34、ウォード警部
「食卓にいたのは?」
「ビリーとわたし、祖母、そしてサイラスおじ様と、ジェーンおば様です」
「ダグラス・アシュバートンは?」
「……おばあ様がダグラスとヴィクトリアを嫌っていて……その、食事のマナーが気に入らないと言って、よほどのことが無い限り、招待はしませんでした」
「給仕はアーチャーで?」
「ええ。それからスミス夫人も」
わたしはあの日の記憶を辿る。……アーチャーが給仕をしたから、ビリーに毒を盛るのも簡単だ。
「メニューは憶えていますか?」
「ええと……はじめ、ビリーは食中毒だと思ったんです。最初に疑われたのは、マッシュルーム入りの、カレー風味スープでした。でも、わたしもおばあ様も、皆な問題なくて。それで次に、アレルギーかもしれないって。あの日は小エビの瓶詰を乗せた、カナッペが出たので、海老じゃないかって。それらしい食材が海老くらいで……」
「海老はよく食卓に出たのですか?」
わたしが頷いた。
「祖母は小エビの瓶詰が好物でしたから。……あれ以来、食べなくなりましたけれど」
祖母はストラスシャーより西のアーリングベリという街の出身で、割と海に近い。ニシンの燻製やムール貝の油漬けなどが好きだった。
「つまり、具合が悪くなったのは弟さんだけだったので、アレルギーとの診断を信じたのですね」
「まさか、毒を入れる人がいるなんて、想像もしません。ビリーは大変な苦しみようで……その様子に祖母の心臓が悲鳴を上げて、わたしとジョンソンで、祖母を部屋まで連れて行って、そちらの介抱も大変で。ビリーは主治医のサイラスおじ様が付いているから、大丈夫だと思ったのに」
わたしは思わず両手で顔を覆う。
サイラスやアーチャーが毒殺犯だったら、そんなところにまだ息のあるビリーを一人、残していくなんて。どんなに苦しかっただろうか。最後まで側にいるべきだったと、後悔してもしきれない。
わたしの様子を見て、エヴァンズ警部が立ちあがる。
「……明日かもしかしたら明後日になるかもしれませんが、リンドホルムの公会堂で検死審問を行うことになると思います。近親者で、当日に居合わせたあなたにも、証言を求めることになりますので、お願いします」
「わかりました」
わたしも立ちあがって握手を交わす。エヴァンズ警部の目が、左手薬指のサファイアに釘付けなのを見て、指輪をしてきたのは失敗だったと思う。
「……ジェーンおば様はどうしてますの?」
わたしがさりげなく、右手で指輪を隠すようにして尋ねれば、エヴァンズ警部が肩を竦めた。
「サイラスを逮捕したときに、錯乱しましてね。警察官を数人派遣して、部屋に監禁中です。……暴れて大変だったんですよ」
「暴れる?」
「ええ、罵詈雑言やら呪詛の言葉やら吐いて……陰謀だ! 自分は伯爵夫人だ、無礼者!地獄に堕ちろ!……みたいな。芝居でも見ているようでしたね」
わたしは思い切って、エヴァンズ警部に尋ねてみた。
「……サイラスおじ様が犯人だと、疑っていらっしゃる?」
エヴァンズ警部が青い目を見開いて頷いた。
「ええ。実行犯ではないにしろ、関わっているのは確実です。明らかに毒物が疑われる状況で、虚偽の死亡診断書を書き、あまつさえ、自らが爵位を継承する。誰が見てもクロですよ」
「ジェーンおば様も関わっていたってこと?」
「あの暴れようを見ると、疑わしいですなあ。……案外、息子と一緒になって、夫を焚きつけたかもしれないですよね。おっと、これ以上は言えないですな」
エヴァンズ警部は慌てて口を噤み、せかせかとした足取りで去っていった。
夕食までの空いた時間、わたしはビリーの部屋にアレックスを案内した。
ビリーの私物は全て片付けられて、ただ昔からある家具が残るだけ。重厚な天蓋付きのベッドに、書き物机、どっしりとした肘掛椅子。壁という壁にはタペストリーがかけられ、天井までの書棚が据え付けられているが、棚はガラガラで埃が溜まっていた。……すべてが重々しく、古く、寒々しい。王都の洗練とは程遠い部屋だ。
――よく考えれば、わたしはビリーが生きている間には、この部屋に入ったことはなかった。
珍しそうに見まわしているアレックスに、わたしは言う。
「寒々しいでしょう。古い城だから。暖炉もあるし、集中暖房もついてるけど、王都の家程快適じゃないの」
「いえ、すごい天井が高いと思って……何年前位のお城なんですか?」
「三百年くらい前ね。屋根の形式に特徴があるんですって」
ノックの音がして、メアリーとジョンソンが白いリネンを抱えて入ってきた。
「本当にこのお部屋でよろしいですか? ここは三年以上空き部屋で……」
「いえ、この部屋がいいんです」
アレックスが言い、メアリーがベッドメイクを始め、ジョンソンは浴室の様子を確かめる。
「さいわい、お湯は出るのでお使いいただけます。何がございましたらそちらの呼び鈴を……」
ジョンソンの説明を聞き、アレックスが窓の外を覗く。
「すごいなあ……これが、有名なストラスシャーの荒野ですか……」
窓の外の荒野の上には、夕焼け空が続いていた。
――この景色を、かつてビリーは見ていたのだ。もしかしたら、亡くなったあの日も――。
夕方、警察から連絡があり、検死審問は明後日の午後に決まったという。リンドホルムの警察が、王都の警視庁に応援を要請した都合らしい。ついでにオーランド邸にも電話して、状況を尋ねる。
昨夜、王都を出るときの新聞は、まだ、ビリーの件を報じてはいなかった。早晩、漏れるだろうと考えていたが、案の定、今日の夕刊紙に、ビリーの遺体から毒物が検出されたとの報道が出たそうだ。明日にはリンドホルムにも、新聞記者が溢れるかもしれない。
翌日、わたしが庭に出るのに気づいたアレックスが、後から追いかけてきた。
「すごい広い庭ですね。湖まであるなんて」
「田舎だから、無駄にだだっ広いのよ」
「ビリーからも話を聞いていて……一度見てみたいと思っていたんです」
「この季節は何もないわ。……庭師もずいぶん、減らされて、手が足りないようね」
例の薔薇園へ続く道の、錠前はすでに外されていた。アルバート殿下とダグラスとの間の、この庭の売買契約はほぼまとまっていたが、最後のサインになって、ダグラスが突然渋り始めたそうだ。大方、値を吊り上げようと思ったんだろう。――伯爵家の経済事情は想像よりも悪いのかもしれない。
鉄条網を苦労して除け、小道へ入る。アレックスは壁に囲まれた庭を珍しそうに見る。
「……これが、ビリーの言っていた、壁庭か……」
「ええそう、たいていは、果樹園や、苗を育てる場所にするんだけどね」
わたしは、あの薔薇園には入らなかった。――あの庭は特別な、秘密の庭だからだ。
水の止まった噴水のある散歩道をそぞろ歩いていると、人の気配がして、背後から呼びかけられた。
「おーい! ミス・アシュバートン?」
見れば、昨日のエヴァンズ警部が、ツイードのコートを着たすらりとした男性を連れて、手を振っている。
「ああ、よかった、追いついた!」
エヴァンズ警部が息を切らし、後ろの男性を紹介する。
「王都の警視庁のウォード警部です。少しお話をお伺いしたいそうで」
「ジョン・ウォードと言います。ミス・アシュバートン?」
「はじめまして。……こちらはミスター・アレックス・マクガーニ。ビリーの友人です」
アレックスは無言で頭を下げる。ウォード警部の質問は、昨日のエヴァンズ警部と同じだった。
「メニューはマッシュルーム入りのカレー風味スープ。それから小エビの瓶詰のカナッペ。――メインは?」
わたしは首を傾げる。
「たぶん、ロースト・ビーフです。サイラスおじ様を招くときは、いつもそれなので」
「最初はマッシュルームが疑われた」
「……ええ」
「弟さんが倒れたタイミングは?」
「もう、デザートが終わりかけたくらいでした。急に倒れて、突然、痙攣して……」
「その時、医者のサイラスは何か飲ませていましたか?」
「さあ……わたしも気が動顛して……」
わたしが目を伏せると、ウォード警部は話題を変えた。
「この庭を、アルバート殿下が買おうとしていたのは、本当ですか?」
「ええ。ダグラスが売りに出したので……でも切り売りされたくなくて、殿下が押えました」
「あなたのために?」
ウォード警部はまっすぐにわたしを見る。殿下がこの庭を買うのは、わたしのためというより、ローズのためだけれど、それはどこまで言っていいのかわからない。だからわたしは頷いた。
「ええ。……でも、強請ったわけではありません。わたしはこの庭が売りに出ていることも知りませんでした」
ウォード警部が周囲を見回し、もう一度わたしを見た。
「アルバート殿下は、あなたと結婚したがっている」
「ええ」
殿下にもらったサファイアの指輪は、外して宝石箱に入れてある。外してきて正解だった。
「ここに来る前、アーチャーに尋問してきたのですがね。……彼は、ビリーの皿にサイラスに渡された薬を入れたことは認めた」
「……信じられません。どうしてそんな……」
「アーチャーが言うには、サイラス親子に脅されていて、逆らえなかった、と」
「脅される……?」
「弱みを握られていたそうです。……ただ、その弱みについてはまだ、裏付けが取れていない。とにかく、アーチャーはサイラスの命令で、渡された薬を、その日のスープの皿に入れた」
わたしは目を見開く。ウォード警部がわたしをまっすぐに見つめたまま、続けた。
「……アーチャーは、ビリーが死ねば、あなたに代襲相続の勅許が降りると思っていた」
「ええ……あの時、ほとんどの人がそう、思っていたでしょう」
「サイラスも?」
わたしは頷く。
「サイラスは、わたしと息子のダグラスを、結婚させようとしていましたから」
「ええ、アーチャーも言っていた。それを大奥様……レディ・ウルスラがけんもほろろに断った。……サイラスは、何を狙っていたのでしょうかね?」
「……ダグラスとわたしが結婚すれば、城が手に入ると思っていたのでしょうか?」
「でも、確実ではない。……よくわからないんですよね、正直に申し上げて」
ウォード警部は肩を竦め、両の掌を上に向けた。
「それにしても……ダグラスもあなたを手に入れたいと思っていたようですね。そしてアーチャーも。……今度はアルバート殿下。……新聞には魔性の女と書いてありましたが、全くですな」
「ええ? 何ですって?」
わたしが聞き返す間もなく、ウォード警部は帽子をヒョイと持ち上げると、一礼して去っていった。




