01_Master Boot Record
あれは大学の二年、二十歳になった冬のこと。
田舎から都会に出て一人暮らしをしていた頃の話だ。
当時の私は、どちらかといえば世間のいう『身勝手で自堕落な若者』というやつだったのだろう。
今にも崩れ落ちそうな安アパートの部屋で日々漫然とネットに繋いでは『何か面白いこと』を探し、学業そっちのけでゲームセンターに入り浸り、僅かな仕送りやバイト代をギャンブルに溶かしては、やはり運要素の強いオークションで無理くりに日銭を稼ぐか同郷の友人を頼るなど、文字通り綱渡りの生活をしていた。
「人のこと言えた義理じゃねえけど、お前そのうち路地裏かそこらの湾で『発見』されるんじゃねえの?」
同郷の友人であり苦学生の同士であり『あまり運のないギャンブル仲間』である悪友の辻本は、そう言って苦笑いをしたものだ。
都会へ来て早々に免許を取ったものの、肝心の車の置き場も購入費も無い彼は、ギャンブルの傍ら安いレンタカーを乗り回してドライブに興じている。たまに都会を離れて郊外の風を浴びたくなるからだそうだ。
人のことは言えないが、そんなことをしているから金が貯まらないのである。
彼も私もギャンブルの運はとことん無かったが、あれから現在まで元気にやれていることを考えると、生きることに関する運はそれなりにあったのだろう。
小銭しか入っていない薄い財布を尻のポケットに突っ込んで繁華街とアパートの間を行き来する日々。
何かを積み重ねたり研鑽したりとは程遠い、雑な娯楽で消費していく雑な毎日。
途中の地下道にいつも座っている顔馴染みのホームレスは、歯抜けの顔で笑いながら人生相談と称して私に言った。
「時間を浪費するのも若いうちの嗜みさ、青二才」
彼女と出会ったのはそんな『身勝手で自堕落な』学生生活の最中、行きつけのゲームセンターでのことだ。
私はその頃、とある格闘ゲームにハマっていた。
それまでギャンブルに注ぎ込んでいた小金は銀玉の代わりにステンレスのメダルに化け、投入口に消えていった。ギャンブルと違って、投入すれば残らずそれきりなのは言うまでも――いや、いま思えば同じかも知れない。
兎も角、綱渡り生活をしながら毎日のように通い続けた結果は、周りを囲む小規模なギャラリーという形で現れた。
天狗になった私は、その日、対戦用の台に向かった。
席に着き暫く待っていると、挑戦者が現れたという表示と共に対戦が開始される。
対戦相手の姿は見えない。筐体に隠れているのは勿論、画面に集中しているのだから、目を遣る余裕などない。一フレーム単位の動きが状況を左右する、猛者たちの戦いが行われるのが対戦台というものなのだ。と、少なくとも当時の私は思い込んでいた。
だが、対戦相手は拍子抜けするほど弱かった。
あまりの手応えのなさに唖然としていると、再び挑戦者の表示。
赤子の手を捻るような一方的な戦いを五回ほど強いられた後、筐体の向こうの『生身の挑戦者』が音を上げる。
「はぁー、もうダメダメだー!」
辺りに轟く無数のゲーム音を搔い潜って耳に届いたのは、女性の声。
立ち上がる気配に筐体の横から身を乗り出すと、不機嫌そうに去っていく後姿が目に入る。ワイドデニムにオーバーサイズジャケットの、小作りそうな頭と細い足首とはアンバランスに膨らんだシルエット。
一瞬、騒音が途切れるような不思議な眩暈を覚えた私は、慌てて台の上に置いた缶コーヒーを呷る。
勝利の美酒とは程遠い、苦い味ばかりが口の中に広がっていった。
明くる日も私は同じ台に陣取っていたが、挑戦者はなかなか現れなかった。
不人気の台ではない筈なのにと首を捻りつつ、妙にぽかんと空いた時間を持て余した末、仕方なく一旦席を立つ。
トイレで用を足し、缶コーヒーを片手に戻ると、私が居た席に人影があった。
オーバーサイズジャケットとワイドデニムから除く華奢な手足、見覚えのある少し猫背の後ろ姿。
間違いない、昨日の対戦相手だ。
気付いて立ち止まると同時に、彼女が振り向いた。
齢は私とそう変わらないだろう。人形のように切り揃えられたさらさらの黒髪。あどけない印象の丸い頬。ぽってりとした唇。
その中で印象的な黒目がちの大きな瞳が、こちらを不満そうに睨んでいる。
予想だにしない事態にぎょっとして、何か言葉を発しようと泡を食っている間に彼女は無言で立ち上がり、すたすたと筐体を回り込んで対戦側の席に腰掛けた。
(……わざわざ待ってたのか?)
疑問符を浮かべながら席に着き、生温かい座面に少々の居心地の悪さを覚えながらメダルを投入すると、即座に挑戦者の表示。
結果は前日と変わらず。
流石に悪く思って使い慣れないキャラクターに変えての二戦目も、譲歩むなしく圧勝してしまった。
(これじゃあまるで私が弱い者いじめしてるみたいじゃないか)
弱いくせに意気だけは盛んな挑戦者ほど厄介なものはない。
何が悲しくて見ず知らずの無謀な対戦相手の『お守り』などしなければならないというのだろう。
(待ってたってことは、こっちに用があったんだろうけど、一体どういう狙いだよ)
彼女が延々と負け戦を挑み続けたところで、彼女自身は勿論、誰かが得をするようには思えない。当然、私にも得はない。ただただコインと時間が浪費させられていくだけだ。
次に挑戦が来たら流石に何か言ってやろうかと考えていた。
が、負け側のカウントダウンが終わる頃になっても、対戦は継続されなかった。
いい加減、実力差を思い知って席を離れたのかと、少し身を乗り出して筐体の向こう側を覗き見る。
黒目がちの大きな瞳とばっちり視線が合った。
(え、えぇ……)
本当に何が不満なのか私には解らなかったが、睨むような彼女の視線は真っ直ぐにこちらに向けられている。
とても気まずい。
「…………えっと……」
咄嗟の挨拶すら出せなった私は、苦し紛れにご機嫌取りの言葉を捻り出す。
「あ、あのキャラ、いいよね」
キャラとは勿論、格闘ゲームでの彼女の操作キャラのことである。私自身はほとんど使ったことがなく好きでも嫌いでもなかったキャラだったので、この発言がどれだけ雑に発されたか分かろうものだ。
そうとも知らず、持ちキャラを褒められた少女の表情は少し満足げに綻ぶ。
「でしょ。ぼくも大体いっしょ」
それから先も私は格闘ゲーム目当てにゲームセンターに通い詰めた。
件の彼女は週に数回、対戦台に挑戦しに来て、その度に話をする機会があった。
ゲームセンターで可愛い女の子と仲良くなるなんて経験は初めてだったし、浮かれていなかったと言えば嘘になる。ついでに一人称が『ぼく』の女性と出会ったのも初めてだった。
その頃の彼女との話題はいつでも他愛ないものだった。やっていたゲームの話、ゲームセンターの話、近所の店の話、ついでに私が手を出しているオークションやギャンブルの話も少し。
私が話をするとき、彼女は大きな目で睨むように私を見つめる。
最初は何か悪いことをしてしまったのかとぎょっとしたが、私が恐る恐る訊ねると気を悪くした風もなく、生まれつきだとの答え。
「なに? びびってた?」
そう言ってニヤリと笑った。
そのとき、内心ほっとすると同時に申し訳なさも感じたのを覚えている。
「たきざわあやの」
幾度目かの雑談の際に、彼女はそう名乗った。
「あのね、水が流れる滝、サワガニの沢、いろどりの彩に、えーと……漢字のカタナみたいな形の乃」
そう説明しながら、筐体の側面に『滝沢彩乃』と指で書いてみせる。
お返しに、と私も漢字を説明しながら名乗ると、彼女は苗字を指し。
「ご神木にもある樹だよね」
と言ってニヤリと笑った。
電子音と喧騒に満ちた空間には似つかわしくない薫風漂う単語に私がきょとんとしていると、彼女――彩乃は首を傾げ。
「知らない? 神社に生えてるでっかい木。大体囲われてて、注連縄がぐるっと巻いてて。あれはね、そこの神様が入ってたり、お祭とか何かするとき仮に入る用にあるんだよ」
「……彩乃ちゃん、詳しいね」
立て板に水といった調子ですらすらと説明する彼女に、私は面食らうばかりだった。
自分の姓が樹木の種類の一つだというのは知っていたが、神社に堂々と聳える大樹と関連付けられたことは無い。大体名乗ったときは大抵名前の字の珍しさに話題を振られることの方が多く、それも理由で、新鮮さのようなものも感じていた。
何より、これまでの俗っぽい空気の話題と打って変わった、どこかファンタジーめいた内容に、それを語る彼女に、私の胸は高鳴った。
きっと私はそのとき初めて、彼女に『惹かれた』のだろう。
しかし、民俗学に興味があるとか実家が神社だとか、そういったことは特にないと彼女は言った。
「なんだっけな、むかし誰かに聞いたことあるんだ。んで、何だかんだで古文の授業は結構得意だったんだぜ」
そう言って、氷の多い薄いコーラを行儀悪く音を立てて啜った。
「女ができたな、青二才」
話しかける前に、ホームレスのジョニーはギターを片手に口を開いた。
どきりとして動きを止めた私は、自分で分かるほどぎこちない動きで彼の前にしゃがみ込む。
「どうしてそう思う?」
「見りゃ分かる。女ができると男は変わる。目つきやら歩き方やら背筋の伸びが変わる。その女に、いい男に見られたいって下心が滲み出て来るんだ」
「下心って……」
「なんだ、今どきの若い奴は女を抱くって考えるのが悪いことだとでも教わってんのか」
「いや教わってはいないけど……でもジョニー、私のはそういうのじゃないから」
二十以上年長の者の生々しい物言いに少し腰が引けながら、私はひらひらと手を振る。
「そういう関係にゃなりたくないって?」
「まだ会って一か月もないし、そういう関係でもないってだけだよ」
「初心なことを言いやがる。だがな、下心ってのは悪いだけじゃねえよ。いい男になるのは悪いことじゃねえからな」
それはそうかも知れない、と私は唸った。
ジョニーの言う『いい男』がどういった人物像かは分からないが。
難しい顔をする私に、彼はひょいひょいと手招きをして見せ、私は『人生相談』のお題としてポケットの煙草を渡した。
その頃から私たちは、ゲームセンターの外でも会うようになった。
と言っても行き先は映画やら遊園地やらお洒落なレストラン、というようなことはない。ゲームセンター近くの学生向けチェーン店に居座ったり、私はコンビニで買ったチューハイや発泡酒、彩乃は炭酸ドリンクを、ビルの谷間の遊具も碌にない公園で飲みながら話したり、どこへ行くともなしに街中をぶらついたり、大体いつもそんな感じの、金のかからない遊び方をしていたと思う。
あるとき私がオークションで小銭稼ぎをしていることを知ると、彼女は自分の私物を売ってほしいと幾つも――いやかなり大量に持ってきた。
初めはそれほど生活に困窮しているのかと心配したが、そういう様子でもない。
高値を付けられそうな売り文句を考えながらそれとなく理由を問うてみたが、ひとこと「ないしょ」と返されるだけで、それ以上答えてはくれなかった。
ただ、何か入り用であることは雰囲気で察していた。
深追いせず、自分のアカウントを使ってまで率先して彼女の小銭稼ぎに付き合ったのは、成程、ジョニーの言う『いい男に見られたい下心』というものだったのかも知れない。
自分では、異性というより個人に惹かれる感覚だったと、当時は思っていたが。
彩乃の不思議なところはそれだけではない。
街中を歩くとき、彩乃は路地裏や建物の屋上にある小さな神社仏閣を見つけるのが得意だった。
出かけるとき毎回、という訳ではなく、不意に、物音に驚いた猫のように立ち止まり、ふらふらと歩いていくのだ。
「たぶんここの奥」
彼女がそう言って辿った先にはいつだって、鳥居と社だけの神社がある。
これも縁と言いながら賽銭箱に小銭を入れてお参りをする。そんな建物の隙間を縫うように建てられたところでも、鳥居や社はきれいに手入れをされていて、丁寧に管理されているのが見て取れた。
よく分かるね、と驚くと、彩乃はにんまりと笑い。
「何かああいうとこの近くに行くと、頭がスキッとするんだよね。目が覚めるみたいな、炭酸をぐーっと一気飲みするみたいな、そういう感じ」
「へー……」
「お参りするともっとスキッとするんだ。だから好き」
小さな石造りの鳥居を潜り、狭い路地をジグザグにぶらぶら歩きをしながら話す彩乃。
生憎と私にはそういった経験は無いが、確かに実家の近くの神社は深い緑に囲まれ、夏でも涼しく清廉な空気が漂っていたなと思い出す。そこで何をしていたかまでは思い出せないが、きっと虫捕りでもしていたのだろう。
私が語ると、そうかもね、似てるかもね、と彩乃は目を細めた。
自分にとっては苦労はあれど楽しく、けれど世間一般で謳われる『青春』とは違う空虚で退屈な日々が、滝沢彩乃という少し不思議な女の子によって変わっていったのは間違いないだろう。
そんな中、私の付き合いの悪さに、友人の辻本は何かを察したらしい。
「へー、なるほどねー?」
ある日ファーストフード店から彩乃と二人で出てきた現場を、そんな風に言われながら抑えられた。
「お前も一丁前に隠し事とかするようになっちゃったかー」
言い訳の一つも出てこない私に肩を竦め、彼は私たちと入れ違うように店へ入っていく。
何某かの勘違いをされた気がして、困って彩乃の方に向き直る。
彼女は去って行った辻本には一瞥もくれず、じっと私を見上げていた。
その凝視から探られているような居心地の悪さを感じながら、私は同郷の友人であり苦学生の同士であり『あまり運のないギャンブル仲間』について説明をした。
「ふうん」
聞いても彼女は辻本に興味がなさそうだった。
私は少しだけ嬉しいような気がしたが、それとは別に居心地の悪さは続いていた。
店を離れ、半歩先を歩く彩乃のつむじを見下ろしながら沈黙を打ち破る話題を探す。
「あぁぁ、あのさ、初詣とか、大きい神社にお参り行こうか?」
やっと発したのは、彼女の神社好きから連想して捻り出した、それにしても頓珍漢な内容だった。
「ほら、今まで行ったの小さいとこばっかりだったしさ。都会だけど、大きいのも、割とあるっていうし」
「まだ春なのに気が早いなあ」
「確かに……で、でも、夏でもお祭とかあるし、そっちも良い、よね?」
どもりながら話題を続ける私に、踵を支点にくるりと振り向いた彼女が芝居がかった仕草で小首を傾げてみせる。
「それって一緒に?」
「……一緒に」
「ふーむ」
斜めに傾いだまま顎に手を当て。
「うん、いいよ」
「本当に?」
「本当。あ、でもね」
大きな目がこちらをじっと見上げる。
「そういう大きいとこ、うまく行けたことないんだ」
「……?」
「足が向かないんだよ。不思議でしょ」
でも一緒なら行けるかもねと笑い、彼女は踵を返した。
その日の別れ際、環状線の駅のホーム。
不意に彩乃が口を開く。
「あのね」
少し驚き視線を遣ると、彼女は私を見ずに正面の虚空を見ている。
明らかに様子がおかしい。
どうしたの、と声を掛ける前に、大きな眼がこちらを捉えた。
「――……」
今まで見たことのない、泣きそうな、心細そうな表情。どうしてか私を居た堪れない気持ちにさせる。
彼女は腕を伸ばし一片の紙切れを私に握らせ、身を翻して丁度やってきた電車に飛び乗った。警笛と共に走り去る車体の巻き起こす風が、私の髪とシャツの裾を嬲る。
私と、突然の事態に困惑する心だけが、ホームにぽつりと取り残されていた。




