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7、守られなかった約束

「……お、とうさま……」


 涙が零れ落ちる。どうして――。

 どうしてその請願が反故(ほご)にされているのか。

 

「……弁護士のジェファーソン先生は、わたしの代襲相続が認められないはずがないと、何度も王都に足を運んでくださったわ。なのに――」


 顧問弁護士に下された却下の理由は、父の戦死の状況がはっきりしない、という理由だった。あの頃はグリージャの中立破棄で西武戦線の戦況が悪化し、戦線は崩壊直前だったらしい。陸軍司令部も混乱して――。


「あの時のシャルローの奇襲で、俺の部隊はほぼ、全滅だった。俺の生存も絶望視されたくらいだから。でも、マックスが俺の盾になって俺を庇ったことは、父上にも報告していた。……だから、まさかマックスの家の代襲相続が却下されるなんて、想像もしていなかった」


 殿下はわたしを抱き締めたまま、低い声で言う。


「俺は帰国後にその事実を知り、当然ながら法務局に問い合わせた。だが、法務局に残っていた申請書類の却下の理由は、〈書類の不備〉だった。それで俺は、当初、顧問弁護士がサイラス・アシュバートンと結託したのではと疑った」

「そんなはずはないわ! だって、あの時点では、サイラスおじ様は法定継承人ではなかったもの!」


 わたしが叫べば、殿下も頷いた。


「そう……弁護士のジェファーソンにももちろん、話を聞いた。彼は何度も法務局に出向いて問い合わせたし、陸軍にも問い合わせた。だが結果はすべて却下だった。ジェファーソンには理解のできない理由で、誰かが申請を握りつぶしたんだ」

「そんな……いったい誰が――」


 わたしの問いかけに、殿下が眉を寄せる。


「国家の上層部は、シャルローの状況を明確にできない理由がある。〈マックスが俺を庇って死んだ〉、その状況を客観的に明らかにする、調査を国王は打ち切った。だから、〈マックスの戦死の状況ははっきりしない〉ままになり、戦死状況の詳細を記した書類が存在しないとして、申請は却下された。……つまり、代襲相続の却下を覆すには、国の上層部を動かさないといけない。でも、戦死者の代襲相続が認められていない、という点は、国としては公にしたくない。俺が分(ぶ)が悪いというのは、そういう意味だ」


 殿下の大きな身体に抱き寄せられていても、わたしの心は冷えていく。国のために命を懸けた父の願いを、国家は何かの理由で反故にし、そのまま握りつぶした。どうして――。


「だが、もう一つ、疑惑がある。ビリーの死因だ」


 わたしがビクっとして、殿下の顔を見上げれば、殿下はまっすぐ、金色の瞳で見下ろしてくる。

  

「ビリーが倒れた時、同席していたサイラスが主治医としてアレルギーだと断定し、それで死亡診断書も書かれた。なぜ、誰も異議を唱えず、数日後にはさっさと埋葬してしまった。俺はそれが一番、不自然だと思っている」

「それは――おばあ様もわたしも、ただ茫然として……」


 わたしは意気地がなくて、変わり果てたビリーの遺体をよくよく眺めることすらできなかった。ただなすすべもなく泣き暮らして――。


「それは仕方がない部分もある。直前に父親のマックスの戦死が伝えられ、死体すら戻らなかった。その直後の、ビリーの突然の死。心臓の弱いおばあ様や、十六かそこらのお前が、死因に疑問を抱いて対処するなんて、無理だろう」


 わたしは殿下に縋りついて、あの時のことを反芻する。

 半狂乱になったおばあ様を宥め、自分だって半ばパニックだった。すべてはスミス夫人と、執事のアーチャーに任せきりで――。


「ビリーの死因のアレルギーだが、やはり怪しいと俺は思う。それ以前に大きな発作もなかったし、主治医が側にいたのに対処が間に合わないなんて、あり得ないだろう? あれが他殺であれば、間違いなくサイラス・アシュバートンが関係している。死亡診断書を書いたのは、ヤツなんだから。それが証明できればサイラスの相続をひっくり返せるし、エルシーへの相続をもぎ取ることができる。だから――」

「でも証明する法なんて、ありますの?」

「……ビリーの死体を掘り返して司法解剖に回せば――」

「やめて!」


 わたしは思わず叫んでいた。


「もう、そんなことはやめて! ビリーはまだ十四歳だったのに。領地のために殺されるなんて、あんまりだわ」


 両手で顔を覆ったわたしを抱き締める、殿下の腕に力がこもる。


「だが、罪を暴かなければ、ビリーはずっと……」

「すごく苦しそうだったのに、わたしは何もできなくて――あれが人殺しだっただなんて、そんなの、あんまりひどい――」

「エルシー……」


 殿下が、わたしを正面から見据えて、言った。


「だからこそ必要なんだ。ビリーや、マックスの無念を晴らすためにも。そうだろう?」


 ビリーの死体を掘り返し、司法解剖に回す。

 ――想像するだけで恐ろしくて、全身が震えてしまう。


 サイラスおじ様が、ビリーを殺した? 毒か、何かで――?

 わたしは首を振る。それは、あり得ない。


「……以前も言ったように、ビリーが倒れた段階では、サイラスおじさまは継承者じゃなかったんです。ビリーを殺す理由が――」


 だが殿下は言った。


「ビリーの次ぎの継承権者だったジェームズ・アシュバートンについても調べた。彼はマックス・アシュバートンとほぼ同じころ、東部戦線で戦死したが、彼の戦死の報がリンドホルムに来るのはかなり遅れた。当時、リンドホルムは、マックスの戦死で混乱していたから、親戚の一人の戦死が伯爵位の継承に関連するなんて、考えるものはいなかった。――たとえ、ビリーに何かあったとしても、戦死者の遺族であるエルシーへの代襲相続が認められると、誰もが考えていたから」


 殿下は少し考えるようにして、窓の外に視線を送る。ガラガラと、車輪の音が響き、しばらく沈黙が続いた。


「……これが、どういう意味を持つのか、あるいは持たないのか、俺はよく、わからない。ビリーに子供が望めないことを、マックスの外、主治医のサイラスと、顧問弁護士のジェファーソン、それからたぶんだけれど、執事のアーチャーは知っていたと思う。そして彼らは、ビリーの次ぎの継承者であるジェームス・アシュバートンの戦死は知らなかった」


 わたしは殿下の言おうとすることが理解できず、ただ、車輪の音を聞いていた。


「戦死者の遺族に女児しかいない場合の代襲相続の特例は、通例、戦死から一年かそこらしか認められない。例えば、ビリーが十年後に男児を残さすに死んだ場合、エルシーへの相続は、普通なら無理だ。事前に申請をしていれば可能だが、二十四歳の男盛りが、自分に男児が生まれない可能性を考えるだろうか?……少なくとも、俺はそんな可能性は考えたことはない」

「……でも、お父様は国王陛下に請願して、ビリーの死後はわたしに代襲相続を認めるという、確約を得ていたのでしょう? だったら――」

「それは国王との密約だ。マックスが無事に帰国してから後、ビリーの成長を待って明らかにする予定だった。当然、サイラスも弁護士のジェファーソンも、内密の書類だからアーチャーですら知らないことだろう。それを知っているのは国王と、マックスの元上司であるマールバラ公爵、そしておそらく――」


 殿下はそれ以上は何も言わず、馬車の中には沈黙が降りた。 

 殿下の話は、どこかがおかしかった。

 重要な部分が繋がっていない気がした。


 ビリーが子を生せない可能性を知って、わたしへの相続の確約を求めた父。

 ビリーの秘密を知りながら、国王との確約を知らなかった、サイラス、執事のアーチャー、弁護士のジェファーソン。

 ビリーの次ぎの継承権者だった、ジェームズ・アシュバートンの戦死の報は、リンドホルムには遅れて届く。

 慌ただしく埋葬されてしまった、ビリー。


 そして国王との確約がありながら、なぜか却下されたわたしの相続。

 ――いくつかの悪意と、偶然が重なった。

 

 マールバラ公爵の言葉が、わたしの中でぐるぐると回る。

 それはある一つの方向を指し示している気がしたけれど、わたしはそれ以上考えるのを放棄した。


 殿下も口にしなかったそれは――それは、あまりに恐ろしく、罪深いことだったから。


「ビリーは、静かに眠らせてあげたいの――」


 わたしの言葉に、殿下も頷く。


「気持ちは、わかる。だが、このまま引き下がれば、リンドホルムを守ることはできない。お前と俺の結婚も――」

「爵位がなければ結婚は無理だと言うなら、わたしは――」

「違う、そうじゃない!」


 殿下が慌てて言う。


「奴らがビリーを殺したのは、間違いないと俺は確信している」


 わたしはまだ信じられない。信じたくない。


「お前を守るためなんだ、エルシー……」


 わたしは、ビリーの墓を暴くことに、同意できなかった。

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