23、愛を乞うゴーレム
「俺が、国王とローズの間に生まれた王子なのは、俺のせいじゃない。俺が、望んだことじゃない。俺はむしろ、王族でさえなければと、ずっと思ってきた。……だから、王族であるという理由で、俺から離れないで欲しい。それは、俺にはどうにもならないことだ」
黒いガラス窓に映る殿下の瞳は真剣で、辛そうでもある。
「……さっきの、グリージャの王女の話。お前、政治的に必要なら、身を引こうとしていただろう? 俺とグリージャの王女が結婚すれば、国や、世界の平和に利益があるのならって」
「……そこまで、具体的に考えていたわけでは……でも……」
わたしはガラス窓の殿下の目をまっすぐに見ることができず、目を伏せた。
「わたしが、いなければいいと思う人は多いでしょうね……」
「我が国は、他国の干渉を嫌う。グリージャの件は、父上も最初から拒絶している。騒いでいるのは一部の親グリージャ派だけだ。本当に気にしなくていいことなんだ」
目を上げれば、殿下はわたしの頬に唇を滑らせながら、まっすぐ射抜くようにガラス窓の中のわたしを見つめていた。
「今時、王家同士の婚姻政策なんて、たいした意味はもたない。現に、そのグリージャの王太子がそうだろう?……正妃のシュルフト大公女を蔑ろにして、むしろ外交的には厄介事に成り下がっている」
実際、シャルローで死にかけた殿下の心情的には、グリージャの王女など受け入れがたく、無理に結婚してもかえって将来に禍根を残すかもしれない。
「俺とグリージャの王女が結婚したからって、世界が平和になるわけない。シャルローで死んだ俺の部下たちは、きっとあの世で怒り狂うだろう。俺自身、グリージャの王家を許せないでいる」
「でも、王子の結婚は個人の感情で決めていいことではないわ」
「俺は政略の駒じゃない。――昔は、俺は王家のために作られた土人形なんだろうって、人生を諦めていた。……だから王妃の姪のステファニーと結婚しなければならないのだと、俺は何もかも諦めていた。――エルシーへの想いも、心の奥底に封印して、死ぬまでずっと隠しておくつもりだった。でも――」
殿下がわたしを背後から両腕できつく抱きしめる。
「でも、俺は人間だ。自分の足で立ち、自分の意志で動く人間なんだ。鉄砲の玉や地雷に吹っ飛ばされたらあっけなく死んじまう、弱くて力のない人間だ。……戦場で、たくさんの死を目の当たりにして、それに気づいた。――この地獄から生き返ったら、俺はもう二度と、心のない土人形に戻らないと決めたんだ」
殿下の大きな手が、わたしの肩から二の腕へと滑り、身体の前に回される。真っ暗な窓ガラスに映るわたしの胸を、殿下の大きな手が覆い、指先に力が籠められる。
「……! ダメっ!」
我に返ったわたしが殿下の手を振りほどこうとしたが、殿下がわたしの肩口に顔を寄せ、耳元で悩まし気に囁いた。
「お願いだ、エルシー、……不安なんだ。ずっと、触れられなくて……」
ガラス越しの瞳が、必死に訴えかける。
「愛してる。俺は王家の土人形じゃなくて、人間だ。王家の血を伝えるために、好きでもない女と結婚して子供を作らされるのは嫌だ。愛した女しか抱きたくない。……ステファニーとの婚約を迫られるたびに、俺は父上にとって、ただ王家の存続のためだけの存在だと言われているようで、不安と怒りで狂いそうになった。俺は心のある人間で、ずっとエルシーだけを愛してる。それを証明したくて、抱くべきじゃないとわかっていても、お前を抱いてしまった」
殿下の、両腕の力が籠められて、身体が軋むほど強く抱きしめられる。殿下の腕のが微かに震えて――。
「まっ……くる、しい……痛、いから……」
ガラスに映るわたしの顔が、苦痛に歪むのを見て、殿下が慌てて腕の力を緩め、わたしはホッと息をつく。
わたしは殿下の腕の中で身を捩り、何とか振り向いて、ガラス越しの殿下の顔ではなく、本物を正面から見た。
「……ずっと、わたしのことが好きだった、って……」
「ああ、昔、リンドホルムの城で会った時から、ずっと好きだ。……お前だけ」
「わたしも、リジーのことが好きだった。いつもそばにいてくれて、わたしの我儘を全部聞いてくれて……大好きだって言ってくれて……リジーだけが……」
幼いころ、母は身体の弱い弟のビリーにかかりきりで、わたしは半ば放置されて育った。もちろん、乳母もいたけれど、彼女も跡継ぎであるビリーを優先して、わたしは二の次だった。……貴族の家では、跡継ぎの教育が最優先で、かつその仕事が最も格が高い。はっきり言えば、わたしはどうでもいい存在だった。
でも、リジーは、絶対にわたしを優先してくれた。
わたしだけを子馬に乗せて荒れ地に連れ出してくれたり、二人だけで画集を見たり。夜には内緒で、わたしのベッドにもぐりこんで、一緒に眠ってくれた。たくさん、たくさんキスをして、大好きだと言ってくれた。
大好きだったのに、どうして忘れてしまったのか。――きっと、あまりに好きだったから、彼がいなくなってしまったことが、耐えられなかったのだ。次にいつ会えるのか、どこに行けば彼に会えるのか、幼いわたしには何一つわからなかったから――。
「リジ―……全部、忘れてしまったわたしを、許してくれるの?」
わたしが殿下に抱き着くと、殿下もまたわたしを抱き締めて囁く。
「当たり前だ……忘れられて、ショックだったけど……でも、お前は小さかったから。俺こそ、正体も明かさずに悪かった。愛してる。お前だけなんだ。お前だけが、俺が王家の土人形じゃないと証明してくれる。エルシー……」
殿下の、熱い息がわたしの耳朶にかかり、わたしの脳髄を溶かしていく。そのまま流されそうになるが、どうしても気になってわたしは尋ねた。
「さっきから、ゴーレムって、いったい何のことです?」
「ゴーレムは土でできた人形だ」
「……は?」
キスをしてくる殿下の頭をぐいと押しやって、顔をまじまじと見た。
――何それ、なんの話なのよ。
殿下は困ったように眉尻を下げ、しどろもどろに言った。
「その……魔術で作られて、魔術師の言うままに動くんだ。……額に〈emeth〉って文字が書かれていて、その最初に一文字を消すと〈meth〉になって、粘土に返る」
「……意味がわからないわ」
「〈emeth〉は真実、〈meth〉は死だ。〈e〉は最初の、一番大切な文字」
わたしは目を凝らして殿下を見つめた。
「殿下の額には何も書かれてませんよ? 誰がそんなくだらないことを」
「……王妃が……俺は呪われたゴーレムだからって……」
その時の殿下の表情は、昔の、自信なさげなリジーのようだった。
バカみたいな話だと思うけれど、幼少時からそう言って擦りこまれたら、自分が土くれでできた人形のように価値がないと、信じてしまうかもしれない。
――そんな風に、殿下の自信や生きる力を削いできたのだとしたら、とても卑怯で残酷で、許せないことだ。
そしてその呪縛を破るために、殿下は戦場の過酷な体験を経なければならなかったのだ。
多くの死を目の当たりにして、ようやく――。
わたしは背伸びをして、彼の額に口づける。もちろん、何も書かれていない人間の額だ。そこに書かれている文字があるとしてもきっと――。
「リジー、わたし、あなたが好き。昔のあなたも、今の、殿下も。――たとえ、土人形でも関係ないわ」
わたしがそう言うと、殿下はすぐさまわたしの唇を塞いた。そしてすでに用意のできたベッドに押し倒して、圧し掛かってきた。
「待って、まだ喪中……」
「エルシー……ビルツホルンについたら、大聖堂で一緒に懺悔しよう。だから……」
「な、そういう問題じゃ……」
「聖ゲオルグ大聖堂は世界三大大聖堂の一つで、ゴシック様式の尖塔と内部のステンドグラスが有名だ。見たいだろう?」
「そ、それはもちろん見たいですが……」
「内陣にある聖母像も有名だ、近くて見たいだろう?」
「そ、それも見たいですが……」
「じゃあ、決まりだ! 抱くぞ?」
「ちょっと……!リジー、待って!……ゴーレムなら、少しは言うこと聞いてよ!」
わたしの抵抗もむなしく唇を蹂躙されて、長いキスに頭の芯が熱で蕩けてしまう。一度、欲望に火がついてしまった殿下は押さえが効かなくて、結局、狭い寝台の上で彼に貪られてしまった。




