Exit_Hibernation Memories
『むかしむかし、山には暴れ者の悪い鬼がいたそうな。
鬼の所業に困っていた村人は神様に願い、はるばる山を越えて来た神様はその力で鬼を追い払った。鬼が居なくなり村は平和になったが、鬼が戻って来ることを恐れた村人は神様に再び願った。どうかこの山にずっと居て、悪いものが寄り付かぬよう守って下さいと。
神様はそれを了承し、この山を棲家とした。
けれど山に一人きりの神様は、大勢の村人たちが麓で楽しく暮らしているのを見て、寂しくなってしまった。そこで村人は、山と村を守ってくれる神様のため、村をあげての祭をするようになった。
これが古くから続く七年祭の始まりである』
大学近くの並木の葉が色づいて散る頃、滝沢彩乃から手紙が届く。
オシャレな封筒は雑多なチラシの群れに紛れることなく、私の手元で無事、封を開かれた。
『おひさしぶりです。おげんきですか?
久しぶりでもないし元気なのはメールで知ってるけど、折角の手紙なので書いてみたのです。
手紙なのは、住所が決まって落ち着いたので、その連絡ついでです』
三か月前、九月の半ば。
行方不明になっていた当時小学生の女児が七年越しに家に戻って来たという話は、当然のことながらちょっとしたニュースになった。新聞ではそれほど大きく取り上げられなかったけれど、一部の週刊誌では『現代の神隠し』等々センセーショナルな見出しで『報道』されていたらしい。らしい、というのは、そんな憶測塗れの記事など読む気にならず、店先やネットで見かけても全てスルーを決め込んだからだ。
そして人の興味は、行方不明の女の子が無事家に戻ったという喜ばしいニュースより、別の事件事故、不祥事やスキャンダルといった負の面に向きがちである。
一か月もしないうちに人々の興味は薄れ、様々な誌面は別のもっと『人の興味を惹く』ニュースに塗り替わって行った。
だがこれは、滝沢家にとっては幸いな状況だったろう。ドラマで見るように記者が夜通し家を見張って居たり、玄関を出たらカメラやマイクを向けられたり、近所の人がインタビューであることないこと話してしまう、というような事態は起きなかったようだ。
それでも居心地は悪くなったのか、一家は少し郊外のベッドタウンに引っ越すことになったという。
「で、ぼくも一緒に行くことにしたんだ」
いつものゲームセンターで久方ぶりに、やはり一方的な対戦を終えた後、彩乃は足をぶらぶらさせながらそう言った。
「お父さんもお母さんもお姉ちゃんのことですごい心配性になっちゃって、ぼくも心配だし……だから近くに居た方が良いかなって」
「それはそうだろうな。朱音ちゃんは完全に記憶喪失ってことになってるんだろう?」
「うん。だって起こったこと話しても面倒でしょ? 今はぼくたちの間で分かればいいよ」
ナイショだよ、と彩乃はニヤッと笑う。
「ま、電車で何個か乗り換えて二時間くらいで着くとこみたいだし、気が向いたときにこっち来るよ。ガッコーもあるし」
「そうだな、うちの実家と違って、ここはアクセス良いし」
「そゆこと。だから寂しがったりしないでね」
「して欲しいの?」
「うーん、ちょっとは?」
言ってふざけて、くすくすと笑い合う。
「それじゃ」
次に来たときは勝つからね、と、別れ際、彩乃は拳を握って見せる。
さらりとした黒髪が私の横を行き過ぎ、普段通りに自動ドアを出て行くシルエット。
私もいつものように彼女を見送った。
そんな別れがあって以来の手紙である。
他愛ないメールの遣り取りはそれなりにしていたが、手紙に綴られていたのはもう少しだけ詳しい彼女らの近況だった。
朱音は少しずつ『普通の生活』に戻りつつあるという。七年間の幽閉生活で現代知識にも乏しく、話し言葉の拙さから知能の遅れ等も心配されたが、ひとまず幾つかの支援を受けつつ、夜間学校に通うことになったそうだ。
彩乃は自分の学校に通いつつ、そのサポートをするのだと息巻いていた。
『元々、お姉ちゃんを取り戻したいと行動したのはぼくなので、率先していろいろ手伝いたいと思ってます。子供の頃はたぶん、お世話される側だったしさ』
それから朱音の友人だった仲本有香里のことも、両親に訊ねたそうだ。
曰く、現在の住所や状況は分からないという。
しかし七年前、遭難した筈の有香里は一人で山から戻って家族に保護されたそうだ。その際に警察だけでなく役場や町内会にも連絡が行き、会って話を聞きたいという者が何人も訪れ、元々町の空気に馴染めていなかった有香里の両親は疲弊の末に一人娘を連れてさっさと引っ越してしまったという。
朱音と彩乃の両親も勿論、一緒に行方不明になった筈の娘のことを訊ねたかったが、それができる雰囲気では無かったそうだ。子供たちは友人同士だったが家族ぐるみの付き合いではなく、親同士は挨拶程度の仲だったらしい。
『ここがこんなところとは思わなかった』
人伝に聞いた去り際の言葉は、ほとんど呪詛のようだったという。
結果として巫女を作りたがる人々の手から逃れられたのは、幸いというべきだったのだろうが。
(それにしても役場に町内会か。今でも『イブキ様』を取り戻そうとしてるのかな)
朱音の中に居た山の神様――『イブキ様』は、レンタカーで山を越える頃には完全に朱音の身体から抜けて、朝にはもう気配すら残っていなかったらしい。神様が見えない私たちは朱音の言葉しか信じられるものが無いけれど、彼女が『大丈夫』というならそうなのだろうと思うしかなかった。
事実、朱音や有香里と遊び過ごした頃の記憶は、僅かずつ、私たちの中に蘇りつつある。
まるで深く長い冬眠から目覚めていくように。
特に幼馴染の悪友と他愛ない思い出話に興じているとき、カーテンの向こうに仕舞われた記憶が転がり出てくることが多い、気がする。
『イブキ様』が神様ではなくなったので、記憶を奪う力が薄れていると、朱音は言っていた。
神様が呼ぶことも無いので『神隠し』も『神隠し』の先の失踪も起こらない筈だ。整備されていてもあれだけ登るのに苦労した山である。道なき道を登って『奥宮』に辿り着くのは、それこそ『神様のお導き』でも無ければ不可能だろう。
記憶が戻っていくなら、やがて、朱音が『死んでしまった』『葬式をした』という記憶も修正されていくのかも知れない。どういう形になるかは今の段階では分からないけれど。
(……いつか、七年前のお祭、思い出せるのかな)
ふとした瞬間に、そんなことを思う。
朱音がどうしても、突然の誘拐と七年もの幽閉を経ても『台無しにしたくない』と譲らなかった祭。
幼馴染と過ごし遊んだ生活の中の、非日常の煌めき。
小さな田舎町の、数年に一度のお祭なんて、遠くない未来に無くなってしまうかも知れない。
けれど生きている間に、思い出だけでも自分の中に留め置きたいと考えてしまう。
夕空の下、いつもの地下道に、下手糞な弾き語りの歌が響いている。
缶ビールを片手に声の主へ近寄ると、ホームレスのジョニーは伸びた髪と髭の隙間から私をニヤリと見上げた。
「よう、青二才。随分とスッキリした面になったじゃねえか。女の影は、今は無えようだが」
「まあ実際、ひとまずのことが一件落着したから。女の子は……今ちょっと遠いとこに行ってるんだ」
言いながら、手にした缶ビールを差し出す。
「なんだ、人生相談か?」
「違うって。ちょっと前に貰ったアドバイスのお礼。まだだったなって思い出して」
「アドバイス……さて、何だっけな、アドバイスは四六時中やってるようなもんだからな」
首を捻りながらも彼は缶ビールを受け取り、そそくさと懐にしまい込む。
「……ところでさ」
「なんだ、今度こそ人生相談か」
「いや……まあ、質問なんだけど」
ほう、とギターを爪弾くジョニーに、私は訊ねる。
「神様っていると思う? いるとしたらどんな感じだろう?」
「どうした、暫く見ねえ間に何かにかぶれてきたか、青二才」
確かにこんな都会でわざわざ神様の話を振るなんて、大抵は宗教勧誘の類だ。
「違うんだって。ただ、今現在の私の疑問なんだ」
真剣な口調で話す私に、彼は暫し髭を撫で。
「さてねえ。信じる者は救われる、ってんだから、案外その辺に適当にいるもんじゃないかね」
「その辺にって……」
「ひょっとすると俺の自慢のコイツにも宿ってるかも知れないぜ。ほれ、八百万の付喪神ってやつだ」
ニヤニヤ笑いながら自分のギターを指さす姿に、私は苦笑を返す。
「や、ありがと。ジョニー。とりあえず戻って来られて安心したんだ」
「そうかい。よく分からねえが気を付けてけよ」
ジョニーが弾き語りを再開し、私は軽く手を振って別れを告げて地下道を歩いて行く。
(神様はその辺に居る、か)
『イブキ様』はどこからか呼ばれて故郷の町に降り立った。
その『どこか』は、もしかしたらここだった、可能性はあったのかも知れない。
(やっぱり確かめようもないけど)
地下道を出て、夕日に染まった雲を見上げる。
休日が終われば、明日はまた他愛ない日常が戻って来るだろう。
今まで知らなかった世界を知ろうとも。
ふと気付けば、ギターの音色は風に解けて消えていた。
聞き覚えのあるフレーズの続きを口遊みながら『家路』につく。
いつかは非日常も日常も思い出になっていくのだ。
今度はそれを忘れぬように在りたいと。
私は晩秋の風に願っていた。




