11、プロポーズ
殿下はわたしの背中を四阿の壁に押し付け、わたしを両腕に閉じ込めるようにして、唇を奪う。
「んんっ……やっ……」
両腕を突っ張って逃れようとしたけれど、殿下の力に敵うわけもなく、押し潰されるように自由を奪われてしまう。激しいキスに翻弄され、抵抗する力が抜けて、わたしは頽れないように必死に殿下の肩に縋りつくしかなかった。
長く深く貪られて、わたしが酸欠になりかけたころ、ようやく殿下の唇が離れる。
「……だめ、……こん、な、ところで……」
息も絶え絶えになって睨みつけるが、殿下はわたしの耳朶に唇を這わせながら言う。
「……さっきの、墓地でプロポーズした返事を聞いてない。エルシー……お願いだ」
「だって、そんな……」
殿下はこんなだけど第三王子で、レコンフィールド公爵令嬢という、議会も認めた婚約者がいる。いくら彼が嫌だと駄々をこねたところで、落ちぶれた元伯爵令嬢が、王妃の姪でもある公爵令嬢を蹴落として婚約者になるなんて、無理だ。
「俺が、戦争の前から好きだったのは、お前だ。ずっと好きで……でも、ステファニーとの結婚が決まっていて、俺は諦めていた。……おばあ様にも、ローズの二の舞は嫌だ、王家の男には嫁にやらないってはっきり言われていたし」
熱っぽく打ち明けられて、耳や首筋を這うくすぐったい感触にわたしの頭はぼうっとなるけれど、冷静に思う。
――ちょっと待って。その時、わたし、いくつよ――?!
「ねえ、でも、わたしはずいぶんと子供だったわ。だって、ビリーがまだスカート穿いていたのよ? わたしだって、七つかそれくらいじゃない」
「そうだ……俺は十四で、お前が初恋だ」
言い切った殿下に、わたしは目が点になる。
今、殿下が二十六でわたしが十九歳。七歳差はそれほど不自然じゃないけど、十四歳の男が七つの女の子なんか好きになるだろうか?!
「……変態?」
「違う!……その……確かに変態じみているのは認める。でも、他の幼女には何も思わないから、幼女趣味とは違う! 戦場でも、思い出すのはお前や、この庭での日々だけで――俺は戦場で、本当にこの世の地獄を見たから」
目を伏せた殿下の表情から、戦場の悲惨さが言葉に尽くせないのだとわかる。
殿下は目を上げ、まっすぐにわたしを見た。
「エルシー、以前も言ったけれど、今の俺は、この城を買うくらいの経済力はあるんだ。戦前からの投資が上手く行ってね。俺は王族を抜ける覚悟もできている。だから結婚してくれ、エルシー……」
「そんな……でも――」
殿下はわたしに雨のようにキスを降らし、言う。
「うんと言ってくれるまで、離さないぞ?」
「でん……じゃなくてリジー……」
ギラギラした金色の目で見つめられて、わたしは困惑する。今まで、何か重大な決断を自分で下したことなんてない。いつもおばあ様の意向を伺って――でも、もう、おばあ様は、いない――。
最期の最期まで、おばあ様はリジーのお願いを突っぱねた。
今、もし生きておられても、絶対に結婚を許してはくださらないだろう。
おばあ様はもう、いない。
おばあ様は亡くなったのだから、わたしが自分で決めなければ。でも、おばあ様が亡くなった今になって、殿下の求婚を受け入れていいのか――。
「わからない、そんなの……わからない……」
泣き出したわたしを殿下が抱きしめて、肩口で溜息をつく。
「……そうだな、おばあ様が亡くなったばかりで……すまない、エルシー。……わかった、ただ――」
殿下はわたしの身体を離して、至近距離で目と目を合わせ、言った。
「俺は明日、リンドホルムを発つ。一緒に、来て欲しい」
「明日……?」
殿下の立場では、長く王都を空けることはできない。――今、どうして誤魔化しているのか知らないけど。だから、彼が早晩、王都に戻るのは予想通りだ。でも、わたしが彼と一緒に戻れるかと言えば……。
殿下が、幼い日に一緒に過ごしたリジーで、昔からわたしを愛していて、本気でプロポーズしてくれているのは、理解した。
ただ、それをわたしが受け入れ、殿下との関係を続けるかどうかは、また別の話だ。
だって、問題は何ひとつ解決していない。
リジーこと殿下と、レコンフィールド公爵令嬢との婚約は、議会の承認を得てしまった。このまま王都に戻れば、わたしは婚約者のいる王子の、正真正銘の愛人になるしかない。
わたしは目を伏せて首を振る。
「これからどうするか、もう少し考えたいんです。だから王都に戻るとしても、もう少し先に――」
「マクガーニも明日、戻る。お前を一人でここに残しておけない」
「え?……予定では、戻るのは三日後……」
「事情が変わったんだ。朝、王都に残したジョナサンから電報があって。……マクガーニも、すぐに戻らないといけなくなった」
「でも……」
わたしは逡巡する。
「あのダグラスは、まだお前を狙ってる。お前のバックに王子が付いていて、代襲相続が認められる可能性が出てきたと気づいただろう。お前との結婚を強行しようとするかもしれない。お前と結婚しさえすれば、どちらに転んでも、領地も城も、手放さずに済むから」
「でも、あまりに急では……それに……」
わたしは少し躊躇ってから、殿下の顔を見て言った。
「わたしは、秘書官の仕事は辞めたはずです。王都に帰っても仕事も、家もないし――」
「秘書官の仕事は休暇扱いにしてある。辞表だって出してないだろう、お前」
「それは……」
辞表についてはロベルトさんに相談したけれど、「後でいい」って言われてしまったから――。
「でもジョンソンやメアリーにもちゃんと告げてないし、彼らにも都合が……」
「彼らにはしばらくここに残って、してもらう仕事がある。給金は俺が払うから」
「は?」
わたしはまじまじと殿下の顔を見た。……この人、いつの間に、何を企んで――。
「スミス夫人とも話はつけてある。名目はレディ・ウルスラと、ローズの遺品の整理だ。この城も人手不足だから、二つ返事で了承してくれた」
殿下は金色の瞳をきらめかせると、わたしの耳元で囁く。
「彼らには、ビリーの死の真相を探ってもらう。……もちろん、危険なことはしないと約束させた。何、ちょっとした情報を集めるだけだ」
「そんな……彼らは祖母の……うちの使用人ですよ? 勝手な……」
わたしが睨みつけると、殿下は眉尻を下げて微笑んだ。
「すまない。……メアリーはもう、お前の荷物もまとめているはずだ。ジョンソンもスミス夫人も、お前がこの城に残らない方がいいと言っている」
殿下はそう言って、もう一度わたしに口づける。
知らない間に全てお膳立てされて、囲い込まれて――あの時と、同じだ。おばあ様が入院したときと……。
「その、本当に、申し訳ないと思っているんだ。こんなやり方がお前を傷つけるのもわかっている。でも、お前の身を守るのを優先すると、こうするしかなくて……。今回、せめて俺自身で説明しろと言って、マクガーニとジョナサンが、リンドホルムに来るのを許してくれた」
身分を隠し、ご自身でリンドホルムに来ることが、せめて殿下にできる最大の譲歩ということなのか。
結局、わたしにはお金も力もなく、世間知らずだから、周囲の言いなりに流されるしかない。
わたしは溜息をついて、渋々同行を承諾した。
その後、わたしたちは邸に戻った。庭の売買については、仮契約で一時金を支払い、他には売らないという約束をダグラスと取り付けたらしい。ダグラスとロベルトさん、そして殿下が契約について話し合う隙に、わたしは玄関入ってすぐのホールで、マクガーニ閣下に話しかける。
「閣下、明日の汽車で王都に戻ると聞きました。……で……じゃなくてリジーが、わたしも一緒にと、言うのですが――」
閣下は大きく頷き、そして言った。
「そうなのだ。朝、王都から電報があり、その後、電話でも確認したのだが、極めてまずい状況が発生した。だから君も一緒に帰って――」
その時、奥からけたたましい足音とともに、ホールにヴィクトリアが駆け込んできた。
「エルシー! あんた、どういうことなの、これ!」
ヴィクトリアは赤い髪を乱し、手には王都の絵入り新聞を持っている。一日一便の汽車で、王都から一日遅れで届くのだ。
周囲が止める間もなく、ヴィクトリアは邸じゅうに響くような甲高い声で、絵入り新聞の紙面を指さして、叫んだ。
「アルバート殿下の愛人の名前は、エルスペス・アシュバートン、元のリンドホルム伯爵の娘だって! あんたのことでしょう?! どういうことなの?!」
つまりそれが、アルバート殿下が急いで王都に戻らなければならなくなった、「極めてまずい状況」だった。
誰かが、わたしのことを新聞社にリークしたのだ。




