10、ローズの庭
城に戻ると、約束通り、ダグラスが廃園への鍵を開けて待っていた。
「この奥は壁で囲った庭がいくつかあって……果樹園や菜園、それから苗を育ててたみたいだが、世話をしてた園丁の爺さんがくたばって、手が足りなくなって放置されがちで……いっそのこと売っちまおうって話になったんですよ。……別に悪気があったんじゃねぇ。ご時世ですよ。親父は医者で商才はないから、つまんねぇ投資詐欺にひっかかっちまったんだけど。だからサインする前に、俺に相談しろって言ってるのに」
咥え煙草のダグラスがブツブツ言いながら、鎖にかけた南京錠を外す。
鉄条網を除け、鎖を外して足を踏み入れた庭は、わたしがかつて知る場所とは思えないほど、荒れ果てていた。
小道の両側の花壇は立ち枯れて、雑草が生い茂っている。蔦の蔓延るレンガの壁の間を続く、細い散歩道。四辻の中心にある噴水は水が止まり、淀んで緑の藻がびっしりはびこり、嫌な臭いがした。ベンチは壊れ、柵のペンキも剥げ落ち、荒れ地から野性の動物が侵入しているのか、あちこち穴ぼこだらけになっている。
「俺も昔、一、二度来たことがありますが、その時は綺麗なもんでしたがね。……今の我が家に、ここを昔のように維持する財力はありませんや。こんなところ、王子様が買って、どうするつもりなんすかね?」
つくづく理解できない、と言う風にダグラスが言い、新しい煙草を吸おうと胸のポケットに手をやり、ないことに気づいて舌打ちした。その様子を見ていたロベルトさんが、自分の胸ポケットから紙巻煙草を取り出し、渡してやる。嬉し気にそれを受け取ったダグラスに、ロベルトさんがマッチを擦って火をつけてやりながら言った。
「さあね。オレも、やんごとなき方の考えることはわからんよ。……少し、自由に見てもいいかな? あの壁の中も入れるの?」
「ええ、どうぞご自由に。俺はここで待ってますよ」
「その間に、土地について詳しいことを尋ねたいのだが――」
マクガーニ閣下がダグラスに言い、ロベルトさんが持参の革のトランクから書類を出して三人が話し始めた時、殿下が囁く。
「行こう、エルシー。……俺は薔薇園が今どうなっているか、見たい」
殿下に手を引かれて、わたしたちは噴水のある広場を左に曲がる。相変わらず、枯れかけた蔦で覆われた壁が広がるだけだが、わたしも殿下も扉のある位置がすぐにわかった。とりわけ厚く蔦の茂った場所を掻き分けると――扉があった。
「鍵は――」
殿下の問いに、わたしを首を振った。
「かけてないわ。……サム爺さんがいつでも世話をできるように……」
わたしが真鍮のドアノブを回す。しかし何かがひっかかっているのか、扉が重くて開かない。
「んんっ……開かない……」
「貸してみろ。……つっ……重い。裏側で樹でも倒れてるかも……」
殿下が肩で体当たりして無理矢理こじ開け、僅かに開いた隙間から中を覗けば、裏側にも蔦が這いまわっていた。殿下が力ずくでドアを開け、蔦を取り払う。
「おいで、もう通れるだろ……」
殿下が先に立って入り、わたしの手を引いてくれた。中は――。
わたしの記憶にあるこの庭は、いつも薔薇と花々が咲き乱れ、生垣も綺麗に整えられていた。向こうにある白い四阿まで、石畳の小道が続き、あちこちに大理石の像が支える植木鉢があって、そこにも薔薇の花が咲き乱れていた。庭の中央には噴水があって、また別の壁際にも湧き水のような小さな壁泉があったはず。だが今、水は止められ、像のいくつかは倒れ、酷いものは壊れていた。小道には雑草が蔓延り、腰まで覆うほど。
「……たった二年でこんな――」
「見ろ、樹が倒れてる。嵐でもあって、さらに荒れたんだ。……ローズがここを見つけた時も、きっとこんなんだったんだろうな」
「見つけた?……ローズが?」
驚いてわたしが尋ねる。殿下はわたしの手を引いて、丈の高い雑草を避けながら奥へと進む。かつては蔓薔薇が綺麗に這っていたアーチは、すっかり枯木に覆われているように見えた。そのアーチをくぐり、ようやく四阿に辿りつきく。苔むした階段を上って、円形の四阿の内部に作りつけられたベンチの上に、殿下はハンカチを敷いてわたしに勧め、自分は簡単に手で砂を払って並んで座った。
「……面影はあるが、ひどい変わりようだ……」
殿下が呟いて、わたしも周囲を見回した。だがわたしは寂れた庭の片隅に、鮮やかな紅い色を見つける。
「見て、あそこ!」
「ホントだ、秋咲きの薔薇だ……」
一輪だけ、壁付けの噴水の側の薔薇の垣根で、紅い花が咲いていた。
「あの樹は生きてるんだな……そうだ、ローズも言ってた。薔薇は強いって……」
殿下はわたしの手を握って、静かな声で語る。
「ローズがいつも話してくれた。彼女が見つけた、秘密の花園について……」
「秘密の花園?」
「ローズはね、幼いころに両親を亡くして、遠い親戚の家に引き取られた。そこは大きなお邸というよりはお城で、広い庭園の中に、壁に囲まれた庭がいくつもあって……多くは果樹園とか菜園とか、実用的な庭なんだけど、その中に一つ、噴水や四阿のある、小さな閉じた庭を見つけた」
殿下の横顔を見上げながら、わたしは思い出す。ローズは、おばあ様の従妹の娘だ。おばあ様のおばあ様はもともと隣国の貴族の出で、従妹はその縁で隣国に嫁ぎ、ローズを産んだ。
「この庭はもともと、身体の弱かったその家の息子のために作った庭だったそうだよ。でも息子は死んで、庭は忘れ去られていた。――それをローズが見つけ、園丁のサムの援けを借りながら、少しずつ手を入れて。もともと薔薇がたくさん植わっていたけれど、ローズが自分の名にちなんでさらに増やして、一面、薔薇の噴水のように薔薇だらけの庭にした……」
殿下の話を聞いて、自分が思い違いをしていたのに気づく。
薔薇が溢れる庭だから、薔薇園なのだと思っていた。
そうではなくて、ローズが見つけたローズの庭だったのだ。
「……俺は幼いころからその話を聞いて、ずっと、その庭を見たいと思っていた。だから、マックス・アシュバートンが俺をこの城に連れて来て、そこがローズの昔の家だと知って……」
殿下が目を閉じる。
「……歩き回って、たまたま扉が開いていたから中を覗いてみたら、スカートを穿いた小さな子供が二人駆け回って、年老いた園丁が黙々と世話をしていた。まだ春は浅くて、薔薇は咲いていなかったけれど、それでも、綺麗な庭だった。俺が――」
殿下が、今、二人で通ってきた扉を指さす。
「あの扉の前で立ち尽くしていると、俺に気づいた少し大きい方の、赤いコートを着た子供が走ってきて言った」
――あなた、だあれ? 暇なの? ちょうどいいわ、雑草を抜くの手伝ってちょうだい!
「そうして俺は、わけもわからず、いきなり雑草を抜かされたわけだが……」
「え……そんなことあったかしら……」
わたしは困惑する。……だって、そんなこと憶えてないし……。
「それからはかなりの時間をここで過ごして、俺は庭いじりの手伝いをしたり、ここで絵を描いたりして過ごした。春が来て、次々と花が咲いていって……そして五月になるとあらゆる場所に薔薇が咲いた。……いまでも、はっきり覚えている……」
殿下はそう言うとわたしを抱き寄せて、強引に唇を重ねてきた。
「愛してる……エルシー……あの頃から、ずっと――」




