36、アーチャーの秘密
リンドホルムに戻って五日、わたしはそろそろ、アレックスの学校が心配になってきた。
「戻った方がよくない? いつ、ケリがつくかわからないし――」
「ああ、それは大丈夫だよ。僕はだいたいの単位は取っていて、今度の検死審問についてのレポートを提出することで、学校とは話がついているんだ。ダグラス・アシュバートンの身柄がまだ確保されていないしね。彼の関与がはっきりしないことには――」
庭を歩きながらそんな話をしていると、生垣の向こうから近づく人影が目に入る。警視庁のウォード警部だった。
「こんにちは。ミス・アシュバートン。お話をお聞きしても?」
「ええ、もちろん。だた――」
わたしは空を見上げて言った。
「なんだか天気が怪しいわ。……そろそろ館に戻るつもりでしたの。ここまで来ていただいて申し訳ないけど、邸の方でもよろしくて?」
「ええ、私もその方がありがたいです。……外は寒くて」
ウィード警部が手を擦り合わせるようなそぶりをする。寒さが苦手なのだそうだ。
アレックスと三人、館に戻り、スミス夫人にウォード警部の訪問を告げ、温室にお茶を運んでもらう。
「わたしたちは散歩の後で寒いので、よろしければ警部も――」
「助かります。実は昼飯を食いそびれていて、腹が減って――」
アフタヌーンティーの仕度を運んできたのは、ジュリアンだった。熱い紅茶にサンドイッチ、焼き立てのクランペットには、ブラックベリーのジャム。そのまま下がろうとしないジュリアンを振返り、ウォード警部が言う。
「監視員かい?」
「ええ。特に男の客からは目を離すなと言われていまして」
「ずいぶん、嫉妬深い王子様だな」
ウォード警部が肩を竦め、紅茶のカップに角砂糖を二つ入れる。
「新聞記事はお読みですか?」
「……ええ、いくつかは」
「ずいぶんと勝手な書きようだと、思われますか?」
わたしは微笑んで、紅茶を一口飲む。
「彼らは物見高いし……スキャンダルが好物ですものね」
「……相変わらず、サイラス・アシュバートンは黙秘を続けています。息子を、庇うためかもしれません」
「ダグラスが首謀者だと考えていらっしゃる?」
わたしの問いに、サンドイッチを摘まみ上げたウォード警部が、わたしを上目遣いに見る。
「ええ。それが常識的な線です。……彼はこのリンドホルムの誰よりも早く、ジェームス・アシュバートンの戦死を知っていて、ビリーが死ねば次の継承者が自分の父親だとわかっていた。それで、父を抱き込み、弱みを握ってアーチャーを脅して、ビリーに毒を盛らせた。そんなところじゃないかと思います」
わたしはずっと気になっていたことを、警部に尋ねてみた。
「その、アーチャーが握られていた弱みってのは、何なのです? 彼はわたしたち家族に忠実だったのに……」
「……賭博に手を出して借金があったとか?」
アレックスが口を挟む。アーチャーは賭博に縁はなさそうだけれど、それくらいしか思いつかない。でも、ウォード警部は首を振った。
「違います。……ちょっと、言いにくいのですが――それは、あなたです。エルスペス嬢」
「わたし?」
ウォード警部がサンドイッチを飲み込んでから、言う。
「アーチャーの部屋からは、大量の、あなたの写真が見つかっています。幼い頃からの……」
「はあ?」
ギョッとするわたしの横で、アレックスも目を剥いた。
「それって……幼女性愛ってヤツですか?」
「アーチャーが独身であることに、疑問を抱かれたことは?」
ウォード警部の言葉に、わたしは首を振った。
「全然」
いやそもそも、わたしはアーチャーに興味がなかった。わたしにとってはただの執事だし……。
「仮にも主家のご令嬢に対し、しかも三十も年下の少女に懸想して、大量の写真や……ハンカチなども出てきました。押収した日記には非常にエグい記述もあって。そんな性癖がバレたら、クビどころの騒ぎじゃありません。必死に隠していたのを、何かのきっかけでサイラスに知られた。それをネタに脅されたと。それに――」
ウォード警部は猫背気味の姿勢で紅茶を啜りながら言う。
「いずれ、お嬢様はお嫁に行ってしまう。でも、跡継ぎとして代襲相続が認められたら、ずっと邸に残るわけですし。そんな風に唆された上に、ビリーには子供ができないと言われ……リンドホルムのためだと自分を誤魔化し、犯行に至ったようです」
わたしはゾッとして身震いする。
「まさかそんな……!」
幼い頃のことを思い出してみても、特に不審な記憶はない。たしかに、一人で遊んでいると、アーチャーが掃除の時に書斎に入れてくれたり、屋根裏に仕舞ってある、代々の装飾品や美術品を見せてくれたりした。よく抱き上げてくれたり、膝の上に乗せてくれたりしたけれど……。まさかそんな、邪な気持ちがあったなんて。
確かにそれが知られたら、おばあ様は確実に、アーチャーを解雇したと思うけれど。
「だからって……ビリーの食事に毒を入れるなんて……」
わたしは頭を抱えた。
「ビリーは十四歳で、何の落ち度もなかったのに……わたしの、せいなの?」
ウォード警部が慌てて言う。
「ミス・アシュバートンのせいではありませんよ。アーチャーがその……要するに変態の上、保身に走った結果です。奴は結局、あなたも失い、だが城を離れることもできないまま、三年間、欝々と過ごしたのですから」
ウォード警部はわたしを宥めてくれた。
「はじめ、アーチャーから秘密の内容を聞いた時は、気色の悪い変態だと思いましたが、実際に彼の部屋から山のような写真と、妄想のつまった日記を発見して――これは確かに、バレたら生きてはいけないだろうと思いましたね。アーチャーだってそれを押し隠そうと、必死だったんですよ。変態よりも、秘密を利用した人間の方が、罪は重いと、私は思いますけどね」
ウォード警部を始め、シモンズ大尉らも、秘密の内容をわたしには黙っていたらしい。――いずれ知れるとしても、自分の口からは言いたくない、という感じだろうか。
ビリーの死の、あまりの理不尽さに、わたしがどうしていいか、わからないでいたその時、ロベルトさんが電報を掴んで、温室に駆け込んできた。
「エルスペス嬢! ダグラスが確保された!――デイジーの家に隠れていたんだ!」




