13、裏話
突然外国に行くなんて言われて、わたしは血の気が引いた。
そんな無茶な!
だが、殿下は涼しい顔で言った。
「旅券なら、すでに作成してある。お前は秘書官として軍縮会議に同行するんだ」
「……そんな!」
「お前、一応、三か国語はいけるんだろう?」
殿下に聞かれて、わたしはおずおずと頷く。
「……一応は。でも、喋る相手はおばあ様だけだったので、現地で通じるかどうかは……」
読むのは問題ないけれど、聞き取りと発音は不安しかない。
「やっぱり無理ですよ。わたしが王子の随行員だなんて。……どこかのホテルか、マクガーニ閣下のお邸の隅っこで静かにしていれば……」
すると、ロベルトさんがクスクス笑った。
「あれだけ殿下に鬼の説教かましてたマクガーニ大臣が、どうして外遊にエルシーたんを連れ出すのを了承したと思う? 閣下のお屋敷にエルシーたんを置いとくわけにいかなくなったんだよ! 主に自己都合でさ!」
殿下がわたしの耳元で囁く。
「実は、ジェニファー夫人がおめでたでね。大事な時期に奥方の側を離れたくないから、ビルツホルン行きを俺を押しつけたのさ! 意外とムッツリだろ?!」
「そうなのですか!」
ムッツリの意味はよくわからないが、ジェニファー夫人がご懐妊はおめでたい。マクガーニ閣下は照れ臭そうに眉を顰め、言い訳がましくもごもごと言った。
「いや、まあその、調整の結果だ」
殿下が王都の状況を説明する。
「エルシーの名前が新聞社にすっぱ抜かれてしまって、今、王都の陸軍司令部には新聞記者どもが殺到してる。絵入り新聞も出たし、リンドホルムもすぐに記者で溢れるだろう。しばらく国外に出る方がいい。軍縮会議はちょうどいい機会だから」
「……そう、でしょうか……」
「万一、お前がマクガーニの家に滞在しているなんてバレてみろ、妊娠初期の大事なジェニファー夫人のもとに、ハイエナのような新聞記者どもが殺到するんだぞ? そんな危険を犯せるわけがない」
マクガーニ閣下も深い溜息をついた。
「……本当に申し訳ない。本来なら、後見人としてわしが君の面倒を見るべきだが、この状況下では君の安全を保証できない。殿下と一緒に国外に出る方が安全だ」
「いえそんな……閣下にはご迷惑ばかりおかけして、申し訳ありません」
要するに、殿下の愛人として名前が出てしまったせいで、王都で匿うことができないということだ。――わたし、存在するだけで迷惑な人間になってない?
わたしは申し訳なくて目を伏せる。
そういうことなら、皆の言うとおりにするしかないけれど……。
わたしは急に不安になって顔を上げた。
「ビルツホルンって遠いですよね? わたし、そんな準備は何も……」
ビルツホルンはこの大陸でもかなり東にある。しかも国際的に重要な会議に、王子殿下の随行員として着いて行くのに、わたしの鞄には喪服しか入っていない。
――国際会議に喪服で参加してもいいの?
「大丈夫だ。ミス・リーンとバーナード・ハドソン商会に命じて準備はさせている。バッチリだ」
殿下が自信満々に言えば、ロベルトさんが肩を竦めた。
「以前から、旅行用の服を準備しろと言われて、おかしいと思っていたんですよ。豪華客船で逃避行決め込むつもりだったら、そう言ってくれればいいのに」
「……その、豪華客船で逃避行ってのは、いったい何のお話なんです?」
わたしが思いついて尋ねれば、マクガーニ閣下が呆れたように暴露した。
「殿下は密かに新大陸への渡航を企て、豪華客船のチケットを手配していたのだよ、二人分!」
思わず目を瞠ったわたしに、殿下が眉尻を下げて言い訳する。
「父上や周囲がステファニーとの婚約をごり押ししてくるのにブチ切れて、一度本当に新大陸に逃げてやろうと思って、豪華客船を押さえたんだ。俺がエルシーとの結婚を本気で考えていて、かつ、継承権の放棄も辞さないと示すためには、実力行使が一番だと思って……」
そう言われて、わたしは城跡で亡命を仄めかされたことを思い出した。
「……冗談だと思っていました。まさか本気で予約までなさっていたなんて」
わたしの言葉に、ロベルトさんが我が意を得たとばかりに同意する。
「ほんとだよ! 言っとくけど、殿下とエルスペス嬢の二人旅とか、無謀以外の何物でもないですからね! 殿下汽車の切符だって、自分で買ったことない癖に!」
「手に手を取って愛の逃避行に、よりによってお前連れとか、何の罰ゲームだよ!」
「ジュリアンが怒ってましたよ、自分を置いていくなんて、下着も自分で畳めない人が、あり得ないって」
「……ロベルトは置いていくつもりだった。ジュリアンの分のチケットは、手配するのを忘れたんだ……」
ロベルトさんと殿下のくだらない言い争いに、マクガーニ閣下がはあっと溜息をつく。
「そんな杜撰な計画で新大陸行きなんて、片腹痛い。そもそも、計画時点では、レディ・アシュバートンはまだ存命だった。心臓を悪くして療養中の祖母君を置いて、エルスペス嬢を海の彼方に連れ出すつもりだったんですかな? いかにも考えなしの殿下がしそうなことだ」
「……そう言われてしまうと言葉もない」
マクガーニ閣下の指摘にしょげてしまった殿下を見て、ロベルトさんがフンっと鼻息を荒くする。
「今回のビルツホルン行きの手配はオレがやってますからね、手抜かりはないっすよ。ちゃーんと、ジュリアンの座席も確保してますし。東駅近くのホテルまで、殿下やエルスペス嬢の荷物を持って向かうように打ち合わせ済みっす」
……つまり、殿下のアパートメントに戻ることなく、王都の駅でビルツホルン行きに乗り換えて、そのまま連れ去られるらしい。いくら何でもアクロバティックに過ぎるし、殿下はご自身の権力と財力に、無駄に物を言わせすぎではないか。
「……それにしても、こんなに突然の外遊を、よく国王陛下がお許しになりましたね」
わたしが言えば、マクガーニ閣下が苦笑なさった。
「実を言えば、渋る国王陛下をわしが脅して、決定させたのだよ。駆け落ちされたくなくば、外遊を認めろと」
……つまり、殿下の無謀極まりない豪華客船駆け落ち計画が、一種の伏線として機能したわけだ。
わたしは自分の見えないことろで決められた、奇想天外な展開に呆れると同時に、裏側で準備を整えさせられた人々に同情を禁じ得ない。
「外遊ということは、カーティス大尉やブルック中尉も同行なさるのですよね? わたしを随員に加えることで、ご迷惑をおかけしているのでしたら、心苦しいです」
カーティス大尉は、幾度か護衛もしてもらったが、わたしと殿下の関係にも理解があるようだ。ステファニー嬢に対しても、あくまで自分は殿下の恋人の護衛で、愛人の護衛ではない、とはっきりと告げてくださった。
だが一方、同じく貴族の嫡男であるジェラルド・ブルック中尉とは、わたしはほぼ接点がない。おそらく、殿下がわたしから遠ざけているのだろう。
今回、ただでさえ無茶なスケジュールの外遊に、さらにわたしを連れ出すことで、特に貴族出身のお二人には、ものすごい負荷がかかっているのではないか。
わたしの問いに、殿下が眉間に皺を寄せた。
「……相変わらず、エルシーは鋭いな。まあ、俺は今、体調不良で引きこもっていることになっているからな。その代わり、二人に動いてもらっている」
「つまり、外遊に向かう事前準備は、全部、お二人に丸投げ?」
カーティス大尉もブルック中尉も如才のないエリートだけれど、いくらなんでも激務にすぎるのでは。
すると、横からロベルトさんが容赦なく突っ込んだ。
「体調不良って、ものは言いようだよね。実際には失恋のショックで酒浸りになってへべれけだっただけだし! あの数日の殿下ときたら、エルシーたんのガウンを抱きしめてしくしく泣いてるばかりで、まったく使い物にならなかったから。王子の失態の尻拭いは侍従官の仕事。エルシーたんが気にすることはないよ」
へべれけの殿下が想像できず、わたしが目を瞠れば、マクガーニ閣下も頷いた。
「まったく、紳士にあるまじき体たらくだったな。わしが軍隊式に頭から水をぶっかけてようやく、正気に戻ったが」
わたしのいない間に、なんだかすごいことが起きていたらしい。わたしはそれ以上聞きたくなくて、そっと溜息を飲み込んだ。




