38、王宮からの招待
ダグラスが逮捕され、事件は大きく動いた。
だが、わたしはまだ、リンドホルム城にいる。……相続の問題が片付くまで、離れることができなくなったのだ。
アレックスは学校に、ロベルトさんは王都に戻った。
わたしの相続だけでなく、アルバート殿下と議会の問題も切迫していて、主席秘書官の彼が王都を空けているわけにもいかない。――一応はまだ秘書官だけど、わたしは休職扱いのままだ。何の手伝いもできない自分が情けない。
ロベルトさんと入れ替わりのように、ジェラルド・ブルック中尉がリンドホルムにやってきて、主としてわたしの相続と財産管理の手続きをしてくれている。ジェニングス侯爵の嫡男で、自身、従属爵位であるフィルツ子爵を名乗っている彼にとって、王子の愛人の相続手続きをさせられるなんて、きっと耐えがたい屈辱に違いない。それでなくても、彼はリンドホルムまで、籠に入れたユールを運ばせられたのである。殿下もよりによって、このプライドの高い人に、そんな仕事をさせなくてもいいのに――。
でもブルック中尉のおかげで、わたしは数日ぶりにユールと再会できた。
ジュリアンとハンナは相変わらず側にいてくれるけれど、家族のいないこの城は、わたし一人にはあまりに広すぎて、ユール無しではきっと、寂しくていられなかっただろう。
「きゃん、きゃん!」
窓の外を見ていたユールが、何か見つけたのか甲高く吠える。
「どうしたの、ユール。ここは二階よ? 落ちたら怪我するから、覗き込まないの」
わたしはそう言って、窓際によってユールを抱き上げる。
窓を開ければ、荒野からの湿った風が吹き込んでくる。ユールの体温と、嬉しそうに揺れる尻尾の動きを感じながら、わたしはユールを胸に抱き留めた。
結局のところ、ダグラスもわたしを手に入れたくて、ビリー殺しを計画した。
アーチャーは、わたしに抱いた邪な想いを暴露されたくなくて、ダグラスの計画に協力させられた。
サイラスは息子から焚きつけられ、リンドホルム城と爵位を手に入れる、欲をかいた。
まだまだ冷たい一月の風に、分厚いカーテンが揺れ、わたしの亜麻色の髪も乱れ、わたしはそれを左手で抑える。
薬指のサファイアの指輪が頬に触れて、ヒヤリと冷たい。
ユールの黒い頭に、わたしはそっとキスをする。
リジー。一人は辛い。
ビリーが死んだのは、わたしのせいなの?
この城で、ビリーは皆に愛されていると思っていた。母はビリーしか眼中になくて、わたしは放置され気味だった。――それでも、わたしは身体の弱い弟のビリーを、姉として守りたいと思っていた。
どうして――死んだのがわたしじゃなかったのだろう。
もし、あの時、ビリーが死ななかったら。
わたしも、祖母も、そしてビリーも、今もここで暮らしていたんだろうか。
この、荒野の畔の城で――。
気づけは頬を涙が流れていく。
眼下に広がる荒野を見下ろして、わたしはただ、声もなく泣いた。
一月の末、リンドホルム城で見守っていたわたしの元に、二通の、妙に格式ばった封筒が届いた。
一つは法務省から。
『申請のあった代襲相続について、慣例に基づき、勅許が降りたことをお知らせします――』
二つ目は王宮から。
『二月十日、相続の件につき、国王陛下との謁見を行う。詳細は――』
二月の謁見とは、毎年、すべての有爵者が国王陛下にご挨拶をする恒例行事のこと。新たに相続した者は特別に謁見を賜る。つまり正式に代襲相続をする以上、絶対に行かなければならない。だが――。
『なお、夜には国王陛下主催の舞踏会が開催される――』
わたしは王家の紋章が押された白い便箋を見つめる。
「……舞踏会……」
二月の、国王陛下との謁見のために、わたしは大急ぎで王都に戻ることになった。
アーチャーはいなくなったけれど、スミス夫人もいるし、執事の仕事はジョンソンが立派に引き継いでいる。ジェラルド・ブルック中尉の働きで、相続も滞りなくできそうだ。薔薇園周辺にも手を入れ、庭師を増員し、庭の修繕も始まった。
代襲相続が認められたわたしは、リンドホルム伯爵の法定代理人として、伯爵令嬢と呼ばれる身分を取り戻した。
そのためには国王陛下に謁見する必要があるし、国王主催の王宮舞踏会にも出なければならない。
毎年二月に開かれる王宮舞踏会。伯爵家以上の娘は十七歳になる歳に、ここで社交界にデビューする。わたしも、父が死んだ歳の翌年の二月には、本来なら王宮でデビューするはずだった。……ただ戦争中で、父は戦地に行ったきり。父が死ななくても、二月のデビューは無理だったかもしれない。
それはそれとして、デビューが遅れることもないわけではない。十七歳でデビューできないと、いわゆる貴族の婚活に乗り遅れることになり、結婚には大変、不利にはなる。だがもともと、わたしを王都でデビューさせ、婚活させるつもりなど、祖母にはなかったようだ。……おばあ様が、わたしの結婚をどうするつもりだったのか、今となってはわからないけれど。
というわけで、四月に二十歳になるわたしにとっては、三年遅れのデビューとなるわけだが、問題は誰と行くのか、である。
父も、祖母もいない。父が亡くなって、貴族社会との繋がりも切れてしまった。……いや、今にして思えば、祖母は貴族社会とのつながりを敢えて切るつもりで、リンドホルム城を出て王都に移ったのではないかとさえ、思える。代襲相続が却下された後、祖母は昔からの貴族の知り合いと、全くやり取りをしなくなった。――サイラスが領地経営にしくじったのは、きっとそのせいもある。もしかしたら、祖母なりの、意趣返しだったのかもしれない。
だが、こうして爵位を取り戻してしまうと、非常に困った立場に立たされるわけで……。
王都の貴族社会にほとんど知り合いもいないわたしは、どうしたらいいのか途方に暮れてしまった。
王宮からの招待状を見下ろして、考え込んでしまったわたしを見て、王都に戻るために書類を革のトランクに詰めていたジェラルド・ブルック中尉が、言う。
「どうしたんですか?」
「いえ……その……」
「あなたらしくないですね。王宮に行くのが不安なんですか? 王妃陛下と対等にやり合うくらいの、クソ度胸の持ち主のクセに」
ブルック中尉は潔癖なタイプなので、わたしが、というよりは、王子の《愛人》という存在自体が気に食わないらしく、いちいち受け答えにトゲがある。
「対等にやり合えるならいいですけど、知り合いもおりませんし、全くの敵地に一人で踏み込むわけですから」
わたしが言えば、ブルック中尉が青い目を見開いた。
「ああ、なるほど。ジョナサンは婚約者のシャーロット嬢を、エスコートすることになるでしょうしね。なんなら僕がエスコートしますよ。幸い、相手もいませんから」
「ブルック中尉が?」
「ええ、ロベルトやラルフは爵位がないので、舞踏会には参加できませんからね。護衛の侍従としては控えますけど」
「でも、よろしいの? きっと、あれこれ言われますわよ?」
愛人とか淫売とか……あとなんだったかしら、牝犬とか。
しかしわたしの心配をよそに、ブルック中尉はへらりと微笑んだ。
「僕がアルバート殿下の侍従なのは、貴族社会には知られていますから。仕事なんだなと思われるだけです。むしろ、殿下がエスコートするよりはよっぽどマシですよ。それだけは阻止したいのでね」
殿下には現在、無効を訴えてはいるが、レコンフィールド公爵令嬢という、正式な婚約者がいる。スキャンダルの火に油を注ぐような真似はさせられない、そういうことらしい。
「それよりは衣装ですよ。ローブ・デコルテでないといけないはずですけど、準備が今からでは間に合わないですよね?」
「そんなの、持っていないわ。……母が謁見に着たのが残っているかと思ったけど……」
リンドホルム城内をハンナと家探ししてはみたけれど、金目のものはとっくに売り払われてしまったのか、みつからなかった。
「そんな昔の、あったところで流行遅れもほどがありますよ! 殿下と相談して、最悪、僕の姉かシャーロット嬢かに借りましょう」
「なんだか、ご迷惑ばかり……」
「今更です」
ブルック中尉が肩を竦める。
結局何もかも殿下や周囲の人に頼るしかない自分にうんざりしながら、不安なまま、わたしはユールを抱えて王都行きの列車に乗った。




