20、祖母の入院
ロベルトさんとウィルキンス先生、そしてメアリーに付き添われて、祖母は王家の馬車で王立診療所へと向かうことになった。
あまりの急展開に、脳がついていかない。
もとは、大きな発作を起こす前に王立診療所で診察を受けてもらいたいと、祖母を説得に来たはずなのに。
祖母の状態はかなり悪いらしく、ジョンソンとロベルトさんが両側から抱きかかえるようにして馬車に乗せる。おばあ様は意識も朦朧としているのか、それが王家の紋章付きの馬車だとさえ、気づいていない。
アルバート殿下は馬車の扉の脇について、おばあ様が馬車に乗るのを補助し、自ら扉を閉める。
その様子に、ジョンソンが恐縮のあまりか、殿下をジロジロ見てしまっている。
――たしかに、仮にも第三王子殿下が病人を移送するために馬車を譲ってくださるなんて、普通はあり得ない。
殿下は横暴なところもあるけれど、身分にあぐらをかいて偉ぶったりはしない。
それは間違いなく殿下の美徳で、殿下に命じられる業務自体が嫌ではないのは、たぶん、普段の真面目で気さくな部分を見ているからだと思う。
そう、殿下は悪い人ではないし、もちろん、嫌いではない。
ただ――問題は、殿下が王子殿下であることだ。身分差はどうしたって越えることはできないのだから。
王家の馬車を見送ると、殿下の護衛の一人が馬車を呼びに行って戻ってくるまで、殿下はこのみすぼらしい家に待機することになった。
ジョンソンは万一の入院に備え、必要な荷物を纏めるために家じゅうを駆け回っていて、殿下のおもてなしはわたしの仕事ということだ。
名ばかりの応接室はソファーに白いカバーをかけたままで、とても王子殿下に寛いでいただける状態ではなかった。
背の高い殿下はわたしの背後から内部の状況を見てしまったのだろう。
「気にするな、俺はどこでも大丈夫だ。――塹壕の中で膝まで泥水に浸かったこともある。地面に座るのも平気だ」
「いくら何でも、うちはそこまでひどくありません!」
ムッとして言い返すわたしに、殿下が笑いながら言う。
「じゃあ、食堂で構わない。食堂なら椅子はあるだろう」
結局、わたしは食堂に殿下と護衛の方三人を案内した。食堂は厨房に近いから、すぐにお湯を沸かすこともでき、わたしは手早くお茶の準備をして、お茶セットを乗せた盆を持って食堂に戻る。
護衛の方が部屋の隅に二人、立ったままでいた。
「あ、お座りください。こんな狭い部屋ですが――」
「殿下が立っておられるのに、我々が座るわけに参りません」
そう言ったのは、いつも司令部でもアルバート殿下についてる、明るい褐色の髪に、碧色の瞳の将校だった。たしか、名前はジョナサン・カーティス大尉。
殿下の護衛の方はロベルトさんのような下町育ちもいる一方、非常に育ちのよさそうな貴族的な人もいる。
どこで見分けるのかと言えば、身のこなしもだけれど、何よりも発音だ。
カーティス大尉は非の打ちどころのない明瞭な標準発音で、一発で貴族だとわかる。なんでも伯爵家の嫡男だそうで。
そんな方を立たせたままでいるのも申し訳なくて、わたしはまずは殿下にお座りいただかなくてはと、殿下の姿を探した。
殿下は暖炉の前に立って、壁の絵を見ていた。
「アルバート殿下、お茶をお持ちしました。――こんな小さな部屋ですみません。どうぞお座りください」
「この絵は――」
殿下は、あの薔薇園の絵から目を逸らさずに尋ねてきて、わたしは急に恥ずかしくなって顔に熱が上ってくる。
「それは、故郷の家から持ってきた絵で――城の絵画の所蔵目録にも載っていない、おそらくは素人の作品なんです。美術的にも財産的にも価値はないから、持ち出すことができたんです。誰が描いたのかもわからないんですけど……」
城にはたくさんの価値ある絵画があったが、それらは全て代々の伯爵の財産の一部なので、持ってくることは許されなかった。
殿下はしばらくその絵を見ておられたが、わたしがお茶を淹れていると椅子に座り、護衛たちにも座るように言う。
「お前たちも飲め。すぐに迎えは来るだろう」
殿下と護衛の方たちがお茶を飲んでいると、トランクを持ってジョンソンが食堂に入ってきた。
「お嬢様にお茶を淹れさせるなんて、申し訳ございません」
「いいの、それくらいは――」
ジョンソンはやはり殿下の顔をしげしげと見ては、しきりに首を傾げている。
「どうした、俺の顔に何かついているか?」
「いえ、何でもございません」
ジョンソンが慌てて頭を下げる。
「お嬢様をお連れいただき、ありがとうございます。使いをだすべきか、迷っておりました。また馬車も――おかげで、奥様を早く病院にお連れすることができました」
ジョンソンが礼を言えば、殿下が鷹揚に言った。
「そのことだが――あの様子ではおそらく、入院することになるだろう。そこで相談なんだが、いっそ王立診療所じゃなくて、少し郊外になるが、王立の療養院に入院したらどうかと思うんだ」
「……療養院でございますか?」
ジョンソンが怪訝そうに言う。
「実は、それも考慮に入れて、ずっと交渉をさせていたんだ。療養院のコーネル医師は信頼のできる医者だし、何より環境もいい。ちょうど、王族に優先権のある特別ヴィラの一つが空いたというからそこを押さえてある。そのこともあって、早く老婦人に説得しろと、ロベルトにもせっつかれていて……」
「……王族用の特別ヴィラ、でございますか……」
「ああ。一棟ごと占有できて、メイドや執事も泊り込めるようになっている。長期療養が多いから、なかなか空かなくて。運がよかった」
わたしとジョンソンは思わず顔を見合わせる。
ジョンソンは何でもないような表情を作ってはいたが、ちらりとわたしを見た目には、明確な懸念があった。
祖母を豪華な王族専用ヴィラに入院させるような金が、この家にあるわけないからだ。
「その――お恥ずかしい話ですが、その場合、入院費用はいかほどに――」
殿下はわたしの問いに、安心させるように微笑む。
「費用については心配しなくていいと言っただろう」
「そういうわけにも――」
王族専用の特別病棟なんて、きっと目の玉が飛び出るようなお金がかかるに違いない。その費用を殿下に出していただくということは――。
わたしの背中に冷たい汗が流れる。
「費用は気にするな。レディ・アシュバートンは俺の恩人の母親だ。俺が出す」
「でも――」
「心臓がかなり悪いようだし、入院してゆっくり治した方がいい。俺の押さえたヴィラなら、メイドや執事を連れて行くことができる」
「執事も……でございますか?」
ジョンソンの眉がピクリと動いた。ジョンソンは何も口にしないが、彼までが祖母に付き添えば、わたしが一人きりになってしまう。
「レディ・アシュバートンはメイドと執事に頼り切りだったんだろう? 入院後も今までの環境を変えない方がいい」
殿下はあっさり言うけれど、費用のことを考えるとわたしは胃がキリキリして立っていられなくなった。
それに――
なんだろう、この違和感は。
本来ならば、今日はおばあ様に診察を勧めるだけのはずだった。
たまたまおばあ様が大きな発作を起こし、王家の馬車で王立診療所に運んでもらえた。それは、ありがたい。
でも、殿下はすでに王立療養院に根回ししていて――
「お嬢様、大丈夫でございますか?」
ジョンソンが椅子を引いてわたしを座らせ、その様子に殿下が眉を顰める。
「費用のことは気にしなくていいと言っているだろう」
「そんなわけにはまいりません!」
わたしが思わず語気を荒らげてしまい、ハッとして口を押える。
「その、殿下のお気持ちはありがたいのですが、祖母は――」
わたしは目を伏せる。祖母は、王家に対してかなりの不信感を抱いている。何より、爵位や領地を失い、城から追い出されたのは、間接的には王家のせいだとすら、思っている。その祖母が、殿下の援助を素直に受けるだろうか。
「俺はマックスに恩がある。俺がもっと気をつけていれば、こんなことになっていなかったかもしれない。お前の祖母は俺の援助など受けたがらないかもしれない。それでも、あの気位の高いおばあ様を、一般病棟の大部屋に放り込んでみろ、病室で暴れて一気に病状が悪化するに違いない。幸いというか、費用の出どころを気にするタイプでもないだろう? いいから黙って俺の言うとおりにしておけ。金は俺が出す」
殿下がそう言い切ったところで玄関の呼び鈴が鳴り、迎えの馬車が来たことを告げた。




