11_Spoofing
深夜の町は、虫と蛙の声以外は静かだった。
住宅街を抜けると、神社へと続く田園地帯に街灯はない。明るい十三夜の月は暗い道を照らしていたが、山に入ればその光も届かないだろう。
「道があんましぐちゃぐちゃじゃないといいけど」
心配を呟く私に、彩乃が白い歯を見せる。
「一応道だったんだから何とかなるしょ。暗いのは、隠れられてラッキー、って思っとこ」
その表情や言葉とは裏腹に、囁き声は少し震えて上擦っている。指摘したらきっと、武者震いだと答えるだろうけど。
参道は案の定、昼に見たときより暗かった。
が、祭のために設置された提灯が幾つか、テスト用に灯っている。暗闇でないのは有難くはあるのだが。
「慎重にいこうぜ」
準備していた懐中電灯をポケットに戻した辻本が言う。
見上げた境内にも提灯の明かりがあり、誰かいるのではという警戒心は否が応にも高まった。
足音を立てないようにそろそろと石段を上る。
途中で、段の両端の方は苔が厚く静かに歩けるのではと片側に寄ったりもした。昼間の蝉に負けじと鳴く虫たちの声が喧しく、そんなに気を張らなくても良いのかもと思ったが、用心するに越したことはないだろう。
途中、彩乃に頭の靄について訊ねると、初日に感じたようなひどいもやもやは感じないらしい。離れに残してあった、祖父が私に買ってくれた受験用の学業成就のお守りが効いているようだ。
彼女のバッグには他に、朱音の首飾りと有香里のメッセージ、辻本の紙飛行機、私の本の切れ端も入っている。こちらも気分的にはお守りのつもりである。
(なるべく長く効いていてくれますように)
今まで以上に時間をかけて上った先には門のように灯籠が立ち、私たちはその影から境内を窺った。
こちらにもテスト用に提灯がぽつぽつと光を放ち、深夜の境内は想像していたより明るい。当日まで残り二日ということもあってほぼ完成した舞台が、以前からその場にあったように佇んでいる。
境内に上がる前に、その場で耳を澄ます。
人の気配はない。
(『奥宮』に行く道は本殿の裏……だったな)
もう一度周囲を見回し、参道を小走りに進んで目的地を目指す。人に見つかりたくないという状況では、参道や境内の明るさは、裸で歩いているような居心地の悪さを感じてしまう。
(誰かに見つかって声を掛けられたら?)
という心配は杞憂に終わり、私たちは本殿の裏の暗がりに身を潜めることに成功した。
鳴り響く虫の声の中、薄闇に目を凝らす。
「ね、あれ」
彩乃が小さく囁いて指さす先。
巨木に挟まれ、細い注連縄と紙垂が立ち入り禁止のロープのように張られた小径。
道の先は完璧な暗闇だ。
塗り潰したような漆黒を前に、踏み出すのを躊躇する。
「……」
そのとき。
雨のように降る虫の声に混ざって聞こえる、玉砂利を踏む音。
思わず身を竦ませる。
示し合わせた訳でもなく、私たちは揃って本殿の建物に身を寄せた。
「――祭までもう二日ですか」
聳てた耳に入って来る声。誰のものだったかと記憶を探りながら、聞き逃さないよう集中する。
「このままいけば滞りなく進みそうで安心します」
「まさかこの現代に『奥宮』の巫女が調達できるとは。これで正式な『めをと行列』が行える。何もないこの町にもかつての賑わいが戻るのだな?」
「ええ、『イブキ様』は悪鬼退散、五穀豊穣の神でございますから、現代なら町を繁栄に導いて下さるでしょう」
虫の音を掻い潜って聞こえる声にはうっすらと聞き覚えがあった。
「……調達……」
聞こえるか聞こえないかの震える声で、彩乃が呟く。
我を忘れて飛び出すようなことはしないだろうが、小さく握った拳に手を重ねた。こんなとき女の子の手を握るなんて大胆なことができるなんて、自分でも驚きだったが。
ちらと遣った視線の先で、少女は、分かってるよ、と言いたげに私を睨む。
「それにしても、あの娘は何なのでしょう?」
聞こえてきた言葉に、私はどきりと身を竦める。
(あの娘……)
「ああ、祭の勉強をしに来たという、憑坐の巫女様によく似た?」
「そうです。巫女様と縁のある、例えば家族親族の可能性があります」
「巫女様の一家は前の祭の後に転居したのだったな……住民票は残っていないのか?」
「保存期間は五年ですので、その……」
「そうか」
続く会話の中で、覚えのある声の主を思い出す。
(町内会長の松井さんと……役場の職員の吉田さん)
昨日、この神社で遭遇した三人のうち二人が、朱音の誘拐に関わっていたなんて。いや、祭に関わりの深い人々ならその方が道理か。
(……あと一人も関連あるって考えといた方が良さそうだな)
しかも彩乃のことを怪しんでいる。用事は早めに済ませるべきだろう。
「それにしても立派な舞台だ、『めをと行列』の締めに相応しい」
「『イブキ様』もご満足なさるでしょう。……おっと、雑談をしに来たわけではありませんね。忘れぬうちに――」
小さな、恐らく吉田の呟きの後、玉砂利の上を歩く足音が聞こえる。
「様式には問題ありませんね。これで祭が滞りなく終われば『イブキ様』はより強いお力を発揮できるでしょう」
「これは古い建て方なのかね? 以前のものと変わりなく見えるが」
「以前も同じものですよ。建て方については、昔のしきたりでは、道具一つ、食事一つにも意味があるのと同じです。今回はより正確に、と指示を出しましたし、こうやって確認に来ているという訳です。万が一があってまた七年後、では困りますからね」
「ほう」
「契りの式で巫女様は『イブキ様』を宿し、輿入れの式……『めをと行列』を終えることで正式に憑坐となります。以降、祭を行う毎に、お力が増すと伝わっております」
「成程な。言い伝えがでたらめでないことを祈ろう」
二人の声が少しずつ遠くなる。境内を出て行くのだろう。
(……また新しい話が出てきたけど)
新しく耳慣れない単語だらけの発言だったが、意味はふんわりと掴み取れた。
要は今回の祭、『めをと行列』を行うことで、巫女は完全に神様になってしまう、というところか。そのための舞台の建て方にも仕掛けがあって、チェックのためこんな夜中に二人きりで訪れた、と。
(確かにお盆に並べる道具とか正月のおせちの内容とか、全部意味があると聞いたことあったっけな)
そんなことを思いながら耳を澄ます。
しばらくして足音が聞こえなくなった頃、私たちは視線を交わして移動を開始した。
裏の参道は三宅が神主に就く前には閉鎖されていると聞いたため、相当に荒れ果てているだろう。
と、思っていたのだが。
「……やべ。超整備されてんじゃん」
暗がりを照らした辻本がひきつった声で呟く。
想像していたのは雑草が生え散らかした獣道だが、目の前に見えているのはそんな草一つなく清められ整備された石段だった。
「この様子、普段から使われてるんだろうね」
「通りやすいのは良いことだけどよ……まあいいや。ささっと登っちまおう」
ライトを手にした辻本を先頭に、彩乃を挟んで私がしんがりを務める。
傾斜は急だが、こちらの石段は格段に登りやすい。
背後から人が来ないかを気にしながら、先を行く彩乃の背中を見上げる。
「……あいつら、ほんとムカつく」
ストレートな文句が耳に入る。
「調達だなんて。お姉ちゃんを誘拐して、監禁して、町興しに使おうだなんて」
全く以てその通りである。目的が何であろうとして良いことではないが、やろうとしていることが神頼みの町興しとは想像の斜め下だ。
先頭の辻本が苦笑する。
「『イブキ様』とやらで本当に町興しなんてできるのかね。町に人を呼んだところで片っ端から記憶喪失になっちまうんじゃないか?」
「言われてる不思議な力、それしかないもんな。町興しの真逆」
「だよなあ……」
少女越しの会話に、彩乃本人は全く混ざって来ない。
怒りを含んだ沈黙に、私たちは軽口を噤んだ。
(……でも雑談を聞けて、一つだけ良いことがあったな)
口に出せば彼女の逆鱗に触れそうだったため、私は内心独り言ちる。
(夜中に二人で確認しに来たってことは、町のみんな全員が今回のことに関わってる訳じゃないってことだ。製材所のおじさんも大工さんたちも、昔からの設計図に沿って建てただけで)
町ぐるみの計画ではない。
その考えはこの町で生まれた私の心を軽くした。
きっと幼馴染の悪友も、同じ気持ちでいただろう。
虫の声が響く中、私たちは『きれいな石段』を登り続けた。時折吹き過ぎる風が、木の葉をざわめかせて虫たちの演奏に伴奏を添える。
どれだけ暗闇の中を登っただろう。
整えられているとはいえ、歩き慣れない山道にふくらはぎの太さが倍になるような錯覚を覚え始めた頃、疲れた視界の先にかすかな光が見えた。
辻本も彩乃も次々に気付いて足を止める。
「あそこか」
「うん、きっとそう」
私たちは顔を見合わせ、ライトを消し、そっと歩を進めた。
話し声や、人が立てるような物音は聞こえない。最後の数段を身体を低くし、這うような姿勢で薄明りを窺う。
まず建物が見えた。
『本宮』の社殿よりこじんまりとして、離れの部屋よりはやや大きい一軒の日本家屋。
明るいのはぽつぽつと立てられた篝火のお陰のようだ。燃料補給のため、定期的に人が訪れているのは間違いないだろう。
物音は聞こえない。人の気配は、そんなものを感じ取れるような武術の達人ではないので分からない。
けれど建物を含めた狭い広場には生活感が感じられた。
「朱音ちゃん以外に人が居たらどうするよ?」
悪友が、力づくで制圧するか?というように手をわきわきさせながら訊ねる。
「暴力は不本意だけど、話し合いできなそうなら仕方ない、かな」
私の答える間に、彩乃が無言で進み出る。
迷いのない足取りで、砂利の敷かれた地面に点々と置かれた飛び石の上を忍び足で渡り、閉じられた木戸の前に立つ。
そしてその場に、崩れるように倒れ込んだ。
「彩乃ちゃん!?」
思わず叫んで少女のもとに駆け寄る。
倒れた彼女はぼんやりと目を見開いて、そしてはっと驚いたように身を起こした。
「え、ぼく、寝てた? 歩いてたのに?」
慌てて口走った言葉に私たちは困惑する。
「いや、ここまで普通に歩いてて……どっから覚えてない?」
「裏の参道の階段、登ってたのは覚えてて……」
動揺した私たちは、周りへの警戒などすっかり忘れていた。
声が掛かる。
「――おはいりください」
ぎょっとして、全員がその場で凍り付く。
人の声。
若い、女性の。
「……!」
彩乃が立ち上がり、木戸を開け放って中に入る。
(確かにお入り下さいとは言われたけど!?)
迷いない動きに慌てながら私たちも後に続く。
木戸を入った先は土間だった。社会科見学で行く古い家のような甕や壷や炊事場が設置してある。彩乃はそれらに背を向けて、明るい畳の部屋の方を向いていた。
座って居たのは、一人の少女。
裾の長い、華美さよりも清廉さの勝つ白装束に身を包み、さらさらとした黒髪は肩の長さ。佇まいは凛として、時代劇に出て来るお姫様を連想させる淑やかな雰囲気を纏っている。
背筋を伸ばしたその顔は、対面する少女――彩乃によく似ていた。
「朱音……?」
先に言葉を発したのは辻本だった。
彩乃を見上げていた少女の視線が移り、私たちの上を順繰りに巡る。
表情のない彼女の目元が僅かに緩み、小さく頷く。
「……お姉ちゃん!」
ほとんど声にならない叫び声。
靴を脱ぐのももどかしく、膝立ちで畳の上へあがる彩乃。
抱きすくめようと腕を伸ばして、しかし躊躇って、朱音の前でぺたりと座る。
「お姉ちゃん、で良いんだよね」
「うん。すっごくひさしぶり」
大人びた見た目にそぐわない幼い口調。
双子の姉は目を細め、白い細い指で双子の妹の手に触れた。
生き別れの双子の姉妹の再会の邪魔をしないよう、私と辻本は顔を見合わせて笑顔を交わした。
「ふたりも、ひさしぶり」
遠巻きに見るこちらに目を向けて、朱音が声を掛ける。
「……おう」
「うん」
「あたしのこと、おもいだしてくれて、ありがと」
「いや、実は結構長いこと忘れててさ……ごめん」
「いいよ。きてくれたから」
ようやく表に現れた儚い笑顔。
私にはその雰囲気に、見覚えがあった。
「もしかして朱音ちゃん、あっち……都会の方で、会ったりした?」
「何言ってんだお前」
私の言葉に、辻本が呆れ声を出す。
彩乃もそうだよと私を睨み目で見上げた。
「お姉ちゃんはずっとここにいたんだよ?」
「でも……今思うとそんな気がして」
とは言っても証拠はなく、縋る気持ちで朱音を見る。
(これ、助け船なしだと、私が変なこと言ってるだけになってしまうのか……?)
孤立無援の心持になっている私に、巫女の少女は小さく頷く。
「あたし、半分、彩乃のとこにいたの。ときどき、外でおはなし、できたんだ」
「え、どゆこと?」
突然話題に挙げられた彩乃が素っ頓狂な声を上げる。
その反応に、朱音は申し訳なさそうに目を伏せ。
「えっと……ごめんね? なんか、ひきよせられちゃった、というか、彩乃のとこって、いごこちよくて」
「お姉ちゃん? もしかして魂的な感じで、ぼくの中にいた、みたいな?」
「うん、たぶん、そう。そんなかんじ」
「じゃあさじゃあさ、頭がぼーっとしたり、気が付いたら知らないとこいたり、お姉ちゃんの影響ってこと?」
「あたしがおきてるとき、彩乃はおぼえてないから、そうかも」
双子の姉は小首を傾げ。
「でも、あたまぼんやりは、『イブキ様』の方、かな」
「え……」
彩乃はぎょっとして自分の身体を見下ろした。
「神様が? どうして?」
「えっと……せつめい、むずかしいんだけど、ね」
ぽつりぽつりと、憑坐の巫女は語り始める。
七年前、朱音と有香里、二人の少女は『何か』に惹かれ山に足を踏み入れた。
『何か』が何だったかは今となっては分からない。しかし山中を彷徨った二人は、不思議な明かりを見つけて山を登り続けた。
そうして辿り着いたのが『奥宮』。
更に偶然は重なり、そこには『奥宮』にまで参拝に来ていた役場職員の吉田が居た。
「『イブキ様』に見つけて貰おうとお願いに参ったのですが、まさか『イブキ様』自ら巫女様をお呼びになっていたとは。しかも二人も」
形だけの祭が残る町で信仰を持ち続けていた男が、言い伝え通りの現象を目にして天啓を得てしまった。そんなところだろうか。
彼は言葉巧みに、巫女の役目に就くよう何も知らない少女たちを唆した。
朱音は『イブキ様』の憑坐、『奥宮』の巫女。
有香里は対となる『本宮』の巫女。
『イブキ様』は二人の巫女が揃うことで山に留まり人の願いを聞き、より強い力を発揮させられるのだという。『奥宮』に辿り着いた者らが居ると話を聞きつけ、『イブキ様』への信仰を続けていた町の人々も集まり、二人の少女の『洗脳』に加わっていく。
けれど彼女たちは、大人たちに囲まれながらも、自分たちの置かれている状況に違和感を覚え始めた。
先に麓の『本宮』に閉じ込められていた有香里が朧げな記憶を頼りに家へ戻った。様子のおかしい娘から、支離滅裂ながら失踪事件のあらましを聞いた有香里の両親は、すぐに娘を連れて町を出て行くことを決めたらしい。
もし当時、公的機関や外部に訴え出れば、何かが変わったかも知れない。状況を聞けばそう思う者は少なくない筈だ。結果的に『奥宮』に朱音が取り残されてしまう事態は避けられた可能性はある。
しかし彼らには娘の『誘拐』が『町ぐるみの犯行』に思えたのだろう。
そして何十年ぶりに人に降ろされたばかりの上、対の巫女を失った『イブキ様』は、曖昧な形で朱音の中に留まることになる。
神様の力の記憶喪失も発現は不完全で、故に朱音は一度だけだが町へ降りることができたという。
「おうちに帰りたかった。でも、みんなのとこにも行きたかったから」
「私たちのところにも来た、ってこと?」
朱音は目を伏せ頷く。
「……おうちに帰って町からでたら、もうあえないって、おもったし」
話を聞きながら悪友が首を捻る。
「けどその『イブキ様』がパーフェクトじゃない状態だから、朱音ちゃんはこの町で完全に『いなかったこと』にはなってなかった、ってことか?」
「山で死んだことになって、葬式まで挙げられたことになってたけどね」
「残念ながら私たちの中では『いなかったこと』になっていたし」
私と辻本の話に、朱音が小さな声でたどたどしく説明を添える。
「たぶん、あたしに近かったから。『イブキ様』はあたしの近くのことしか、わからないみたい」
「それだよ。その神様の影響って、どういうこと?」
朱音はまた頷く。
「あたしは、彩乃や、お母さんやお父さんにあいたかったから、てつだってくれたの。『イブキ様』も長い間、さみしかったから」
「手伝った……って」
「あたしはふつうの人間?だから、たましいが体からはなれたらしんじゃうでしょ」
そう言われればそうだ。
怪談では生霊というものも出てくるけれど、大体普通の幽霊より怨霊らしい恐ろしい存在として描かれているものが多い、気がする。そこを『イブキ様』が補助していたというのだろうか。
(もともと人の中に入ったりしてる神様だし、得意分野なのかも?)
彩乃は自分の身体を不気味そうにチラチラと眺める。
「……ずっとぼくの中?にいたの? お姉ちゃんと神様のふたりで?」
「ずっと、なのかな。わかんない……おきると、彩乃のとこにいたり、こっちにいたり、どこまで夢なのか、ほんとうなのか」
「私はたぶん、二回か三回くらいは朱音ちゃんのときの彩乃ちゃんに会ってると思う。私の本の端っこ、渡してくれたのは朱音ちゃんだろ?」
横から口を出した私に、朱音はこくりと頷いて。
「うん……たぶん、そのくらいあったかな」
横で悪友が肩を竦める。
「俺は一回もねーや」
「なんだよ、ぼくなんか一回もないんだぞ。まあ、ぼくイコールお姉ちゃんみたいな感じだから仕方ないけど」
彩乃が頬を膨らませて辻本を見上げ、すぐに朱音の方を見た。
「で、その神様はどこなの? まだぼくの中?」
「ううん。あたしのはんぶんといっしょに、こっちにいるよ」
「それってどっかにやれないの?」
「どっかに……?」
きょとんとした顔。
事態を呑み込めていないというか、発言が理解できないといった様子だ。
彩乃は拳をぎゅっと握る。
「ぼく、お姉ちゃんをここから連れ出したいんだよ。神様とかそういうの関係ないとこに、うちに連れて帰りたい。そのために来たんだ」
「……」
双子の妹の訴えに、朱音は困ったように首を傾げた。
「でも、おまつりも、あるし」
返って来たのは、事の重大さに反してちぐはぐな答え。
思わず、といった調子で彩乃が声を荒らげる。
「どうだって良いじゃん。神様よりお姉ちゃんの人生の方が大事だよ」
「けど、あたし、しんだことになってるのに? みんなはそういってた」
「なんだよそれ、そんなこと言われてたの? この町でそうなってるだけだよ。戸籍だってまだある」
「……そうなの?」
揺れる視線が私たちの方を向く。
私と辻本は大きく頷き。
「たぶんだけど、記憶喪失パワーが不完全だったから、朱音は死んだことになってたんじゃねえか?」
「関係あるか、そこ?」
「ほら、この町にいたのは確かだけど、山に入ってからいなくなってるのは知ってる状態だから、そのまま遭難して……って感じに納得しちまってる、みたいな?」
「そういうことか」
町で朱音が死んだことになったのが先か、朱音を諦めさせるために死んだことになってると言い聞かせたのが先かは不明だ。
どちらにせよ大人たちは、まだ記憶が残っている少女が家に、町に戻る気を失くさせるために、そんなでたらめを言い聞かせ続けたのは違いない。
「……私たちが彩乃ちゃんのこと忘れたり、忘れかけたり、ここの神社に入ったときスッキリしたりぼんやりしたり、その辺も神様が半端っていうか、存在がふわっとしてる所為?」
「朱音も俺たちのこと忘れてないみたいだしな」
「うん……ほかの神社は、あたしはねむくなる。『イブキ様』もたぶんそう。ここの神社だと、あたしは起きてるけど、『イブキ様』はねむいみたい」
「自分の神社なのに眠くなるのかよ」
「ここは、『イブキ様』にいのるための神社だけど、『イブキ様』の神社じゃないもの」
微妙なニュアンスに私は首を捻った。
「ホームは別にある、ってこと?」
「ほーむ……は、どこにもないとおもう。『イブキ様』は、ここによばれて『イブキ様』になっただけだから。たぶん、ずっと巫女がいないままだったら、どこかにいなくなったとおもう」
「呼ばれて、か……」
神様というものは、昔話や、物語の中でしか知らない。
世界を作ったり、世界の始まりの際に作られたり、信じた先に生じたり――そんなイメージだ。『イブキ様』はこの山の鬼を追い払うために、村人が願って降臨したと製材所の従業員が言っていた。
神様は元々神様でなく、神様にされてしまったのかも知れない。
山で迷っただけの少女たちが巫女にされてしまったように。
「そういう訳でさ、この町を出れば大丈夫だよ。お父さんお母さんも喜んでくれる」
「……」
「神様だって、勝手に神様扱いされてるなら、一緒によそに行っちゃえばいい」
身を乗り出し説得する彩乃に、朱音は躊躇いながら頷いた。
ほっとしたように少女は笑顔を見せる。
「決まったら善は急げだね。こんなところ、さっさとオサラバさ」
明るく言いながら、膝立ちで土間の方へ後退りしていく。
そんな双子の妹に朱音は慌てたように声を大きくする。
「あの、でも、あたし……」
「?」
「……あたし、ね……やっぱり、お祭、だいなしに、したくないの……」
言い募る声が、消え入るように小さくなる。
彩乃は案の定、信じられない、といった顔で双子の姉を見つめた。
「どうして? お姉ちゃんのことイケニエみたいにしてるお祭だよ? 子供を誘拐して洗脳してさ、そうやってお神輿にしてるような人たちのお祭なんだよ?」
「うん……あの人たちは、そうだよ。よくないことしてる。でも……お祭は、わるいことじゃない」
「ぼくは全部ひっくるめておかしいと思ってるんだけど」
「巫女のつくりかた、おかしいのは、そう。でも、巫女がいないときも、ずっと、お祭はあったんだよ。みんな、えんにちいったり、ぎょうれつみたり、たのしくしてて……巫女さんもきれいで」
白装束の少女は必死に訴えながら、恋する乙女のように遠くを見る眼差しで。
「あたし、町にきてすぐのお祭、みたんだよ」
前回の祭を、私たちは覚えていない。
けれど朱音の記憶には、確かに残っているらしい。
「神様なんてほんとにいるのって、おもってたけど、欅田のおじいちゃんがいったの」
突然出された祖父の話に、私は驚く。
「爺ちゃんが……?」
「神様がいてもいなくても、みんなでたのしんだり、ひとつのことをなしとげたり、おなじものをみたり、目標をもっていのったりで、そういう『このばしょ』には意味があるって」
祖父は神様というものを信じていたのだろうか。
今となっては確かめようも無いけれど。
「だから……お祭は、ちゃんと、やりたいの……」
朱音は心細げな表情で、縋るように双子の妹を見上げる。
彩乃の方は明らかな不満顔だ。私たちも以前の祭を覚えていないし、思い入れなどない。
しかしこんな様子で訴えられて、無理矢理連れて行くのも気が引けてしまう。
「けどよ、祭を完遂したら『イブキ様』が朱音の中に完全に降臨しちまうんじゃねーか? そういう話、さっきしてたろ?」
「そうだった! ねえ、お姉ちゃんの気持ちも分かるけど、危ないんだよ」
辻本と彩乃が説得に掛かるが、宥めても透かしても、朱音は俯いて頑なだ。
そうこうしている間に、時間ばかりが過ぎて行く。
『行方不明の双子の姉を見つけ出す』という目的は達した筈なのに、ここに来て難航する要素があろうとは。
どうあっても首を縦に振る様子のない双子の姉に、妹は深々と溜息を吐いた。
「……分かったよ。でも、お姉ちゃんが巫女やるのはダメだ。ぼくがやる」
「え……」
朱音が大きな目で彩乃を見上げる。
「一応ぼくら双子でしょ。お化粧で何とかしたら、お祭の間くらい入れ替わりトリックできると思うんだよね」
確かに外見は問題ないだろう。でっちあげの経歴を被ってきたお陰で、演技力にも心配はない。
しかし。
「いや、でも、それだと彩乃ちゃんが危なくなっちゃうんじゃ?」
「神様は今、お姉ちゃんの中なんでしょ。ぼくにも入ったことあったみたいだけど、ぼくは巫女じゃないし神様関連の儀式とかもしてないし。ちょっとくらいへーきだって。それに、ずっとここにいるお姉ちゃんと違ってぼくは健脚だし、いざとなったらダッシュで逃げられる」
そして彩乃は、私と辻本を見比べて。
「でもまあ、不安はあるから、どっちか相手役頼めるかな?」
「……は?」
「お昼に神社で会ったんでしょ、相手役の人。二人の知り合いなら、お願いして代わって貰ってよ」
「ええ……」
突然用意された大舞台に、私たちは顔を見合わせた。




