リリアの婚約
また、駄目だった。
少し安堵したような表情の若い貴公子が礼をして、扉の向こうへ去って行く。
それを黙って見送ったリリアは、深いため息をついた。
未来の王配となるとどうしても条件が厳しくなる。
容姿はこの際、問題ではないが、優しすぎても駄目。時には厳しい判断も必要なのだ。
かといって厳しすぎても数年で離縁しそうだ。
このまま独り身で、親戚の子でも養女にもらおうかしらと考えていた。
そんな時、ひとりの貴族が手を挙げた。
小国クリフの国王の弟で年は45。
リリアより二十歳も上。さすがにないわと断ろうとしたのだが……。
ノアールの乳製品を食べた者が病に倒れた。すでに回復し、現物も処分済み。
だが――他国に知れれば困るのはノアールだ。
断りづらい。
証拠も何もないが、口に入れるものは信用が第一。風評被害でもない方がいい。
二十歳差もまったくない話ではない。
母リリス女王も困り果てていた。
このまま縁がなければ困るし、かといって愛娘の意思も尊重したい。
リリアも一度会うと決意したものの、乗り気ではなく、ついそんなことをモリーナの手紙に書いてしまった。
「リリア姫様。フェリシティ国のウィステリア公爵からお手紙です」
侍女がレイからの手紙を持ってきた。
『遊びに行く。よろしく』
彼らしい。
見合いの前日にレイがノアールに着いた。
「ヴィンセント様、よくいらっしゃいました」
「僕がお客様なんだけど」
「レイもお変わりないかしら」
「変わりません。体重が一キロ戻ったけどね」
「まだまだよ。うちの美味しい牛肉いっぱい出してあげるわ」
「胃薬持ってきて良かった」
「まぁ憎らしいわね」
そんないつもの軽い会話をしていると、見合い相手のクリフ国の公爵アドルフが近づいてきた。
「リリア姫、お初にお目にかかる。明日まで待てなくて挨拶に来たのだが。……こちらは?」
「フェリシティ国のレイモンド・ウィステリア様ですわ」
「あなたが噂の白銀か。我が国にもお名前は届いていますよ」
「初めまして。あなたがリリア姫のお見合い相手ですか。無駄足にさせてしまい、申し訳ありません。――リリア姫は、私と将来を約束しているのですよ」
「レイ、何言ってるの!」
「ね。もう愛称呼びの仲です」
レイがリリアに満面の笑みを向ける。
「話がかみ合わないようだ。女王に確かめよう」
「もちろん。さあリリア案内して」
(あなたどういうつもり)
(姫のピンチを助けるのが騎士だからね。ヴィンのほうが良かった?)
(でも迷惑かけられない)
(友達でしょ? なんとかなるよ)
アドルフが面白くなさそうに二人を見ていた。
「リリス女王。これはどういうことか説明が欲しい」
「何かの手違いがあったのかしら。……確かにリリアとレイモンド様はお付き合いしていると聞いております」
リリスも困惑気味ながら、リリアとレイモンドの話に合わせた。
「それでも私は公式に申し込んだ。見合いはさせていただく」
「わかりました。リリアもそれでいいわね」
「では明日改めてご挨拶させていただきます」
リリアはレイの腕に手をそえ退席した。
「もうドキドキしすぎて、心臓が破裂しそうよ」
「それは光栄だね」
「笑い事じゃないわよ。なぜここに来たの」
「モリーナから手紙を受け取ったから。優しい君に、意に沿わない結婚をしてほしくないってさ」
モリーナの手紙をレイがリリアに渡した。
「モリーったら……」
「本当のお相手が見つかるまで、僕を利用すればいい」
「ありがとう。でも友達にやっぱり迷惑かけたくないわ」
「ヴィン、どうしよ。リリアが可愛く見えてきた」
「はは。リリア様は賢い上に、その……とても可愛いよ」
「やっぱり替わるか」
「私がコロコロ相手を変える悪女になるじゃないの。レイに少しの間お付き合いいただくわ。よろしくお願いいたします」
「素直な君も悪くないよ」
「はいはい。どうせ可愛くないわ」
リリアに笑顔が戻った。
翌日、見合いの部屋までレイがリリアを送って行った。
「ごめんね。お茶もでるだろうに、朝からお菓子やらお茶を沢山出してしまった。お腹苦しい?」
「心配ありがとう。また後でね」
レイがリリアの手を名残惜しそうに離す。
(演技力がすごいわね)
(まだまだだよ)
リリアは「どうぞよろしく」とアドルフと共に部屋へ入った。
「随分と親しいのですね」
「まあ腐れ縁と申しますか、幾度かお会いするうちに仲良くさせていただいています」
「いつからですか」
「幼少の頃にも縁組の話はありました」
こちらをとアドルフに古い書簡の控えを見せる。
これは本当の話。フェリシティ国の第二王子か第三王子をノアールに欲しいと書かれていた。
時期尚早と返事がきたので、白紙になった。
「まだ正式に婚約されてはいない?」
「今回は母にも挨拶に来て下さったから話はすすみますわ。アドルフ様には本当に申し訳ないことをいたしました。お詫びします」
「私の用意したお茶も飲ませないよう、随分と警戒されている。あんな強かな男はおやめなさい」
「そこが良いのです」
「はっきり言いましょう、我が国は八か国目に入らず後悔しているのです。みすみすベネノンの利権を放棄してしまった。そこでノアールと同盟よりも強い結びつきが欲しい」
「なら今からでも入ればいいでしょう」
「後出しは分が悪い。それに私はあなたが気に入った。あんな若造に渡したくないな」
「とにかくこれで話はありません。失礼……」
アドルフの手が、逃げ場を塞ぐ。
「先に既成事実をつくればいい。こっちにおいで」
いつの間にか、侍女もメイドもいない。
リリアは強く腕をつかまれたが、レイに持たされた指輪を思い出し、思い切りアドルフの首へ針を突き立てた。
首を押さえ、呻いたアドルフがドサッと倒れた。強力睡眠剤が効いたようだ。
駆け足で逃げるように私室へ戻る途中でレイの姿を見つける。
「真っ青だぞ。何があった?」
「怖かった……」
レイにしがみつくと、震える体をそっと抱きしめてくれた。
「外に出たい。一緒に来て」
リリアはレイの手を引き、厩舎へ向かう。
ヴィンも追いかけて来たが、レイが首を振った。
「どこへ行く気?」
「隠れ家よ」
馬から降りて、森を歩くと、小さな小屋が見えた。
小さな居間と寝室だけ。
清掃はされているし食料もある。
城の者公認のリリアの休憩所だった。
「今日は帰らないわ」
「僕だって男だよ。二人だけっていうのは良くないね」
「……わかったわ。でも落ち着くまでは、いさせて」
「それがいい」
レイが暖炉の火を熾す。
「手際いいのね。私ひとりだと暖炉は飾りだわ」
「ここ寒くない? 君も火くらいつけられるようにしなよ」
レイは食糧庫をあさりながら、あれが欲しいなとか独り言を言っている。
変に気遣いされないのが助かる。
「ちょっと出てくる」
レイが出ていくと、少し不安になる。
また指先が震えてきた。
レイがいなければどうなっていたのだろう。
困った時に助けに来てくれる、ヒーローみたいだった。
あらっ、ちょっと顔が熱くなってきた。
手でパタパタと仰ぎ、熱を冷ます。
レイが何やら葉っぱを手に戻ってきた。
「ミントだよ。途中で見かけたから摘んできた。お茶にしよう」
食糧庫のカモミールティと摘んできたミント。なぜかレイの懐から出てきた蜂蜜をいれて、リリアのカップに注ぐ。
「すっきりして甘い。とても美味しい」
あとこれも食べてと、ポケットからクッキーが出てきた。
「あなた、いつもおやつまで持たされているの?」
「あと三キロは増やせってさ」
「あなたに合わせて、令嬢たちのダイエットが止まらないらしいわ。もっとお肉つけなさい」
「それなら頑張って食べることにしよう」
それから小屋の周りを散歩して、野いちごを見つけた。
「レイはすごいわね。森に住んでいたの?」
「幼い頃は野生児って呼ばれていたよ」
「何それ。教えて」
夕方まで喋り、帰ろうとしたが、あたりは思ったより暗く、足元が見えない。
「女性が歩くには危険だ。仕方ない。ここに泊まるよ」
夕飯もレイが食糧庫から適当に見繕い、簡単なスープを作った。
「野営の時は僕も手伝うし、雑貨屋では自炊もしているよ」
「いいわね。私は果物ナイフすら持たせてもらえないもの」
リリアにも片付けだけはどうにか手伝うことができた。
「さて、休むか」
僕は床でと横になるレイを、リリアが止める。
「いっ…一緒に寝台使いましょうよ。風邪でもひかせたらヴィンセント様に申し訳ないわ」
「僕も男だって、本当にわかってる?」
「騎士様はルカ君とアナちゃんに恥じるようなことはしないでしょう?」
「うわっ、今それを言うのか。そうです。僕は騎士でした」
「なら大丈夫ね。あなたの指輪もあるし」
二人で横になってたわいない話をするうちに、先にレイが目が閉じた。
「 寝顔も綺麗ね」
保湿剤何使ってるのかしら。起きたら聞かなきゃ。
つんつんと頬をつついて、少しレイに寄ってみると温かかい。
もう少し寄ってみた。
いつの間にかぴったり体を寄せてしまったが、リリアに離れる気はない。
このドキドキが彼に聞こえたらどうしよう。
あれこれ考え、顔を赤くしたリリアも、夢の中に旅立った。
「おい」
レイが目を開ける。
「やっと寝てくれたな」
ヴィンがリリアの侍女を中に入れた。
「お世話をおかけしました」
「これ、どかして」
侍女がそっとリリアの体の向きを変えるが、リリアに起きる様子はない。
翌朝、リリアが目覚めると、寝台の横で侍女がにっこり微笑んでいた。
城に帰るとアドルフは怒って帰った後だった。
顔も見たくない、もう来るな!
乳製品の件は広まらないだろう。こっちだってあれこれ言いふらしてやるから。
客間でお茶をしているとドタドタと重い足音がする。
「リリア様! ご無事ですか!!」
「あら元婚約者のボビーじゃない。お忘れ物でも?」
「リリア様が心配で来ました。お前が恋敵のレイモンド・ウィステリア公爵だな!!」
「恋敵? 何それ」
「リリア様がいつもレイ、レイって言うから僕は身を引いたのに。またお見合いと聞いて様子を見に来たら、公爵と外泊だなんてもう心臓が破裂します!! まさか二人きりなんてことはないでしょうね」
「ないよ。侍女がずっと窓から見張っていたし、夜は小屋の中でリリアの側についていた」
「窓から見ていたの?」
レイがミントの葉を摘みに行った時に、ヴィンと侍女には呼ぶまで中に入るなと指示していた。
「そんなことよりも、身を引いた? 帝王学に嫌気がさして辞退したのでは?」
「まさか。あなたのためだよ」
ドッキュン!
リリアの胸に何かが刺さった。
「レイ、もう帰っていいわ」
「そのようだね」
「レイのようなガリガリより、ボビーのように沢山召し上げる方が好き。白銀よりやっぱり黒髪がいいわ」
ボビーが頭を掻きながら「それほど食べてないよ」なんて言っている。
そう、ボビーは中綿がパンパンに詰まったぬいぐるみのようなお体なのだ。
「幸せにおなり、リリア姫。結婚式には呼んでね」
「騎士様、ありがとう」
「あなたにもときめきました」なんて言ってあげない。
頼りになって、優しくて、意地悪で美人な騎士様。
カモミールティーを飲むたびに、胸がチクリと痛むかもしれないけど、彼とは、軽口を言い合うくらいがちょうどいい。
「結婚式は早めがいいわ。ボビー、女の子が欲しいの。お婿はもう決めているわ」
リリアは、顔を赤くしたボビーと手をつなぎ、母のもとへ駆け出した。




