39、写真
半月ぶりの王都、街の新聞は、アルバート殿下の結婚問題一色だった。
『幼馴染の公爵令嬢か、爵位を取り戻した伯爵令嬢か?!』
『掠奪愛の行方――ステファニー嬢は今……』
『魔性の女?!――ミス・アシュバートンの半生を追う』
……なんだかすごい見出しが並んでいて、わたしはつい、眉を顰めてしまう。
帰りついたオーランド邸、広い居間にユールがはしゃいで、「きゃん、きゃん」と騒いでいる。
この半月の間に改装され――わたしが新聞記者を中に入れたせいだが――微妙に変わった居間を眺め、コートを脱いで帽子を外していると、殿下が階段を駆け下りてきた。
「エルシー!」
「……リジー!」
アッと言う間もなく抱きしめられ、唇を塞がれる。
「大変だったな……よく、頑張った」
「リジー、わたし、何もしていなくてよ?」
殿下がわたしの顔を至近距離で見て、こつんと額を合わせる。
「本当に、王子に生まれたことをこんなに恨んだことはないぞ? 何もかも捨ててお前の元に走りたかったのに、あれこれあれこれ、制約ばかりで――」
もう一度、唇を塞がれ、わたしも殿下の背中に両手で縋りつく。
――煙草の匂いと、ほんのりコロンの香り。
「……でも一つ、階段を上がった。お前に、リンドホルムを返してやれた」
「ええ……ありがとうございます。ビリーも……」
殿下の腕の中にいるだけで、張りつめていた気持ちがほどけて、涙が零れそうになる。
声を上げて、泣きたい。
奪われたもの。
取り戻したもの。
戻らないもの。
神様――。
わたしは、欲深くて贅沢な人間です。
リンドホルムの城も、薔薇園も取り戻したのに、それでもまだ、リジーが欲しいと思う。
殿下はわたしの耳元に顔を寄せて囁く。
「サロンを改装して、温室風にしたんだ。見てみるか?」
「ええ、ぜひ」
わたしはユールを抱き上げ、殿下に腰を抱かれるようにして、サロンに向かった。サロンがかなり広げられ、一部が温室になり、ガラス張りの天井から光が降り注ぐ。たくさんの緑の鉢植えが並び、天井からも鉢が吊るされて、緑の蔓がいくつも垂れ下がる。その一角がアトリエ風に改装され、明るい光の中にイーゼルが並び、描きかけの絵が置いてある。
「……リジーの?」
「一応ね。ただ、まだ勘が戻らなくて……」
描きかけの絵は、ピアノの前に座るわたしと、学校の制服を着たビリー。
「……これ……」
殿下が躊躇いがちに差し出した、穴が開き、赤黒いものが飛び散った写真。――昔、ビリーが学校に入学する前に撮影して、戦地の父に送ったものだ。
わたしが驚いて殿下を見れば、殿下が気まずそうに言った。
「……シャルローで、マックスの胸ポケットに入っていて……遺族に渡すのは酷だろうと俺が持っていたんだけど……」
「お父様が……」
父が、最期の瞬間まで持っていて、父の血を吸った写真。――わたしと、ビリーの。
「エルシーが十五歳の頃のだと。戦地で、これを見せてもらって……」
殿下が、写真を撫でる。
「マックスにエルシーと結婚したいと言って、求婚する許可は得たんだ。……エルシーが承知したら結婚してもいいって。……おそらく、子のできないビリーを二人で支えるという、約束だった」
わたしは目を伏せ、ユールを抱き締める。そのわたしを殿下が背後から抱きしめ、こめかみにキスをする。
「……やっと、スタートラインに立てた気がする。ビリーを守れなかったのは残念だったけれど――」
殿下がわたしの向きを変え、改めて唇を合わせる、角度を変えて何度もキスを交わしていると、胸の中でユールがじたばたと暴れる。
「きゃん! きゃん!」
「もう、ユールったら!」
さすがに抱かれているのに飽きたのか、ユールは飛び降り、ふんふん匂いを嗅ぎながら、周囲を探検し始める。
その様子を見て、互いに顔を見合わせ、それからもう一度、誰にも邪魔されずに抱き合い、キスを交わした。
王宮での拝謁と舞踏会での衣装について相談すると、アルバート殿下はこともなげに言った。
「それはもう、準備してある。大丈夫だ、ミス・リーンに任せておけばいい」
わたしはギョッとして殿下を見上げた。
「……準備?」
「ミス・リーンにだいぶ前に注文済みだ。最初の採寸をしたあたりで、だいたいのデザインを決めて製作にかかっている」
「……なんで……」
わたしが怪訝な表情をすると、殿下は肩を竦める。
「だって、いずれ父上に紹介するとなったら、王宮に連れていくしかないだろう? マックスが死んだ時はまだ十六だったから、お前はまだデビューしていないだろうと。この二月の会でデビューさせようと思っていた」
「……そんな前から、本気で結婚するつもりだったのですか!」
わたしが呆れて尋ねれば、殿下が金色の目を見開く。
「当たりまえだろう? もう、三年前にマックスの許しはもらっているんだし。ステファニーやレコンフィールド公爵が四の五の言わなかったら、今頃はもう、ちゃんと婚約できていたはずなんだ。エルシーの爵位だって、本来なら関係なかった。エルシーが前の伯爵であるマックスの、嫡出の娘なのは変わらないから。だから、もともと俺の中のタイムスケジュールでは、この二月の王宮舞踏会では、ちゃんと婚約者としてお披露目する予定だった」
いつの間にそんな、無謀なスケジュールを組んでいたのだろうか。
「だから、エスコートも当然、俺がするつもりだったのだが――」




