14、豪華列車
わたしは王都を素通りし、まっすぐビルツホルンへと連れ去られるらしい。
事情は理解するし、実際問題、王都に家もない。妊娠初期のジェニファー夫人やマクガーニ閣下にこれ以上、迷惑をかけるわけにもいかないし、メアリーもジョンソンもリンドホルムに残してきてしまった。
殿下が外遊に行って留守にしたら、王都にはわたしが頼れる人なんて、本当に誰もいなくなってしまう。
となれば一応は秘書官である以上、わたしは殿下についていくしかない。それはわかるけれど。
結局のところ、わたしの抱える問題は何一つ解決していない。
殿下の正体も知り、プロポーズはされたけれど、ステファニー嬢との婚約は承認されたままだ。そんな状態でプロポーズされても、承諾なんてできない。
そして名前が新聞に出てしまい、わたしにはもう、逃げ道も残されていない。
この後に起こることを想像しても、ろくな未来は描くことはできない。
わたしの将来は列車の窓の外に広がる夜の闇のように真っ暗だ。そして窓ガラスには、困惑したような、喪服姿の女が映っていて――。
「エルシー」
窓を眺めているわたしの背後から、殿下が声をかける。
窓ガラスには笑みを浮かべた殿下の端正な顔が映り、それが顔を寄せてくる。
「ビルツホルンまで、汽車で七日だ。鉄道会社ご自慢の豪華寝台特急を予約したから、ゆっくり過ごせる」
さらに、彼はわたしの耳元に口を近づけて小声で言った。
「本当は、新婚旅行で乗るつもりだったんだけどな。……まあ、下見だ」
こんなに先の見えない絶望的な状況なのに、まだわたしと結婚するつもりらしい。殿下のこういう無駄に諦めの悪いところに、わたしは少しだけ勇気づけられた。
一夜明けて早朝、王都の西駅に到着したわたしたちは、マクガーニ閣下と別れて東駅に近いホテルに移動し、朝食を摂る。殿下は朝食後に王宮に向かい、国王陛下に対し、外遊に出る前の挨拶をすると言う。
「風邪を引いたことにして引きこもっていたから、顔ぐらいは出さないと。記者どもが鬱陶しそうだが」
「婚約披露の晩餐会もすっぽかしたそうですわね? ステファニー嬢が真っ青だったとか」
わたしの言葉に、殿下が目を見張る。
「なんで知って……あ、絵入り新聞か!」
それから気まずそうに肩を竦める。
「ロベルトはへべれけだなんて言っていたが、体調不良は本当だ。……お前に別れを告げられて、絶望で酒浸りだったから、ひどい二日酔いだった」
へべれけと二日酔いと、それこそ五十歩百歩だ。
朝食後、殿下はホテルに迎えにきたジョナサン・カーティス大尉と王宮に向かい、わたしはロベルトさんが押えた上階のスイートルームに入る。入浴して荷物の整理をしていると呼び鈴が鳴り、ロベルトさんに連れられたミス・リーンとお針子さんが二人、大荷物とともにやってきた。
「エルシーちゃん! おばあ様のこと、大変だったわね! 喪服が役に立ってよかったわ!」
ミス・リーンが珍しくブラウスにロングスカートの地味ないでたちで、わたしをギュッと抱きしめてくれた。
「何だか痩せちゃった? 可哀想に! 殿下も根回しが足りないのよ! まったく、間抜けなんだから!」
「列車は夜七時の発車なんだ。ねえさん、あんまり時間はないよ?」
ロベルトさんが急かすと、ミス・リーンはお針子さんたちの並べるドレスを一瞥し、言った。
「体のラインの出るイブニングは四着ってところかしら。あと、袖丈が気になる昼のスーツが三着あって……」
「待ってください! いったい何着持っていくつもりなんですか?! 不必要ですよ!」
巨大な革張りのスーツケースがいくつも置いてあって、わたしが仰天する。帽子箱だけで三つもある。ミス・リーンがにやにや笑いながら言う。
「豪華客船旅行のつもりだったから、本当はもっと華やかなドレスもあったのよ。でも、大陸横断長距離旅客だって、それなりに見栄は張らなきゃ。ビルツホルンでも、夜会くらいはあるでしょうし。どうせ、全部ポーターが運んでくれるんだから、大人しく持っていきなさいな!」
わたしはホテルの部屋で、次々とドレスを試着させられる。
「この節はメイドを連れての旅行は流行らないので、基本、一人で着られるドレスにしてあるわ。ただ、いくつか、首の後ろのリボンなんかは、殿下に結んでもらいなさいね? あと、背中の開いたドレスもあるから、変な痕つけられないようにね!」
「わたしはあくまで秘書官として随行するのであって……」
「ビルツホルンまで片道七日よ? 狭い個室で恋人と二人切り、あの人が我慢できると思うの? 我慢できる男なら、あんた今頃まだ処女だったでしょーに!」
マーメイド・ラインのイブニングドレスの、胸の開き具合を調整しながら、ミス・リーンが言う。
「宝石類はバーナードの店から直接、東駅に運ばせるから。本来なら、ドレスに合わせていちいち指定するべきところだけど、旅先だし、殿下はこういうことについては、あたくしたちプロ顔負けの謎のセンスがあるから、殿下に選んでいただいてね。間違っても自分で選んじゃダメよ? エルシーちゃん、センスはイマイチなんだから」
言われなくてもわかっているセンスの無さをはっきり指摘され、わたしは内心凹む。
「それからこれ、お化粧道具! お化粧の仕方はだいぶ、上手になっているから安心なさい。マニキュアは十日も持たないから、ビルツホルンの街でホテルか、美容院のサロンに行くのよ!」
大きな化粧品バッグを渡されて、わたしはハッとする。
「髪の毛は昼間は帽子で誤魔化せるし、夜会の時はシニョンにしちゃえばいいから。ただ、旅先でもお肌のお手入れだけはしっかりね!」
お針子さんの一人は髪の毛を纏める技術もある人で、わたしの髪を見苦しくないようにカットした上で、電気ゴテの巻き方や、オシャレな夜会巻きの方法を伝授してくれた。……わたしは今一つ不器用なので不安しかないのだけれど。
そうして怒涛の如く送り出され、気づいた時には、わたしは東駅発の豪華寝台特急の、王族専用特別車両に収まっていたのだった。
乗り込んだのは、とてもこれが列車とは思えない、豪華な個室。金の装飾のあるマホガニーの壁材、重厚な座席シート。窓に貼り付くようにテーブルがあり、開閉式の洗面台に、小さいけれどシャワーブースまでついている。
すでに殿下の荷物を運び込んだジュリアンが待っていて、わたしの荷物も個室内のクローゼットに、手際よくしまっていく。
「すっごい、豪華ですね、殿下の個室!」
「お前もここで寝るんだぞ?」
「えっ? 嘘。……わたしは二等車両で十分ですから……」
だいたい、この個室にはベッドなんてないし……とわたしが首を傾げると、殿下が笑った。
「寝るときはこの座席がベッドになる。ディナーの間に準備してもらえる」
「……へええ……」
今まで、夜行も普通の客車にしか乗ったことがないから、寝台車なんてものが想像もつかない。
「よく、急に予約が取れましたね」
「王族専用客車を追加するだけだからな。どの道、この時期はそれほど混雑はしないが――」
つまり、この車両にはこの個室と、お付きの人用の二人用個室と一人用個室が一つずつの、三室しかない。護衛のラルフ・シモンズ大尉と従僕のジュリアンで一室、侍従のジョナサン・カーティス大尉で一室。隣が食堂車で、その向こうが通常の一等客室となり、ロベルトさんとジェラルド・ブルック中尉、それから同行する外交部の官僚が二人ほど、そちらの車両に乗りこんでいるそうだ。
あと十五分ほどで発車という時になって、バーナード・ハドソン商会の使いの者が、いくつか荷物を運び込んできた。厳重に守られた宝石鞄には、ダイヤモンドの首飾りとイヤリング、真珠の三点セット、あとは殿下のカフリンクス、最新式の自動巻きの腕時計など。殿下はそれを確認すると、小切手帳にサインをして店の者に渡す。宝石類は鍵のかかる金庫に入れると言って、ジュリアンが持って出て行った。
「バーナードによろしく」
殿下が言えば、いつかのミツゴロー氏が愛想よく頭を下げる。
「偶然なんですが、コーキチの次の商談がビルツホルンでして、二等車に乗っております。何かの折には目をかけてやってください」
コーキチはビルツホルンでも投資家を募り、その後、南のセダーンの港から帰国する予定なのだそうだ。
ミツゴロー氏に見送られて、列車は静かに、夜の王都東駅を発車した。




