童に戻ったように、家の脇へと回り込む。
一瞬ドアの方へ行こうとした辻本は、こちらの意図をすぐ察してついてきた。
(どうせあっちは鍵が掛かってる)
つい昨日の経験を活かし、なるべく人目に触れない隣家との狭い隙間に入り、立ち上がって窓の中を覗いた。
薄暗い屋内はがらんと広く、特段目を引くようなものはない。
(……中には入れたらもっといろいろと見られるのに)
そうすれば何か証拠が見つかるかもしれないと、根拠なく思ってしまう。
朱音と有香里は私と出会う前から仲良しの友人だった。もし片方に何か起こったとしたら、もう片方に連絡を取るなり、何かしようとする筈だ。
(とは言っても外からじゃな)
思って窓枠から指を話した瞬間。
隣から微かなカチャリという音と、小さく、開いたぞ、という声。
見ればそこには、何かの道具を片手に窓を開いた悪友の姿。
「……どこで覚えたんだよ」
思わず問うと、彼は肩を竦めて。
「端から開いてたんだ。まだ何もしてねーよ」
「……」
何をするつもりだったのかは、問わないことにした。
どのみち無断侵入の時点で犯罪行為なのだから。
家具のない部屋というものは、見た目の広さ以上にがらんとして見える。
本来居るべき主を失った家ともなれば尚更だ。
絨毯の上を土足で歩くという背徳感を覚えながら、厚く積もった埃の上を足音を忍ばせ歩く。そして壁に、天井に、家具が置かれていた痕に目を凝らした。
高く昇った陽の光は部屋にあまり入って来ず、窓周辺はぼんやりと照らされているものの、奥まったところは薄闇に沈んでいる。窓のない部屋や廊下はきっと更に暗いだろう。
「ライト持ってるか?」
「一応あるけど、光らせたら外から見えるんじゃね」
「あ、そうか」
「ってもコケたらアレだしな……」
「じゃ、どうしてもなとき手元と足下だけ照らしてくれ」
「分かった」
ひそひそと話しながら、足音を殺して屋内を歩き回る。
暫く部屋を回って、辻本が呟いた。
「……マジで何もねーな」
彼の言う通り、家具は取り払われ、電球は外され、荷造りの紐やガムテープのかけら一つ落ちていない。恐らく全てを持ち出した後、清掃も隅々まで行われたのだろう。窓も私たちが入ったところ以外はしっかり施錠されている。
廊下も玄関も隣の部屋も、同様に『きちんと』していた。
「この様子、夜逃げじゃなさそうだ」
「だな」
或いは有香里の、娘の『神隠し』の件で町自体に嫌気が差し、この場所には何も残したくないと思ったからかも知れない。
理由はどうあれあまりにもさっぱりし過ぎていて、期待していた物的証拠も無さそうである。
わざわざ空き家に不法侵入までしたというのに、だ。
「あっち、二階も行っとこうぜ」
辻本が囁いて指し示す廊下の暗がりには、上へと続く階段がある。
私は頷き、期待せずに足を向けた。
「なあ」
廊下へ部屋へ、下階と変わり映えのしない空っぽ具合を確かめながら、辻本が口を開く。
「何だ?」
「朝に言ってた話って何? いろいろあったって」
「ああ……」
私は、役場での調べ物の情報量のせいで頭から抜け落ちかけていた昨夜の不思議な出来事を、簡潔に悪友に語った。
「は、何それ? 夢遊病?」
「そういう持病は無いってさ」
「えー……それマジで彩乃さんだったん?」
思いがけない質問に、私は面食らって悪友の方を向いた。
彼はにやけもせず、至って真面目な顔でこちらを見て続ける。
「暗くてあんまりよく見えなかったんだろ」
「……夜の庭に知らない女の子が来てる方が怖くないか?」
「どっちも怖えーよ」
「それにここの神社が山岳信仰だってことも知ってたんだ。これは昨日のことだけど」
「お前が来る前にどっかで話したんじゃねーの?」
「神主さんから聞くまで神社の御神体が何かも知らなかったレベルなのにか?」
「マジかよ」
「もしかしたら普通に親御さんから聞いたのかもだけど……朱音ちゃんは一家でこっち来てるんだし」
「成程ね……」
呟き、辻本はやや眉間に皺を寄せ。
「俺、正直、彩乃さんのことよく知んないし。お前が朱音の妹だって言うから、そーなんだって思ってただけなんだけど」
言われて私は少し驚く。
確かに彩乃と彼を引き合わせたのは、こちらに帰る直前のことだ。実際はその前にも一度、鉢合わせているが、顔を見て挨拶した程度である。忘れていてもいなくても変わらない。
「顔は覚えてねーし、妹だから知ってること、とかも別に聞かないし。お前は付き合いがあるからそう思える何かがあるんだろうけど、俺的には全然だ」
「返す言葉もない……」
「いや俺の感想だし。お前にはあるんだろ」
「……」
軽く言われて、思い出す。彼女が居なくなったあのとき『滝沢彩乃』という少女について忘れないよう書き出したこと。結果、私の知っていることが殆ど無かったこと。
あれから様々な事情を聞いた。記憶喪失、行方不明の姉、私たちとの過去の繋がり。しかしどれも『聞いただけ』の話に過ぎない。私たちが今、探しているような『物的証拠』は。
(どうして……私はどうして、確信を持てていたのだっけ?)
思考が霞む。
頭の中が雲に包まれる。
昨日、鳥居を潜ったときは逆の感覚。
「それに、ちっさい紙飛行機ってのも……」
辻本が続けて話す言葉も、カーテンの向こうのようにくぐもって聞こえる。
眩暈を覚えながら、最後の部屋のドアをそっと開ける。
視界には、やはり空っぽの小さな部屋。
家具も何も残っていなかったが、色褪せたパステルカラーの壁紙、低い棚や机の痕が、ここが元は子供部屋であると物語っていた。
「有香里の部屋、で良いんだよな」
辻本がぼそりと訊ねる。
まだぼんやりした頭で、私は答える。
「たぶん?」
声を潜めて話しながら、私たちの足はなかなか部屋へと入ろうとしない。
主が居なくなって久しいとはいえ『幼馴染の女の子の部屋』に土足で踏み入るのは、例え記憶が曖昧でも、心理的な障壁が大きいようだった。
しかし立ち止まっている訳にもいかない。
意を決して、時の停止した空き部屋へと踏み込む。
他の部屋と同様に厚く積もった埃が、薄いクッションのように靴の裏を受け止める。見える範囲には何もない。後ろから辻本が床をライトで照らすが、私の足の影が伸びるばかりだ。
「ここにも全然、何も残ってないのか」
呟く悪友の声にも落胆が滲む。
「何も無いなら次行くか。ゆっくりしてられるとこでもねーし」
そう言って、彼はライトを下ろした。その光の端、未練がましく眺めていたクローゼットの隙間に不自然な影が落ちている。
「ちょ、ちょっと待て」
慌てて辻本を制止し、その小さな何かへと向かう。
埃を吹き払い手に取ると、それは。
(玩具の、首飾り……?)
刹那。
強烈なフラッシュバックが脳を貫いた。
見覚えのある夜の庭。
時代劇のような白装束を着た少女が、幽霊のように現れて私に縋る。
焦り慌てた様子の彼女は何か訴えかけていて、しかし耳に声は聞こえない。
けれど、少女に縋られた私は頷いて、手に持ったノートを彼女に渡した。
(あれは)
見覚えのある手書きのタイトル。
『小さな小さな夢物語☆』
少女はその薄いノートを抱きしめて頭を下げ、人目を憚るように走り去り。
私はその背中を追って。
閉まり切っていない門の方へ。
「おい、大丈夫か!?」
肩を揺すられ、私は我に返った。
目がちかちかする。
夏の暑さの所為とは違う汗がだらだらと背中を伝っていくのが分かる。
ライトを手にしたまま心配と怪訝が半々に浮かんだ辻本の顔を見て、私は掠れた声で言った。
「いま」
「今?」
「いま、たぶん、何か思い出した」
「……?」
困惑の色を滲ませた彼に、私はしっかり握ったままの首飾りを見せる。
「首飾り……で良いんだよな」
「ああ。見覚えある?」
「いや……」
軽く払ってもなお、埃に汚れた首飾り。数珠のように淡いピンクの玉が連なった、如何にも一昔前の女児向けに売っていそうなオシャレなアクセサリー。
辻本はうーんと唸り。
「まさかお前のか?」
「違う、けど、私が買ったものだ」
「は? 何だよ、プレゼントでもしたのか?」
「した」
「マジかよ」
「でも、プレゼントは、朱音ちゃんのための」
悪友の目がぎょっとしたようにこちらを向く。
私は頭の雲を払うように、ゆっくり首を振りながら。
「最初にお前と、朱音ちゃんと有香里ちゃんのことを思い出したとき話した内容、覚えてるか」
「……朱音の誕生日の?」
「そうだよ。プレゼント持ち寄って、みんなそれぞれに隠して、宝探しみたいに見つけ出そうって遊んで……結局、自分で隠したプレゼント、見つけられなかった」
「あったなー、そんなこと。もしかしてコレがそうなのか?」
彼の言葉に私は頷く。
朱音にプレゼントする筈だった首飾り。女の子への贈り物なんて見当がつかなくて、行き付けの店の店員にこっそり聞いたり、遠くの玩具店まで探しに行ったことまで思い出す。
(それで入手方法は、なんだっけ)
溢れてきた記憶に動揺している私に対し、辻本は困惑して訊ねた。
「いや、いやだけど、じゃあ何でここにあるんだ? ここは朱音じゃなくて有香里の家だぞ」
「朱音ちゃんが渡したんじゃないか?」
「なんで?」
「分からん」
でも、と私はポケットを探る。
取り出したのは『つづく』と記された小さな紙片。
幼馴染たちだけが知っている、私の書いた物語の切れ端。
「何……だっけ、それ」
「話しただろ、確か、お前と彩乃ちゃんを引き合わせたときに。どうして彩乃ちゃんが朱音ちゃんの妹だって信じたか、その理由」
そうだ、話した筈だ。忘れてしまったのだろうか。
辻本の顔色が、困惑から焦燥に、そして恐怖に似た色に変っていく。
私も動悸が激しくなる。
何故忘れていた。子供の頃の思い出なんかじゃない。ほんの一週間前のことだ。
(誰かが忘れさせようとしている)
証拠はない。
けれど、明らかに誰かの意思で、忘れさせられようとしている記憶がある。
埃だらけの首飾りと紙片を、私は拳に握り込む。
「……神社に行こう。今のままだと、話しながら忘れそうだ」




