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35、まちぶせ

「突然申し訳ありません。レディ・ステファニーとそのご友人が、あなたにお話があるとおっしゃっています。すぐそこの、カフェーまでご足労いただきたいの」


 慇懃(いんぎん)だけど有無を言わさぬ調子で言われて、わたしは少しばかりカチンときた。


「申し訳ないけど……事前の約束(アポイントメント)のないお誘いは、お断りしなさいと祖母からきつく言われておりますの。日を改めてくださいな」


 断られると思っていなかったのだろう、ご婦人はカッと顔を赤らめるが、わたしの言っていることは間違っていないと思う。


「わたくしの顔を立てて、お越しいただきたいの。……あなたを連れて来るように言われていて……」


 付き添い婦人が目を伏せる。この人も立場が弱いのだろう。


「……レディ・ステファニーの、ご友人とはどなた? 」

「シュタイナー伯爵令嬢と、ご婚約者のアイザック・グレンジャー卿です。アイザック卿はギルフォード侯爵の嫡男で……」

「知らない男性と同席するのは困るわ。お断りしてくださる?」


 事前の約束もなく、家の前で待ち伏せしてカフェーに連れ込むなんて、非常識極まる。……たぶん、わたしのことをその辺りの売春婦か何かと同じように考えているんだろう。でも、たとえわたしが街角の売春婦だったとしても、礼儀を無視した扱いをしていいわけじゃない。


「お願いです、一緒に来ていただかないとわたくしがお嬢様に叱られます!」


 ご婦人がわたしの手を取らんばかりだが、わたしはその手をすいと引いた。


「あなたはレコンフィールド公爵家からお給金をいただいているんでしょ? だったら諦めて叱られるしかないわ。わたしがあなたの犠牲になる義理はなくってよ?」

「そんな……っ」


 なおも取り縋ろうと彼女が手を伸ばした時、すっと大きな体がわたしの前に立った。――殿下の護衛の、ラルフ・シモンズ大尉だった。さらにもう一人、ジョナサン・カーティス大尉が背後に立っていた。


「この女性に何か御用ですか」 

「えっと……その……」 


 シモンズ大尉は大柄な、いかにも武闘派という風貌の人で、カーティス大尉も態度は貴族的ながら、戦場で鍛えた立派な体格をしている。二人の軍人に睨まれて、ご婦人はすっかり委縮してしまった。


「御用がないようでしたら――」


 貴族出のカーティス大尉が穏やかに声をかけたところに、少し離れた場所から声がかかる。


「待ちたまえ君、彼女に用があるのは僕たちだ――ジョナサン、君が護衛についているってことは、つまり――」

 

 フロックコートの長い裾を翻しながら、足早に近寄ってくる青年が、カーティス大尉に話かけ、儀礼的に山高帽(ポーラーハット)を一瞬だけ持ち上げた。しかしカーティス大尉は警戒を緩めずに言う。


「――彼女はアルバート殿下に仕える秘書官です。若い女性の安全に気を配るのは当然と思いますが」

「僕は彼女に――ミス・アシュバートンに話があるんだ」

「事前の約束(アポイントメント)もなく?」

「連絡の取りようがなかったんだから、しょうがないだろう!」

「だからって、殿下の所有するアパートメントの前で待ち伏せとは……このことは上に報告させていただきます」


 ジョナサン・カーティス大尉が冷静に言えば、フロックコートを着た青年が、気まずそうに言った。


「それは……たしかに紳士にあるまじき振る舞いかもしれないが、しかし、殿下のなさりようだって……!」


 言い争いを始めた二人に、わたしが言った。


「……わたし、そろそろ戻らせていただくわ。お話しがあるなら、アルバート殿下を通してください。街角で声をかけて、どこでも連れ込める女だと思っておられたようですけど」

「違うのかい? ……ずいぶんいろいろ、殿下に買わせているみたいだけど」

「アイザック! 失礼だぞ!」


 いかにも馬鹿にしたような青年の物言いに、ジョナサン・カーティス大尉が口調を荒げる。

 ――つまり、これがアイザック・グレンジャーなのだろうと、わたしは見当をつけた。ステファニー嬢の友人であるシュタイナー伯爵令嬢の、婚約者。


「……あなたは婚約者のご令嬢に、何も贈り物はなさらないの?」


 わたしの問いかけに、アイザック・グレンジャーがムッとしたような表情で言い返した。


「な! 僕の婚約者は仮にも伯爵家のご令嬢だ。君のような女と一緒には――」

「わたしの父も伯爵でしたわ。……もう故人で、爵位は遠縁の者に移りましたけれど。あなたの婚約者のご令嬢は、まだお父親が生きていらっしゃるのね。同じ伯爵家ですけれど、違いがあるといったらそこかしら?」


 アイザック・グレンジャーはわたしの名は知っていたが、わたしの父が故リンドホルム伯爵とまでは聞いていなかったらしい。ハッとして目を見開いた様子を、間抜けだなと思いながら、なおも言った。


「きみが貴族出身だって?! 貴族ならなおさら、ステファニー嬢と殿下のことを知っていたはずだ! 彼女の気持ちを考えたら、こんなやり方――」

「アイザック、いい加減にしないか!」


 ジョナサン・カーティス大尉が厳しい調子で咎め、ラルフ・シモンズ大尉はわたしを庇うように前に出る。

 アイザック・グレンジャーはよほど腹に据えかねているのか、なんとカーティス大尉にまで食ってかかった。


「ジョナサン、僕は君にも幻滅している。仮にも貴族出身の君が、殿下の命令とはいえ、こんな愛人の護衛に甘んじるなんて。貴族の矜持はどこにいったんだ!」


 その言葉に、カーティス大尉の顔が怒りに歪み、聞いたこともないくらい、声が低く冷たくなった。

 ――わたしの見る限り、カーティス大尉という人はめったに顔色を変えることも、声を荒らげることもなく平常心で、貴族の中の貴族というか、本物の紳士だった。その彼が、怒りを押し殺したような声で言い放った。


「前言を撤回したまえ、アイザック・グレンジャー。僕は殿下から愛(・)人(・)の護衛など命じられていない。ミス・アシュバートンは殿下の大切な恋(・)人(・)だ。そう言ってご命令を受けている」

「つまり殿下はステファニーを捨てるのか? 戦争前はあんなに仲睦まじくしていたのに。四年間も間っていた彼女を! こんな女のために! 君だって見ていたじゃないか!」


 唾を飛ばさんばかりに熱弁するグレンジャーに対し、カーティス大尉は言った。


「身近に見ていたからこそ言うけれど、殿下はもともと、レディ・ステファニーのことはたいして好きではなかったと思うな。シュタイナー伯爵令嬢や君とのダブルデートも、常に退屈そうだったからね。……で、それが何か問題が? アルバート殿下とレディ・ステファニーはもともと婚約者でもない。殿下には自由な恋愛の権利がある」

「なんだと!? だからってこ(・)ん(・)な(・)女(・)と――」


激昂するアイザック・グレンジャーの姿を、シモンズ大尉の大きな背中の影から見て、わたしは肩を竦めた。


「こ(・)ん(・)な(・)女(・)を選んだのは殿下ですもの。わたしから近づいたわけじゃないわ。あなたこそ、わたしの立場に立って考えてみたことがおありにあって? ……ないわよね? わたしの父が何者で、何故、殿下がわたしを秘書官に登用したのか、調べてすらいないんだもの」

「父親……?」

「わたしの父はストラスシャーのリンドホルム伯爵だった、マクシミリアン・アシュバートン中佐です。殿下の護衛として出征し、シャルローで戦死いたしました」


 わたしが父の名を出せば、アイザック・グレンジャーは灰色の目を瞠る。


「シャルローで?……戦死? だが――」


 茫然と立ちつくすアイザック・グレンジャーを後目(しりめ)に、ジョナサン・カーティス大尉が囁く。


「エレベーターを待たせています。中に入りましょう」

「ええ」

「待ってくれ君は――」


 わたしが踵を返した後ろ姿に、なおも食い下がろうとするアイザック・グレンジャーに対し、わたしは肩越しに振り返って言った。


「約束(アポイントメント)の無い方とはお会いいたしません。……祖母の教えですの。ごめんくださいませ」


 わたしがカーティス大尉に守られるようにアパートメントの正面玄関に入ると、背後でラルフ・シモンズ大尉のドスの効いた声が聞こえた。


「今日のこのことについて、殿下から厳重に抗議が行くと思いますよ。……もちろん、レコンフィールド公爵家にもね」

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