27、ごめんで済んだら警察いらない
王太子殿下の意向で、その場に残ったのはご夫妻とわたし、それからヴァルターさんとカーティス大尉のみ。護衛たちは部屋の外で待機させられた。
「……本当に申し訳なかった。母には監視をつけていて、出歩くことはないはずだったのだが――」
わたしは首を傾げた。
「監視? 王妃陛下に?」
「ああ――」
王太子殿下が溜息交じりに言う。
「あの人は弟、ジョージの病がわかってから、だんだんと狂っていって……だが王妃という立場上、それを明らかにすることができなかった。決定的だったのは三年前で……父上は廃妃にして処罰することも考えたけれど、そのためには王妃の罪を明らかにしなければならない。だが、あの戦争のさなかにそんなことをすれば、王家の威信は地に墜ち、下手をすれば革命が起きる。だから罪を隠し、弟の看病という名目でバールの離宮に押し込めた」
王太子殿下は黒い睫毛を伏せる。
「ジョージの死後、母は王都の聖カタリーナ修道院に入れる予定にして、とにかく葬儀だけを済ませ、その後は自主的な出家として処理するつもりで、王宮内に監視をつけて軟禁しておいた。だが、その処置をごく、内々の者だけにしか伝えなかった。それが今回の原因だ。――私が、母の異常を周囲に伝える勇気がなくて……」
隣に座っていた王太子妃殿下が顔を上げる。
「……つまり、もともとお義母様はおかしかったと……?」
「そうなのだ。あなたには伝えておくべきだったのに、わたしがそれを怠った。外出を禁止した上で、母の機嫌を鎮めるために、あなたに世話を押し付け、肝心なことを言わなかった。……すべて、私が悪い」
王太子妃殿下が肩を落とす。
「わたくし……お義母様に言われたんですの。わたくしが男の子を産まないから、このままではアルバート殿下が即位するのに、よりによって下賤な女を妃にすると言い張っている、と。きちんと身の程をわからせてやらなければならない、そうでなければ、後々、娘たちが大変な目に遭わされると――。お義母様の外出が禁じられているのは知っていましたのに、押し切られてしまって……」
王妃の〈護衛〉は監視要員で、外出は許されない。そこで王妃は嫁のブリジット妃殿下を言いくるめ、ブリジット妃殿下の護衛に守られて密かに王宮を脱出し、オーランド邸を急襲したという。
王太子妃と過ごしているはずだったのに、王妃の部屋がもぬけの殻であることに気づいた監視要員たちは、国王と王太子に知らせた。そこへ、オーランド邸のヴァルターさんから、アルバート殿下に向けて緊急連絡が入った。ちょうどアルバート殿下は、昨日の葬儀を警備した陸軍や警察に慰問に出掛けて留守だったので、王太子殿下ご自身が、王妃と王太子妃を迎えに出向いたそうだ。
「ミス・エルスペス・アシュバートン……あなたやあなたの家族に我々王家が為したことは、いくら詫びても足りないくらいだ。私は今回も、母の暴挙を止めることができなかった。許してくれと言うのもおこがましいのはわかっている。だが――」
王太子殿下が頭を下げたその時、乱暴な足音がして回りの止めるのも聞かずにバタンとドアが開く。
「エルシー! 王妃が来たって――」
真っ青になったアルバート殿下が居間に飛び込んできて、一直線にわたしに駆け寄り抱き締めた。
「エルシー、無事か?! もっとよく顔を見せて……」
「リジー……いえ、殿下、くるし……」
殿下の硬い胸にぎゅうぎゅうに抱きしめられ、わたしは息もできずに身を捩る。
「ああ、エルシー、報せを聞いた時は心臓が止まるかと……」
殿下はわたしの前の絨毯に膝をつき、わたしの頬にちゅ、ちゅっと幾度もキスを落とす。……仮にも王太子ご夫妻の前で勘弁して、とわたしが引き離そうとするが、殿下の強い腕は頑として外れなかった。
「バーティ、落ち着け! ミス・アシュバートンは怪我も何もしていない!」
王太子殿下が声をかけると、殿下はギロリと睨みつけ、いっそう、わたしを抱き締める。
「……だから俺は信用ならないと言っていた! 兄上は結局、王妃に逆らえない! あの女がどれだけ狂っているか、見ようとしないんだ! だからこんな――」
「バーティ、それについては詫びる。私の見通しが甘かった。現実から目を背けていたと言われれば、反論もできない。だが、とりあえず、今は落ち着いて座ってくれ」
殿下はしぶしぶわたしから離れると、だが隣の椅子ではなく、わたしの座る一人がけのソファの、ひじ掛けに腰を下ろし、わたしの手を固く握った。一秒たりともわたしを離すまいとする様子に、王太子殿下も、そして妃殿下も、呆れたような表情で互いの顔を見合わせる。
すぐにヴァルターさんが新しいお茶のポットを持ってきた。
「……で、何があったのです? ヴァルターからの報せは、何故、俺の元に届かず、兄上が先にオーランド邸に来ているのです? そして王妃は?」
「お前は市警の警視総監を表敬訪問中だったじゃないか。だから私の元に届けられ、緊急事態だから私自身で急行したのだ。母上は王宮に戻した。今度こそ、絶対に抜け出せないように監視を強める」
「どうだか」
殿下が疑わしそうに王太子夫妻を見る。
「いったい、何しに来たんです? 義姉上まで巻き込んで」
「……バーティ、わたくしがお義母様に押し切られてしまって……ちょっと文句を言うだけかと思ったのよ。お義母様はステファニーが可哀想だと仰って、わたくしも……その、彼女の方に情があったから、つい――」
「俺の愛人を口汚く罵るために来たのですか」
「リジー!」
わたしは殿下を咎める。
「妃殿下は特に何も仰らなかったわ。むしろ騒動に巻き込まれただけよ」
「それでも!」
殿下は怒りのあまり言葉が出てこないという風情で、それで深呼吸をしてからわたしに尋ねる。
「何があった?」
「……知らない老婦人たちが訪ねてきて、でもヴァルターさんもカーティス大尉も追い返せない人のようだとハンナが教えてくれたので、ハンナに裏口から出て警察に走らせましたの」
「!!」
わたしの言葉に、アルバート殿下も、王太子ご夫妻も絶句する。
「……言われたことはたいしたことじゃなかったわ。誰だか知らない人に下賤だの愛人だの罵られてもどうってことはないけど、お茶を飲んだら帰ってくれ、って言ったら、突然、お茶のカップやらなにやら、投げつけてきたの」
「……け、けがは?」
「全部お盆を盾に防いだから、大丈夫よ? その後、陶器の破片で襲い掛かってきたけど、カーティス大尉とジュリアンが守ってくれましたし。ちょうどそこへ警察もやってきたから、強盗だから捕まえてもらおうとしたのですけど……」
わたしは王太子夫妻にいけしゃあしゃあと言い切った。
「まさか王妃陛下と王太子妃殿下だったなんて、想像もしませんでしたわ! 何しろわたし田舎者で、社交界デビューもしていないので、王族の方のお顔は存じ上げなくて」
王太子殿下が青い顔で言う。
「……その、警察の件なのだが……」
「だって名前も名乗らず乗り込んできた方が、お茶をぶつけてきたり、襲い掛かってきたんですもの。普通に警察呼びますでしょ?――ああ、高貴な方々は護衛がついていらっしゃるから、警察のお世話になったりしないのかしら? 王都の下町では、何かあったら市警の警官を呼ぶのは常識でしてよ?」
「内密に済まして欲しいのだが――」
「嫌です。証拠も証人もばっちりですし、被害届も出します。凶悪な犯罪被害に遭ったのに、見て見ぬ振りなんて、市民の義務としても許されませんわ」
王太子殿下が食い下がる。
「そこを何とか。被害届を出されれば、王家としても対応しないわけにいかない。ことは内々に収めたいのだ」
「内々に収めるって言うのは要するに、王妃陛下の罪をなかったことにするのでしょう? そんなの絶対に、受け入れられません」
わたしが頑として言えば、王太子夫妻が必死に頼み込む。
「わたくしからもお願いを――軽はずみでした。あなたには心から謝罪するわ」
「ミス・アシュバートン、頼む。悪いようにはしない。王妃には必ず処罰を――」
「お断りします。謝罪でなかったことにできるなら、警察は何のためにありますの? 余所の家に押しかけ、悪口雑言の挙句、器物損壊と暴行容疑。わたしが上手く避けたから無事に済んでいますが、まともに熱湯を被っていたら、どう償うおつもりだったのです? わたしは一市民として、公正な、法の裁きを望みます」
傲然と胸を張るわたしに、王太子殿下は困ったように眉間に皺を寄せた。




