↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/176

25、カレーライスと聖節市場

 アデレーンからリーデンまでは丸二日。その後、見かけるたびにハーケン書記官が睨んでくることには、内心閉口した。しかし口を利く機会もなく、時間は平穏に過ぎていく。殿下も、一度抱けばひとまず気は済んだのか、あれ以来、添い寝で満足しているようだ。


 翌日の昼食は、ランデル風カレー・アンド・ライス。辛い物が苦手な人のために、オムレツも用意されていたけれど、わたしも殿下もカレーを選択した。


「子供のころ、カレーは苦手じゃなかったか?」

「昔は。だって、城(カッスル)の料理長のカレーは、本当に辛かったんですもの。彼、セロンガ帰りだったんですの。本場の味はもっと辛いって。お父様が、彼の辛いカレーがお気に入りで」

「ああ、確かに。初めて食べた時はびっくりした。懐かしい。その料理長がまだいるなら、また食べたいな」


 カレーは東洋の植民地、セロンガの料理を、ランデル風にアレンジしたものだ。軍の食堂では定番のランチで、辛味を抑えてマイルドに味付けされたものは、異国風な情緒もあるし、何より昼食にはちょうどいい手軽さで人気だった。


 ターメリックで黄色く染まったライスを、カレーソースと混ぜながらスプーンで掬っていると、例の、真珠養殖の東洋人、コーキチが食堂車に入ってきた。……昼食時、食堂車は混んでいて、空席はない。東洋人で小柄な彼は、給仕に軽んじられているのか、なかなか案内してもらえない。と、殿下が振り向いて、コーキチに手を挙げた。


「コーキチじゃないか。今から昼飯か? ……よかったら、ここに座れ」

「……え、よろしいのですか?」


 コーキチは遠慮したが、殿下は給仕に命じてコーキチの席を自分の隣に準備させる。


「今日はライスですか!」


 コーキチの黒い瞳が輝く。


「私の国では、主食はパンではなく、ライスなんです。こちらの食事は美味しいですが、どうしてもライスが食べたくて……」


 ライスは東洋でよく食べる食材とは聞いていたけれど、コーキチの国でもライスが主食と聞き、ちょっと興味を惹かれた。


「あなたの国でも、こんな風に召し上がるの?」


 わたしが問いかければ、コーキチはソースのかかっていない、白いままのライスをわざと掬って見せる。


「私たちはこの白米(ライス)だけで食べるのが普通です。……これは長粒米(セロンガ種)ですね。私たちの国でよく食べるのは、短粒米(ヤパーネ種)です。もっと粘り気があって、スプーンではなく、二本の棒で食べます」

「二本の棒? なんだそりゃ」

「我々はその二本の棒で、何でも摘んで食べますね。肉はあまり食べません。私は海に近い場所で育ったので、毎日、新鮮な生の魚を食べました」

「生の魚?」


 魚を生で食べるなんて、想像もつかない。


「美味いのか、それ?」


 殿下の声が心なしか震えている。


「新鮮な海の魚は、生が一番ですよ。魚の料理法はたぶん、わが国が世界一でしょう。ウナギなんて、こちらのゼリー寄せですか? 全くとんでもないですよ! 我が国ではあんな食べ方はしません! 開いて蒸してから焼いて、特製のソースを絡めるのです! それをこの白米(ライス)と食べる! 西の大陸の文明は素晴らしいですが、ウナギの食べ方だけは許せません!」


 ドン! と拳でテーブルを叩いて力説する様子は、普段の穏やかさが嘘のようだ。……ウナギのゼリー寄せがそんなに気に入らなかったのか。そもそもあれは労働者階級の食物だし、実を言えばわたしも食べたことはない。


 そこからコーキチは、かの国の魚料理がいかに洗練されているのか、滔々と語り始め、わたしと殿下は気づけば食い入るように耳を傾けていた。


 さまざまな獲れたての、海の魚。コーキチに言わせれば、淡水魚は臭いが強くて断然、海水魚の方が美味しいらしい。貝に蟹、そして彼らの故郷の特産である、巨大なロブスター。真珠が採れるだけじゃなくて、そんな海の幸まで採れるなんて、神に祝福された土地に違いない。


「リジー……わたし、生の魚は勇気がないけれど、巨大ロブスターは食べてみたい。あと、ゼリー寄せじゃないウナギも」

「歓迎しますよ! 我が国には温泉もたくさんあって……野外の風情を楽しみながらの岩風呂や、海に面した洞窟温泉なども……」


 温泉と言えばバールは古代から続く湯治場として有名だが、もちろん屋内だし、野外の岩風呂や海辺の洞窟温泉なんて、想像もできない。


「外国の方には、山の保養地が開かれて、西洋(こちら)風のホテルなどもあるようです。革命で殺されてしまった北の大国の皇帝が、皇太子時代に滞在されたはずです」


 生の魚にすっかり腰が引けていた殿下も、少し興味を持ったらしい。


「なるほど、生の魚ばかりでは耐えられまいと思ったが、西洋風のホテルや料理もあると言うならば……」


 コーキチはニコニコと頷き、言った。


「我が国にいらっしゃるなら、是非、声をおかけください。真珠養殖の現場をご案内しますよ!」


 ――いつか、東の国に殿下と行ってみたい。そんな未来の夢を、わたしが見てもいいのだろうか。




「わたくしたちはリーデンで乗り換えよ。お別れは残念だわ」

「また春になったら王都に戻るわ。南のバールに行くかもしれないけど」


 老姉妹に連絡先を聞かれ、迷ったけれど王都の殿下のアパートメントの住所を知らせた。……春以降、わたしがそこに住んでいるかはわからないけれど、転送くらいはしてくれると思うから。


「あの……」


 交換した二人の住所を握り締め、わたしは意を決して二人に伝えた。


「わたし、殿下のことが好きです。……この先、どうなろうとも、後悔だけはしないようにします。あの世で、祖母にはきっと叱られてしまうけれど」

 

 ミス・エミリー・アランは水色の瞳を見開くと、わたしを抱き締めて言った。


「ああ素敵よ、エルシー。そうね、恋愛で後悔はすべきじゃないわ。愛しているなら特にね」


 ミセス・リーガルは姉よりも実際的な人物だった。


「全くその通りね。後悔はす(・)る(・)んじゃなくて、さ(・)せ(・)る(・)のよ。万一、別れる時には慰謝料を山ほどふんだくっておやんなさい。腕のいい弁護士を紹介するわよ?」 


 列車は静かにリーデンの駅に着き、老姉妹は南に向かう列車に乗り換えるために、降りていった。





 リーデンはルーセン国内の駅としては最後の、そして最大の乗り換え駅で、乗員の交代や資材の搬入、車内の清掃が行われる。何より、南北の路線と交差するため、乗り継ぎの関係でなんと八時間も停車するという。


 ずっと列車内に閉じ込められて退屈していたわたしたちは、少しだけ駅を出てリーデンの街中を散策することにした。


 十一月も末になり、ちょうどその日曜から、待降節(アドヴェント)の時期に入って、聖誕節のための市場(マーケット)が開かれていた。


「リーデンはルーセン国内でも、文化はアルティニアやシュルフト系なんです。シュルフト語を話す人々も多いし。ルーセンでは珍しい、聖節市場《ヴァイナハツ・マルクト》で、俺も来たかったんすよねー」


 ちゃっかり旅行案内書(ガイドブック)を用意しているロベルトさんの案内で、わたしは華やいだ異国の街を殿下と歩いた。


「山が近いせいか、王都より寒いですね」


 南の、温暖な地方出身の、ジェラルド・ブルック中尉が寒そうにコートの襟を立てる。


「聖誕節までには戻れるんですよね?」


 ブルック中尉の問いに、ロベルトさんが頷く。


「ビルツホルンの滞在は実質、五日予定っすよ。往復、二週間と考えるとバカバカしいですけど。ギリギリ、休暇前には、帰国できる予定っす」


 そんな話をする彼らの横で、わたしは素朴な、木彫りのツリー飾り(オーナメント)を見つける。


「これ、可愛い……」

「ああ、ここらの特産品みたいだな」


 わたしと殿下が手に取って見ていると、ジョナサン・カーティス大尉も横から手を出す。


「女性はこういうのが好きなんですか?」

「……女性っていうか……季節のものだし、可愛いですよね?」


 わたしの答えに、殿下が不審そうに眉を顰める。


「堅物のジョナサンが、女心を気にするとは……」

「僕にも婚約者くらいいますから! 今度の聖節の休暇に、王都に出てくるらしくて、せめて何か土産をと思ったのですが、四年ぶりに逢うので、何をあげたら喜ぶのか想像もつかず……」


 わたしと殿下が思わず顔を見合わせる。


「……まあ、そうなんですね! わたしと同じくらいの年齢の方かしら」

「偶然ですが、そうです。十九になるはずです」

「まじで! そんな話、初めて聞いた!」


 横から素早く回り込んだロベルトさんが叫ぶ。カーティス大尉が気まずそうに目を逸らし、早口で言う。


「戦地に行く前に、親が勝手に……その時まだ十五歳でしたし……戦時中は手紙のやり取りも制限されていたから、今さら、どう扱っていいのか……」

「こんなんじゃなくて、もっと奮発した、宝石やドレスの方がいいんじゃないのか?」


 殿下が言うけれど、わたしが言った。


「旅先のお土産は特別です。旅先でも思い出してくれたってことだから」

「そう……ですかね?」 


 結局、カーティス大尉はわたしの勧めたくるみ割り人形を買った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。