13、カーティス家の醜聞
殿下は相当イラついているのだろう、胸ポケットから紙巻煙草を取り出し、だが食事中と気づいてまたポケットに押し込む。
つまりミセス・デイジーは殿下に向かい、わたしとカーティス大尉の仲が怪しいと吹き込み、さらに自分を売り込もうとした。……昔からって、わたしは彼女とは初対面だし、魔性の女なんて言われたこともない。
「ミセス・デイジーは、カーティス大尉のお兄様の婚約者だったそうですわね? しかも、婚約するという話もあったとか――」
わたしの問いかけに、カーティス大尉とシャーロット嬢が頷く。シャーロット嬢の顔色は真っ青だ。
兄の婚約者が、その死後、弟にスライドするなんてのは、よくあることだと聞く。カーティス家は結局、弟である大尉と、デイジーの従妹のシャーロット嬢を婚約させているのだから、家と家との結びつきを重視していたに違いないのだ。にもかかわらず――。
「なぜ、カーティス大尉とデイジーは婚約しなかったのですか?」
シャーロット嬢がぐっと息を呑む気配がした。カーティス大尉は困ったように下を向き、しばしの逡巡の上、言った。
「……十年前、挙式直前で兄が死んだのですが、その死因が……」
カーティス大尉は声を潜め、ほとんど聞き取れないくらいの声で言った。
「その……秘密なんですけど、王都の高級娼婦に入れあげて、娼婦の夫と喧嘩になって殺されたんです」
まさかの告白に、わたしも殿下も目を見開く。シャーロット嬢も驚いていたから、一族の重大な秘密だったのだろう。
「そんな理由で婚約者に死なれてしまったデイジーに対し、我が家は責任を感じて……当時僕はまだ、士官学校卒業前だったんですが、デイジーにプロポーズしたんです。でも――」
「彼女は断ったんですの?」
「ええ」
カーティス大尉が頷く。
「婚約者の不実は許せないし、その弟との結婚も今は考えられないって。それで、僕の家からはいくばくか迷惑料を支払う形で決着したんです」
「でも――」
わたしがチラリとシャーロット嬢を見た。
「ミセス・デイジーは、カーティス大尉のことが好きだと思いますわ。……少なくとも、シャーロット嬢をいびるくらいには」
ギクリと硬直するシャーロット嬢を見て、カーティス大尉が目を見開く。
「デイジーが、ですか? でもなら――」
「好き、とかじゃなくて、単純に結婚相手としては、ジョナサンの方が格上だと、逃がした魚が惜しくなったのかもな。フランクってのは、もしかして、王都のフランク商会? あの死んだ前会長だとしたら――あ、それでか!」
殿下が思い出したと、小さく叫んだ。
「バーナード・ハドソンが、フランク商会の前会長は、若い後妻が不倫して、その後めっきり老け込んだと言っていた。つまりその後妻が、あの女ってことか!」
「不倫――? デイジーが?」
カーティス大尉とシャーロット嬢がギョッとした表情でお互いの顔を見合わせる。
「……デイジーは未亡人になった後、義理の息子と折り合いがよくないと聞いていましたが、まさかそんな理由だとは……」
戦地にいたカーティス大尉はもちろん、善良なカーティス家の人々も、そして田舎に暮らすパーマー家の人々も、全く気付いていなかったらしい。
「……エルシーはあの女にあったことはないんだな?」
突然、殿下に聞かれて、わたしが頷く。
「ええ、今日が初対面ですわ。でも、わたしが昔から魔性とか、適当なことを言ったようですわね?」
「あの女、俺がリンドホルム城の庭の一部を買おうとしているのを、知っていた」
わたしがハッとして手を止める。
「あの女、お前が庭を取り戻すのを目的に俺に近づいたんだ、なんてぬかしやがった。いったい、誰から聞いた話なのか――」
わたしの脳裏に、ある名前が浮かぶ。
「……ダグラス・アシュバートン?」
素早く食事を終え、わたしたちが大広間に戻る。ピアノの前で、マールバラ夫妻とさきほどの騒ぎで尻もちをついてしまったワインカラーのドレスのご令嬢が、何やら話し合っている。彼女の手首には、白い包帯が巻かれていた。転んだ時に手首を捻ったのかもしれない。
わたしたちが入っていくと、ヴァイオレット夫人がわたしたちに言った。
「アルバート殿下、先ほどの騒ぎで、こちらのお嬢様が手を怪我して、ピアノが弾けなくなってしまったのですわ。それで、一人、演奏者がいなくなってしまったので、どうしようかと相談していたところで……」
そこに、グレイのドレスのミセス・デイジーがやってきた。
「デイシー? 演奏を引き受けてくださる方はいらっしゃった?」
「ヴァイオレットおば様! わたくし、いいことを思いついたんですの!」
ミセス・デイジーはわたしたちを振り向いて、妖艶に微笑んでみせた。
「シャーロットがいますわ。それから、ミス・アシュバートン。この二人に弾いていただけばいいわ。ねえ、シャーロット? ピアノ得意でしょう?」
無邪気を装ったその表情の下にある悪意を、わたしははっきりと嗅ぎ取った。
マールバラ公爵邸の音楽会は、王都ではそれなりの格式ある催しらしい。
プロの演奏者も呼ぶが、素人の演奏者にも半年前には打診して、いずれも十分な準備の上に臨む。突然言われて、飛び入りで参加するような、そんな会ではない。
いきなりピアノを弾けと言われて、シャーロット嬢は真っ青になって、今にも卒倒しそうだ。
「デイジー、無茶を言うな! シャーロットは最近、王都に出てきたばかりで、こういう会にも慣れていない」
カーティス大尉が反論し、シャーロット嬢もその場にへたり込みそうになって、わたしが咄嗟に支える。
ヴァイオレット夫人もマールバラ公爵も、見るからに気の弱そうなシャーロット嬢に、同情的だ。
「まあ、それはそうよねぇ……」
「突然言われてもな。レパートリーが他の人の曲と被ってしまってもよくないだろう」
しかし、ミセス・デイジーは空気を読まないフリをしてなおも食い下がる。
「でも、誰かが代わりに弾かなきゃなりませんわ」
別に一曲や二曲分くらいの時間、どうとでも誤魔化せるのに、どこまでもシャーロット嬢を嬲りたいのだろう。ミセス・デイジーの悪意は、相当に根深いようだ。
「ミス・アシュバートンはどうですの? ピアノはお得意なのでしょう? ご実家ではずっとピアノばかり弾いておられたとか。それに、そもそもルーシー様がお怪我なさった騒ぎに、ミス・アシュバートンも無関係ではありませんでしょう?」
突然、攻撃がこちらにも飛んできた。ルーシー様、というのが、怪我をしたワインカラーのドレスのご令嬢らしいが、わたしに責任を押し付けられても困る。わたしは表情を変えずに言った。
「わたくしの実家での暮らしを誰から聞いたのか存じませんが……わたくしが今、練習しておりますのは、こういった催しには不向きな曲でして」
「……たしかに、前衛的過ぎて、観客が置いてきぼりにされそうだな」
殿下も助け船をだしてくれるが、ミセス・デイジーは引き下がらない。
「あら、面白そうだわ。是非、聞いてみたいと思われませんこと? みなさん」
今、王都で話題のアルバート殿下の愛人に、ピアノを弾かせて見世物にしたいらしい。
「ちなみに、前衛的とはどんな……」
マールバラ公爵の隣に立つ、嫡男のブラックウェル伯爵ゴードン卿が尋ねるので、わたしはてらいなく答えた。
「亡命作曲家のレフ・ハリアビン氏の、練習曲です。かなり実験的な作品と見受けられますので、こういった催しにはあまり……」
「そう、俺がエルシーのために作曲を依頼したのだが、楽譜を見てもなかなかに個性的で――」
アルバート殿下が前衛芸術に興味がある、という話はそこそこ広まっている。その殿下がわざわざ作曲を依頼した、特に有名でもない、外国からの亡命作曲家の作品。およそ、こういう催しには似つかわしくあるまい。
「なら、やはりシャーロットに……」
シャーロット嬢がビクっと身を震わせ、涙目で胸の前で両手を握りしめている。……こういう小動物みたいな弱々しい態度が、デイジーのような女の嗜虐欲を煽るんじゃないかしらと、わたしは思う。
何となく硬直してしまった場の雰囲気に、殿下がわたしの耳元で言う。
「どうする? お前かシャーロットが弾かない限り、場がもたないぞ? 俺がブチ切れてもいいけれど――」
殿下が暴れてせっかくの音楽会を台無しにするのは避けたかった。わたしは腹を括る。
どうせ、間違えたって誰にもわからない。なにしろ、わたしが世界で最初の演奏者なのだから。




