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長い一日

 王太子アルバートの戴冠式が近づくと、周辺国の王侯貴族、地方の領からも続々と貴族たちが王都に入ってきた。


 レイの館にはバーデット家が、アグネスを連れて挨拶に訪れていた。


「見違えたね。お姫様みたいだ」


 まだ緊張してカクカクしたお辞儀が怪しいので及第点だが、義母となったアガサがよく面倒を見ていた。


「とても素直で可愛らしい」とアガサは知人に、自慢の娘だと紹介しているという。


 アガサとアグネスはしばらくレイの館に滞在する。


 王国騎士団には嫌な顔をされたが、アレス国王の護衛にはベネノン騎士団の者もいた。


 相変わらず暑苦しい挨拶をするサイラスだが、騎士団副団長としては有能らしく、連れて来た騎士は全員身元と交友関係も調べあげていた。


「姐さんに背く奴はいないですよ」


 レイから命令する予定はないのだが、助かるよとだけ言った。


 忙しい時に、また余計な事はしないで欲しい。それだけ。


「ところで、あのご令嬢は?」


 サイラスがチラチラと、先ほどから気にしているのはアグネス。


「ヴィンの妹だよ。養女だけどね」


 後で紹介してくださいと、サイラスは行ってしまった。


 花でも買いに行ったのかな。ヴィンが聞いたらどんな反応するんだろう。


 次兄レオンとレイは、この式のために、半年も前から検問所で身分を証明できた者だけを通過させ、荷物はすべて調べた。


 不審なものは入れない。贈り物も城外で受け取り、安全を確かめる念の入りようだった。


 だが敵はそれ以前から、以降も街に入り込んでいた。


 少しずつ、あちこちに忍ばせ、悟られないように友人の顔をして。


 戴冠式当日の明け方の事だった。


 人通りもなく閑散とした街中を、御者のいない荷馬車が何台も駆け抜けた。


 馬は興奮し、止まることはない。


 荷台から瓶が転げ落ち、硬い石畳にあたると、割れて――爆発した。


 パンパンと何の音かと不審に思った者が外へ出ると、あちこちに火の手が上がっていた。


 突然、窓ガラスが割れて、火のついた家もあった。


 まだ気づかない家に知らせる者、消火する者、逃げる者。怒鳴り声と泣き叫ぶ声――。


 レイの耳にも火事を知らせる鐘の音が聞こえた。


 門番が「街中が火の海」だと慌てて報告にきた。


「ヴィンは街の様子を。ハリーは城の様子を」


「お前は?」


「ここに救護所を作る。早く行って」


 消火活動や避難誘導は警備隊や騎士団が行う。街には初期消火を行う消火団もいる。


 なら自分たちは。


 レイはブリジットと共に救護所を開いた。


 屋敷内にある布や食料、水、すべてを惜しみなく出すようメイドたちに言いつけ、ポールとエヴァに火傷と傷薬をありったけの薬草で作らせる。


 薬草士仲間が手伝いたいと薬草を持参して来てくれた。ありがたい。救護院にも薬を届けるように指示を出す。向こうではジャックが診療を始めているはずだ。


「いいか、薬も治療も限界がある。もし貴族が先に通せといっても程度が軽ければ通すな。文句言う奴がいたら僕の名とこれを見せて」


 第三王子、ウィステリア公爵の象徴石〈夜明けの空〉。貴族で知らぬものはいない。


 ブリジットの診療所にいる看護師が入口で、怪我の程度ごとに腕に目印の布を巻き付けていた。


 軽い者は庭に設けられた避難所へ、中程度の者はレイたち薬草士、重度の患者はブリジットたち医者が診た。


 重篤な者はいなかったが、油断はできない。


 休む暇なく治療をしていたレイのもとへ、メイドが双子からだと伝言を持ってきた。


 広間に小さな子どもと赤ちゃん連れの母親を入れてもいいかと。レオンの屋敷でも同様に高齢の者や体の不自由な者の受け入れを始めていた。


「もちろん。フローレンス、ここはいいから中を頼む」


 アガサも手伝っているようだ。心強い。


 双子がおもちゃや絵本を広間に並べ、メイドたちと小さい子の面倒を見ていた。


 フローレンスは不審な者がいないか目を配りながら、泣き止まない赤ちゃんをあやしていた。


 ふと気づくと、アグネスが広間の隅でうずくまっていた。


「アグネス様、アガサ様はどちらへ?」


「調理場の手伝いに、行かれてしまいました」


 調理のできないアグネスは広間を手伝うように言いつけられていた。


 遠くからドガンと音が聞こえた。その度にびくっと体を震わせている。


「ここまで火の手は来ませんよ」


「違うの。あの音、爆発音だよね。黒い粉がこの国にもあったの?」


 ――違う国にもあったということなのかしら。


「爺ちゃんがいつも瓶を持っていて、とても怖かった」


「それはイーデン様の事ですか?」


「爺ちゃんはこれさえあれば、大勢の人が殺せるって言ってた。みんな……みんな死んじゃうよ」


 フローレンスはすぐにレイに知らせようと、赤ちゃんをアグネスに渡し、駆け出した。


 廊下に出ると、先ほどまで広間にいたはずのアナベルが老人と話している。


「男手が必要だろう。このイーデンがお手伝いに来ましたぞ」


 アナベルが嬉しそうに笑った。


「イーデン様、ありがとうございます。水を汲むのをお手伝いただけますか?」


 メイドと一緒に水汲みに出るところだったとアナベルが話している。


「アナ様! ルー様が探していましたよ」


「フローレンス、顔が怖いよ。どうしたの?」


「急いでください」


「何か探し物かな。でも先にお水を……」


「それなら私が行きます! さあ早くルー様の所へ」


 メイドに大至急、広間ではなく、子ども部屋へ連れて行くよう頼んだ。メイドには伝わったのだろう。アナを抱きかかえて、駆け出した。


「護衛殿、なぜお姫さんに嘘をついた?」


「あなたは何をしにここへ?」


「質問をしているのは俺だ。おい、その手に持つのは何だ?」


 フローレンスは手に毒針を持っていた。


 イーデンが懐から瓶を取り出す。


「お祝いの品を公爵様に届けに来ただけだよ。通せ」


 屋敷中が火の海になるかもしれない。一針で仕留めても、瓶を落とされれば、屋敷に火がつく。


「ここにアグネスがいます。それでも、それを使いますか?」


 イーデンの表情は変わらない。


「おい、何をしている?」


 街の様子を探って戻ったヴィンがそこにいた。


「黒いのか。まぁいい。お前さんにやろう。受け取れ」


 イーデンが瓶の蓋を開け、ヴィンに投げてよこした。


「!!!」


 咄嗟にヴィンは瓶をつかむと、窓の外へ投げ捨てた。


 裏庭には人がいない。パンと爆発音がしたが、屋敷への被害は最小限で済んだだろう。


 ヴィンが安堵したと同時に、首に何か刺さった。


 後ろを振り返ると、フローレンスが倒れ、毒針を持ったイーデンが立っていた。


「……待て」


 走り去っていくイーデンを追いたいが、ヴィンの意識は薄れていく。


「誰かいないか!」


 あいつの声が聞こえる。そんなに焦ってどうした? 腹でも空いたか。菓子なら後で持っていくから待ってろ……。


 ヴィンの体が徐々に、冷たくなっていった。


 時間が経つにつれ、重症患者が増えていった。レイはブリジットに呼ばれ医者に交じり、治療を手伝っていた。


「一、二の三!」


 テーブルを急ごしらえのベッドにして、患者を担架から移す、患部を刺激しないよう服を裂き、冷却、消毒、軟膏を塗る。


 もう数えきれないほどの患者を診た。


 薬は足りるだろうか。


 汗をぬぐっていると、屋敷の奥から爆発音が聞こえた。


 気付けば、レイは駆け出していた。


 双子は無事か? 避難民は? 何が起きた?


 広間へ続く廊下に男女が倒れていた。


 ひとりはフローレンス。唇が切れ、顔には殴られた痕がある。


 もうひとり。黒髪の男。


 ――ヴィンが倒れていた。


「ヴィン!!!」


 息をしていない。


 レイの両手がヴィンの胸に当てられ、胸骨を圧迫する。


 何が起きたのだろう。大きな傷は見当たらない。


「レイ様! 毒針です!」


 ふらふらと起き上がったフローレンスが叫ぶ。


「解毒剤をくれ! 早く!!」


 レイは圧迫を続け、指で鼻をつまむとヴィンの口を自分の口で覆い、息を吹き込む。


「戻れ! 戻ってこい!!」


 フローレンスは解毒剤をとりに走った。


「戻れよ! 目を覚ませ!」


「うっ、ゴホッ」


 息を吹き返すと、フローレンスが解毒剤を仕込んだ針をヴィンの腕に刺した。


 ヴィンの意識はまだ戻らないが、息はしている。真っ白な顔に安心はできないが、レイは後は頼むとまた救護所に戻った。


「母上、なぜここに?」


「なぜって、私はまだ国母ですよ。助けを求める者がいれば、どこへでも出向きます」


 ハリーから救護所の事を聞いたグレースが、人出が必要だろうと侍女たちを引き連れてやって来ていた。


「侍女を幾人か置いて行くわ。子ども達は私が預かりましょう。あなた達はもう少し手を貸してちょうだいね」


 そこへエヴァが、困った貴族が来て、手に負えないと助けを求めて来た。


「案内して。私が行くわ」


 レイの手を煩わして、時間を無駄にはできないから。


 受付に行くと伯爵と名乗る男が、先に通せと大声でポールに怒鳴っていた。


 知り合いの女性が大火傷をしたと言っているが、そうは見えない。


「あら、モード伯爵ね。お連れの方は夫人ではないわね? 王城に行きなさい」


「さすが王妃様! 王城で診ていただけるのですね。こんな救護所より安心だ。助かったぞ」


 貴族は優先されて当然と思っている。前後に並んでいる平民の方がよほど優先度の高い火傷を負っているのは、見えていないようだ。


「診療の邪魔をする者はすぐにここから出なさい。王城の医療従事者はほとんど出払っていて、軽度の者に手伝いをしてもらっているの。あなたにもお願いできるかしら」


 王城には被害がなく、医療従事者はよそへ回されていた。


 気まずい空気の中、伯爵はすごすごと帰って行った。


 また困った貴族が来たら王宮に回すようポールに伝え、グレースはレオンとブリジットの息子テオドールと双子を連れて王宮へ戻って行った。


 王城は無事。子ども達も安全だ。きっと乗り切れる。


 レイはまた治療に戻った。

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