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GHOST SUMMER  作者: 一里 郷
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06_Sequential access

 実家と同じく半月ぶりに訪れた滝沢家は、変わらず荒廃した姿で佇んでいた。

 前回と違うのは製材所の宮守も従業員も留守らしく、部外者に話しかけられることもなく二人きりでこの場に立てたということくらいだ。

「……」

 その二人きりの片方である彼女は、荒れ果てた建物を無言で見上げていた。

(ちょっと……気まずい)

 気持ちは推し量ることしかできないし、掛ける言葉も思いつかない。

 とりあえず本人の気の済むまで、やりたいようにさせるのが良いのだろうか。

「入っても良いのかな」

 長い沈黙の後、漸く口を開いた彩乃がそう問うた。

 私は少し悩んだ。

「……中はどうなってるか分からないから、崩れる可能性はある」

「じゃあ、入口のとこだけなら良いよね」

 言い終えるより先に、彼女は蔦が絡みついた門をひょいと乗り越えて行く。

(私有地だし、勝手に入るのは不法侵入になるんじゃ……)

 と、思いはしたが、どんどん先に行ってしまう彩乃を放っておく訳にもいかない。周囲を見回し、宮守のおじさんも従業員も通りすがりの人もいないことを確認して、私は彼女のあとに続いた。

 夏の盛りでぼうぼうに茂った草を掻き分けるように玄関まで辿り着くと、彩乃はドアノブをガチャガチャと捻って、やっぱカギ掛かってるよねーと唇を尖らせている。

「ぼくの家なのになー……」

 僅かに寂しさの滲む、残念そうな呟き。

 数秒肩を落とし、しかしすぐに元気よく顔を上げ。

「ドアが駄目なら窓だよね」

 明るく言って、さっさと玄関アプローチの階段から飛び降りて建物の脇へと回り込む。腿のあたりまで茂った草の群れをものともせず掻き分けて。

 虫やトカゲがいそうな茂みは都会っ子の苦手なものだろうと思っていたが、少なくとも彼女は違うらしい。いや、子供の頃は病弱で今は都会に住んでいるというだけで、都会っ子と決めつけるのは違うのかも知れないが。

「うっわー、ここも汚れすごいね」

 窓の近くまで行った彩乃の呟きが耳に届き、私は我に返った。

 草を掻き分け隣まで辿り着くと、彼女はキャップのつばを少し持ち上げて、ガラス越しに家の中を覗き込んでいる。

「どう? 何か思い出せそう?」

「うーん、よく見えないし、暗いし……」

 見えにくいものを凝視しているせいで、睨むような目つきがいつもより更に険しい。

 私も同様に曇ったガラスの内側を覗き見る。

 電気が消え、迎えるべき主のいない薄暗い部屋。残された古い家具。外装と違い雨風にこそ曝されてはいないが、汚れた窓越しにも分かるほど降り積もった埃の層が、不在の期間を物語っている。

「でも、なんか、懐かしい感じがする。全然、初めてじゃない感じだ」

 窓枠をぎゅっと掴んだ指が白くなる。

 丸い頬が、小さな耳が、暑さでなくほんのりと紅潮している。

「ぼく、きっとここに居たんだね」

 そんな姿に、私の鼓動は小さく跳ねた。

「そうだね。きっとそうだ」

 けれどやはり、気の利いた言葉などは思いつかず、ただ小声で同意した。



 彩乃はまだ周囲を見て回りたい様子だったが、私はどちらかというと早めに離れたかった。

 居なくなった筈の少女を探していることを町の人には知られたくないし、彩乃の――朱音の家を調べているのは、それに繋げられそうな行動だからだ。

「今はどうせ入れないんだからさ、別の機会に、実は廃墟探索にも興味あるとか何とか説明して入れて貰おう。正面から行けば逆に怪しくないと思うんだ」

 私の説得に、彼女は不満と困惑を呑み込んで頷いてくれた。

 次に私たちが向かったのは、山の麓にある神社である。

 申し訳ない気持ちを抱きつつ、高く昇った太陽にじりじりと照らされながら畦道を行く。

 青々とした田畑の向こうに見えてきた神社の周りには、半月前に訪れた時と違い、大勢の人が集まっていた。

「もしかして、例のお祭ってあの神社でやるの?」

 彩乃が訊ねる。

「そうだよ。まあ、前回のことは覚えてないんだけど」

「じゃあ、どんなことするのか、ぼくが聞いて回れば良いってことか。そういう設定だし、『こぼれ話』も聞けるかもだし」

 ちらとこちらに睨むような目線を遣って、ニヤリと笑う。

 こぼれ話とは勿論、神社のある山へ入った少女たちに関することだ。

「そういうこと。こっちもなるべくフォローするよ。たぶん知り合いばっかりだし」

「わかった。ぼくのコミュニケーションパワーの見せ場だね」

 胸を張り声を弾ませ、彩乃が足を速めた。



「よう、欅田んとこの上の坊」

 最初に声を掛けてきたのは製材所の主人、宮守だった。

 きれいに削った木材を積んだ小型トラックの前で、大工や製材所の従業員数人と共に集まっている。作業の打ち合わせ中なのだろう。製材所が無人だったのは、こちらにいたからということか。

「こんにちは、クリスマスツリーのおじさん」

「へいへい。おじさんは大人なので毎回突っかかったりしねえからな」

 半月前にもやったばかりの遣り取りに、宮守は苦笑して肩を竦める。

 そして私の横に立つ少女の顔を見て驚きの表情を浮かべ。

「おいおい、それよりそっちのお嬢ちゃんは見ねえ顔だ。引っ越してきたのかい? それとも」

「あ、こちらは同じ大学の瑞原彩乃さん」

 恐らく、カノジョか?と続くだろう言葉を遮り、私はやや大きな声で彩乃を紹介した。

「初めまして。ワタクシ、大学で民俗学を学んでいる瑞原彩乃といいます。センパイからこちらの町で、数年ぶりに開かれる大きな神事があるというので、勉強のため、是非とも見てみたいと思って無理を言って連れてきて貰いました」

 ほんのりぎこちない一人称と言葉遣いと人好きのする明るい笑顔と元気な一礼。これは平均年齢の高い田舎町の作業員らに『自分たちの故郷に興味を持ってくれた』『向学心のある若者』という印象を抱かせるに十分だったようである。黙っていれば睨むような目つきの客人に対し警戒と困惑混じりだった空気が、この挨拶で一気に塗り替えられたのが分かった。

「ほほう、若いのに随分と渋いこと学んでるねえ。有難いことだ」

「答えられることは答えるから何でも聞いてくれよ」

「まあ、祭の櫓組みや段取りは兎も角、由来だの中身だのについちゃ俺たちより神社の人の方が詳しいだろうがな」

「そうなんですね? うーん、何でもかあ……」

 このとき、彼女が先程まで言い含めたことを全て忘れて、朱音の失踪について直接訊ねてしまうのではないかと、ヒヤッとしたことを覚えている。

 信じていないのか、それほど無謀な考えなしだと思っているのかと、詰られるかも知れない。

 けれど集まってきた町の住民を見上げる彩乃の視線は、今すぐ噛みついてしまいそうなほど鋭かった。人々の方は、愛らしい見た目のオブラートに遮られて、その剣呑な空気をまるで感じていないようだったけれど。

「じゃあ、まずはここに祀られてる神様のこと知りたいです!」

 朗らかに投げかけられる質問。

 私は胸を撫で下ろしつつ、勝手に冷や冷やしてしまった己を恥じる。

「おお、そうきたか」

「ここの神様はな、この山に住んでる……というより、山そのものだな」

「サンガクシンコウってやつですか?」

「そうだそうだ。流石、よく知っているねえ」

「山岳信仰……確か、山そのものが神様ってやつだっけ」

「おいおい、欅田の坊は地元なんだからもっと知っとけよ」

 彩乃と違って私の方には当たりが強い。

(そりゃまあ、十何年も育った町の神社の神さまではあるけど……でも前回は覚えてないし、その前は子供だったし……)

 もやもやとしながら、どこか引っ掛かる。

『神様の山なんて初めてだし』

 町に来てすぐ、彼女は確か、山を見てそう言った。

(この『山が神様』ってこと……私は知らなかったんだっけ? なら彩乃ちゃんは?)

 違和感を覚えている間に、民俗学を学ぶ学生の皮を被った少女と大人たちの話は進んでいく。

「ここの山の神様は『イブキ様』といってな、悪鬼退散、五穀豊穣……今でいうなら厄除けに商売繁盛に家内安全、ってな感じのご加護があるそうだ」

「おー、いろいろですね!」

 きらきらと目を輝かせる――演技をする彩乃。

 妙に堂に入っていて、演劇の経験でもあるのだろうかと思ってしまう。

 フムフムと聞き取っている手元のメモに目を遣れば、書かれているのは集まった人々の適当な似顔絵。

 そんなことは露知らず、作業員たちは話を続ける。

「待て待て、その変換合ってんのか?」

「とりあえずご利益があるってこった。で、その『イブキ様』……役の巫女さんが町中を山車で回って、お祓いやお祈りをするってのが、この祭のメインイベント『めをと行列』さ」

「めおと……ぎょうれつ?」

「そうとも」

 曰く。

 かつてこの山には悪い鬼がいて、困った村人の願いにより降臨した『イブキ様』がそれを追い払った。感謝した村人は、また悪いものがやって来ないよう村を守って欲しいとお願いし、以来、『イブキ様』はこの山の神になったという。

 そして麓には祈りを捧げる『本宮』が、頂上近くには『イブキ様』が住むための『奥宮』が建てられた。そこに住むようになった『イブキ様』は数年おきに村へ降りてきては村に祝福を与えたのだそうだ。

「じゃあ今も続くお祭やイベントは、その言い伝えを元にしているんですね」

「そうそう。都会のでかい祭ほどじゃないが、このあたりじゃ一番派手で見栄えがする行事だよ。元々お目当てではあるんだろうが、是非実物を見てってくれよ」

「一緒に練り歩くお付き役も結構いてな、役場や学校でお囃子の練習中さ」

「行列の後には『本宮』で舞やら歌やら酒盛りやらもあって、俺たちはそのための臨時の舞台の材料を運んでるって訳だ」

「ウチはその件に関しちゃ代々やってるからな」

 教わって改めて目を向ければ、トラックの荷台の木材には組み立て用の複雑な凹凸や繊細な文様が刻まれている。幼い頃の私を惹き付けたクリスマスツリーや、まだ見ぬ盆や正月の飾りは、これらの練習として作られたのだろう。

(確かに丸太を板にするみたいな普通の製材所だったら、そんな細かく木を刻んだりしないか)

 諸々聞いた感じでは、小さな町にしてはなかなかの規模の祭に思える。生憎と私の記憶には残っていないが。

「ここらは普段真っ暗だが、祭のときは提灯が並んで夜中まで明るくなるんだ」

「勿論がきんちょ向けに縁日も出るぞ。俺の頃はそっちがメインイベントだったな」

「へえー……!」

 声を弾ませながら相槌を打つ少女の手元のメモ帳でペンが躍る。

 今度は似顔絵でなく、彼らの語る昔話を。



 結局、製材所の従業員や大工らと話している間に辻本は現れなかった。

 この頃には随分と日が傾いてきていたが、折角なので、私たちは神社の中を見て行くことにした。

 材木を積んだトラックから離れ、鳥居を潜る。

 瞬間、茹だるような暑さがふっと抜け、あのときと同じように、靄が晴れるような感覚が身体を吹き抜けていく。

「……え」

 吐息のような呟きに、私は彩乃を振り向く。

 少女は大きな眼を眠たげに瞬かせ、古い石造りの鳥居を見上げた。

「どうしたの?」

「うん……いつもと違う感じが、する」

「?」

「なんか、スキッてしない」

 雨に濡れた子犬のようにしゅんとした顔で。

「いつもと違う神社だから、すごい、ピキーンてなるかと、思ったんだけど」

「そうなんだ……私はすっきりしてるんだけど」

「ええ、いいなぁ」

 頬を膨らませた拗ね顔も、どこかぼんやりとしている。

 私は上がりかけた階段を足早に下り。

「どうする? やめとく?」

「ううん、行くよ。折角来たんだし。どうせ違う日に来るし」

「そっか。……どうしたんだろ、神様の種類が違うとか?」

「えーでも、いろんな神社行ったし、山の神様のも、あったと思うけどな……」

 確かに都会でうろうろしていたときに彩乃が惹かれて入って行った神社には、様々な種類があったように思う。神社と一口に言っても、信仰対象や宗派は様々だ。

「……というか、神社だったら何でもいい、ってのは不思議だな」

「そう?」

「一応、神様が違うんだろう? ご利益だって、商売繁盛とか恋愛成就とかある訳だし」

「そう、か……」

 階段を上り始めた彩乃は、むっと唇を結んで悩んでいる、

「神社に来て何とかなるなら、悪霊とか妖怪とか、そういう系かもって、ちょっと思ってたんだけど」

 疑問を抱えたまま蝉時雨の降る石段を登っていく。

 鳥居の外には人が集まっていたというのに、中はまるで人気が無い。前回訪れたときと違うのは、ぽつりぽつりと飾られた祭用の提灯くらいのものだ。

(階段、狭いし急だし屋台並べるには向かないから、準備が無いのは分かるけど)

 古い石段を登りきり、こじんまりとした境内は、参道に劣らず蝉の声だけが満ちていた。

 ただ、社殿の前の参道に、以前来たときには無かったロープが張られた区域がある。側にはこれまた三角コーンで囲まれた場所にビニールシートが敷かれ、工具が並べられているのを見るに、下で聞いた櫓を建てる場所なのだろう。立ち入り禁止の範囲から見て、恐らく今ある建物から張り出し、渡り廊下で繋ぐ形になるだろうことが見て取れた。

 その傍ら、社殿の前では三人の男性が話し込んでいる。

「ああ、欅田のところの」

 手首に数珠を掛けた和装の男性がまずこちらに気付き、親しげに微笑んだ。

(神社に坊さん……?)

 一瞬首を傾げたが、その顔には見覚えがあった。確かこの神社の神主の男性である。

 両親がそれぞれ『そういったもの』に関心があったためか、ここの神主とはそれなりに親しい間柄だ。当然、つい先日の祖父の葬儀にも参列していた。だから見覚えがあるのだろう。

 納得している間に他の二人も振り向き、突然境内に現れた見知らぬ若者に驚いた様子を見せる。

 私たちは彼らにも愛想よく笑顔で会釈した。

「こんにちは」

「こんにちは。祖父君のご葬儀でお見かけして以来ですね。まだご実家に?」

「一旦あっちに戻って、また帰って来たんです。こちらの、後輩がどうしてもと言うので」

 さりげなく、彩乃の紹介に持ち込んでいく。

 彩乃はもう一度ぺこりと頭を下げ、先程と同じ、嘘の自己紹介を元気よく述べた。

 鳥居を潜ったときの眠たげな様子は既に見えない。石段を登っている間に、いつもの調子を取り戻したようだ。

「ほほう。そういったものは年寄りばかりが興味あるもんと思っていたが、都会の大学はそういう勉学もやっているのかい」

「いやいや流石に年寄りばっかりってことはないですよ、松井さん。こんなに若い方ってのは、確かにこっちじゃあまり見ませんが」

 驚きと感心の表情で彩乃を見る松井という私服の老人と、それを嗜めるカジュアルスーツの初老の男性。

 神主が二人を紹介する。

「こちらは町内会会長の松井さん、それから役場で年間行事の担当をしている吉田さんです」

「あ、宜しくお願いします。ここのお祭りに詳しいんですか?」

「私は資料を見てばかりです。けど、役場に戻ればその資料がありますよ。松井さんは前回や前々回の仕切りもしていたのでずっと詳しいです」

「いやいや、俺は段取りの指揮くらいしかしてないよ。神事なんだから、一番は三宅さん、あんただろうに」

 役場職員の吉田から町内会長の松井、そして神主の三宅へとバトンが渡され、彩乃の視線が順繰りに彼らの顔を追っていく。

「皆さんそれぞれにご存知なことがあるってのが分かりました。いろいろ聞きたいです!」

 にこにこ笑顔を張り付けて、彼女は『勉強熱心な学生』を演じ続ける。

「下の、大工さん? 木材を運んでる人たちにも、お祭りのこと、ちょっと聞いてきたんですけど、もっと詳しいこと聞いてもいいですか?」

「ほうほう、何だい?」

「ここのお祭では特徴的な、巫女さんが町中を歩き回るっていうイベントがあるって聞きまして」

「『めをと行列』のことですね」

 頷きながら、神主の三宅が答える。

「確か、めおと、って夫婦のことですよね? 巫女さんが神様の役で……その、結婚相手の人ってどうなってるんですか?」

「よく知ってるね?」

 小声で訊ねる私に、彩乃はふふっと胸を張る。

「だって、夫婦茶碗のめおとでしょ?」

 それを聞いた三宅が吹き出し、松井と吉田が顔を見合わせ笑った。

「成程、そりゃ今でも売ってるな」

「あまり若い方は使わない言い回しかと思いましたが、確かに」

 どうやらこの場でぴんときていなかったのは私だけだったらしい。

(いや、夫婦茶碗くらいなら知ってるけど……咄嗟に連想できなかっただけで)

「ああ、それで『めをと行列』の方ですね」

「はい」

「そうですね……ええと、下で『イブキ様』のいらっしゃる『奥宮』のことは聞きましたか?」

「はい。山のてっぺん近くにある、ここの神様がお住まいのところですね」

「残念ながら、今はありません。参道もそこの裏手にあったのですが、塞がれて久しいです」

 四十過ぎほどの神主は、社殿の方へちらと目を向ける。

「『奥宮』の『イブキ様』と『本宮』の巫女は対になる存在で、山から降りてきた『イブキ様』を案内するのが『本宮』の巫女のお役目なんですね。それをいつしか夫婦に準えて呼ばれるようになった、ということです」

「じゃあ、昔話によくある、神様に嫁入りとかで結婚してる訳ではないんですね」

 確かにそういう話は昔話あるあるだ。

 神様だけでなく鬼だったり竜だったり、やたらと若い娘が嫁に行くパターン。しかし娘が機転を利かせて危機を脱したり、説得をして良い方向に導いたり、意外と優しい神様と仲良く暮らしたり、思ったよりハッピーエンドが多かった気がする。あくまで私がぼんやり思い出せる範囲では、だけれど。

 三宅は穏やかに微笑みながら。

「『イブキ様』はそのような類の神様ではありません。寂しがりですが人のことが好きで、大事に思っています」

「人が好き、ですか?」

「ええ。この山では時折、山に惹かれて入ってしまう者が多かったのですが、『イブキ様』はそれを見つけて、すぐに返して下さるのです。神様の時間なので、私たちのいう『すぐ』よりは長いですが」

「神様時間ですかー……」

「きっと『イブキ様』がもてなしているんだろう、ということで『神隠し』と呼ばれたりしています。世間でいう神隠しとは少々ニュアンスが違っていますね」

 他にも不思議なこと――誰もいない筈の山に灯のような光を見たり、煙が立ったり、鬼や人魂、物の怪の目撃談など――が起こる山なのだと神主の三宅は言う。

 ここで長らく話題に入れなかった吉田が口を挟む。

「山で光やら煙やら見たって目撃談は、結構最近まであったらしいですよ。そういうときは役場や、それに警察に通報があったそうです。流石に鬼だの人魂だのというのは無かったようですが」

 へえ、と、少女は呟いて。

「『神隠し』も最近あったりしたんですか?」

 顔色一つ変えず、メモの手を止めることなく、本命の質問を繰り出す。

 一瞬、大人たちの視線が複雑に交わった。

 そして一人が、先程までとは違う少し重たい口調で答えた。

「いや、そういうことは、最近には無いようです」



 低くなった太陽を頬に受けながら畦道を行く。

 速足で歩く無言の彩乃を、私が追いかける形で。

 どれだけ歩いたか分からない。知らない道をすたすたと、目的地もなく、ただ足の向くままに。

「……おかしいよね」

 長い長い沈黙の後、少女はぼそりと呟いた。

「おかしいよね。お姉ちゃんたちのことは『神隠し』にカウントされてないんだ」

「それは」

 思いついたことを言葉にするのを、僅かの間、躊躇する。

「たぶん、ここでは朱音ちゃんは」

「死んだことになってるから行方不明じゃない?」

「……うん」

 怒りを含んだ物言いに、私は気圧されて頷くしかできない。

「……」

 小さな溜息を吐き、彩乃はぱたりと立ち止まる。そして更に大きく一つ息をして。

「まあ、それはそうかも。ここの『神隠し』は、神様時間だけど返してくれるみたいだし」

 神様時間がどのくらいか聞き忘れちゃった、と言いながらくるりと振り向く。

 慣れた筈の睨み目に射竦められ、私は動けない。

「ね、お姉ちゃんは『神隠し』に遭った……って、思う?」

「分からない。でも」

 答え始めてから考える。

 朱音と有香里、二人がこの町で、この町からいなくなったことだけは確かだ。

 町の人々の記憶では山で迷って遭難して、朱音は命を落とした。私たちの中では、朱音はどこかへ居なくなり、有香里は海外へ引っ越した。そういうことになっている。

 この町に昔から『神隠し』などという行方不明の噂があるのなら、巻き込まれた可能性は高いだろう。私たちは彼女たちが居なくなる前の時点から記憶を消され、町の人々の記憶は、その結末だけが違っていると。

 ただ『神隠し』などという非科学的な代物を、現代でどう理屈をつけるかは分からない。以前辻本と話したような『未知のウイルス説』は荒唐無稽だったが『神隠し』も、同じくらいトンデモに思える。

 但し私たちは既に集団記憶喪失という荒唐無稽に襲われている最中だ。

 故に。

「可能性なら、ありそうだとは思う。でも絶対コレだって言えるほど、物的証拠みたいなものが無いのがな……すごく『それっぽい』けど、的を絞るためには足りないっていうか」

「そこなんだよね」

 私の返答に、彩乃はこの場で三度目の溜息を吐いた。

「ぼくもさ、こう、『神隠し』に遭ったときに落としてったお守りが山に行く道の入り口に落ちてたりとか、そういうのがあれば、これだ!ってなるんだけどさ」

「推理ドラマでも最近やらないんじゃないかな、そういうベタなやつは」

「例えだってば。ぱっと思いつくの、それしか出なかったんだって」

 ぷうっと頬を膨らませて拗ねる様子は、普段の彩乃の顔で、私は少しほっとした。

「ま、あったとしても流石に残ってないよね。七年前だし」

「そうだね。でも、他のところにはあるかも知れない」

「うん。今日もいろいろ聞けたし……明日は役場とか行ってみるのも良いかな。お祭の資料見るついでに、町の事件のことも聞けるかもだし」

「事件なら警察行った方が聞けそうだけど、今の彩乃ちゃんの設定だと難しいか」

 とは言っても他に聞き込みに向いた設定は思いつかなかった。

 彩乃は仕方ないよと苦笑する。

「今の設定じゃなくても難しいでしょ。昔の行方不明事件のこと聞き込んで、しかも答えて貰えそうな設定は、すぐには思いつかないもん。ゲームに出て来るタンテイくらいかな」

「ごめんね。いろいろ、遠回りなことさせてばかりで」

「いいよ。そりゃ、フツーに聞き回ればいいじゃんとか思ったし、今だってもどかしいし……こんな普通の町の中にお姉ちゃんのこと隠したい奴がいる、なんて信じられないよ。でもま、お陰でそれっぽい収穫あったしさ」

「……」

「ぼくのために、心配とかして、設定考えてくれたんでしょ? そこは嬉しいよ」

 畦道をぶらぶら歩きながら、少女は私に笑顔を向けた。



「おかえり、遅かったじゃないか」

 家へ帰ると、離れの小部屋で辻本が胡坐をかいて待っていた。

 私は呆れて声を出す。

「お前、後から来るって言ってただろ」

「行くつもりだったんだよ」

 心外だ、と顔を顰めて悪友は畳んでいた足を放り出す。

「親がさー、帰って来たんならまず部屋を掃除しろって家から出してくれなくてさー」

「出て来るとききれいにしてたら、ハタキと掃除機かけるくらいだろ」

「うーん、俺、整理整頓苦手系だからさー」

 とぼけているが、恐らく掃除機をかけられる状態にするまで時間がかかる状態だったのだろう。古アパートの彼の部屋も、自身が歩いたり寝起きする空間以外には物が雑に積んである様子だったのを思い出す。

 彩乃と二人で呆れていると、辻本はこちらを見上げてニヤリと笑う。

「けどよ、何も収穫が無かったって訳じゃないぜ」

 彼がズボンの尻ポケットから取り出したのは、小さく折り畳まれた古い紙のようなもの。

 広げたそれに書いてあったのは、擦れの目立つ拙い手書きの地図だった。

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