32、狂犬と雌犬
殿下がわたしに向けて、わかりやすく説明してくれた。
「グリージャ政府内は今、真っ二つに割れている。ランデルにすり寄って武力で革命を叩き潰すか、共和制に移行する覚悟で改革を断行するか。前者の、ランデルにすり寄ってランデルの武力に頼りたい奴らが、すり寄る手段として王女を利用しようとしてるってことだ。……フェルディナンドが王女を引き取ってくれるのが、俺には一番都合がいい。問題はフェルディナンドが王女を追い出した場合だ。王女は行き場を無くし、グリージャの大使館に駆け込むしかないが、大使館が王女の味方とは限らない」
「つまり、大使館が王女と殿下との結婚を推し進める一派かもしれないから、それよりは、我が国の大使館で匿った方がマシってことですか?」
「その通り。ありもしない噂を流されると、俺も困る」
殿下とエヴァ嬢がすでに関係があるかのように吹聴されてしまうと、相手の身分が身分なだけに、最悪、結婚させられることになる。
「何しろ、殿下には前科がありますからね。スキャンダルがそれなりの信憑性を持ってしまう恐れがあります」
「前科……」
要するにわたしとの愛人スキャンダルのことだ。
平民のわたしと違い、一国の王女が相手ではスキャンダルも傷が大きい。グリージャの大使館が王女のスキャンダルをでっちあげても、ランデルの王子との結婚を強行するのではと、懸念しているのだ。
「いくら何でもそこまではと、お前は思うかもしれないが、グリージャの王制は本当に危機的状況らしい」
「そんなに、切迫していますの?」
殿下はわたしの言葉に肩を竦める。
「だから、ランデルの狂犬を王配に迎えて、ランデルの武力で革命を押さえ込もうって魂胆なんだろう。まったく、便利遣いされたもんだ」
――つまり、このままでは革命はほぼ免れないと考える一派が、殿下の持つ武力で革命勢力を鎮圧し、そしてそのまま、ランデルの支配下に組み入れてしまおうと――。
「では、エヴァ嬢の周囲で嘘を言っていた人達は、自力で王制を維持するのをもう、諦めているってことなのですね?」
わたしの問いに、殿下は金色の瞳を一瞬見開いて、笑った。
「そう。……さすが、エルシーは昔から、物の理解が早いな。もっと意地の悪い言い方をすれば、革命によってすべてがひっくり返り、持っている権益を失うくらいなら、外国に王女と王家を売り渡して、自分の取り分だけは確保したいと考えているってことだ。たとえ属国になっても、表向き王家を維持して、貴族としての権益を守ろうとしている」
「よその国に頼るなんて、卑怯だわ?」
「まったくだ。ついでに、隣国の危機に乗じて、王子を王配に送り込んで保護国化しようとしている我が国の一部の奴らは、さらに卑怯だな」
それから、殿下は思い出したように、わたしとカーティス大尉に言う。
「……そう言えば、ハーケンの野郎はお前にも卑猥な言葉を吐いたらしいな。まったく、あのクソ野郎が」
「卑猥な言葉?……ええと、あれは『国家機密』じゃなくて?」
途端に、カーティス大尉がブブッとコーヒーを噴き出し、慌ててハンカチで口を押える。殿下もまた、呆れたような表情で言った。
「ビッチが『国家機密』になるって……ビリーの間諜小説の読みすぎだ」
夕食の後、個室に戻ってから、殿下はわたしに対し、ハーケン二等書記官の処遇について説明した。途中の駅で本国と長距離電話で相談したの結果、ハーケン書記官はこのままビルツホルンに連れて行き、現地駐在大使館に引き渡し、監視の上、本国からの交代要員が到着次第、送還することで話がついたそうだ。どうやら、ハーケン書記官の罪は、わたしに卑猥な言葉を吐いた程度のことでは済まないらしい。
「あんな野郎、列車から蹴り落としてやりたいところだが、そうもいかないからな。まったく、忌々しい」
「わたしは平気です。ひどいことを言われたみたいですけど、意味がわかっていないので……」
殿下が露骨に、凛々しい眉を顰めた。
「お前を馬鹿にするってのは、俺を馬鹿にするのと同じことだ。あいつらは俺たち王族を、政略結婚の駒くらいにしか思ってない。内心、馬鹿にしていやがるんだ」
グリージャは、もともとシュルフト帝国内の一公爵領だった。所領を継承した公女がルーセンの王家に嫁いだため、長くルーセン王家の所領となっていたが、ルーセンの革命と共和制への移行により、シュルフト国内の分家と我が国のコーンウォール公爵家(祖母がルーセンの王女)で揉めた挙句、現在の王家である分家ディーゼル=ヴァルトフォーゲル家の領有が認められ、その後、独立して王国を名乗った。
……王国を名乗ってまだ、百年に満たない。
山間の小国で、特別な旨味があるわけでもなく、我が国にとっては昔から、喉にひっかかった魚の小骨のような存在だ。いっそ、武力で制圧してしまおう、なんて過激な意見も絶えずある。
「ハーケンの野郎はその急先鋒で、グリージャ王家の窮状に付け込んで、女王の王配に我が国の王子を送り込み、実質的に保護国化しようとした」
国王陛下はグリージャのような山がちの小国、持ち出しばかり多くて利益は少ないと考え、グリージャを領有したり、保護国化したりするつもりは毛頭ない。ただ共産化されるのは厄介なので、穏健な立憲君主制の維持を望んでいるという。当然、グリージャとの婚姻政策の提案など、即座に却下したが、しつこい一派が、グリージャ国内の『売国貴族』と組んで、グリージャからの要請という形で、国王を動かそうと画策していたわけだ。
「結局のところ、国のためと言いながら、自分のやりたいように国を動かしたいだけなんだ。自分で命を張って戦争に行きもせず、俺の人生を勝手に切り売りして成果を得ようとする。本当にバカバカしいし、許しがたい」
グリージャ国内の貴族と結んでいたことが明らかになれば、スパイ容疑で重罪となるだろうと。
「『国益』のための外交活動に託けて、嘘の情報を流して王家の判断を誤らせようとしたのだからな。そんな野郎を俺の随行員に加えやがって、外交部の局長も降格レベルの大失態だ」
殿下はイライラと、ブランデーのグラスを呷る。
「お酒はそれぐらいにして、そろそろ休みましょう」
わたしがそう言って、グラスを持つ手を押えると、殿下がギラギラした目でわたしを見た。
「ハーケンの野郎、お前のことをビッチだなんて……」
「もういいんです、国家機密に関わる暗号じゃなかったのなら、もう、それで。さ、シャワーを浴びていらして」
夕食後、宝飾品だけ外した状態で話し合っていたから、殿下はシャツの上にウエストコートを着て、タイも締めたままだし、わたしもドレスを着ている。でも夕食の間に寝台の用意はされていて、わたしたちはベッドに並んで座って、話をしていたのだ。
殿下はグラスを置くと、わたしの両手を片手で掴んで、その手をベッドに押し付けるようにした。
「リジー?……何を……」
「ビッチって、何か知ってるか?」
殿下はわたしの耳元で、ブランデーの匂いのする息で問いかける。
「い、いえ……全然?」
殿下がくすっと笑い、もう片方の掌でわたしの背中を辿る。
「ビッチ、ってのは、雌犬のことだ」
「雌犬……?」
「誰とでも寝て、腰を振る女って意味だ。……お前は俺だけのものなのにな」
殿下はわたしを背後から抱きしめると、肩越しに耳朶を甘噛みし、囁いた。
「今夜は、抱きたい。……さっき、プロポーズを了承してくれた記念すべき夜だろう?」
そう言われてしまえば、わたしは殿下を拒み切れなかった。




