44、告別
祖母が死んで、療養院のヴィラで呆然とするわたしの元に、マクガーニ中将閣下夫妻が訪れた。
――誰かが、電報を打ったらしい。
「エルスペス嬢……この度は」
「……閣下……」
ソファで、アルバート殿下に抱きしめられるようにして慰められていたわたしは、ハッとして立ち上がろうとしたが、脚に力が入らず、座り込んでしまう。
「ああ、いいのよ、無理しないで」
優しそうな、でも凛としたところのある、三十前後の女性が走り寄って、わたしを支え、殿下を見て不審そうな表情をする。
「妻のジェニファーだよ、エルスペス嬢。……よければ、君はわしの家に来ないかね。……今、どこに住んでいるのか、正直、聞きたくもないのだが」
厳しい声でマクガーニ中将閣下に言われて、わたしはビクリと身を震わせる。
「違う、それは俺が――」
殿下がわたしを庇おうとした声を、閣下が遮る。
「そう、エルスペス嬢は悪くない。祖母君が倒れた時に、わしに相談する時間も与えずに、自分の家に連れ込んだのは、あなただ。高額の入院費用のかかる療養院に入れて、他の道はないとエルスペス嬢を追い込んだ」
「それは――」
「こうなる、可能性を少しも考えなかったのですか」
殿下が俯く。ジェニファー夫人がわたしを支えて立ち上がらせ、言った。
「……となりの部屋で、おばあ様に最後のお別れをしましょう。……あとは、主人に任せて」
わたしはチラリと殿下とマクガーニ閣下を見て、それからジェニファー夫人とともに、祖母の眠る病室へ行った。パタンと、扉が閉まり、二人の間で何が話し合われたのかは、わからなかった。
「葬儀はどうなさるの?」
ジェニファー夫人の問いに、わたしはハッとして祖母を見る。まだ眠っているようで、もう、魂がそこにないのだとは、信じることができない。
「……王都には、我が家の墓地はないんです。すべて、リンドホルムに――」
リンドホルムの城下の教会が、伯爵家代々の墓所になっている。
「おばあ様は、故郷に帰りたかったでしょうね……」
「お嬢様……もし、あちらで埋葬するとなると、サイラス卿に連絡をしなければなりませんが」
わたしは溜息をつく。
「そうね。あちらで葬儀をしなくても、連絡はしなければならないわね」
わたしはサイラス・アシュバートンの俗物じみた風貌を思いだし、眉間に皺を刻む。サイラスの息子のダグラスも、二度と顔を見たくないくらい嫌いだ。
ジェニファー夫人が、少しだけためらってから、わたしに尋ねた。
「その……不躾な質問だったら許して欲しいのだけど……どうして、王都に出ていらっしゃったの? いえ、爵位継承のことは知っています。でも、普通は、先代伯爵の母親と娘を追い出したりはしないわ。そんなことをしたら領地での評判も悪いし――」
わたしはもう一度溜息をついた。
「ええ。わたしたちも、初めはそのまま、城で暮らすつもりでした。何しろ広いですし。でも――」
わたしは睫毛を伏せた。
「サイラス・アシュバートンは、わたしと息子のダグラスを結婚させようとしたんです。……わたしはまだ十六歳で、ダグラスはそのとき、二十六歳でした。ダグラスは王都の法律事務所に勤めていたそうですけど、身持ちが悪くてクビになったとか。祖母はダグラスの評判の悪さを知っていたので、結婚などとんでもないと……」
サイラスは当初、わたしの代襲相続の勅許は下りると考えていて、息子とわたしを結婚させ、領地を手に入れようとしたらしいが、祖母にこっぴどく断られたのだ。だが、予想に反して勅許は下りず、爵位も領地もサイラスのものになった。
――しかし、弟の葬儀のために王都から戻ってきたダグラスは、何故かわたしと結婚しようとした。俺と結婚すれば、今までと同じ生活を保障すると脅されて、だが、祖母は断固、それを拒んで城を出た。わたしたちがほとんど無一文だったのは、そのせいだ。法律の知識のあるダグラスの前に、わたしたちは本当に無力だったから。
「あれから三年も経つし、さすがにダグラスも結婚して、わたしのことなど忘れているでしょうけど――」
「それは期待するだけ無駄でございますよ、お嬢様」
横に控えていたジョンソンが言う。
「実は、奥様から口止めされておりましたが、ダグラスよりは何度も、領地に戻ってきて自分と結婚するように、との手紙が来ておりました。最近では二、三か月ほど前になりますか、ダグラスからの手紙が来ると、奥様のお加減が悪くなって、医師をお呼びする羽目になりますので、本当に迷惑でした」
ジョンソンはダグラスとサイモンの親子の話になると、口調が辛辣になる。
「奥様を故郷で埋葬したいと言うお気持ちはわかりますが、お嬢様があちらに参るのは少々、危険ではないかと……」
「危険?」
わたしが目を丸くする。
「ダグラスの執着ぶりは私の目から見ても少々異常で……無理矢理、結婚に持ち込まれるかもしれません」
話を聞いていたジェニファー夫人が眉を顰める。
「そんな男なの?……確かにそんなところに、エルスペス嬢を行かせるわけにはいかないわね」
「でも、祖母の葬儀にわたしが出ないと言うのも。こちらで埋葬すると言っても、ダグラスは出て来るでしょう」
「しかし、あちらに参るよりは安全でございますよ」
そんな話をしていると、ガチャリと扉が開いて、マクガーニ中将閣下が部屋に入ってきた。
「……エルスペス嬢。ご遺体はこの後、療養院附属の教会に安置し、ヴィラは出なければならないのだが、君はわしの家に来なさい。……もちろん、使用人も一緒に」
「エルシー、そのまま俺の家に――」
「そんなことは認められません!」
閣下の後ろから入ってきた殿下の言葉を、閣下は無情に遮る。
「未婚の令嬢をアパートメントに連れ込んで……エルスペス嬢がなんて噂されているか、殿下だってご存知でしょう。あの噂を聞いた時、わしはまさか、相手がエルスペス嬢とは思いもよらなかった。最初から知っていればこんなことは許さなかった。しかも殿下は婚約が議会の承認を得て、本決まりになった。この状況でエルスペス嬢のことが世間に知れたら、いったいどうなるか! ご自分のお立場をよくよく弁えて行動してください!」
静かな怒りを漲らせて、閣下は殿下を叱りつける。殿下は唇を噛んで俯いて、だがすぐに顔を上げて閣下をまっすぐに見た。
「俺はエルシーを愛しているし、エルシーと結婚するつもりでいる。婚約の件は公爵が勝手に先走っただけで――」
「何であれ、国王が許可し、議会の承認を得たものを、簡単には覆せない。それが国の決まりです。それを無理に曲げようとするのは、殿下の我儘だ。その批判の矛先は殿下ではなく、弱いエルスペス嬢に向かう。殿下にはまだ、その批判の嵐からエルスペス嬢を守る力などない!」
「マクガーニ……俺は……」
わたしの隣にはジェニファー夫人が座り、わたしの手を彼女の両手が握り締めていたが、わたしはジェニファー夫人に無言で首を振り、立ちあがる。
「殿下……」
「エルシー、帰ろう。王都のアパートメントが騒がしいなら、郊外の邸でも――」
「今まで、ありがとうございました。おかげで、祖母に安楽な入院生活を送らせることができました。……殿下の、お金がなかったら、こんな立派な病室に入ることもできなかった。感謝しています」
頭を下げるわたしに、殿下が言う。
「そんな他人行儀なことはやめてくれ、エルシー。当然のことをしただけで俺は――」
「でも、おばあ様も亡くなって、わたしが働く必要もなくなりました。秘書官は、辞めます。……命じられた業務も、もともと、殿下が正式に婚約するまでというお約束でしたし……」
「エルシー! 業務だと言ったのは言葉のあやで、俺は――」
「婚約者のいる方との関係は続けられません。ステファニー嬢と婚約なさったのですから、わたしとは終わりです」
はっきりと言いきったわたしを、殿下が絶望的な表情で見つめる。
マクガーニ夫妻は、わたしの口にした業務という含みから、わたしたちの関係のあらかたを悟ったらしく、ジェニファー夫人は立ちあがって、わたしを抱きしめて言った。
「……じゃあ、行きましょう、エルスペス嬢。……いいえ、これからはエルシーと呼んでも? うちは小さな娘がいるんだけど、あなたみたいな綺麗な方がきたら、とても喜ぶわ」
「は、はい、奥様」
「だからわたくしのこともジェニファーと呼んでちょうだい」
「いえ、それは――」
殿下がわたしを引き留めようとしたけれど、マクガーニ夫妻の前でいつものように強引なことはできないらしかった。
「エルシー、待ってくれ、俺は――」
わたしは足を止め、殿下をまっすぐに見た。
「神罰が下ったんです。……わたしが、おばあ様の言いつけに背いたから。だから、おばあ様が亡くなって、わたしは一人になった。……さようなら、アルバート殿下」
わたしは頭を下げると、その後は殿下を見ることもしなかった。
第一章が終わります。
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