12、再び王都へ
こんな田舎では、噂は野火のように広がって、たちまち町中を焼き尽くしてしまうだろう。しかも、ヴィクトリアのような火付け役が大騒ぎしているのだ。数日内にリンドホルム中に広まるのは間違いなかった。王都と違い、身を隠すこともできない。まして、わたしは以前の領主の娘なのだ。
わたしは噂に追い立てられるように、翌日の昼前に出る汽車でリンドホルムを発つことになった。
サイラスは何とも複雑な表情でわたしを見送り、ジェーンおば様はあまりのことに興奮しているようだった。――そりゃそうだろう。王都の噂話で聞いた、王子を篭絡した阿婆擦れ女が、まさか自分の親族だなんて想像もすまい。
一人、ダグラスだけが妙にニヤニヤとわたしを見てきて、隙を見て耳元で囁いた。
「なるほどねー、いい女になったと思ったら、王子様のお仕込みだったとは。……王子に振られたらいつでも戻って来いよ。王子仕込みのテクで、俺にもいい思いをさせてくれ」
反射的に殴ってやろうとしたわたしの手を、ダグラスが掴み、ニヤニヤと握りしめられて、わたしはゾッとする。
「離して!」
その様子を遠くで見ていたリジーこと殿下が、慌てて走り寄ってきて、わたしを背中に庇う。
「あんた、王子の女の犬だったのかよ。ざまあねーな」
「この下衆野郎が! エルシーに触るな!」
一触即発で睨み合う二人を、ロベルトさんが間に入って宥める。
「ほらほら、もう出発しますから! お世話になりました!」
慌ただしく馬車に乗り込み、駅へと向かう。昨日の晴天とはうってかわって、朝から小雨がぱらつく寒々しい日だった。
わたしが馬車の窓から懐かしい城を振返れば、殿下がそっと手を握ってくれた。ほぼ葉の落ちた楓並木の向こうに、邸が遠ざかっていく。
「……大丈夫だ、また、戻ってこれる」
そしてわたしの耳元で囁いた。
「俺は必ず、ローズの庭を取り戻す」
曇天の下を、馬車は荒れ野を横切って駅へと走った。
王都行きの一等客車。個室を一つ確保して、皆で乗り込んだ。
行きはメアリーとジョンソンも一緒だったけれど、帰りは殿下とロベルトさんと、そしてマクガーニ閣下の四人のはずだったが、発車後にラルフ・シモンズ大尉が乗ってきて、わたしはびっくりした。
「実は、リンドホルムの町でいろいろと調べていたんですよ」
シモンズ大尉が肩を竦める。
「よそ者が一日で調べられるもんじゃないですからね。俺の以前からの部下を一人、城下に紛れ込ませるのに成功しました。城内のことは、お嬢さんの執事の人が、ある程度の情報は探り出してくれそうですし」
殿下がわたしに微笑みかける。
「ラルフは特務機関の出で……つまりマックスの直属の部下だったんだ。マックスがもともと教育した部下を引き継いでいるし、任せておけば大丈夫だ」
「……父は、そんな仕事をしていたのですか……」
シモンズ大尉が調べているのは、ビリーの死の真相。
「ジェームズ・アシュバートン少尉のことは、今、問い合わせてますがね。どうも東部戦線にいたみたいですね」
「……東部か。あそこも酷かったらしいからな」
殿下とシモンズ大尉のやり取りを聞きながら、でもわたしは昨日のショックが抜けなくて、ただ窓の外の景色を見ながら汽車の揺れに身を任せていたが、気づけば殿下の肩に凭れて眠っていたらしい。
車掌が熱いお茶を持ってきた、その音で目が醒めて、慌てて身を起こすと、殿下の大きなコートが身体に掛けられていた。
「ああ、目が醒めたのか。ちょうど弁当が来た。コールドチキンとパンだけど。こんなもので悪いな」
「いえ、そんな……」
「はーい、エルスペス嬢、アツアツのお茶だよ!」
ロベルトさんが熱いお茶のカップを手渡してくれて、わたしはそれを両手で受け取る。
「ありがとうございます……」
じーっとロベルトさんに見つめられ、わたしが首を傾げると、ロベルトさんがはあっと溜息をつく。
「寝起きのエルシーたんの色っぽさよ……」
「おい! 誰の許しを得て! 見るな!」
殿下がロベルトさんを睨みつけると、ロベルトさんが手をひらひらさせる。
「減るもんじゃないし~」
「減る! 見るな!」
「わたしは見られたくらいでは減りません」
「ダメだ。寝起きのエルシーは俺限定」
「……くだらないことで騒ぐのはやめたまえ!」
若者らしい馬鹿話を、マクガーニ閣下が一喝する。
わたしたちは汽車の中で夕食を食べ、熱いお茶を飲んで人心地つく。わたしはお茶のお代わりを貰って飲みながら、恐る恐る尋ねた。
「その……新聞記事ですが……」
「ああ……あれは……」
殿下が忌々しそうに眉を顰める。
「最初は王都の大衆紙だったんだ。でも名前が出たせいで、絵入り新聞にも出てしまった。あれは全国紙だから――」
ロベルトさんが最後のパンを口に放り込みながら言う。
「やはり、リークした奴がいるんでしょうな」
ラルフ・シモンズ大尉がどこかの駅で調達してきたらしい、ウィスキーをカップに注ぎ分けながら言う。
「正確な名前と、元のリンドホルム伯爵の娘だという、情報。――出所に心当たりは?」
ウィスキーのカップを手渡されて、殿下が肩を竦める。
「司令部では噂になっていたようだが、新聞社までタレこむような度胸のある奴は、パッと思いつかないな」
「けっこう、詳しい上に同情的なんですよ、この記事。……病気の祖母を抱えてたとか、父親が戦死したのに代襲相続が認められてないとか……レコンフィールド公爵からの情報リークとは思えないんですよね」
シモンズ大尉が上着の内ポケットから、丸めた新聞を取り出して言う。
「殿下のアパートメントに関しては、伝聞情報のようですね。『購入してもらった』とあります。あそこはあくまで殿下の資産で、ミス・アシュバートンは部屋を提供してもらっていただけです。その辺りは、王都の噂に惑わされているようなので、アパートメントの使用人とか、あるいはロベルトの姉貴とかの方向ではないようですね」
「当たり前だよ! 姉貴はあんなだけど信用商売なんだから!」
シモンズ大尉の言葉に、ロベルトさんが姉を庇って反論する。
「ドレスメーカーが顧客情報を漏らしたら信用に関わるよ。金持ちの愛人のドレスを作ってナンボの商売なんだから! その辺の守秘義務はお針子にも徹底させるし。リーク元は姉貴のメゾンじゃない!」
殿下は顎に手を当てて何か考えていたようだったが、わたしと目が合うと、首を振って微笑んだ。
「大丈夫だ、バレてしまったものはしょうがないけれど、俺が全力で守るから――」
「いえ……でも……」
わたしはちらりとマクガーニ閣下を見て、言った。
「この後、しばらくは閣下のお世話になる予定にしていましたが、新聞に名前が出た以上、そうもいきません。……わたしはやっぱり、どこかホテルか下宿にでも――」
「あーそのことなら、問題ない。しばらく王都を離れ、外遊に出るから」
「はあ?」
殿下が何でもないことのよう言って、わたしが目を剥く。
「明日の夜行で、東の――ビルツホルンに向かう。講和会議に出ることになったから」
「ビルツホルン? ……ってアルティニア帝国の首都の? 講和会議? 殿下がそれに出席なさるんですか?」
意外な言葉にわたしが聞き返せば、マクガーニ閣下が補足してくださった。
「講和会議ではなくて、軍縮会議ですよ、殿下。……本当は陸軍大臣としてわしが調印式だけ行く予定だったのだが、交渉が難航して、事務方だけではニッチもサッチもいかなくなったらしい。それで、いっそのこと全権大使として殿下を派遣することになったのだ」
戦争が終わっても、戦後処理はまだ終わっていない。
アルティニア帝国の首都ビルツホルンでは、二度とこのような悲惨な世界大戦が起きないよう、兵器の使用を制限しようという軍縮会議が開かれているとは聞いていた。
王族でもある殿下がそれに参加されるのは、不思議ではない。
「では、殿下がビルツホルンに向かわれる間、わたしは王都のどこかに隠れてやり過ごせばいいのですね?」
「お前もビルツホルンに一緒に来るに決まってるだろう」
殿下に当たり前のように言われて、わたしはえええっとのけぞった。
「そんな無茶な! わたしは旅券も持っていませんし!」




