25、修羅場
邪魔、と言われた護衛の男がギっとわたしを睨むが、鼻で笑ってやった。
「だってそんなテーブルの近くにいられたら、お茶も淹れられませんわ。それとも、あなたが淹れてくださるの?」
ちょうどタイミングよく、ヴァルタ―さんがお茶のお盆を運んできたので、男は渋々背後に下がる。
テーブルにお盆を置きながら、ヴァルタ―さんが心配そうにわたしを見るが、わたしは口角を少し上げて微笑んだ。
「お茶はわたしが淹れます。ヴァルタ―さんはそちらに控えていて」
「は」
喪服の女性たちがわたしの手元に注目するのを感じながら、ことさらゆったりとお茶を淹れる。
「……で、ご用件は? アルバート殿下でしたら、今はお留守ですけど」
「わたくしはお前に用があるの。……エルスペス・アシュバートン?」
わたしは少しだけ手を止めて、ボンネットの老婦人をまっすぐに見た。
「ええ。わたしの名はご存知なのですね? で、ご用件をお伺いいたしましょう」
「お前のような女を、王族の妃になど認めない。アルバートの妃はステファニーよ。爵位もない平民のクセに、王族を誑かして。汚らわしい。とっとと田舎にお帰り!」
「そんなこと、誰かわからない方に言われても、返答のしようもございませんわ」
「しらばっくれないで!」
わたしは彼女の顔をまじまじと見た。――国王夫妻の肖像画は見たことはあるが、それはもう、何十年も昔に描かれたものだ。王妃陛下は写真が嫌いだとか言って、写真もなかったはず。あったとしても、それは若くお美しい時代のものだけで、老境にさしかかった現在の姿とは、似てもにつかない。事前にハンナが耳打ちしてくれなければ、わたしは本当に、この老婦人が王妃陛下だと気づかなかっただろう。
そのくらい、昔の肖像画と違い、彼女は老い窶れていた。――二十年以上に及ぶ息子の病との戦いが、彼女の心と美しさまでをも蝕んだに違いない。
「全く、わかりませんわ。……以前にお会いしたこと、ありませんわよね?」
「……あの、厚顔無恥な女にソックリだこと!」
「誰ですって?」
「ローズよ! ……ローゼリンデ・ベルクマン! あの、忌々しい女!」
わなわなと震えるボンネットの老婦人を横目に見ながら、わたしはポットにお湯を入れて蒸らし、さりげなく周囲を観察する。
老婦人の嫁と思しき女性――王太子妃殿下だろうが、彼女も地味に身をやつしているので、気づかない人もいるのではないか。
「ローズ?……祖母の親戚にあたる方かしら。会ったこともないので、似てるかどうかわかりません」
「……拾い上げてやった恩も忘れて、お前のような下賤な平民女を……!」
「何のお話か、わかりかねますわ」
「……愛人になるなんて、血は争えないわね。下賤な女はだから嫌なのよ」
わたしはカップにお茶を注ぎ分け、ソーサ―に銀のスプーンを添えて女性たちに配り、砂糖壺とミルクを勧め、銀の盆を両手に持ち、立ち上がる。
「いきなり名乗りもせずに、王子殿下のお邸に乱入して、人のことを下賤だのなんだの……それが上流の作法だと仰るなら、わたしは下賤で結構ですわ。そういう上品さは真似できそうもありませんので。……ご用件はそれだけですの? お茶をお飲みになったらお帰りくださいませね?」
「なんですって、このアシュバートンの小娘が!」
わたしの言葉に、ボンネットの老婦人は突如激昂して、熱い紅茶のカップを投げつける。でもわたしは半ば読んでいたので、銀の盆を盾にして自分の身を守った。
ガシャーン!
銀の盆に当たったカップが砕け、熱い紅茶と陶器の破片が飛び散る。
「キャー!」
王太子妃殿下と思しき夫人が悲鳴を上げ、付き添いの女性たちが顔を覆う。
「危ない!エルスペス嬢!」
「ああ、小癪な! お前なんて死んでおしまい!」
老婦人は手当たり次第、陶器やスプーンやらを投げつけてくるが、わたしがすべて銀の盆で防ぐ。悲鳴と怒号が響く中、バンと乱暴に扉が開き、いつも塀の周辺をうろついている記者たちが数人、居間に踏み込んできて、バシャッ、バシャッとフラッシュがいくつも光る。
「イヤッホー! 特ダネいただき! 王子の愛人に乱暴狼藉する貴婦人たち!」
「すげえ、写真もっと撮れ!」
――実は、ハンナに命じて、新聞記者たちを中に入れさせていたのだ。写真が表に出て、困るのは確実に王妃や王太子妃たちだから。銀のお盆で身を守ろうとしているわたしと、暴れてものを投げつける老婦人、飛び散る破片。どちらが加害者で被害者か、証拠もばっちりだ。
「な、なんだお前たち勝手に!」
老婦人についてきた護衛たちが焦って、彼らの排除にかかるが、新聞記者たちの逃げ足の速さはすでに確認済み。護衛たちをすり抜けて逃げていく新聞記者たちを、ハンナから事情を聴いていたであろうジュリアンが、一瞬、躊躇いながら敢えて逃がし、わたしをチラリと見て、微妙な表情をした。
――新聞記者を呼び込むなんて非常識だと思ったかもしれないが、相手は王妃だ。こちらに非がなくとも、白を黒と言いくるめられては、たまらない。
でも。こんなのは序の口よ?
「お、お義母さま、まずいですわ、戻りましょう……」
投げるものがなくなり、立ち尽くして肩で荒い息を吐いている老婦人に、王太子妃と思しき貴婦人が、オロオロと声をかける。
「お、お義母さま……」
「おのれ……こざかしいこと! 許さない!」
ボンネットの老婦人は完全に我を忘れ、割れた陶器の破片と掴むと、わたしに襲いかかってきた。咄嗟に避けようとしたけれど、椅子に足を取られてわたしは転んでしまう。そこへ、悪鬼のような表情で、老女が覆いかぶさってくる。
「この――この――この顔がっ! この顔が陛下を誑かしたのっ!」
「エルスペス嬢!」
陶器の破片でわたしの顔を傷つけようと、老女はすごい力で圧し掛かり――カーティス大尉とジュリアンが引きはがそうとするが、護衛たちもまた、老婦人を守ろうと揉み合いになる。
その時、「きゃん、きゃん」と甲高い鳴き声とともに、ころころした毛玉が突進してきて、老女の腕に噛みつく。
「ぎゃああ! お離し、お離しったら!」
「ユール!」
皆がユールに気を取られた隙に、護衛を振り切ったカーティス大尉が、「失礼!」と一声かけて老婦人の腕を掴んでグイっとひねる。陶器の欠片がカタンと落ち、老女をとり押えた。ジュリアンがユールを抱き取り、わたしを助け起こす。
「離しなさい、無礼者! わたくしを誰だと――」
「どこの誰だろうが関係ないわ! ヴァルタ―さん! 警察! 警察呼んで!」
警察と言われて、護衛もカーティス大尉も、そしてヴァルタ―さんもギョッとする。
「警察だと、しかし――」
「エルスペス嬢、この方は!」
「ハンナには警察に駆け込ませているわ! きっともうすぐ来る! 身分が高かろうが、暴力行為を働いてお咎めなしだなんて、そんなの近代国家で許されるとでも?! ランデル国の一市民として、断固、この方たちを警察に突き出すわ!」
わたしの言葉が終わらないうちに、ハンナの声が響く。
「こっちです! 知らない女が突然やってきて! お嬢様を助けて!」
次の瞬間には乱暴な足音とともに、紺色の制服を着た警察官が数人、踏み込んでくる。わたしはすかさず叫んだ。
「助けて! お巡りさん! 強盗です! 王宮からの使者を装って、わたしに乱暴を!」
「きゃーお嬢様! なんてことー! 早く捕まえて、頭のおかしい老婆なんですー!」
「きゃん! きゃん! きゃん!」
ハンナがわたしに同調して悲鳴を上げる。甲高い若い女性の悲鳴と、犬のけたたましい鳴き声に、正義感の強い警察官は即座に、黒服の女性たちを拘束にかかった。




