31、現状確認
「ズルいわ、あんなの。断れるわけないわ」
「でも、プロポーズ了承の言質は取ったぞ。……俺は、エルシーと絶対に結婚する」
造花の花束と木彫りの馬を抱え、わたしは途方に暮れる。
「プロポーズは本気だ。指輪だって用意してるところだ。……本当は、すべて片がついてから改めてするつもりだったし。何もかも、後手後手に回って、すごく格好悪いな、俺……」
わたしは首を振った。
「いいえ、この花で十分です。きっと、あの子たちの母親が作ったのね。素敵だわ」
「端切れだが、一見、本物みたいに見えるな。器用なもんだ」
「でも本当に……信じていいの? リジーの気持ちを疑うわけじゃないし、リジーのことは好きよ。でも、結婚できる気がしない。グリージャのことも、ステファニー嬢のことも……」
わたしの問いに、殿下が花束を一つ一つ検分しながら、言う。
「グリージャの件は、ハーケンとその一派の先走りってことで、ランデル側としてなかったことで終わるだろう。グリージャの出方は気になるが、我が国の外交部ぐるみで話が進められることはない。……まあ最初から、ぶっつぶすつもりだったけど」
殿下は花束を持ったわたしの手に口づけを落とし、言う。
「それより、ステファニーの方がはるかに厄介だ。議会の承認した婚約を破棄し、さらに別の女と結婚するのを、議会に認めさせなきゃならん。今のところ、議会は完全にステファニーの味方だ」
それはそうだろうな、とわたしも思う。殿下が溜息を交じりに言った。
「外遊に出る前に、お前と結婚できないなら、王位継承権も放棄して亡命すると脅しをかけたら、王太子である兄上が青くなって、議会への根回しをすると約束してくれた。ただ正直に言って、味方が兄上とマクガーニだけでは、議会の理解を得るのは難しいな。兄上には、ステファニーと結婚した上で、お前を愛人にするのではだめなのかと聞かれたが、当たり前だが却下した」
わたしは眉を顰めた。
「愛人は嫌です。……ステファニー嬢だって、そんなの許容しないでしょう」
「俺だって嫌だ。……ただ実際問題、爵位のないお前を第三王子の妃にするのを、議会に認めさせるのは難しい。マクガーニの後見では弱すぎる。できればもっと王家に近い、影響力のある大貴族の後押しが欲しいんだが――」
「そんな人が現れるとは思えないわ……」
わたしがポツリと呟けば、殿下はわたしの隣に座って肩を抱き寄せる。わたしは殿下の大きな胸に頭をもたせかけて、髪を撫でられるままに目を閉じた。ガタン、ゴトン……列車の規則正し揺れと、すぐそばにある殿下の鼓動が聞こえる。殿下の胸は大きくて広くて、力強い腕はわたしを守ろうとしているのに、それでもわたしを守りきることはできていない。
――王都は今頃、どうなっているのか。リンドホルム、あの城は――。
「エルシー……辛い目に遭わせてすまない。でも、俺はお前と結婚するし、必ず幸せにする。だから――」
その時、扉をノックする音がして、わたしは殿下から身体を離した。
「殿下、カーティスです。今、よろしいですか?」
「ああ、入れ……って鍵かけたんだった。ちょっと待て」
殿下が立っていて鍵を開けると、ジョナサン・カーティス大尉が一礼して個室内に一歩だけ入る。
「エヴァ……フロイライン・エヴァ・ディーゼルと今後について、少し相談してきました」
「ああ、ご苦労。そこに座ってくれ。……その前に、ジュリアンにコーヒーを三人分言いつけてくれるか」
「承知しました」
カーティス大尉は一旦、出ていって、それからすぐに戻ってきて、わたしたちの向かい側の座席に座る。
「……エヴァ嬢は本当に、俺と結婚する気はないんだな?」
殿下の問いに、だがカーティス大尉はわたしの膝の上の花束と木彫りの馬を見て、首を傾げていた。
「それは……?」
「あの……その、さっきの駅で物売りが来て……」
「お買い求めになったのですか!」
「わたしではなくて、殿下が……」
わたしが上目遣いに殿下を見れば、殿下はニヤニヤ笑いながら言う。
「やっとプロポーズのオーケーをもらったぞ」
「あなたって人は……」
カーティス大尉が溜息をつく。
「まあいいです。エヴァンジェリア……いえ、エヴァ嬢は、フェルディナンド大公と結婚するつもりでいます」
「しかし、そう簡単にいくとは思えんが」
「僕もそう思います。率直に申し上げて、彼女の見通しは甘いとしか」
と、ノックの音がして、ジュリアンが三人分のコーヒーを運んできた。湯気のたつ熱いコーヒーにわたしはホッとする。
「フェルディナンドも、本気であの跳ねっかえりと結婚するつもりなのか?」
「少なくとも、エヴァンジェリア姫はそう、信じています。自分たちは相思相愛だと」
「ステファニーみたいな女だな。二人の婚約が解消されてもう、数か月になるだろう? もともと、次期皇太子の妃が小国グリージャの王女じゃ釣り合わないって、反対があったと聞いている。フェルディナンドとエヴァンジェリア王女の結婚は、グリージャを引き入れるためのエサでしかなかった。たとえ本当に相思相愛でも、フェルディナンドが押し切れると思えん。今のアルティニアに、グリージャの面倒を見る余裕なんてないからな」
……アルティニア皇帝家は、大陸でも最古の、長い伝統と格式を誇っている。一方、グリージャは山がちで国力も小さく、王国としての伝統も短い。しかも敗戦で経済も破綻しかけていて、王家は革命一歩手前の危機にある。その王女と、次期皇太子候補筆頭のフェルディナンド大公との結婚が、すんなり許されるはずはない、と言う殿下に対し、カーティス大尉はただ、首を振るだけだ。
「その点に関しては、我々には全く情報がありませんので、何とも……」
殿下はコーヒーを一口啜り、カップをソーサーに戻し、言う。
「ビルツホルンに着いて、あの女はどうするつもりだったんだ?」
「フェルディナンドに迎えに来てもらい、彼の宮殿に転がり込むつもりのようですよ? ビルツホルンは今、講和会議と軍縮会議でホテルも満員ですし、当然ながらグリージャの大使館も頼れませんから」
「グリージャ本国も、当然、動いているだろうな?」
「リーデンで足止めされていましたから、グリージャを出て一週間ほど経っているはずです。さすがに、家出に気づいているでしょう。行先だってある程度予想はつくでしょうし。ビルツホルンで捕獲される可能性の方が高そうです」
殿下が顎に手を当てて考える。
「……俺との結婚を推進している一派に捕獲されると、厄介だな」
「僕が懸念しているのも、そのことです。同じ列車に乗っていたことを逆手に取られて、既成事実をでっちあげられると厄介です」
「笑えんな……」
殿下が溜息をついた。
「……ハーケンの野郎はどうしている?」
「コールマン一等書記官が責任を持って、本国に送り返すと。先ほどの駅から本国に電報も打ちました。代わりの人員は間に合いませんが、駐在アルティニア大使館にも連絡済みなので、現地の役人を回してくれるでしょう」
殿下がカーティス大尉に念を押す。
「外交部の方は、グリージャとの縁組はなかったことにする、という方向でいいんだな? 騙し討ちは無しだぞ?」
カーティス大尉が頷いた。
「コールマン書記官は、もともと、グリージャとの縁組に反対だったようです。殿下ご自身にその気がなく、グリージャの王女が他の男のもとに走っている状況で、結婚を強要するのはリスクが高すぎると、判断するでしょう」
「ならば最悪、我が国の大使館で彼女を匿っても、外交部に背中から打たれることはないんだな?」
「……そうですね、本当に最悪の場合ですが、我が国の大使館で匿わざるを得ないかもしれません……」
わたしが目を見開いて、二人を見る。
グリージャの王女を、我が国の大使館で匿う?
なんだってそんなことに――




