6、継承権
朝食後も、ユールを膝に抱いたわたしに、殿下は暖炉の前で話を続けた。
まず、マールバラ公爵の反対は、議会に対し一定の影響力を持つらしい。
「オズワルド卿は俺の次ぎの継承権を持っている。俺の結婚問題が、一番影響を与える人物と言ってもいい。その彼が自身の不在時に、俺の婚約の承認が勝手に議決されたことに不満を表明した。多くの議員が、その不満を当然のものと考えた」
マールバラ公爵が、アルバート殿下の望む令嬢を妃に推薦する、という情報も出たことで、貴族院にも動揺が広がった。――騒動の元になった愛人が、没落したとはいえ貴族令嬢であること、さらにその父親が殿下の命を庇って戦死した事実も報道され、同情が広がっているという。
「ただ――これはやりようによっては諸刃の剣なんだ。お前の父は俺を庇って死んだのに、代襲相続が却下されている。これをつつくと戦死者遺族を刺激する可能性がある」
戦争は終わり、講和会議でかなりの額の賠償金と、有利な条約を締結できたとはいえ、戦死者は戻らないし、戦争の被害も全てが埋め合わせられるわけではない。敵国の王家が温存されたことに不満を抱いたり、賠償額が不十分だと感じる者もいる。戦死者が報われていない、との世論を喚起する可能性があった。
「俺は革命を起こしたいわけじゃないんだ」
わたしの膝の上でうつらうつらするユールのモコモコの毛皮を、殿下の大きな手が撫でる。
「それに……ステファニーの件も……」
わたしがハッと凍り付いた気配を感じ取ったのだろう、殿下がわたしの肩口に顔を寄せ、溜息を零す。
「俺の考えが甘かった。俺はステファニーは何も知らない子供で、王妃に言いように利用されてるだけだと思っていた。甘やかされ、ちやほやされて、王子の俺に我儘を言って悦に入っているだけの、愚かで子供っぽい女だとばかり。婚約を白紙に戻せば、いつ戻るかわからない俺のことなんか忘れて、すぐに別の男に嫁に行くだろうと、たかを括っていた。まさか、ゴシップ紙や王都の噂を本人が真に受けて、俺と相思相愛だと信じ込んで、俺の帰りを待っているなんて、想像もしていなかった」
わたしは殿下の、めずらしく固めていない、黒い癖毛に手を伸ばし、それを撫でる。
「仕方ありませんわ。噂を真に受ける人は多いけれど、本人まで真に受けるなんて、思う人はいません」
「……ステファニーは、俺に愛されていなかったことは、理解したらしい。俺が今、愛しているのはエルシーだけだってことも。そこで、大人しく身を引いてくれれば、大事にならずに収まってくれるはずなんだが――」
殿下が顔をあげ、本当に困惑した表情でわたしを見た。
「なんだか予想もしない方向に決意を固めてくれて、俺はどうしたらいいかわからない」
「いったい、何を言い出されたのです?」
殿下が眉間に深い皺を刻み、言った。
「……俺に愛されなくとも、妃の役目は果たすから、お前を愛人として囲ってもいいとか言い出した。最初聞いたときは、頭に血が上って殴りつけそうになった。本当にふざけている」
「それはつまり、彼女が正妻で、わたしが愛人ってこと?」
彼女の意図が理解できずに尋ねれば、ぶすっとした表情で殿下が言った。
「本当にふざけてるだろう。あくまで自分が正妻だなんて、図々しい」
午後、久しぶりに、殿下と二人で外出した。
本当は喪服で動きたかったのだけれど、最近、三流ゴシップ紙が立て続けに喪服姿のわたしの写真を掲載し、新聞記者たちがわたしの喪服を目印にしているかもしれないと言う。たしかに、喪服はただでさえ目立つ。それで、わたしは黒い喪服の上に、普通のツイードのコートと帽子を被って誤魔化すことにした。
殿下は王都のとある新聞社を買収し、さらに、他社に対しても、わたしについての報道を控えるよう、圧力をかけた。おかげで、大手の新聞社の報道は落ち着いたのだが、代わりに三流の新聞社が暗躍するようになった。このクラスになると殿下といえども統制など効かない。
「コバエだと思って、無視するしかないな」
殿下が溜息交じりに言う通り、差し当たって手の打ちようはない。
今日は、殿下もありがちなオーバーコートに中折れ帽で身をやつし、ステッキを持って馬車に乗る。出がけに、ジュリアンが花屋から届けられたという、温室咲きの薔薇の花輪を渡す。
「薔薇が萎れないうちに、墓地から回ろう」
殿下に言われ、わたしは目的地に気づく。
「……ローズの、お墓ですの?」
「ああ。普段はこんな時期には行かないんだけど、おばあ様の件もあるし、ローズに報告したいと思って」
おばあ様が亡くなってからは、バタバタ忙しくて墓参りにも行けなかったそうだ。
「……ローズの墓を、いずれリンドホルムに移したいと思うけれど、難しいだろうな」
馬車の中で殿下が呟く。ローズはおばあ様の従妹の娘で、正式な養女になっているわけではない。
「そもそも、リンドホルム城も、もうわたしの家じゃあないのですから」
「……そのことだが……」
殿下が躊躇いがちに言った。
「俺は――エルシーの爵位を取り戻したいと思っている。俺たちが正当に結婚の許しを得るには、それが一番、近道なんだ」
殿下の言葉に、わたしはハッとして、姿勢を正す。
「……わたしが、リンドホルム伯爵の継承人である方が、議会の承認を得やすいということなのですね?」
「有り体に言えばそうだ。……それに、言いにくいが、現在のリンドホルム伯爵がサイラス・アシュバートンのような男だというのは、王子の妃の親族としては望ましくない」
「ええ、わかります」
サイラスはもともと、町医者だった。爵位を継ぐ可能性もほぼなく、上流階級との付き合いもない。田舎の気のいい、穏やかな人だと思っていた。……あの日、ビリーが死んだ日までは。
「サイラスはともかく、ダグラスはさらにまずい。……王都では違法な先物取引にも関与していたらしいし、さらに商家の夫人と不倫関係になって金を貢がせていたりと、調べれば調べるだけ埃が出てくる。こういうチンピラが身内にいるっていうのは……」
殿下が言いづらそうに言葉を濁す。
「でも、親戚は仕方がありませんわ。代襲相続が却下されてしまったわけですし」
「そうなんだが……代襲相続の請願が却下された理由が不自然なことをついて、相続のやり直しを求めたいところだが、分が悪いんだな」
「……分?」
殿下はわたしを抱き寄せたまま、記憶を辿るように、窓の外を見た。
「……ビルツホルンでの、マールバラ公爵との話を憶えているか? マックス・アシュバートンは、ビリーが男児を生せなくとも、必ず娘のエルシーに代襲相続させることを条件に、出征を受け入れた、と」
「ええ、憶えています。なのに、国王陛下はわたしの代襲相続を却下した」
国王陛下は父からローズを奪ったばかりか、父の命懸けの請願を反故にした。マールバラ公爵は、いくつかの偶然と悪意が重なった結果だと、言ったけれど、どう説明されたところで、納得いくとは思えない。
「……マックスは、ビリーには子供が作れないと知っていた」
「え?」
わたしは驚いて殿下を見た。馬車の、車輪の音が響く。
「ジョンソンに聞いたことだが、ビリーは、おたふくかぜを患ったそうだね。それも、かなり重い――」
「そんなことが、あったような気も――」
ビリーはしょっちゅう、何かしら病気をしていたから、わたしは記憶していない。
「あれにかかると、男性は子種を失うことがある。――マックスが出征する前の年、ビリーの進学する学校を決めるために、王都に出かけただろう?」
「……そう、言えば……」
父とビリーだけで王都に出かけて……わたしも本当は行きたかったのに、祖母と留守番したのだった。
「その時、マックスは王都の王立診療所でビリーを診察させたそうだ。……その、カルテが残っていた」
わたしが、無言で殿下を見上げる。殿下の金色の瞳が、わたしをまっすぐに見た。
「――子供を生せない可能性がかなり高い、という診断結果だったが、ビリー本人には伏せられた。まだ、理解できなかっただろうから」
「……そのことを知っているのは――」
「マックスと、主治医のサイラス。そして、顧問弁護士のジェファーソンと、おそらくだが、執事のアーチャー」
「おばあ様は……」
「おばあ様には、伝えていないと言っていた。……俺は、戦地でマックスから聞いた。このままでは、リンドホルムの直系は絶える。ビリーの次ぎの法定相続人であるジェームス・アシュバートンは、リンドホルムに何の愛着もない人間で、彼に任せることはできないとマックスは考えた」
殿下がわたしを抱き寄せ、耳元で言った。
「すべては、娘のエルシーに伝えたい。リンドホルムの城とローズの愛した庭を守るためにも――」




