12_Cutover
九月十一日、木曜日。
朝からの晴天で、気温は夜明けから上がり続けていた。
「熱中症とか大丈夫なんですか?」
ひらひらした純白の衣装を着せられながら、私は着付け担当の町役場職員に世間話を振る。
「行列が町中歩くの、二時間くらいやるんでしょう?」
「そうですねえ。でもここ何年かは日が傾いてから始めますし、打ち水もして、休憩もありますから」
「そうですか? 夏にこんな布地の多い服、着たことないんで……」
「めをと役のお二人には傘もありますから大丈夫ですよ。それに山車の中に水筒置いときますので」
「はあ」
「ゲストの巫女さん役の方にも同じこと言ってる筈ですけど、念のため、早めの水分補給するように、お互い気を付けといて下さい」
「分かりました」
頷いて、社殿の外の境内に目を向ける。
涼しい風が吹き抜ける日陰の境内と違い、玉砂利の敷かれた境内には直射日光が照りつけている。白く輝く外の世界は、その眩しさに見合う熱気を溜め込んでいることを表していた。
「おお、中々お似合いです」
そんなことを言いながら、奥から斎服に身を包んだ神主の三宅が現れる。
「お早うございます、三宅さん」
「はい、お早うございます」
私が挨拶を返すと、神主はにこにこと満面の笑みで。
「しかし驚きましたよ。君が『めをと行列』の巫女役をやりたいと言い出すとは」
「すみません、急に。甥っ子さんにも無理言って代わって貰って」
「本人が構わないと言ってましたからね。これが舞を踊ったり琴を弾いたりでしたら難しかったでしょうが、山車に乗って町巡り、ですし」
「というか祭の主役がこんな簡単で良いんですか?」
「簡単な代わりにこの暑い中、深夜まで口も利けず山車の上、ですから。衣装が美しいので、それだけならやりたがる人も少なくありませんが……」
確かに傘があるとはいえ、炎天下に延々と台の上で『何もしない』だけでも、なかなか退屈――いや、精神的に疲れる役目だ。実際、行列に加わる舞子や楽師の役の方が、練習は大変でも華麗な衣装と目に見える『成果』があるので人気らしい。
「しかし実際、見栄えの良い役どころではありますから。後輩さんにご披露下さい。ああ、今日の行列は欅田さんの家の方も通るので、ご両親にも晴れ姿をお見せできますよ」
「はは……本当に、わがままな後輩で」
「勉強熱心で良いじゃないですか。是非ともうちの祭を都会で広めて下さいね」
何やら妙な期待をかけられているようだ。私は苦笑いの表情で、大学のレポートは彼が期待するほど地域振興に貢献しないと思う旨を語った。
(彩乃ちゃんが民俗学の学生って話がそもそも嘘だしな……すごく申し訳ないことに)
そうこうしていると脇の引戸がすらりと開く。
「『奥宮』の巫女様のご支度が整いました」
女性職員に促され、板張りを擦る微かな布の音と共にしずしずと歩み出る、私と同じ白装束姿。
「はじめまして。『本宮』の巫女役を務める欅田です。本日は宜しくお願いします」
私が会釈すると、『奥宮』の巫女と呼ばれた女性も静かに頭を下げる。
「……あれ? どこかで見た感じするなと思ったら、うちの後輩にそっくりですね。いやあ、世の中には同じ顔が三人いるとか聞いたことありますけど」
私は彼女の顔を見て、大袈裟に驚く……振りをした。そっくりなのは確かなのだから『初めて会った』のに反応しない方が不自然、故の演技である。『奥宮』の巫女はきょとんとこちらを見上げ、聞こえるか聞こえないかの音量で、そうですか、と呟いた。
神主の三宅も彼女の顔を少し見て。
「確かに、私も今朝お会いしましたが、面差しが似ているような。不思議なこともあるものです」
「まあお化粧でそう見えるだけかもですけど。詳しいことは秘密だけど結構変わるんだって本人が言ってましたし」
「ああ、言いますね。私は興味が無さすぎて、妻にも娘にも息子の嫁にも、ついでに美絵さんにも叱られました」
「苦労してるんですね……」
(三宅さんの反応、朱音ちゃんが 彩乃ちゃんとそっくりなこと、知らなかった反応ぽい)
そう感じて、私はひそかに安堵した。
(じゃあ、今日は頼むよ。彩乃ちゃん)
彩乃が朱音の代わりに『奥宮』の巫女として祭に参加すると決めた後、相手役となる『本宮』の巫女を誰が務めるかの話し合いがあった。
「いや待て、何でわざわざ俺たちのどっちか? 三宅の兄ちゃんがやるの決まってるなら良くね?」
「よくないの。その人は今回の件では何も知らない部外者なんでしょ」
彩乃が腕組みをして私たちを睨む。
「神様は今ぼくの中に居ないけど、居たことはあったんだから、一パーセントくらいは影響出るかもでしょ。そんときに事情を知ってる人が近くにいる方が、カバーとかできると思う」
「まあ、それはそうだろうけど」
「ね? そんで余ったもう一人がお姉ちゃんと一緒にいてくれれば、ぼくも安心」
「余りって……」
「あ、じゃあ俺、余りの方やりまーす」
私が考える間もなく、辻本が率先して挙手をした。
「おい、ちょっと」
「待ったはナシだぞ。いいか? 俺たちは祭が終わったら、彩乃ちゃんが『神様を降ろしたパーフェクトな巫女』として『奥宮』に連れてかれる前に確保して、バレる前にこの町からトンズラしなきゃならない訳だ」
「うん、まあそうだな」
「祭が終わって巫女が下がるのはいつだ?」
「確か、夜遅くだって……」
「つまり来たとき乗ってきたバスの始発は何時間も先、それまで町を出る手段がない」
「あ、そっか」
思わず彩乃と顔を見合わせる。
朱音をここから連れ出すにしても、交通手段までは気を回していなかった。これから参道を下って離れまで戻るだけなら背負っていけば良いだけだが、その先は厳しい。この町は山に囲まれていて、隣町までは車の距離だ。
恐らく困り顔になっていた私たちに、辻本は親指を立てる。
「しかし、俺には免許があるんだな。ここから降りたら始発で速攻隣町まで行ってレンタカー借りて戻って来る。そんでもって祭が終わったら、お前と彩乃ちゃんを回収して脱出、って計画。どうよ?」
胸を張って皆の顔を見る悪友。
言われれば確かに、ドライブは彼の趣味のようなものだった。
「それは名案、だと思うけど、本当に大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫。レンタカーは乗り慣れてるぜ」
一抹の不安はあったが、背に腹は代えられない。
田舎町には不釣り合いにも思える雅な音色が、人々の頭上に響き渡る。
二、三十人ほどからなる華麗な行列が神社を出て畦道を行き、住宅街へと入って行く。
非日常の光景に人々が集まり、無遠慮にカメラが向けられる。
(うーん、芸能人になったりすると、こんな感じなのかな……)
現代であれば先ずSNSへのアップロード等を気にするところだろうが、この頃はそんなことは気になるようなものでもなかった。ただ一方的にカメラを向けられるのは気持ちの良いものではない。
しかし、これも事前に説明のあったことだ。辛抱するしかない。
一番下は小学生高学年から中学に入ったばかりと思しき参加者たちを、私は牽かれて行く山車の上から眺めていた。私たちが失った記憶の年頃を、今まさに楽しんでいる子供たちの姿を。
(朱音ちゃんは覚えていると言っていた)
七年前の祭。
記憶には無い、華やかな行列、賑やかな縁日。大人になった今でも胸躍るハレの日を、さぞ楽しんだことだろう。
当時はもてなす神様などいない『神様のための式典』だった筈だが、私たちには――いや、町の多くの人には関係なかった筈だ。
(……いや、神様も居ることは居たのか。山の上だけど)
『イブキ様』はどんな心持ちで自分のための祭を見ていただろうか。本来その中心に居る筈なのに、何回も何十回も蚊帳の外から眺めるだけで。
神様にそんな感情があるか分からないけれど。
(本来は余所者だけど、願われて居残った神様……巫女で繋ぎ止めなくても、神社にお参りする人はいたから、それで離れられなかったのかな)
人々が日々祈るだけでも『イブキ様』はこの山に残って神様をしてくれていたのかも知れない。
けれどかつての村人は、巫女を器にして神様を留める方法を選んでしまった。
(でも、それも今日でおしまいだ)
不完全で不安定な『イブキ様』は、巫女が巫女でなくなればもはや留めるものはなく、解放される。今まさに神様を宿している朱音が言っていたのだから、きっとそうなのだろう。私たちは結局『起こっている現象』からしかその存在を感じ取れなかったが。
けれど。
こちらを見上げ、行列を眺める人々の顔を見ていると、朱音が祖父から聞いたという言葉を思い出す。
(ここに神様はいなくても、この場には意味がある……)
事前に聞かされた、何百年も前から決まっていたルート通りに行列は進み、私の家の方へと向かって行く。時折小さな祭壇のある家に止まっては、そちらに立つ人々に短い祝詞を唱えるのが私たちの役目だ。
ふと見れば、両親と弟が笑顔で道に立っていた。
弟が口パクで「兄ちゃんこっち!」と言って、携帯のカメラを構える。私は澄まし顔で背筋を伸ばした。こんなことは最初で最後だし、家族のためにも一応写りは気にしておこうと思ったのだ。
その視線の先に丁度、辻本に連れられた少女がいた。
祭に興じる人々と晩夏の熱気の中、彩乃の服を着ていても、彼女の周りだけは清廉な空気が漂っている。
(あれが本物の、神様を宿した巫女の貫禄ってやつなのか)
ちらと隣の巫女衣装の少女を見ると、被衣の影から見える口元が綻んでいる。双子の姉が無事、人の町に降りたことを確認できたのだから、安心するのは当然だ。
しかし纏う空気は兎も角、人混みに馴染んでいる様子を見ると、辻本は上手いこと周りに説明をしたのだろう。体調が悪いがせめて本番の『めをと行列』だけでも見たがってるとか何とか言って。こういうときの咄嗟の誤魔化しは確かに、私より彼の方が上手だ。
やがて傾いた日は橙色を帯び、家並みを赤く染めていく。
足の痺れ対策の正座椅子やエコノミー症候群予防のための休憩があったとはいえ、参道の下まで辿り着いた頃には流石に疲労が溜まっていた。
(けどあと少し、もう一踏ん張りだ)
山の麓にはところ狭しと縁日の屋台が立ち並び、店で買い食いをしたり遊びに興じたりの人々と行列の見物客でごった返している。お付き役の人に手を取られて道の上へ降りると、人混みから役場職員の吉田と町内会長の松井が出てきた。
「ああ、お帰りなさいませ、巫女様方。お疲れでしょう」
吉田がにこにこと愛想笑いを浮かべながら、『奥宮』の巫女の手を取ろうとする。
私はそれを笑顔でやんわりと制した。
「ダメですよ、吉田さん。よく知らない女の子に勝手に触っちゃうのはセクハラになりますからね」
「え、あ……ああ、すみません。つい」
「ははは、流石、欅田の坊は都会に行っただけあって今どきだ。そこらの大人よりしっかりしている」
町内会長が笑いながら役場職員の肩をバンバンと叩く。
表向き『奥宮』の巫女は町の外から呼んだゲストなのだから、呼んだことになっている松井は兎も角、吉田の方とはほとんど面識がない設定の筈だ。
(とりあえずこの状況、バレてないな)
二人の様子で確信を持った私は、にこやかに会釈をして石段を登っていく。
彩乃も彼らに小さく頭を下げて後に続く。
長時間の『座り仕事』のお陰で少々ぎこちない歩き方になっているが、『長く神社に閉じ込められていた少女』の演技には箔がつくだろう。彼らの想定していた『本来』では『座り仕事で覚束無い足取りになっている』の方がカバーストーリーだったのだろうけど。
慣れぬ衣装のため昨夜より更に時間をかけて辿り着いた境内は、麓以上に祭の空気に浮かれていた。一方では酒の入った老人たちが思い出話に花を咲かせ、他方では若者たちが気合の入った浴衣姿で笑い騒いでいる。
その間を割って歩み進んだ舞台に、私と彩乃の二人並んで静かに座った。
緋毛氈に、花や鳥が描かれた金銀の屏風、漆塗りの盃が並べられ、まるで雛人形にでもなった気分だ。この舞台に『めをと行列』の『めをと』部分が詰まっていると言って良い。
四方の幕のうち三つまでがさらりと降ろされ、開いた一方から見える宴席、その向こうで影になった木立に縁取られた夕景から夜へ変わりゆく空の色は、まるで一幅の絵画のようだ。
舞台の上では観客らの視線を感じるものの、職員の計らいで境内での撮影が禁止されていることも相俟って、町中にいるときより気が休まる。
しかし景色に見惚れたり安らいでばかりもいられない。
零時を過ぎれば正面の幕が下りる。
私は『レポートの締め切りが近いのを思い出した』設定で、皆が起き出す前に始発で帰ることになっている。辻本は『体調を崩した後輩と共に行列だけ見て先に帰る』という話だったので、既に隣町でレンタカーを調達していることだろう。
『奥宮』の巫女――を演じている彩乃は、一旦『奥宮』に下がる振りをして抜け出し、元滝沢家で私と落ち合う予定だ。製材所の人々の動きが懸念事項だったが、大仕事を終えたので飲み明かすのだと話していた。あの家は町の中心部や駅前、住宅街、神社からもほどよく離れて、今夜は特に人気がないだろう。
私たちが合流した後は、町外れまで歩いて辻本のレンタカーに拾ってもらい、そのまま隣町まで移動して都会へ帰る、という算段だ。
「『奥宮』の手前まではおせわのひとがくる。けど、中にははいってこないの。その人も朝までこない」
「じゃあ早くても明日の朝まではバレないってことだね。お姉ちゃんと違ってあたしは健脚だから、抜け出すなんて楽勝だ」
双子がそう口々に話していた。
私は傍らの彩乃を窺う。
「大丈夫そう?」
小声で訊ねると、白い手が裾から伸びて、私の手を握る。
驚いて顔を見ると、被布の下から睨むように鋭く、しかし星のように煌めく眼が見上げていた。
「今ね、いままでにないくらい、頭がスキッとしてる」
「……そうなの?」
「きっと、お姉ちゃんが町を出たから。神様がいなくなったんだ」
私も心なしか景色が明瞭に見えている気がしていたが、それは待ち受ける脱出劇に向けた高揚と緊張の為せる業だと思っていた。しかし彩乃がそう言うなら、これが神様の影響から抜け出た『影響』なのかも知れない。
「じゃあ……またあとで、君の家で」
「うん、また。ぼくの家で」
囁き声を交わして立ち上がり、二人の巫女を演じながら社殿側の帳を上げて外へ出る。着替え担当の職員にそれぞれ囲まれながら、私たちは視線も合わさずに分かれた。
境内に疎らに残った酔客の間を縫って、提灯に照らされた石段を下りて行く。
鳥居の外の縁日は既に店じまいしており、明朝に引き上げるだけ、と言った状態で畳まれている。暗闇に沈んだ田畑の向こう、深夜だというのに、町の中心部は遠目から見ても明るい。
夏の虫が今が最後と声を張り上げる中、私は歩を進めた。
実家へ戻り、昨夜のうちにまとめておいた荷物を、見つからないよう持ち出す。
母はこういうとき勘が鋭いタイプだが、幸い気付かれて何か言われることは無かった。
(次は普通な感じで戻ります)
心の中で頭を下げて、慌ただしく過ごした自宅を後にする。
十五夜の月光の下、温い空気を泳ぐように辿り着いた幼馴染の家は、変わらず静けさの中に立っていた。
製材所に人の気配はない。聞き出した通り、今夜は朝まで開けているという店で夜飲みの最中だろう。私も誘われたが、事前に決めた設定どおり朝早く発たなければならないからと固辞してきた。
待つ間に一服しようかと荷物に手を伸ばしたが、匂いが残るかもと取りやめる。
「……」
明かりのない暗がりで丸い月を見上げながら、この半年間を思い出す。
彩乃と出会ったのは今年のまだ寒い頃。
たった半年強の出来事だ。
行きつけのゲームセンターで偶然出会った女の子。思いがけない故郷との繋がり。忘れたことさえ忘れていた幼馴染との思い出。小説やゲームに出てきそうな『神隠し』や、神様のための古くから続く祭。
遠くに見える灯りを見ながら、生温い空気に溜息を混じらせる。
たった数年離れただけの、自分の生まれ育った町で起こったこととは思えない。
まるで夢か何かのようだ。
響く虫の音、蛙の声。その合間に聞こえてきた軽い足音。
「おまたせ」
薄闇の中から遠い灯を背に、息を弾ませ、少女がひとり駆けて来た。
『めをと行列』の直前、離れの荷物からこっそり持ち出した暗色のスポーツシャツにデニム、母の春用サンダルという軽装だ。
振る手に応えて手を挙げると、走ってきた勢いのままハイタッチされる。弾ける感触と体温が夢ではないと教えてくれた。
「思ったより早いね」
「へへ、以外とアウトドアもイケる系なことが判明しました」
白い歯を見せて悪戯っぽくニヤリと笑う。
「見つからなかった?」
「たぶん? みんな酔っ払ってたし。一応、階段のとことかは、道の脇の葉っぱになってるとこ通ってきた」
「葉っぱガサガサいうのでバレそうだけど」
「虫の方がうるさいくらいだったよ。クラクションと同じくらいすごい音!」
話しながら荷物を受け取り、彩乃は私の背後に建つ古い家を見上げた。
私の記憶には未だ朧げな、彼女にとっては一時期でも鮮明な、彼女たちの家。
大きな目が、零れ落ちそうなほど見開きそれを見つめる。もう二度と帰れない『我が家』を網膜に焼き付けるように。
「よし、行こっか」
ゆっくり一つ瞬きをして、彩乃は笑って踵を返す。
その足が、身を翻す途中で止まった。
息を呑み固まった少女の視線の先。影になった姿は、体格から成人男性のものだと分かる。
薄闇に慣れた目に、その顔、見覚えのある顔が浮かび上がった。
「……宮守のおじさん」
そこに立っていたのは、製材所の主人、宮守だった。
遠い町の明かりを背景に、反射するもののないこちらを映す目は、穴のように暗い。
「欅田の坊じゃないか。こんなところで何してる」
「……おじさんこそ」
「俺か? 俺は忘れ物を取りに来たんだ。ここはウチの仕事場兼自宅だからな。『こんなところ』に来るのは当たり前よ」
ぐうの音もでない程、その通りとしか言いようがない。
(むしろ説明が必要なのはこっち側……)
「おや、よく見りゃそっちは『奥宮』の巫女様じゃないかい」
続いた言葉に私の心臓が跳ね、視界の端で彩乃の肩が震える。
「神社の方ならまだしも、なんでこんな町外れに」
「……違いますよ、おじさん。ぼくはセンパイの後輩の瑞原です」
落ち着いた声音で、明るく少女が答える。
「後輩の嬢ちゃんなら、具合が悪いから辻の坊と早めに帰ったって話じゃなかったか?」
「それは……」
咄嗟の言い訳を思いつかず、彩乃が言葉に詰まる。
私も気の利いたフォローをと頭を巡らせるが、やはり急には出てこない。
(どうする、走って逃げるか)
虫と蛙だけが騒がしい沈黙。
それはきっと数秒、長くて数分の間だったろうが、それが恐ろしく長く感じた。
「……」
製材所の主人が溜息を吐く。ひどく長く、重い吐息。
「……若い連中の逢引なんぞ、見て見ぬ振りが大人の態度ってやつだろうが」
重い足取りで道の脇へ、製材所の建物を見上げる。
その背中は今までになく疲れて小さく思えた。
「ったく、人んちの前でイチャコラしてるんじゃねえ。そういうのはよそでやんな」
「え……」
「俺は『忘れ物を取りに来ただけ』だ。生憎『見つからなかった』がな」
後ろ向きのままひらひらと手を振り、さっさと行け、のジェスチャーをする。
私は彩乃の手を取って促し、町外れへ向けて歩き出した。
「ありがと、クリスマスツリーのおじさん」
「だからウチは製材所だ、宮守製材事務所。覚えとけ」
町外れには予定通り、辻本が車を留めていた。
よう、と手を振る悪友に手を振り返して、四人乗りの軽自動車の助手席に乗り込む。
後部座席には、恐らく隣町で適当に見繕ったワンピースを着た朱音が座っており、眠そうに目を擦っていた。
「朱音ちゃんはどんな感じ? 何ともないか?」
「ああ。町を出てから割とすぐ『イブキ様』が感じられなくなったって言ってたぜ。彩乃さんの方に行っちまったんじゃって、ちと心配してたが」
ドアを閉めシートベルトを締める彩乃を確認し、彼は頷き笑う。
「大丈夫そうだな」
「ああ。祭が終わる頃には、今までになく頭がスッキリするって言ってたよ」
「俺らの記憶もそんな感じで戻るのかね?」
「どうだろうな、落ち着いたら後で聞いてみよう。隣町に宿は取ってるんだろ?」
「駅前ホテル、二人部屋二部屋をご用意しといたぜ」
「そいつは気が利いてる」
深夜の山道を、のろのろ運転で越えていく。
後部座席では双子の姉妹が言葉もなく、中古車のエンジン音と安堵の中、互いに手を取り合っている。
(ひとまず目標達成、ってことで)
私たちは顔を見合わせて、どちらからともなくニヤリと笑った。




