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30、王妃の罪

 わたしは殿下から身体を離し、無言で彼の顔を見つめる。彼はわたしをまっすぐに見た。


「三年前、シャルローの事件の直前に、義姉(あね)上は三人目の子を産んだ。今度こそ、男だろうと誰もが信じていた。兄上に男児さえ生まれれば、俺はお役御免だ。庶子が偽りの玉座に座ることもなく、正統な血筋に王位は受け継がれるはずだった。だが――生まれてきたアイリーンに罪はないけれど、王家や周辺の落胆は大きかった」

「でも……ますますリジーのせいではないわ?」

「そうだ。でも、真実を知る者は法と国民を欺いていることを、苦々しく思っている。念のためと思ってスペアと作ったものの、いざ、スペアを王として戴く未来に怯えている」


 殿下がもう一度わたしを抱きしめ、首筋に唇を這わせる。


「ん……リ、ジー……」

「……王家の中枢は今、決断を迫られている。……俺が、缶詰になっているのはそのせいだ」

「決断?」

「父上の譲位は確定事項。兄上が即位したのち、次の王太子をどうするか。このまま、国民も法も欺いて、庶子の俺を王太弟にするか、あるいは法を改正して女児の継承を認めるか」


 わたしは目を瞠った。


「……でも、ブリジット妃殿下はまだ……」

「流産の後、体調が芳しくない。だから、王妃に逆らえなくて、協力させられてしまった。――気の毒な人だ」


 殿下はさらに続ける。


「俺の愛人スキャンダルはハートネルが撒いたものだけれど、俺の評判を下げ、継承法の改正を狙う者がそれに便乗しているからだ。ステファニーの一件も含め、このままだとたぶん、俺は議会に証人として出廷させられる。……王太子としての資質を問われるのは間違いないな」 

「リジー……」


 殿下はわたしを抱き締めたまま、寝台に倒れ込む。わたしの上に圧し掛かり至近距離から見下ろして言った。


「エルシー、俺は欺瞞と不名誉に塗れた王子として断罪されるかもしれない。それでも、俺はお前を愛している。継承権や王族の籍だけじゃなく、名誉も奪われるかもしれない。でも――お前がいてくれるなら、俺はそれだけで――」


 王妃の罪が何であれ、殿下は今後も大きなものと戦っていかなければならない。

 わたしは、ただ彼を抱きしめることしかできなかった。




 翌日、とある王都の三流ゴシップ紙が、王妃が第三王子の邸に押しかけ、彼の愛人の前で醜態を曝した、という記事を写真付きで報じた。


〈王妃狂乱――アルバート王子の愛人の前で暴れるエレイン王妃〉


 そんな見出しで、ゴシップ紙は面白可笑しく、王家の醜聞(スキャンダル)を書き立てる。


〈突如、王太子妃を引き連れてやってきた王妃は、〈愛人〉アシュバートン嬢を罵倒し、物を投げつけて暴れた。なすすべもなく怯える愛人〉


 そんなキャプションのついた白黒(モノクローム)の写真は印刷ですっかり潰れているが、黒い、時代遅れの喪服を着た小柄な老女が何やら動く姿を示し、隣に愛人を睨みつける老婆と怯える若い女の、ペン画の風刺漫画(カリカチュア)が添えられていた。


 発行部数も少ない三流紙の特ダネは、翌日、わたしが正式に警察に被害届を出して王妃を告発したことで、一気に火が付いた。


 次男の葬儀の最中、姪のレコンフィールド公爵令嬢を身近に寄せ、三男のアルバート王子の婚約者として遇しようとしたが、婚約の無効を申し立てているアルバート王子は拒否した。それに腹を立てた王妃は、翌日、王子の邸を急襲し、邸に滞在中だった愛人のアシュバートン嬢に狼藉を働いた。やってきたのが王妃と気づかなかったアシュバートン嬢は警察に通報し、被害を届け出た――。


 王家はすぐに声明を発し、次男の長い病と死、そして三男の結婚問題に心を痛めた王妃は、心身耗弱(こうじゃく)状態にあり、アルバート王子の邸で錯乱状態に陥ったと認めた。王妃はしばらく、聖カタリーナ修道院内で療養しカウンセリングを受けると。

 

 暴力行為に関しては王家から謝罪を受け、また息子を失ったばかりの王妃陛下の情状を酌量して、裁判にせず示談で済ませ、慰謝料を支払ってもらうことで訴えを取り下げた。

 別に本気で、王妃を牢に入れるつもりはなく、どちらが加害者で被害者か、国民全体にわかる形ではっきりさせればよかった。――王妃を法廷に引きずりだしたりすれば、かえってわたしが批判の的になってしまう。


 王家は、王妃が戦争遺族であるわたしをを侮辱したことを重くとらえ、戦争未亡人・遺族の救済基金に、王妃の個人資産よりかなりの額を拠出すると発表した。


 要するに、わたしの主張はほぼ裏付けられ、王妃は実刑こそ免れたが、修道院内に実質軟禁されることになったのだ。

 

 王都の新聞や雑誌は連日、王妃の醜聞(スキャンダル)と王家の結婚問題について論じた。


 戦前からの婚約者で、王妃の姪でもある、大貴族の令嬢か。

 あるいは、王子を命懸けで守って戦死した恩人の娘で、没落した伯爵令嬢か。


 当然ながら、わたしが爵位を失った経緯(いきさつ)も事細かに報じられている。


 戦死者に娘しかいない場合、原則として代襲相続は認められる。数か月でも幼い弟が継承したことで、戦死者の特権が消えたと考えられたせいか、あるいは申請時に不備があったのか。


 アルバート殿下の結婚について、王都の市民の意見は真っ二つに割れた。

 上流階級の婦女子も多くが愛読する絵入り新聞《イラストレイテッド・ニュース》には、読者からのさまざまな投書が寄せられた。

 

 やはり上流の女性たちの間では、戦争中もけなげに殿下の帰りを待ち続けた、レコンフィールド公爵令嬢への同情が強い。


〈レコンフィールド公爵令嬢には同情せざるを得ません。アルバート殿下はあまりに薄情だと感じます。幼馴染で仲も睦まじく、戦争中もただひたすら、殿下のお帰りを待ったのに、戻ってきたら紙屑のように捨てられるなんて、あんまりです。このままいけば、アルバート殿下が国王に即位なさるかもしれない。そうなった時、王妃にはやはり、家柄身分教養ともに非の打ちどころがない彼女の方が相応しいと思う。殿下が王族のとしての責任と、昔の愛情を思い出すのを祈るばかりです。女性・匿名希望〉


 その一方で、戦争で父を失い、さらに弟の死によって爵位も領地も失い、王都で事務員をしていた、というわたしに同情する女性たちもいる。


〈愛人のミス・アシュバートンは身分が低いと言われるけれど、元は伯爵令嬢だったんでしょう? 父親は王子殿下を庇って戦死したのに、娘が没落していたら、手を差し伸べるのは人として当然よ。レコンフィールド公爵令嬢は王都で待っていただけで、別に苦労はしていない。一方の彼女は経済的にも困窮していたのだもの、王子殿下が責任を感じて当たり前だし、そこから恋に発展したなら素敵だわ。身分第一の政略結婚なんて、時代遅れよ。愛する人結婚したいと言う、王子殿下を応援するわ。 女性・匿名希望〉

 

 わたしはオーランド邸の居間の暖炉の前で、一人がけのソファに腰かけて絵入り新聞《イラストレイテッド・ニュース》の投書欄を読む。さすが上流の女性たちだけあって、わたしのことを娼婦だの淫売だの、罵ったりはしない。――ヴァルターさんもジュリアンも絶対に見せてくれないが、場末の三流紙には、かなり下品で卑猥な罵り文句が並ぶこともあるらしい。


 絵入り新聞に投書を送る人の中にはもちろん男性もいるのだが、はっきり言って、男性の意見はくだらないものが多い。


〈レコンフィールド公爵令嬢は気の毒だが、個人的にアルバート殿下の気持ちはわかる。好みの問題かもしれないが、アシュバートン嬢の方が美人だ。やはり男の目から見て、妻は美しい方がいい。 男性・匿名希望〉


〈僕はレコンフィールド公爵令嬢のような小柄で愛らしいタイプが好みで、アシュバートン嬢のような氷人形(アイス・ドール)は趣味じゃない。でも、王子殿下が彼女が好きだと言うなら、公爵令嬢は正妻にして、アシュバートン嬢は公妾にすればいいと思う。 男性・匿名希望〉


 誰も、その人の好みのタイプなんて聞いていないのに、馬鹿じゃないのかしら。妾にしろとかふざけているし。男性の意見は不愉快なものが多いので、女性からの投書を重点的に見ていく。


 姑(しゅうとめ)に当たる王妃が、自身の姪のステファニー嬢を推し、わたしを排除しようとした結果、嫁姑問題に悩む王都の女性たちも、王子の結婚問題に興味を示した。


〈王妃陛下のなさりようはあまりですが、お気持ちはわかります。わたくしも息子が爵位を持たない商家の娘と結婚すると言い出した時は、心臓が潰れるような気持ちになったものです。人が平等などというのは、建前に過ぎません。神や国家のさだめた身分は大切なもの。王妃陛下が末息子の結婚相手に、身分の高い令嬢を望むのは当然です。

 女性・匿名希望〉


〈まだ嫁にもなっていない相手に、自分から乗り込んでいくなんて、いくら何でもやりすぎです。彼女が警察を呼ぶのは当然だわ! わたしでも絶対呼ぶもの! 身分がどうこう言うけれど、要するに王妃は自分の姪を王子妃にしたいだけじゃない。息子の気持ちを無視した行い、うちの姑にソックリ。いつか天罰が下ればいいのに! 女性・匿名希望〉


 なかなか過激な意見もあって、つい笑ってしまう。


 暖炉の前では、ユールが自分の尻尾を追いかけて、グルグル一人で回っている。シャーロット嬢はかなり大物の刺繍が佳境に入っている。……結婚後の新居の、クッション・カバーだとか。結婚式は六月の予定だと言うのに、気が早すぎないか。エヴァ嬢といい、シャーロット嬢といい、妙に先走るタイプが多過ぎる。


 そんなことを思いながら、わたしは絵入り新聞をテーブルの上に戻し、別の、大手の一流紙を手に取る。――この新聞社の株のかなりの部分を、殿下が購入して傘下に入れていると聞いた。


〈愛するアシュバートン嬢との結婚を議会に認めさせるため、アルバート王子は彼女の弟・亡きウィリアム・アシュバートン卿の急死についても、調査をすすめているらしい〉


 そんな記事に、わたしがつい、眉を顰める。――これは、秘密裡に行っていたのではなかったの? 新聞に出てしまっていいのかしら。


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