70、天の網
「びっくりしたわ。まさか、わざわざ、外国からリングボーイを呼びつけるなんて」
式の後のガーデンパーティで、庭園の四阿に作られた新郎・新婦席でわたしが言えば、発泡ワインのフルートグラスを片手に、殿下が言った。
「わざわざ……というか。あんな子供が寒空にずっと汽車を待ってるなんて、どういう親か気になるじゃないか。俺がやった金貨が、悪徳親父に搾取されても業腹だし。で、調べてみたら、父親は大工だったけど足を怪我して、母親は病気で内職仕事しかできない。工芸品としての出来は悪くないし、もうちょっとマトモな商売になるよう援助をして、ついでに、母親にはちゃんとした医療を、息子には教育を受けさせるために、こっちに呼んだんだよ」
幸い、母親の病気は重いものではなかったので、結婚式が終われば母と妹は故郷に戻り、息子だけはランデルの学校に入れる奨学金を出すことにしたのだと。
なるほど、とわたしは庭園の客たちを見回し、ある家族を発見して立ち上がる。
「あの、老姉妹ですわ! 挨拶しなくっちゃ!」
「待て待て、俺も行くから」
わたしたちが二人で手をつないで四阿を出れば、首輪に花を飾ってもらったユールが「きゃん、きゃん」と駆け込んでくる。
「ああ、ユール、ちょっと待ってね?」
ふんふんと尻尾を振って纏わりついてくるユールを、王女様たちが追っかけまわしている。子供には身分の差なんて関係ないのだろう、アグネスも、山の中の駅の兄妹も一緒になって駆けっこしている。追い回されて、ユールが逃げてきた格好だ。
「この子、あまり慣れていないのよ、少し加減してあげて?」
一番、聞き分けのよさそうな少年にユールを託し、わたしは老姉妹に声をかける。
「ミス・アラン、ミセス・リーガル! 戻っていらっしゃったのですね!」
「ええ、そうよ、エルスペス嬢! すっかり元気になってね!」
破顔するミス・アランに、ミセス・リーガルが皮肉っぽく返す。
「嘘よ、そんなに都合よく治るわけないでしょ! なぜか息子夫婦まで招待されているから!」
ミセス・リーガルの隣で、料理を食べていたリーガル氏が肩を竦める。リーガル氏はベルフォード子爵というれっきとした爵位貴族で、別に役人をする必要はないらしいのだが、根っからの法律文書好きが高じて、相変わらず資料調査室に籠っているらしい。
「でも、お元気そうだわ! よかった! お会いしたいと思っていたの!」
「わたくしもよ! お二人のロマンスがどうなったのか、知るまでは死ねないわ!」
「あらいやだわ、この人ったら。野次馬根性で生きる気力を取り戻すなんて。淑女失格じゃないこと?」
おっとりしたミス・エミリーと、皮肉屋のミセス・アナベルの掛け合いは絶妙で、わたしは思わず吹き出してしまった。
「でも息子がお役に立ててよかったわ。左遷されて窓際ポストに飛ばされたのも、すべて神様の思し召しだったのね」
リーガル氏は皮肉屋の母に似た表情で微笑んだ。
「東洋の言葉に、『天網恢恢、疎にして漏らさず』と言うそうですよ。天の網は一見、粗いように見えても、悪人を漏らすことはない、とそんな意味です。私があのポストにいたのも、そして、母や伯母とエルスペス妃の祖母君が知り合ったのも、すべては天の配剤でしょうかね?」
殿下は給仕を呼んで、皆にワインや果実水を配りながらニヤリと笑った。
「さすが、早耳だな。まだ、新聞記者も入手してない情報じゃないか?」
「私も法務官僚の端くれですから。マックス・アシュバートン卿が特務将校で、その部下を殿下が引き継いだことぐらいは、承知しております」
わたしはその時、二人の会話にはまったく気にも留めず、老姉妹とウェディングドレスや庭の話なんかをしていた。その日は本当に美しい一日で、青空の下、殿下が金にあかせて集めた薔薇の花の香が漂い、上空で雲雀が啼き騒ぎ、子供たちの歓声や、客たちの歓談の声が響き渡っていた。
結婚式の直前に、前レコンフィールド公爵セオドア・グローブナー卿が短銃の暴発事故(一部では自殺とも噂される)で逝去していたのも、前首相のバーソロミュー・ウォルシンガム卿が、領地でのウサギ狩りの最中に、流れ弾に当たって死亡していたのも、わたしは全然、知らなかった。
わたしたち結婚式の後、国王エドワード陛下は正式に、ご譲位の意向を明らかにされた。同日、聖カトリーナ修道院に隠棲中の王妃エレイン陛下が崩御遊ばされた。阿片中毒の苦しみに耐えきれず、頭を自ら壁に打ち付け、血溜まりの中で事切れていたそうだ。
――天の網は、その粗い網目で、罪人を漏らしはしないらしい。




