48、首相の怒り
導き入れられたのは、こぢんまりとした応接室だった。さすが王宮らしい、豪華な家具に装飾。わたしはお上りさんのように天井画を見上げてしまう。
「お連れ致しました」
「お座りください、アルバート殿下。リンドホルム伯爵令嬢も」
低い、よく通る声がして、正面の一人がけソファにウォルシンガム卿が長い脚を組み、葉巻をくゆらせていた。……かなり強い葉巻らしく、キツい香が漂う。
見れば、ステファニー嬢はソファではなく、窓際に佇んでいた。
「エルスペス嬢は葉巻は大丈夫かね? ステファニーは香がキツ過ぎて辛いと言って、窓際に逃げてしまったよ」
「エルスペス嬢と俺と、二人で話したいとは?」
殿下はウォルシンガム卿の正面のソファに座り、わたしを隣に座るように促す。
「……そちらでよろしいの?」
「ここ以外となると……俺の膝の上か?」
「もう、バカ!」
こんな時に言う冗談なの?!
わたしが睨みつければ、対面の一人がけソファに座るウォルシンガム卿が、灰色の目を見開く。
「アルバート殿下がそんな風に冗談をおっしゃるとはね」
「俺だって冗談ぐらい言うさ。……で、話と言うのは?」
「まあ、待ちたまえ、私もブランデーの一杯くらい飲みたい。突然の婚約破棄騒動で、頭に血が上ったからね。……ついでに言えばレコンフィールド公爵は、体調を崩して退出したよ」
「そうですか」
王宮の従僕が男性二人にはブランデーを、わたしとステファニー嬢には貴腐ワインを運んできた。
「まずは、やってくれたよ。……まさかビルツホルンで結婚証書を提出するとはね! 秘密結婚でもするつもりだったのかね?!」
ブランデーを一口飲んだ首相が殿下を睨みつけるが、殿下は軽く肩を竦めただけで、表情も変えずに言った。
「あれは保険だ。議会で承認を取られたような、あんなヘマはしない。俺の知らないうちに勝手に、ステファニーとの婚姻届けを出されないように、先手を打っただけのこと。もし、勝手に届け出ても、先に結婚していれば、重婚で無効にできる。もちろん、王族の結婚は議会の承認なしには国内では受理されない。でも、ビルツホルンの大使館では書類の精査ができないから、仮受理して本国に転送し、本国では、外国の出先機関で仮受理した婚姻届けは基本、そのまま受理される。本国ではバレても、外国まわりの書類なら、俺の名前に気づく奴は多分いないから、そのまま素通りってわけだ。聖誕節の休暇と、ジョージの死やその他で予想外に時間かかって、気が気じゃなかったけどな」
いつの間にか提出されていた婚姻届け。実を言えば、わたしは内心、ムッとしていた。――そりゃあ、プロポーズには頷いたけれど、婚姻は人生の大事だ。勝手に出すのはひどすぎると思う。
でも、殿下はステファニー嬢との婚姻を強行される可能性を考え、それに対抗するためだったと。
「……ご丁寧にアルティニアの皇太子まで抱き込んで? 下手をすれば外交案件じゃないか!」
「エルシーはアルティニア皇太子の婚約者、グリージャのエヴァンジェリア王女と親しくなった。あの王女は結婚式には俺たちを呼ぶ気満々だ。俺が別の女を連れて行ったら、それこそ国際問題になるぞ?」
殿下は言い、ブランデーを一口飲む。
「婚約解消を受け入れてくれれば、あの書類を使わずに済んだし、あんな場で婚約破棄しなくて済んだ。だが公爵もステファニーも、絶対に婚約解消に同意しないと言い張るから――」
「だって、愛しているんですもの!」
窓際から、突然、ステファニー嬢が叫んだ。モス・グリーンのドレスの裾をからげ、小走りに駆け寄って、言った。
「もう一度、やり直すチャンスをくださいまし! たしかに、わたくしは愚かでしたわ。バーティのお優しさに甘えて、わがままばかり言って。でも――」
ステファニー嬢は顔を上げ、まっすぐに殿下を見る。青い瞳が潤んで、溢れた涙が白い頬を流れ落ちるまま、声を絞り出すように言った。
「本当に愛しているんです。バーティ以外の人なんて考えられないくらい。三年前、バーティの部隊が潰滅して、バーティの生死が数日わからなくなった時、信じられなくて、信じたくなくて、バーティがいない世界で生きていくなんてできないって思い詰めるほど、わたくしはずっと、バーティ、ただ一人だけだったの。お願いです、他は何も――」
「無理だ。俺が愛しているのは、ステファニーじゃないから」
すげなく言い切った殿下に、ウォルシンガム卿が葉巻の煙を吐き出し、言った。
「王子の結婚に愛だの恋だの言う権利があると?」
「じゃあ、ステファニーの恋も諦めさせろ。はっきり言わせてもらうが、そんなにステファニーが好きなら、あんたがステファニーと結婚すればいい」
「なっ……!」
殿下の言葉に、ウォルシンガム卿が組んでいた足を解き、身を乗りだす。
「王子の身分があるとはいえ、あまりの――」
「俺が気づかないと思ってたのか? ウィルシンガム。ステファニーと俺が一緒にいるたびに、無駄に威嚇してきたクセに、いざ婚約を解消すると言い出せば反対する。ふざけんな。俺は昔からステファニーのことなんか、これっぽっちも好きじゃない。あんたとは趣味が違う」
わなわなと震えるウォルシンガム卿。わたしもだが、ステファニー嬢も理解できないという表情だ。
「バーソロミュー伯父様?」
「ウォルシンガム、何度も言うが、俺は継承権など欲しくない。俺に継承権を持たせておきたいのは、あんたと、レコンフィールド公爵の勝手だ。……女児への王位継承が可能になり、兄上の長女のレイチェルが女王になれば、その祖父のエルドリッジ公爵に権力が奪われると思っているのかもしれないが、そんな貴族同士の派閥争いをしているうちに、庶民院に実権を持っていかれるぞ?」
「アルバート殿下! そこまでわかっていて……」
「俺はどちらの派閥に与するつもりもない。女児の継承も、庶民院の伸長も、時代の流れだ。――政略結婚でない、愛のある結婚も、すべて」
殿下の発言に、ウォルシンガム卿は苦い顔で言った。
「……王族の結婚には議会の承認が必要です。それは国法です。勝手な結婚をしたあなたを、議会に喚問します」
殿下は金色の瞳を輝かせて応じた。
「ああ、すべて覚悟の上だ」




