27、エヴァ・ディーゼル嬢
「……フロイライン、何か?」
カーティス大尉が少しばかり硬い声で問いかければ、令嬢は全く訛りのないランデル語で言った。
「歳の近い女性がいらっしゃったので、旅の間、お近づきになれればと思って。ご一緒してもよろしいかしら?」
わたしは人見知りするタイプだから、通常なら知らない女性と同席なんてお断りするところだけれど、こういった長距離列車では旅の道連れは当たり前なこと。断るのは無粋だ。だから目を伏せて、言った。
「どうぞ、お座りになって」
「ありがとう」
彼女はわたしの正面の椅子に座り、付き添い婦人らしい中年女性はその後ろ、少し離れたテーブルに座り、給仕に紅茶を申し付けた。もう朝食の時間は終わったが、昼食時間までは食堂車は解放されている。個室は狭いし、二人部屋だったりすると落ち着かないから、食堂車で過している人もいる。ただ、この朝に限っては、わたしとカーティス大尉、そしてグリージャからの女性たちしかいなかった。……護衛の男性は危険はないと判断して、客室に戻っているようだ。
「わたくし、エヴァ・ディーゼルと申します。お名前を伺っても」
「エルスペス・アシュバートンです」
わたしが名乗ると、フロイライン・エヴァは首を傾げている。……少し、珍しい名前だからだろうか。ちょうど、給仕が二人分の紅茶のカップとポットを運んできて、カップに紅茶を注ぎ分けると下がっていった。エヴァ嬢は卓上の砂糖を二匙入れ、銀のスプーンで混ぜてから、一口飲む。
「ランデルの第三王子のアルバート殿下がご乗車になっていると伺って……正直、驚きました。堂々と、女性を伴っていらっしゃったので」
わたしの背後で、カーティス大尉が警戒している雰囲気を感じるが、わたしは何食わぬ顔で微笑んだ。
「ええ……わたしは殿下の秘書官ですから」
エヴァ嬢はふっと溜息をついて、わたしを暗い碧色の瞳で見つめながら尋ねる。
「その……ランデル語では直接的な言い方になってしまって、失礼な表現になってしまったらごめんなさい。その……アルバート殿下には婚約者がいらっしゃると聞いておりましたけれど……その……」
ギシリ、と背後でカーティス大尉が身じろきして、何か言いかけるのを、わたしが軽く手を挙げて制する。
「傍からどう見えようが、わたしは秘書官ですわ。その資格で随行しておりますし。殿下のプライヴェートに関わることは、業務上の守秘義務がありますので、お答えしかねます」
「いえ、そうですの……なんだかすごく、その、親しいように見えましたので……」
「……大変、ご親切にはしていただいていますわ」
わたしのややぶっきらぼうな答えに、エヴァ嬢は鼻白んだようだった。
「ごめんなさい、母国語じゃないから、不躾になってしまったわ。そうではなくてただ……わたくしが知りたいのは……その……」
エヴァ嬢は周囲を見回すと、わたしの方に身を乗り出し、耳元で小声で言った。
「アルバート王子は、グリージャの王女と結婚したがってるのでしょう? なのに、女連れだなんて――」
「はあ?」
わたしが思わず目を瞠る。エヴァ嬢は気まずそうに周囲を見回しながら、ギリギリ聞き取れるくらいの声で囁くように言った。
「ランデルは戦勝国で、グリージャは敗戦国だから、要求を突っぱねることはできないって。だからわたくし、国を出てきたんです。このまま無理矢理、結婚させられるのは嫌で。でも――」
わたしはしばらく目を見開いていたが、咄嗟に、グリージャの王女の名前がエヴァンジェリアであったことを思い出した。つまり――。
わたしが一瞬、背後のカーティス大尉を気にすると、大尉はエヴァ嬢の動作に警戒心を露わにして、ほとんど腰を浮かせるように身構えていた。
「……その、ランデルとグリージャのお話をご存知ということは、あなたはまさか……」
「カーラはランデル語は理解できないの。でも、あなたの後ろの方が……」
わたしはカーティス大尉に無言で頷いて大丈夫だと伝え、エヴァ嬢に向き合った。
「付き添いのご婦人がランデル語を理解しないなら、あなたもなるべく普通に……まるで、何でもない世間話でもしているフリをしてください。こちらの、カーティス大尉なら聞かれても問題ないわ。……王子には、王女と結婚するつもりなんて、これっぽっちもないわ。むしろ迷惑だと思っている」
わたしはエヴァ嬢を座らせると、世間話でもするかのように何気ない調子で答え、じっと彼女を見た。エヴァ嬢はそれでもまだ、疑わしそうな目でわたしを見つめる。
「失礼を承知で聞くけど、あなたは彼の愛人なの?」
「本当に失礼な質問ね。……彼は愛人じゃなくて恋人だと言い張っているわ? 一応、彼からプロポーズもされているし」
わたしの答えに、エヴァ嬢が綺麗に整えた眉を上げた。
「……つまり、彼は今あなたに夢中で、あなたと結婚するつもりでいる。……でも、別の方と婚約したのよね? 昔からの婚約者候補だった公爵令嬢と。その報せを聞いた時は少しだけ安心したけど、すぐに彼の愛人スキャンダルの噂が流れてきて、周囲の者は、それは公爵令嬢との婚約を破棄するための偽装で、本命はわたくしだって言い張るの。でも、そんな男、信用できっこないわ。それで、わたくしは国を出ることにしたの」
愛人スキャンダルとはっきり言われて、わたし自身よりも、背後のカーティス大尉の発する怒りのオーラの方が恐ろしくて、わたしは慌てて言った。
「公爵令嬢との婚約は、彼は戦争前に白紙に戻していたはずなのよ。なのに、騙し討ちのような形で議会を通されてしまって、彼もカンカンに怒っていたわ。……どうやら、グリージャとの話を進める勢力に向けての、牽制みたいね」
わたしが小声の早口で言えば、彼女は少しだけ目を丸くする。
「ならば、ランデルの上層部も、グリージャ王族との婚姻には乗り気ではない、ということなの?」
「もともと、我が国は他国から王妃や王子妃を迎えないわ。ここ、数代にわたって、国内の貴族から出しているもの」
「彼は女王の王配になりたがってるって……」
わたしは首を振った。
「ますますあり得ないわ。王太子殿下に王子が生まれなくて、跡取りがいないから彼の結婚も急かされているのに」
「でも彼は三男よ? もう一人、王子が……」
わたしはカーティス大尉をちらりと見た。……ジョージ殿下のご病気が重く、もう長くはないというのは、話していいことなのか。
カーティス大尉が頷いて言った。
「細かい事情は言えませんが、アルバート殿下は実質的には第二位の継承者です。外国の婿に出す余裕は、我が国にはない」
「じゃあ、ランデル側がわたくしとの結婚を望んでいるというのは、要するにウソなのね!」
エヴァ嬢が憤慨したように言い、わたしとカーティス大尉は思わず顔を見合わせる。王女の周辺が、そうまでしてアルバート殿下との縁を結ぼうとする、理由がわからないのだけど……。
「ならば、この列車に乗り合わせたのは偶然でしたのね?」
わたしの問いに、エヴァ嬢が大きく頷く。
「ええ、もちろん偶然よ。本当は二日前の列車に乗る予定だったわ。ビルツホルンにいる知人の元に向かうはずが、雪のせいでリーデンで足止めを食ってしまって。運行再開した最初の寝台車が、この車両でしたの。でも、鉄道会社が妙に渋るのよ。座席は空いているけれど、次の列車にしないかって。わたくしは一日も早くビルツホルンに着きたくて、押し切ったの。……まさか、件の王子が、それも愛人連れで乗り込んでいるだなんて、本当にびっくりしたわ。仮にも隣国の王女との結婚話があるのに、これ見よがしに愛人とイチャつくなんて、なんて女好きのいやらしい男なのかしらって」
エヴァ嬢の軽蔑に満ちた表情を見て、わたしはようやく合点した。……昨夜、食堂車で睨んでいたのは、わたしじゃなくて、殿下を睨んでいたのね……。
エヴァ嬢はお替りの紅茶を自分で注いで、一口飲んでから、わたしを見た。
「でも安心したわ。金狼にその気がないってわかっただけで、ホッとしてよ」
「……つまり、お二人を結婚させるために、嘘の情報でかき回している者たちがいるのですね」
わたしの言葉に、エヴァ嬢が少し表情を改める。
「……そうなるわね。わたくしだって王族の端くれ、国のために結婚する覚悟だってそれなりにはあるわ。ただ、ランデルの王子との結婚が、グリージャに利点を生むとは、どうしても思えなくて」
ランデルに国を乗っ取られるのでは、と警戒して当然だ。
わたしは、少し離れた席から心配そうにこちらを伺っている、付き添い婦人を見ながら言う。
「アルバート殿下との結婚を画策する、グリージャ側の目的は何かしら」
「お兄様を廃嫡して、わたくしを女王にするつもりなのよ。わたくしが他国に嫁ぐのを阻止し、女王の王配に相応しい他国の王子となると、条件の合う人は限られるから」




