母と呼ばれる人 呼ばせない人
「切るぞ」
「出かけるんだから、早く切って」
レイは少し苛ついていた。
毛先をほんの少し切りそろえたいだけなのに、ヴィンとハリーがどちらも切るのは嫌だと押し付けあっていた。
ジャンケンに負けたヴィンがハサミを握っている。
「もう自分でやるからハサミ貸して」
「……俺が切る」
チョキンとほんの数本だけ切った。
結局メイド長のアメリアを呼んで、切りそろえてもらった。
さすが生まれた時から世話をしているだけある。
祖母と同じ年だが、レイにとっては第二の母。甘やかしているように見えて、実のところ躾には厳しかった。
服を汚そうが、傷だらけになろうが、どこで遊ぼうが、時間だけはきっちり守らせた。
上に立つ者は人前で泣くなと、それはそれは厳しかった。
野生児と呼ばれながらも、服を整え一国の王子様に仕立て上げ、偏食気味のレイにあの手この手で食べさせたのはアメリア。
可愛いとみんなに抱かれ、抱き癖がつくと言いながら、一番抱いてくれたのもアメリア。
どんなにぐずってもアメリアの胸に顔を埋めれば、すぐに泣き止んだ。
アメリアのドレスの裾をつかめば、怖いのも痛いのも忘れた。
「甘えん坊にしたのは私の責任ですね」というが、レイは感謝しかない。
間違えて、何度「お母様」と呼んだことか。
そんなアメリアの体調がここ最近すぐれない。
「年には勝てませんよ」と笑うが、心配であれこれ薬を出しても、一向に良くならなかった。
他から移ってきて間もない者、病気や事故で職を失い困窮する者が自然と集まってくる集落のような場所があった。
雑貨屋二号店を出したのをきっかけに、レイは王都の外れに救護院を設けた。
王都で開業する薬草士に声をかけ数名で運営していて、生活の相談にも応じていた。
「今日の当番はジャックか。よろしく頼むよ」
ジャックは研究熱心で、話し出すとつい熱くなってしまうほどだ。
新しい痛み止めの薬を無償で提供もしてくれる。
ベネノンで栽培されていたものとは違う薬草が見つかり、新たな痛み止めと注目されていた。
次々に訪れる患者の中に、レイの見知った女性がいた。
国外に追放したはずの従妹のマリアンヌが、大きなお腹をかかえて現れた。
「なぜ戻ってきたのか聞きたくもない。子を産んで、きちんと育てるつもりなら診療はしよう」
「お金がないの。助けてくれない?」
冷淡な従兄だろうが、すがれるものなら誰でもいいと言う。
「他の者たちと同じ扱いしかしない。君が稼げるようになるまで、親子を保護してくれる教会を紹介するだけだ」
「働くなんてもう嫌よ。家庭教師に雇われた先の貴族に結婚すると言われたのに、捨てられてこのざまよ。子どもなんていらないわ」
レイは怒りもしないが、話を聞く気にもなれない。
ジャックがレイの知り合いなら、しばらく自分の所におこうと申し出てくれた。
マリアンヌもこんな貧民街にいるよりましと付いて行ってしまった。
「反省した様子もなく、よく戻れたな。あれは何を考えているんだ」
もう今日は帰ると救護院を後にした。
早くアメリアを診たい。
「へえ、薬草店って儲かるの? 意外と広いし、住み心地良さそうだわ」
マリアンヌは通された客室でよいしょと椅子に座り、部屋を見まわした。
「昔からの家業でね。固定客がいるんだ」
ジャックは古いが店舗と自宅を兼ねた館に住んでいた。両親は他界し、今はひとり暮らし。通いで料理人と掃除婦を頼んでいる。
「もう産むしか道はないようだけれど、育てる気はないって事かな」
「欲しい者がいればあげるわ。ひとりになったら、また旦那になる人を探せるもの」
「レイモンド様に聞かせられないな。同じ血が流れているとは思えないよ」
「そうね、私も同感。あんな冷たい嫌な奴と血縁だなんて思いたくないわ」
バチン!
ジャックに頬を打たれた。
痛いと睨むが、冷たい目で睨み返されるだけだ。
「君がどうなろうと悲しむ者はいなそうだ。子どもだけは助けてやろう」
「何をする気なの?」
「臨月になるまで半月くらいか。食事と寝床は提供する」
逃げ出そうとしても、大きなお腹では走ることもできない。
部屋の鍵が閉められた。
「うまくいけば痛みはなく出産できる。まったく痛みがないわけではないが、少しはましだろう。終わればすぐにここを出られるよ」
尊敬するレイモンド様の従妹というから面倒をみようと思ったが、性悪な性格らしい。
「新薬の実験台にしてもいいだろう」
レイはアメリアの症状をブリジットに相談をしていた。
「腫瘍ができていると思うわ。どのくらい広がっているかは開腹しないとわからないわね」
「取り除けば必ず助かるという保証がない。高齢だし手術は難しいな」
症例が少なく、手術しても数年で半分が命を落とす。
今後痛みが増してかなり辛いことになるが、手術が成功したとしても、再発の可能性がある。
アメリアのことばかり考えていて、レイはマリアンヌの事をすっかり忘れていた。
マリアンヌに出産の兆しが訪れると、ジャックは新薬を投与した。
「あら、噂に聞くような痛みはないじゃない。閉じ込めるから、何事かと思ったわ」
「無事に産むことだけを考えろ」
いきむ時はやはり痛かったが、体力が残っていたのでどうにか乗り切れた。
「明日にはここを出ていけ。そして二度とレイモンド様の前に現れるな」
生まれたばかりの子の顔も見せてもらえず、翌朝マリアンヌは追い出された。
「レイモンド様。新薬は色々な患者に使えそうです」
「ジャックのおかげで助かる者が増えるな」
「レイモンド様が相談に乗ってくれたおかげです」
「そういえばマリアンヌはどうした? もう出産した頃だと思うけど」
実は……と、ジャックが話した。
「何だって、じゃあ新薬を妊婦に試したってことか」
レイは怒っていた。もし子どもに影響があったならと考えるだけでも恐ろしい。
母親だってそうだ。経過を診ずに追い出すとは、いくら何でも酷すぎる。
「ハリー、大至急マリアンヌを探せ」
ハリーが駆け出し指笛を吹く。
どこからともなく、鳩が飛び出してきた。
「ジャック、子どもはどこにいる?」
「……雇っている掃除婦に預けています」
レイの剣幕に青くなり、震える声で答えた。
「ヴィン、すぐにフローレンスを連れて子どもをここに」
わかったとヴィンも走って行った。
「ジャック、こんなこと二度としないでくれ。君は優秀だ。確かめる方法はいくらでもあったろう」
「ちょうどよく患者は現れません。頼めるような者もいないのです。罰なら受けますが、薬だけはどうか役立てて下さい」
同じく研究する立場であるので気持ちはよくわかる。
罰というならジャックの研究を知っていて、十分に手を貸さなかった自分も受けなければいけない。
新薬を認可するための手順を整備しなければならない。これは急ぐと決めた。
マリアンヌは国境を越える前に、高熱で行き倒れたところを親切な農夫に助けられていた。
ハリーが見つけだし、すぐにレイの薬が届けられ、大事には至らなかった。
薬と一緒に農夫へ謝礼が渡されたが、マリアンヌは知らない。
前領主であった亡き叔父は国王の実弟。その孫にあたる子を捨て置くわけにはいかない。
遠い親戚筋に内密で預けることになり、出生は秘される。女児だったのは幸運だ。男児であれば国外に出すか、あるいは……。
「お前なら子どもを引き取るとか、言い出しかねないと思っていた」
「彼女が何も変わらないなら、僕が手を貸すことはないよ」
「そういう姐さんが、俺は好きだな」
子には罪はなくても、レイが必要以上に手を貸すことはしない。
「マリアンヌはどうしている?」
「国外に出た。子はとある貴族に養子に出したと伝えたら、ありがとうと怖い薬草士に伝えてくれってさ」
自分では育てられないと道端に捨てる者もいる。
マリアンヌは子には情があって、レイに預けたいと王都へ来たのだろうか。
従妹の考えはわからないが、いつかまた訪ねてくる気がした。
レイは考えに考え抜いた末、ジャックの新薬をアメリアに投薬することに決めた。
アメリアに話すと、「最後までレイ様の側にいられるなら」と受け入れてくれた。
痛みがひどくなるようなら、屋敷を出るつもりでいたらしい。
「嫌だよ。アメリアは僕の母様なんだから、……どこにも行かないで」
レイが寝台に座るアメリアの膝に顔をうずめた。顔は上げられない。泣いてはいけないのだから。
白銀の髪を子どもの頃のように優しくなでてもらう。いつまでもこうしていたい。
「レイ様はやっぱり甘えん坊さんですね。アメリアはいつまでもお側にいますよ」
病魔がかなり進行していたが、アメリアはその後もレイの屋敷で、数年を穏やかに過ごした。




