11、社交界の悪女指南
ほぼ時間通りに会は始まり、近頃王都で売り出し中の新進気鋭のピアニストと、チェロ奏者による、有名な巨匠の作品が演奏される。
実を言えば、こういった貴族の館で開かれるサロン・コンサートは初めてだ。――小さな公共ホールでの演奏会は、二度ばかり連れて行ってもらったし、歌劇場も数回あるけれど。
この家の跡取りである、ゴードン卿がバイオリンで参加する三重奏曲。たしかになかなかの技量で、素人とは思えなかった。――彼の兄が戦死しなければ、彼が跡取りでなければ、もっと自由な道を選べただろうに。
数曲ごとに休憩が挟まれ、隣室では飲み物と軽食が提供される。休憩時間、わたしは殿下に断りを言い、化粧室に行こうと立ち上がった。すると、近くにいたシャーロット嬢も、立ちあがろうとする。
「あ、あの――わたしも……」
が、ドレスの裾を踏んづけ、うまく立ち上がれない。わたしはシャーロット嬢に言う。
「ゆっくりでいいわ。ドレスの裾が……」
「あ……」
するとカーティス大尉も立ちあがり、近くまでついて行くと言う。
「殿下の護衛はよろしいの?」
「俺の護衛はちゃんと周囲にいる。ジョナサンはエルシーの護衛だ」
殿下が言い、確かに、周囲にはさりげなく、見覚えのある護衛の方たちが控えていた。
「僕は婚約者のお守りをしているように見えますでしょう? お気になさらず」
「でも、シャーロット嬢まで巻き込むのは申し訳ないわ?」
「王族に仕えるというのは、こういうことですから」
カーティス大尉がすっぱりと言い、シャーロット嬢も頷いた。
わたしたちが化粧室に向かっていくと、連れ立って歩いてきた令嬢たちと、正面からすれ違う。
「……図々しいわね、愛人のクセに」
「ホント嫌ね、泥棒猫はどこにでもいるのよ」
濃い青色のドレスと深緑色のドレスを着た令嬢が、すれ違いざまに聞えよがしに言うけれど、わたしは無視して通り過ぎる。わたしが反応しなかったのが気に入らなかったのか、彼女たちはなんと、シャーロット嬢にわざとぶつかって、「あら、ごめんあそばせ」「あら、いやだ、泥棒猫の金魚の糞に触っちゃったわ」と言い、クスクス笑いさざめきながら通り過ぎていった。
「シャーロット、大丈夫か?」
「はい、ジョナサン様、その……」
何となく、そのやり取りにわたしはイライラして、つい、カーティス大尉に言ってしまった。
「大丈夫か、なんて後から慰めるくらいなら、あの失礼な方たちに、一言ガツンと言っておやりになればよかったのに。殿下だったらタダじゃ済まさなかったでしょうね。あなたの婚約者でしょ?! だいたい、シャーロット嬢もいちいち反応するから、妙なのに絡まれるのよ」
「あ……そ、そうですね、申し訳ない。僕はまさかシャーロットが絡まれると思っていなかったから、反応が遅れてしまった。……次からは気をつけます」
「わたしの側にいると、シャーロット嬢までとばっちりを食いますわよ?」
「すみません、考慮するべきでした」
「ジョナサン様は悪くないんです、わたしが……」
謝るカーティス大尉と彼を庇うシャーロット嬢に、わたしはむしろイライラが募る。……カーティス大尉は「仕事」だと言うし、わたしが危害に遭えば殿下にも迷惑がかかるから、彼が護衛につくのは仕方がないと思う。でも、シャーロット嬢はカーティス大尉の婚約者であって、わたしとは直接、関係のない相手だ。
シャーロット嬢とわたしは同い年。シャーロット嬢の家は子爵家だけれど、ミドルトン侯爵家の分家筋で、王都に縁もあって羽振りはいい。戦時中も貴族令嬢として親や兄弟に守られ、二年前に社交デビューだって果たしている。社交界デビュー前に父に死なれ、領地を追い出されて王都で働いていたわたしとは違う。わたしよりはるかに恵まれ、物慣れて当然のはず。なのに、結局、グズグズと庇われているだけ。――あまりに頼りなく、役に立たない彼女に苛立ちを感じてしまう。
化粧室の鏡の前で化粧を直しながら、わたしはシャーロット嬢に言った。
「わたしと一緒にいると、あなたもあれこれ言われるわ。わたしは愛人扱いに慣れているけど、深窓のご令嬢のあなたを巻き込むのは気が引けるの。ミセス・デイジーの側にいた方がいいのではなくて?」
シャーロット嬢がびっくりして、榛色の目でわたしを見る。別にひどいことは言ってないと思うのに、その目がみるみる涙で潤み始め、わたしは内心、ウンザリした。――申し訳ないけれど、わたしはこの子ウサギちゃんのお守りができるほど、社交界に慣れてないのだ。
「だ、大丈夫、です。……その……デイジーが、怖いので……」
「怖い? 怖いって……どういうこと?」
「……その……前に、このお邸でデビューしたのですけれど……その時……わ、わたし、デイジーに押されて転んで……ワイ、ワインを人にかけてしまって……でも、デイジーは押してないって……」
わたしは目を瞠る。
「デイジーがわたしの代わりに謝ったり……お父様もお母様も、デイジーがいなかったら大変なことになっていたって、ますますデイジーを頼りにして……でも、わたし……」
何となく構図が読めて、わたしはさらにウンザリする。
「……デイジーは、本当はジョナサン様のことが好きだったんです。でも、ジョナサン様より年上だから結婚はできず、王都の商家に後妻に入って……わたしがジョナサン様と婚約したと聞いて、わたしなんか相応しくないって……」
「そうなの。でも、カーティス大尉もあなたのことを婚約者として尊重しているんだから、もっと堂々としていればよろしいのよ」
「でも――わたし、あなたみたいにキレイでもないし、堂々ともしていないし……」
「わたしは堂々としてるっていうよりは、もう諦めて開き直っているだけよ。あと、もともと、顔の表情が変わらないの。祖母にね、古代の彫刻になったつもりでいなさい、っていつも言われていたせいかもしれないわ。あなたは表情が変わり過ぎるのよ。ホラ、今からは古代の彫刻になったつもりで!」
「こ、古代の彫刻ですか?」
シャーロット嬢が鏡の前で戸惑って表情を作る。……祖母の淑女教育はかなり無茶だったけれど、今になってそれに助けられている。
「それから、もっとシャンとして上を向いて」
「は、はい……」
「ほら、すぐ下を向く。深呼吸してね。胸を張って」
「は、はい!」
慌てて深呼吸する彼女を見て、なんだか妙な気分になる。自分を守るだけで手一杯だって言うのに、なぜ、護衛の婚約者の面倒まで見ているのか。
「じゃあ、行くわよ。本日の一番の悪女はわたし。デイジーなんて目じゃないわ。あなたも悪の組織の女幹部になったつもりで。よろしくて?」
「あ、悪の組織……?」
シャーロット嬢が困惑顔でわたしを見る。わたしだって悪の組織なんて見たことないけど、ビリーの小説の、悪役の黒幕はいつも悪の組織で、一人くらいは女幹部が出てくる。たいてい、有能な美女だ。世間知らずのわたしが知らないだけで、きっとこの世のどこかにあるんだろう。
「悪の組織の女幹部ですか? でも、さっきは古代の彫刻って……」
「古代の彫刻似の悪の組織の女幹部だっているでしょう! あなた応用力が足らなさすぎるわ」
シャーロット嬢が一瞬、泣きそうな表情をするけれど、わたしが鏡越しに睨みつけると、慌てて古代の彫刻風で、ちょっと悪そうな表情を作った(つもりらしい)。
「こ、こうですか?」
いちいち聞いてくるシャーロット嬢に、本気にするなんてあなた馬鹿なのって言ってやりたかったけど、我慢したわたしは、わりと優しいと思う。




