29、安全確認
「ええ。王太子殿下の手前、知らないフリをしていましたけど。それですぐ、シャーロット嬢にユールを預けて奥に逃がし、ハンナに警察を呼びにいくように指示しました。何か起きたとき、どちらが被害者か、有耶無耶にされたらたまらないと思いましたので。……ついでに、柵の外にいる新聞記者も呼び入れるように言いました」
「マ・ジ・で……」
「非常識だ! 王子殿下の邸に、ハイエナのような奴らを呼び入れるなんて!」
ロベルトさんが絶句し、ジェラルド・ブルック中尉がわたしを非難する。わたしは即座に反論した。
「わたしの脆弱な立場を知りながら、結局、護衛の方たちも王妃たちを中に入れたんですわ。結局、あなた方が守るのはアルバート殿下であって、わたしではない。最後まで守ってくれると、どうして信じられますの? ハイエナだろうが何だろうが、利用できる者は何でも使って、一矢報いてやろうとして、何が悪いんです?」
その言葉に、ブルック中尉だけでなく、ロベルトさんもカーティス大尉も沈黙する。
「……それはいい。……で、ハンナは警察に走った」
殿下が場を取り持つように言えば、ハンナが頷く。
「はい。行きがけに新聞記者に、〈王宮の貴婦人が、彼女に文句をつけに来た。特ダネが撮れるわよ〉と言って、裏口から中に入れ、居間の場所を教えました。修羅場になるまで待って、絶妙のタイミングで飛び込めと言って」
ヴァルターさんもジュリアンも、そして護衛の方々も深い溜息をつく。
「すべてはわたしの指示で、ハンナは悪くないんです」
わたしが殿下に言い、殿下も力なく笑った。
「いや、わかっている。ハンナは悪くない。……ただ、家の間取りを知られたのはまずい。一段落したら、内部を改装する」
「それがよろしいでしょうね」
ヴァルターさんも同意した。
「それで、エルシーは王妃と王太子妃に対峙して――何を言われた?」
「たいしたことは。まず、どちら様ですか、と尋ねたけれど、アルバートが身分の賤しい女を連れ込んでいるのはは本当だったのだ、と。それから、お前のような無礼で下賤な女に名乗る名前はない、と仰ったので、それならそれで、正体を知らないままの方が都合がいいと思ったので、それ以上お尋ねしませんでした」
殿下が眉を寄せる。
「王妃と知らないままの方が都合がいいと思ったと?」
「ええまあ。……警察に突き出す予定でしたから」
ブホッとロベルトさんが紅茶を噴く。
「計画通りなのかよ……」
「お待ちください。じゃあ、王妃陛下が名乗った場合はどうされるつもりだったんです? ハンナは警察を呼びに行っていたのでしょう?」
ブルック中尉の問いに、わたしは何でもないことのように言った。
「その時は、ハンナはアルティニアから来たばかりで、わたしの危機に動顛したのだと、説明するつもりでした。どのみち、あの人たちがカップの一つでも割ってくれれば、器物損壊で警察を呼ぶ正当な理由になりますから、適当に挑発するつもりでしたが、予想よりも早く激昂して、熱い紅茶を投げつけて来た時は、少しだけ肝が冷えましたわ」
「エルシー!」
殿下が涙目でわたしを抱き寄せる。
「もう、勘弁してくれ。お前に何かあったと思ったら俺は――」
「いつでも防げるよう、盆を構えていましたら――」
「それでも!」
しかし、カーティス大尉以下も蒼白な表情でこもごも言う。
「あの時は本当に、心臓が止まるかと」
「私は気が遠くなりました」
「もう、ほんっとうに、殿下じゃないけど勘弁してください」
それからカーティス大尉が言う。
「あの後、王妃陛下はまるで悪鬼が憑いたかのような狂乱ぶりで、手当たり次第にものを投げつけて、側にも寄れない状態で……」
「こわ……っていうか、それを銀のお盆一つで凌ぐって、エルシーたん、前から思ってたけど、心臓強過ぎじゃね? オレは戦場でもアンタに勝てる気がしねぇ……」
「そんなことは……タイミングよく新聞記者の方々が踏み込んでくれて、バッチリ、写真も撮っていました。さすがですよね?」
「感心してる場合なの、それ」
銀の盆の裏側で、ニヤリとしていたのは秘密だ。
「しかしだな、エルシー……」
「少し油断があったのか、その後、襲われて転んでしまいまして……」
王妃に圧し掛かられ、陶器の破片で顔を傷つけられそうになった。かなり危なかったけれど……。
(――この顔が陛下を誑かしたのか、って言っていたわ。わたしとローズを重ねているのは間違いないわね)
だが、ローズと国王陛下の関係は語ることができないので、わたしは話を変えた。
「カーティス大尉とジュリアンが助けてくださって、その時、ナイスタイミングでハンナが警察を連れて来てくれたので、わたしはここぞとばかりに、王妃だとは知らないフリをして、強盗だわ! 助けて! って叫んだの」
ハンナはわたしの意図を完全に理解していて、普段よりも甲高い声で、ことさらに若い女が襲われていると強調してくれた。――警察がわたしに同情してくれるように。
「王太子妃殿下はとばっちりでお気の毒ではあるけど、気にしないことにしました」
いけしゃあしゃあと答えるわたしに、殿下は頭痛を堪えるのようにこめかみを押える。
「エルシー……今日一日で、俺の寿命が十年は縮んだぞ?」
「そうですわね。わたしも王太子殿下ご自身がいらっしゃるとは思いもよらず」
殿下ははあーっと深い深い溜息をつき、一同を見回して言う。
「とりあえず、エルシーにも、他の者にも怪我がなくてよかった。壊れた器物その他については、リストにしておいてくれ。兄上に請求する。以後、王妃がやってくることはないとは思うが、油断ないように安全には気を配ってくれ」
「承知いたしました」
全員が立ちあがり、一斉に頭を下げた。
その夜、夕食を終えたら、殿下は即座に、わたしを寝室に連れ込んだ。
「まだ、お兄様の喪中なのでしょう?」
殿下はわたしをベッドの上に投げだし、自らもベッドに上がって、圧し掛かるようにして衣服を脱がせにかかる。乱暴な行為を押しとどめようとわたしが言えば、殿下の金色の瞳が、ベッドヘッドの壁付け電灯の光を反射して、ギラリと光った。
「お前が本当に怪我をしていないか、確かめないと。不安なんだ。熱い紅茶の話を聞いた時は、本当に心臓が止まるかと思った。もう二度と、ああいうのはやめてくれ」
「すみません……王妃陛下があんなに早くキレるとは、想定していなくて……」
そんなにキツイことを言ったつもりはないのに、王妃は突然、紅茶のカップを投げつけてきた。……お盆で防がなかったら、火傷していただろう。
「エルシー……俺の命を握っているのはお前だと、いい加減気づいてくれ。お前に何かあったら、俺は生きていけない」
「リジー……」
「傷がないか確かめないと……この肌に傷一つつけられてみろ、俺はこの国を亡ぼす自信があるぞ?」
不穏なことを口走りながら、殿下はわたしをあっという間に裸にして、結局はいつものように――いや、いつもよりも激しくわたしを貪った。
たぶん、わたしの無事を確かめるまで、不安だったのだろう。
狂熱が去った後で、殿下は生まれたままの姿を抱きしめて、深い溜息をついた。
「エルシーは、強いな……」
「リジー? ちょっとやりすぎてしまったかしら」
殿下はわたしの唇を塞ぎ、少しだけ貪ってから、それを離し、額に額をくっつけて言った。
「……俺はまだ、王妃が怖い。――数年ぶりにあの人に再会して、膝が震えているのを悟られないようにするのが、精一杯だった。俺の方がはるかに強いとわかっていても、子供の頃に刷り込まれた恐怖は消えない。それを乗り越えるためには、金を儲けて、武力を蓄えて……もっともっと強くならないと、きっとエルシーを守れない」
「リジー……」
「だから、オーランド邸に王妃が向かったと聞いて、俺は――」
わたしはリジーの両頬を掌で挟んで、真正面から目を見て言った。
「わたしは、平気よ。もっと怖いかと思ったけど、実物を見たら、ただのつまらないお婆さんにしか見えなかった。……わざわざ、わたしのところまでやってきて、下賤な愛人だの、あたしを誰だと思っているのだの、すごくみっともなかった。滑稽過ぎて、気の毒になってしまったくらい」
わたしは殿下の肩に顔を預け、彼の背中に腕を回す。
「……わたしね、おばあ様が何に怒っていたのか、王妃を見ていてわかったの。王族や貴族がが守られるのはあくまでも国のためなのに、自分が守られる理由すら理解できない人を、命懸けで守らなきゃいけないなんて、理不尽だわ」
「エルシー……」
殿下がわたしの背中を大きな掌で撫で、背骨を指で辿る。
「……王妃の罪は、表沙汰にすることができない」
「なぜ?」
「俺一人を殺すために巻き込んだ人間が多過ぎる。大きすぎる罪は裁くことができない。理由を辿れば俺の出生と王家の欺瞞が暴かれ、王家の威信は地に堕ち、革命が起こるから」




