41、城跡
朝食後、わたしと殿下は馬車で、郊外の殿下の邸に向かう。
「オーランド邸って言う、しょぼい邸だ。……父上からもらって、普段はそこに住んでいるが、少し不便なところにあるから」
殿下はグレイの三つ揃い。わたしはスモーキーピンクのツー・ピース。……いつの間にか、殿下がミス・リーンに注文していたものだ。
王都の西側は、なだらかな丘陵地に田園が広がる。
「ほら、見えてきた。あの白い建物だ」
殿下がわたしの背後から指差す。……全然、しょぼくないけど。白亜の立派な建物だった。
「もっと早く連れてきたかったけど、なかなかチャンスがなかった」
「……自動車は、殿下が運転なさるの?」
「他に誰がする」
「いえ……ちょっと怖いと思って」
「俺は運転が得意なんだ。戦地では戦車や飛行機も操縦したことある」
馬車はオーランド邸の門をくぐり、車寄せの前で停まる。かっちりと正装した白髪の老人が出迎えて、馬車のドアを開けてくれた。
「お帰りなさいませ、殿下」
「ああ。――こちらが話していたミス・アシュバートンだ。自動車の準備はできているか」
「はい。お弁当も準備させていただきました」
老人はわたしに向かっても丁寧に頭を下げた。
「この邸の執事のヴァルターと申します。以後お見知りおきを」
「エルスペス・アシュバートンです。お世話になります」
ヴァルタ―さんはわたしをじっと見て、表情を緩める。……愛人としては合格、ってところなのかしら。
「例の方からのお電話も入っておりますが」
殿下が不愉快そうに顔を歪め、手を振った。
「無視しろ。俺はもう、あの女のことなど考えたくない」
殿下の怒りが復活したらしく、イライラと足踏みをし始める。
「お車はあちらに。すぐに出発なさいますか?」
「ああ、そうしてくれ」
すでに車寄せには、鼻先の長い、つやつや光るグレイの車体が停まっていた。
従僕らしき人が弁当のバスケットと、筒状に丸めたブランケットを後部座席に積み込む。
箱馬車にしか乗ったことのないわたしは、運転席の隣も、何もかも初めてだ。
「行ってらっしゃいませ」
深く頭を下げるヴァルターさんに見送られ、殿下がハンドルを切り、ロータリーを回って屋敷を出た。
殿下はなるほど、スピード狂らしく、ぐんぐんスピードを上げていく。風が顔に吹き付け、周りの風景がどんどんと後ろに飛んで行く。
馬車では体験したことのないスピードに、わたしは恐ろしくて身を縮めていた。
秋の風は冷たく、わたしは持ってきたショールを思わず掻き合わせる。
突然、殿下が叫ぶ。
「エルシー、伏せろ!」
「ええ?」
わたしが座席で頭を下げると、誰かが投げ捨てたらしい新聞がバサッと飛んできて、殿下が腕で払いのける。背後に飛んでいくそれを見送って、わたしがホッと息をつくと、殿下が横目にわたしを見て言った。
「大丈夫だったか?」
「は、はい……何とか」
「……ったく、あっぶねーな!」
殿下は呟くと、わたしがスピードにおののいている様子を見て、少しスピードを緩めてくれた。
「……悪かった。ちょっと、くさくさしていて……」
「いえ……」
わたしは後ろを振り返る。なだらかにいくつも丘を越える道、わたしたちの車の後ろには、誰もいなかった。
「護衛の方たちは着いてこれますの?」
「何とかするさ、それが仕事だからな。それに、行先はわかってる。……あの城跡だから」
遠くの丘に、崩れた城壁のシルエットが見えてきた。
さらになだらかに続く丘陵地を越えていくと、前方を羊の群れが横切る。
「羊が!」
「大丈夫だ、轢いたりしない」
殿下はブレーキを踏んで、羊の群れをやり過ごす。メェー、メェーと羊の鳴き声とベルの音が鳴り響き、牧羊犬が羊を誘導して吠える声がした。遠くに教会の尖塔が聳え、青空に白い雲が流れる。
――王都に来て三年。こんなひろびろとした風景の中にいるのは、久しぶりかもしれない。
それからかなり走って、ようやく崩れた大昔の城壁跡の麓にやってきた。
殿下が車を止め、言った。
「むかーしの、戦争の跡地だ。五百年くらい前かな。王位をめぐって争ったんだ」
殿下が紙巻煙草を取り出して火を点け、咥え煙草で車から降り、わたしの座る側の扉を開けてくれた。
少し小高くなった場所から、周囲の村や森や田畑が見下ろし、わたしは深呼吸をして、空気をいっぱいに吸い込む。
「王都の空気と全然違う!」
「気に入ったか」
「リンドホルムは周りじゅうが荒れ地に囲まれていて……よく、自分の子馬で出かけました。こんな綺麗な芝生ではなくて、もっと殺伐とした雰囲気でしたけど」
「……そうだな」
適当に返事をする殿下に、わたしが唇を尖らせる。
「ストラスシャーの荒れ地に行ったこともないくせに。調子のいい」
殿下が煙草を咥え、肩を竦める。
「そら、有名だからな」
わたしは話を変えた。
「護衛の方は大丈夫なんですか」
「護衛はいる。……ほら、あそこ」
そう言って、殿下は煙草を挟んだ左手で、少し下の方の道を指した。――確かに、一台の目立たない馬車が停まっていた。
ヴァルターさんが準備してくれたバスケットを殿下が後部座席から持ち上げ、わたしは丸めたブランケットを抱えて、二人で丘を登る。風は涼しいけれど日差しはまだ強い。適度に日影になった場所を選び、ブランケットを敷いて腰を下ろした。
バスケットの中身はコールドチキンとチーズが二種類、丸いパンと、チョコレート・マフィン、そして魔法瓶に入った紅茶。殿下はポケットからナイフを出すと、手際よくパンを切っていく。ついでにチキンも切り分け、パンに乗っけてわたしに差し出した。
「……いただきます。手際がいいのですね。王子様のくせに」
「軍隊に居ればこんなもんだ。塹壕に籠ったこともあるからな」
わたしは紅茶をカップに注ぎ、「お砂糖は?」と尋ねる。
「いらない。チョコレート・マフィンも俺はいらないからエルシーが食べればいい。好物だろう?」
殿下はそう言って、自分はチキンを挟んだパンにかじりつく。
不意に、既視感に襲われて、わたしが考え込む。
草の上の昼食。青空の下で、以前も同じような会話をしたことがある。
「どうした、エルシー」
ハッとして顔をあげ、首を振って殿下にカップとソーサーを差し出した。
「いいえ、何でもありません。その……護衛の方はよろしいの?」
「護衛用の昼食はジュリアンが準備していた。護衛の心配はいいから、俺のことだけ考えていろ」
殿下に窘められ、わたしが軽く肩を竦める。
「……俺は嫉妬深い方だ。俺の前で他の男のことを考えるな」
殿下の嫉妬深さは、ハートネル中尉の件で思い知らされている。チョコレートマフィンを食べていると、殿下が言った。
「エルシー、俺はお前と結婚する。そう、父上にも宣言した」
「……わたしの了解も取らずに、勝手すぎます」
わたしが軽く睨めば、殿下は気まずそうに視線を逸らし、チキンを挟んだパンにかぶりつく。
「でも現実問題、無理だと思います。国王陛下と議会の承認が出てしまった。もう、覆せないでしょう。覆した上で、さらに平民のわたしと……無理ですよ」
殿下の意志とは関わりなく、婚約は正式に決まったも同然だ。
だが、もぐもぐとパンを飲み込んで、殿下が言う。
「お前は伯爵の娘だろう。本来なら、俺に問題なく嫁げる身分だったのに。代襲相続の勅許が降りなかったのも不自然だ。何か裏があったんじゃないかと、俺は疑っている」
「裏?」
わたしが殿下の顔をじっと見る。わたしの問いには応えず、紅茶を啜ると、殿下はソーサーにカップを戻し、視線をそこに当てたまま、言った。
「今は、まだ、詳しくは言えない。すべてが繋がっているかは、俺もまだわからないが、お前とお前の祖母のここ数年の苦境は、多分、俺と関係がある」
ちょうど、秋雲の浮かぶ青空を、鳶が優雅に舞っていた。
「……もし、結婚する理由が父の死に対する贖罪なのでしたら、わたしは――」
「違う!」
殿下は即座に否定し、わたしをまっすぐに見つめて言った。
「結婚したいのは、お前が好きだからだ。俺は罪悪感で結婚相手を決めたりはしない。俺はお前がいい。お前以外とは結婚したくない。……お前は俺のことは別に好きじゃないかもしれないが」
「……好きじゃないってことは、ないです。ただ……」
「ただ、……なんだ? 身分のことは言うなよ? さっきも言ったように、本来なら第三王子の妃になるのに問題のない生まれのはずだ」
それから、殿下は続けて言った。
「今回のことで、俺は王家にほとほと愛想が尽きた。王家にとって必要なのは何でも言うことを聞く人形のような王子様で、俺の意志も気持ちもどうでもいいってことだ。もし、ステファニーとの結婚を強制するようなら、俺は王位継承権も全部捨てて、国外に亡命してやる。その時は、着いてきて欲しい」
「……亡命? 殿下が?」
「俺は国を捨てても、お前と結婚したい。何、金ならあるんだ。戦争前に投資した航空機と電力企業の株が大当たり! ちゃんと外国の銀行に預けてあるから、たとえ共産革命が起きても、俺の資産は大丈夫! 一生、贅沢させてやるし、おばあ様の入院だって、五十回分は楽勝でいける!」
「そんなに何度も入院しませんよ!」
熱っぽい瞳で見つめられて、わたしはさらに混乱した。
「……エルシー。結婚してくれるよな? いやだと言うなら、力ずくで攫うぞ?」
わたしは息を詰めて、殿下の金色の瞳を見返す。
「それは……おばあ様のお許しがないと……」
「また、おばあ様か……」
殿下は眉を顰めたけれど、すぐに笑って、わたしの髪を一房すくいあげてキスをした。
「じゃあ帰ったら、一緒におばあ様にお許しを貰いに行こう」




