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43、神罰

 リジー様、と呼びかけられて、アルバート殿下がビクリと顔を上げ、ジョンソンの顔をじっと見た。


「やはり、気づいていたか」

「……はい。ですが、奥様に申し上げるべきか、悩んで……お嬢様との件を、もっと早くお伝えしておくべきだったと、今更ながら後悔しております」


 ジョンソンが項垂れる。

 わたしには意味がわからない。リジーは、お忍びの時の殿下の偽名で、それを、ジョンソンがなぜ。そして、おばあ様も――?


「入ろう、エルシー」


 殿下に促されて、病室に入る。祖母のベッドのわきに立っていたコーネル医師がわたしたちに気づき、一瞬、目を見開くが、何も言わずに近づいて、耳元でそっと告げた。


「意識があるのは、これが最後かもしれません。……今、看護婦に聖職者を呼びに行かせています」


 医師はそれだけ言うと、静かに部屋を出ていく。そしてメアリーも。

 部屋に残ったのは、わたしと殿下と、そしてすっかり痩せて、青ざめた祖母。


「……エルシー……その人は……リジー?」

「ええ、そうです、お(・)ば(・)あ(・)様(・)。ずいぶん、ご無沙汰しました」


 祖母に穏やかな口調で挨拶する殿下に、わたしはびっくりして言葉もない。祖母は、懐かしそうに殿下を見て、言った。


「そうね、もう、会うことはないと思っていたわ。……十二年になるかしら。そうして見ると、少しだけ面影があるわね。……ローズの……」

「おばあ様、今日はエルシーとの結婚のお許しをもらいにきました」


 殿下の口調はいつもと違い穏やかで――どこか、少年のようだった。わたしはどうしていいかわからなくて、ただ二人の顔を交互に見る。おばあ様は一瞬だけわたしを見て、すぐに視線を殿下に戻し、言った。


「……だめよ。前も言ったでしょう。お前にエルシーはやれないわ。ローズの二の舞はごめんよ。あきらめて」

「おばあ様、僕は父上とは違う。……絶対に、エルシーを守る。僕はあの時の僕じゃない。変わったんだ。お金だってある。自分で稼いだんだ。王家の金じゃなくて、俺の――自分の金だし、力だって――」

「だめよ。言ったじゃない。……お前が城(カッスル)を離れる時に言ったわ。エルシーはダメだと。お金の問題じゃないわ。エルシーを守るのはお金じゃあないのよ」


 祖母は深い、深い溜息をついて、わたしと殿下を交互に見た。


「リジー、お前は約束を破ったのね。……わたくしの、エルシーを……」


 わたしは思わず、祖母に取りすがるようにして、言った。


「おばあ様……わたし……」


 祖母はわたしをちらりと見て、微かに首を振った。


「本当に、馬鹿な子ね。……なぜ、わたくしの言うことを聞かなかったの。仕事も、早くやめなさいと言ったのに。王家の人など信じてはダメだってことは、ローズの時にわかっていたの。……ただ、わたくしはローズの子を見捨てられなかった……」


 祖母は目を閉じた。その顔色は青白くて、死が、すぐそばまで来ているのだと、わたしにもわかった。


「マックスが死んだ時に……仕方ないと思ったわ。マックスはああいう子だから。目の前の弱い者を守らないではいられない。でも……最後に残ったのがエルシーじゃなければ……男のビリーなら、わたくしでも守れたかもしれない。でも、女のエルシーは、わたくしには守り切れない。きっとまた、ローズの二の舞になる。それだけは……最後に残ったエルシーだけはと……」


 ……わたしは、祖母が久しぶりに、わたしをエルシーと呼んだことに気づいた。

 城(カッスル)を出てからは、一度も呼ばなかった愛称を。

 

「おばあ様、確かに僕は約束を破った。でも、僕はエルシーを愛してる! おばあ様! 必ず守ってみせるから!」


 殿下が祖母に縋るように言って、わたしはようやく思い出す。


 リジー・オーランド。

 祖母の、遠縁の娘だったローズの息子。ほんの数ヶ月、城に滞在した少年。あの頃はもっと背も低く痩せていた。黒い髪はゴワゴワの癖っ毛で、鼻の頭にそばかすまで浮いて、弱々しくて自信なさげな男の子だった。……今の殿下からは想像もできない、頼りなげな、でも優しかった彼。


 祖母は痩せた瞼を伏せ、ゆっくりと首を振る。


「じゃあどうして、エルシーをローズの二の舞にしたの。公爵令嬢との結婚は前から決まっていたのに。お前は――結局、お前のしたことは、お前の父親と同じ。王家の権力と財力を使って、エルシーを汚して辱めた。……わたくしの、大事なエルシーを」


 祖母は微かに目を開けて、殿下を見つめる。


「それは……僕はエルシーを愛していて……だから……」

「お前は確かに力をつけた。戦争の英雄になって、国を守った。……でも、その力でエルシーに、神様の許さない関係を強いた。……わたくしの、治療費と引き換えに……」

「お(・)ば(・)あ(・)様(・)、違う、僕は――」

「……ああ神様……ローズを……エルシーを……お許し、ください……」


 おばあ様は目を閉じ、すうっと意識を失っていく。


「おばあ様!」

「……おばあ様、絶対に、守るから……僕が……おばあ様!」


 殿下と二人で必死に呼びかけたけれど、祖母はそれきり、呼びかけには応えてくれなかった。

 殿下が医師(ドクター)を呼びにいき、わたしはおばあ様の枕元に膝をつき、その痩せた顔を見つめる。


「おばあ様……」


 わたしが、いけなかったの?

 わたしは――どうしたらよかったの?


 殿下の、ものになっては、いけなかったの――?



 

 医師(ドクター)と看護婦と、そして告解の牧師様が入ってくる。

 

 医師が祖母に呼び掛け、祖母がうっすらと目を開ける。白い髭の聖職者が祖母の耳元で祈りを捧げると、祖母はわずかに頷いたようだった。


「……エルシー……」


 それが、祖母の最後の言葉だった。



 祖母が死んだ。


 わたしは、一人になった。

 もう、働く必要も、殿下の愛人をする必要もない。


 罰が、当たったのだ。

 

 婚約者のいる人と寝て、お金のために身体を明け渡した。


 ――神罰は本当に下るのよ。


 祖母の言葉は、祖母の死によって真実になった。わたしは祖母を助けたくて罪を犯した。神様の許さない関係を持った代償は、祖母の命だった。


 わたしは、何て罪深い――。




『エルシー、ああ、この絵の本物は僕は見たことがあるよ。エル・グランの最後の審判だ』

『さいごの、しんぱん?』

『そう、人が死んで、神様から罪の重さを判定されるんだよ。罪があれば地獄へ。なければ、天国へ。天井いっぱい、この絵が描かれていて、すごかった。首が痛くなるよ――いつか、エルシーが王都に来たら、一緒に見に行こう。ワーズワース侯爵……知り合いのお邸だから。』


 また、あの夢。

 城(カッスル)の、かび臭い図書室(ライブラリー)。わたしを膝に乗せて画集を捲るのは――。


『リジー、その絵、怖い』 

『大丈夫、ただの絵だよ』


 ランプの淡い光に照らされた、リジーの金色の瞳が揺れる。

 少し、癖があって、ごわごわした黒い髪。まだ十代の半ばの、少年だったリジー。


 ほんの数か月、城(カッスル)に滞在して……おばあ様の、親戚だって言ってた。


 おばあ様の遠縁の――ローズの、息子。でも、それはあまり言ってはいけないって。


 窓の外に青白い稲妻が走る。

 

 ゴロゴロゴロ……ピシャーン!


『リジー、怖い……』

『大丈夫だよ、エルシー』


 リジーがわたしを抱きしめて、髪にキスをする。何度も、何度も。


『大丈夫だよ、エルシー……怖くないよ、僕のお姫様、ずっと、側にいるから――』





『え、その絵? 欲しいの? ……あげるけど』 

『いいの? ほんと? 大事にする。……ずっと、暖炉の上に飾るの』

『うーん……あんまり上手い絵じゃあないけど……』


 おばあ様の執事だったジョンソンに強請って立派な額に入れて、子供部屋の暖炉の上に飾った時、リジーは少し照れ臭そうにしていたっけ。


『本当にずっと飾るの? 飽きない?』

『飽きないよ、大好きだもの』


 リジーも、リジーの描いた絵も――。





 黄色く色づいた楓並木、遠ざかる馬車をわたしが追いかけて――。


『リジー!』


 馬車の後ろの窓から、わたしに気づいたリジーが馬車を止めて降りてくる。駆け続けに駆けて、その腕に飛び込む。


『いや、行かないで! ずっと側にいるって言ったのに! 嘘つき!』

『エルシー……ごめん……』


 しゃがみこんだ彼の首筋に縋りつき、泣きじゃくるわたしを、リジーがぎゅっと抱きしめる。リジーの金色の瞳も、涙で濡れていた。


『エルシー、リジーは学校に行かなければならないんだ。いつまでもお前と遊んではいられない。……人は皆、大人になるのだから』


 続いて馬車から降りた父が、わたしを窘める。でも――。


『ごめん、エルシー、ごめん……』


 リジーが、わたしの耳元に囁く。


『必ず、また会いに来る。きっと――』


 黄色い楓並木に立ち尽くし、馬車が見えなくなるまで見送って――。

 青い空と黄色い楓の並木は、そのせいで、わたしをいつも哀しい気持ちにさせる。


 おばあ様が、リジーの話をするのを禁じて、破ったらひどくお怒りになった。

 だから、わたしも、弟も、だんだんとリジーのことは忘れていった。

 彼と過ごした日々のことも。

 荒れ地(ムア)に子馬で出かけた日のことも。

 図書室(ライブラリー)で画集を見た夜も。

 画廊(ロングギャラリー)でかけっこをして、叱られた雨の午後も。

 薔薇園(ローズ・ガーデン)で、彼の絵のモデルになったことも。

 あの薔薇園の絵が、彼の残した唯一の、思い出の品だということも。

 何もかも。



 ずっと、忘れたままでいれば、よかったのかもしれない。

 祖母のいいつけを破ったわたしには神罰が下り、一人ぼっちになった。


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