05_Risk assessment
今年二度目に降り立った故郷は、半月のブランクを経ても特に変わりないように見えた。
季節に沿って少し、咲いている花の種類やら蝉の声の勢いが違うような気がするが、その程度である。
「うわ、変わってねーなー」
上京してから初の帰郷になる辻本は、言葉に反して嬉しそうな声を上げた。
「流石にここは覚えてるか」
「そりゃ町出たときも通ったからな。子供の頃しか行ってないようなところは分からん」
それはそうだと言いながら彩乃の方を振り向くと、彼女は大きな目を丸くして、ぽかんと私たちの向こう側を見ていた。
「?」
視線を追うように振り向くと、その先には山があった。
元より町の周囲は都会と違って山に囲まれているから、幼い頃を覚えていない彼女にとっては見慣れない景色だろう。
「……彩乃ちゃん?」
「あ……」
声に反応し、遠くに向いていた視線が私たちのもとへ戻ってくる。
「大丈夫?」
「え、ああ、へーき。何ともない」
慌てたように小さな手をぱたぱたと振り。
「もしかしたらぼくにも懐かしいとか思う気持ちが湧いてくるかも、って思ったんだけど、残念。全然だった」
「そっか……」
「でもここには暮らしてた筈だよ。前の住所、このあたりだったから。駅前には来たことないってだけかもだから」
笑顔で肩を竦めた。その視線はまだ山に向いている。
その様子に、私は少し可笑しくなって。
「山、珍しい?」
「え? あー、うーん、そうかも。自然が豊富って聞いてたけど、いざ目の前にすると違うなって感じはするかな。神様の山なんて初めてだし」
そう言う彼女の服装は、細身のデニムに半袖のミリタリーシャツ。ごつめのスニーカーを履き、日除けにフード付きのパーカーとキャップを身に着けて大きめのリュックとボディバッグを装備した姿は、普段と違って明らかにアウトドアを意識している。
私たちの説明から一体どの程度の『田舎』を想像してきたのかは何となく察しがついた。ただ、本格的に山の中に分け入る用にしては心許ない格好でもある。
(もし山登りするつもりなら着替えが要るな。そんな店あったか、うちの町?)
彩乃は誤魔化すように笑いながら、大きなリュックを背負い直す。
「じゃ早速、今日のお宿に案内してもらっても、いいかな?」
私たちの町は温泉地でも観光地でもない。
よって、立派な旅館や風情のある民宿などとも縁がない。
一応駅前に、新しめだが営業が成り立っているのか怪しい小さなホテルはあるが、外から来た人が泊まれそうなところは基本的に思いつかない。それは勿論、私がこの町の住人なので必要がなく把握していない、というだけかも知れないが。
「ぼくは別に、さっきのホテルでも良かったんだけどな」
夏の日差しが熱したアスファルトの道を歩きながら彩乃が言う。
「それはさ……俺らだけ自分ちに帰って、女の子がお金出してホテルに泊まるってのもな、って」
「お金ならいっぱい持ってるよ? 探偵雇うために貯めたんだから」
「でもそれは探偵用だし、やっぱり取っといた方が良いよ。こっちで解決するとは限らないし」
「まー、そーだけど」
だらだらと三人で話しながら十分ほどで、目的地に到着した。
「大きいお屋敷だねえ」
都会のアパートなどと比べればかなり大きな、しかし近所で比べれば少し広いくらいの敷地面積に建てられた一軒家の門を見上げ、彩乃が目をぱちくりする。
「それは大袈裟だよ」
言いながら、私は門柱のインターフォンを鳴らした。
応答より先に門扉の先のドアが開き、四十半ばほどの女性が一人、顔を出す。
「そろそろ到着する頃だと思ってたら!」
こちらを確認すると、彼女は喜色満面、いそいそとした様子で小走りにやってきた。
「辻本くん、お久しぶりね。それでこちらさんが民俗学のお嬢さん?」
「お久しぶりです、美絵さん」
「ども、初めまして。『瑞原彩乃』です」
緊張した面持ちで彩乃が名乗ったのは、とある考えのためここに来る前に急遽考えた偽名だ。母方の旧姓らしい。
「いえいえ、ようこそおいで下さいました。ええと、瑞原さん? 何もないところですが、お役に立てれば嬉しいです。いろいろ見て行って下さいね」
「よ、宜しくお願いします」
「私でよければ、いろいろ案内とかもできますからね」
「は、はい。でも……」
勢いにたじろいだ彩乃が、私に視線を向ける。
無言の助けを求められ、軽く蚊帳の外に置かれていた私はやんわりと、女性たちの会話に割って入った。
「母さん、案内とかそういうのはこっちでできるから」
女性、改め私の母は、不満げにこちらを向いて。
「ええ? でもあなた、そんなにお祭とか行事とか詳しくないでしょう?」
「それはそうだけど、紹介したのはこっちなんだから、そこは責任持ってやるよ」
「そう? でも危ないところには連れてったら駄目ですよ?」
「大丈夫大丈夫」
それなら仕方ないけど、と、案内役に未練が残る様子で、母は私たちを招き入れた。
連れて行かれたのは、庭の隅にある離れの建物だ。
「ちゃんと掃除はしておいたからね。虫とか、変なものが出てきたらそこの呼び鈴で人を呼べるから」
そう言って、更に細々と説明をしたそうな母を丁重に母屋へお返しし、私は離れの戸を閉めた。
私たちが居る離れの部屋は三分の一が板間で残りが畳の四畳半だ。元は小さな蔵だったため、奥の戸の先や二階にも空間がある。
子供の頃は、こんな部屋などなかった。本来は広々とした天井の高い空間に、祖父母や両親の趣味の物が所狭しと並べてあったという記憶が頭の片隅に残っている。私が忍び込むような齢ではなくなった頃、一階を整理してこの小部屋を作り、半月前に亡くなった祖父が使っていた。その際にトイレや洗面所も追加され、食事と入浴以外はここに居ることが多かったと記憶している。
祖父が身体を壊してからは訪れることもなく、小部屋も趣味の物で塞がっていたという。
初めの帰郷前にも整理をしたそうだが、今回改めて掃除をし、それら雑多な物品は亡き祖父の私室に移して置いてあるらしい。
「そういやこんなところあったな」
先に座布団をぽんぽんと並べた辻本が懐かしそうに言う。
「そこの記憶はあるのか?」
「ぼんやりとだけどな。お前とここに入って、お化け屋敷みてーだなって話したりした」
「お化け屋敷か……言い得て妙だ」
父母は共に、神仏やら霊やら、所謂スピリチュアル的なものに造詣が深いタイプである。結果、ここに並べられていた『趣味の物』はそういった系統に寄っていた。子供の目から見たら統一性がない上に不気味で、お化け屋敷と言われても仕方のない様相だったろう。
「それにしても、とりあえず美絵さんに嘘はバレてないみたいだな」
辻本が安堵した様子でへらへらと笑う。
彩乃を故郷へ連れて来る際、私たちはとある理由で、聞き込みをしやすそうな設定を彼女に追加することにしたのだ。
話は一週間前に遡る。
「町では死んだことになってるけど、実はそうじゃないってことについての理由ね」
殆ど足を踏み入れた覚えのない大学の図書館で一日過ごした帰途のこと。
冬ならば真っ暗だが、暦の上でしか秋になっていない暑い夏の日ではまだ明るさの残る空の下、私たちは人気の少ない路地をアパートに向かっていた。
私はそこで、先日の話し合いの間に湧いた疑問を彼にぶつけることにしたのだ。
「どう思う?」
「……まず人ひとり死んだことにするってのが難しそーだなって思う訳なんだが」
「それは、そうだな。でも戸籍では生きてる状態らしいし、今日調べてみて、有香里ちゃんの失踪もだけどニュースにすらなってない。ただみんなの記憶とか、意識の中では死んだことになってる、そういうレベルで」
「うーん……ぼんやりな感じで『あの子死んじゃったよね』ってのと、葬式までちゃんとやったって思い出があるのでも、記憶をどーにかするレベル違いそう」
腕組みをし、うんうんと唸る。
「あ、でも、お前が聞いた感じ、葬式の思い出っつっても全部スジが通ってて同じ、って訳でもなかったんだろ?」
「そうだな……状況とか日時とかはバラバラだった」
祖父の葬儀の後の聞き込みを思い出す。一番具体的に話を聞けたのは製材所の主人からだったが、他の人の記憶はもっとぼんやりとしていて、何なら改めて話題になど上げたくないような様子だった。
あのときは『小さな女の子が亡くなってしまった残酷で悲しい事故』のことなど早く忘れてしまいたいからだろうと、勝手に補完していたけれど。
辻本は暫し考えてからポケットに突っ込んでいた片手を出し、人差し指をぴんと伸ばした。
「じゃあ一応仮説。共通認識は朱音が死んだこと、までで、葬式の記憶は各自の勝手なイメージを膨らませたもの。葬式なんて大体同じ雰囲気だろ?」
「ああ、あの辺りは昔からの家が多いから、宗派も大体同じだろうし、そもそも多少イメージ違っても頭の中の映像は見られないし」
「だから映像なしでも誤魔化せない状況とか日時がバラバラなのかも知れん」
「お前、意外と賢いな」
「ふっふっふ、テストには反映されないけどな」
着けてもいない眼鏡を持ち上げる仕草をした悪友は、それから。
「理由については何も分からんがな」
と肩を竦めた。
「やっぱりそうか……」
「まあ、お前が暫く考えても出てこない答えを、俺が聞かれて一分で出せたらムカつくだろ?」
「ムカつくかも知れないけど、こうやって悩んで何も出ないよりはマシな気がする」
「そりゃな」
同意は得られても進展はないままに、私たちは溜息を吐いた。
が、そこへ。
「よう」
狭い路地の脇から伸びる、更に狭い隙間のような裏路地から声が掛かる。
驚いて立ち止まり声の方に視線を走らせると、暗がりから突き出た腕だけが手招きをしていた。
「!?」
一瞬ぎょっと体が竦み、しかしよく聞けば耳慣れた声の主に、私は肩の力を抜く。
「ジョニーじゃないか。こんなところにいるなんて珍しい」
よく見れば、日を遮った陰に溶けるように、馴染みのホームレスの男が佇んでいる。いつもの地下道や、その近所の猫のいる公園以外で遭遇するのは初めてだ。
彼は暗がりで分かる程度にニヤッと笑う。
「タバコ切らしちまってよ。持ってねえか」
「ああ、あるよ」
図書館に行くので胸ポケットから鞄に移していた煙草を、少し手間取りながら渡すと、ジョニーは、そのうち礼をするよと、それを自分の懐にしまい込む。
私はそこでふと、思いついて。
「礼より、今ちょっと聞きたいことがあってさ」
「お? 何だい?」
「説明が難しいんだけど……有ったことを無かったことにする、逆に無かったことを有ったことにする、そういうのを誰かがする理由って、何があると思う?」
「ふうむ」
彼は雑に伸びた髭を指で捏ねながら。
「そういうのはな、誰かの得になるからやってんだろうな」
「得……?」
「捻くれた奴なら、自分じゃねえ誰かの損になるからやる、ってのも居るだろうが、大抵はもっと単純だ。今より悪くなっちまうのを避けるってのも、まあ得っちゃ得だよ」
私がまだよく呑み込めない顔をしていたのか、年配のホームレスはふっと息を吐いて続けた。
「子供が悪さして、バレたくないから隠す。褒められたいからテストで良い点を取ったことにする。そういうもんの延長さ」
「……それなら、分かるかな」
「礼になったかい?」
「たぶんね」
ならいい、と彼は音もなく暗がりに溶けていく。
(誰かの得になるから……)
心の中で反復したそのとき、不意に影が落ちるように恐ろしい疑惑が私の中に渦巻いた。
「なあ辻本」
ぱっと振り向いた急な動きに驚いたのか、悪友はぎょっとした顔で私を見る。
「どうしたんだよ、お前」
「朱音ちゃんが山で遭難して死んだことになってる……それで、そういうことになって得をするって、例えばどういう状況だ?」
「は? 得って」
困惑の表情を浮かべながら、それでも思考を巡らせただろう彼の顔にも、疑惑と恐怖の表情が浮かぶ。
「……一応聞くけどよ、『死んでる』って状況が得ってことか? それとも『事故で死んだ』ってことの方か?」
「どっちでも。……どっちでも、あんまり楽しい状況じゃないだろ」
「そうだな……」
浮かんできた仮説は二つ。
現在『死んでいる』ことが望ましいならば、彼女が『生きている』のは、更にそれが人に知られて周知されるのはまずい筈だ。誰かが攫って隠している、別人になっている、等々、理由は様々に考えられる。
そしてもう一つの『事故で死んだ』ことが誰かに望まれた状況ならば、もっと悪い。先の理由に加えて、事故ではなく――誰かが手を下した、という可能性の追加。
更にその、知られたくない状況を、記憶を『書き換えた』者は、あの頃の朱音と有香里の周囲の人間だろう。つまりあの町の住人の中にいる見込みが大きい。
全く以て荒唐無稽だ。
少し前の私たちならそんな刑事ドラマか怪奇小説か、両方を混ぜ込んだような事態は想像もしなかったし、聞かされても鼻で笑い飛ばしていただろう。
けれど今は信じ難い『荒唐無稽』なことが実際に身の上に起きていることが分かっている。
だから。
「えっと、ぼくは二人のカワイイ後輩で、民俗学とか神学に興味がある都会の大学生。今年この町の神社で、何年かに一度開催される珍しい祭があると先輩方に聞き、後学のために是非、って感じで押し掛けた。んだよね」
畳の上の座布団にちょこんと座った彩乃が、すらすらと『嘘の経歴と理由』を述べる。
「そうそう、ここにいる間はそういうことで」
設定を確認した私と辻本が頷く中、彼女はやや不満顔で。
「どっちみちさ、ぼくたち双子なんだし、顔見たらすぐバレるんじゃない?」
「七年も見てない顔なら何とかなるっしょ。十二歳と十九歳は、女の子でも結構変わるし」
「そうかなー……それにさ、お姉ちゃんのこと隠して聞き込みするの、無理くない? 警戒とかし過ぎじゃないかな?」
「普通に考えたらそうだけど、おかしなことが起こりまくってるんだし、念には念をってことで」
「それで収穫無しだったら本末転倒だよ」
「気持ちは分かる。でも万が一、予想の一番悪いやつの通りだとしたら……邪魔とかされるかも知れない」
「そうそう。それに前の祭の時期と俺たちの記憶が無かったり朱音ちゃんたちがいなくなったりの時期、地味に被ってるから、前後の話でワンチャン狙えると思うし」
「うーん……いまいちピンと来てないけど、いいよ。邪魔されるのイヤだし」
考え過ぎだと、私も思う。
故郷の、顔見知りも多い町の人たちを疑うのはおかしいと、もう一人の自分も訴える。
けれど相談の日に背筋を走った寒気と『覚えていないけど何かが起こっている』という感覚が、頭の中で警鐘を鳴らし続けている。
その音は小さいけれど、けして無視はできないと感じていた。
「じゃ、時間は無駄にできないね。早速だけど、どっから行く?」
不安を抱えた私たちとは逆に、彩乃は張り切った様子だ。
(彩乃ちゃんにとっては、もうすぐゴールかも知れないんだもんな)
何年も探し続けた姉の『所在』の確認が、彼女の目的だ。
自分と自分たちの故郷に何かが起こっているとつい先日知って、スタート地点から走り出したばかりの気分でいる私たちとは、全く逆に。
「とりあえず、朱音ちゃんの家に行こう。あ、彩乃ちゃんの家、でもあったんだよね」
「そだね。覚えてないけど、近くに行ったら見覚えとかあるかもだ」
少し寂し気で、けれどわくわくした表情。
その表情に何とも言えない気持ちが満ちていく中、辻本が片手を上げた。
「俺は一旦家に顔出して、荷物置いてくる。超久々なのでいろいろ話聞かれると思うから……そっち行ったら、次はどこ?」
「次は、神社かな。そこでも追いついてこなかったらこっちに戻ってるよ」
「分かった。早めに合流できるよう頑張るわ」
言うなりさっさと離れから出て行く。
門前で母と彼が挨拶を交わす声を聞きながら、私も立ち上がる。
「早めに行った方が良いな。母さんのことだから、そのうち良いお茶とかお菓子とか用意して案内役を買いに来る」
「そうなの?」
「父もなんだけど、神様仏様については詳しいんだ。趣味だけど専門分野ってくらいの。前はここにその趣味の物を置きまくってたりしてて……つまり彩乃ちゃんの設定と相性が良い」
「ぼくも神社のことならちょっと話せるけどね。設定どおり。まあ、聞き役の方がボロは出ないね」
「そういうこと」
言って靴を履き始めた背後で、彩乃が言った。
「ああでも、だからここは頭がスキっとするんだね」
振り向いた私に、彼女はニヤリと笑う。
「誰かが見守ってる感じするよ。ここ。神社と同じくらい」




