もうひとつの顔
ヴィンたちは、レイの警護から離れられなかった。
相手がわからない以上、レイを雑貨屋に戻すわけにはいかない。領主館に留め置くしかなかった。
「書類仕事がぜんぶ終わった。こんなことは初めてだよ。アランにも長期休暇をあげられて良かった」
事務官もできる限り休ませていた。
そこへセイラが供も連れずに訪ねて来た。
「レイモンド様に背き、ハロルド様を探しておりましたが諦めました」
「そうか」
「明日実家へ戻ります。申し訳ありませんが、今夜一晩だけ泊めてはいただけないでしょうか」
「一晩くらいなら融通しよう。ヴィンもいいだろうか」
「部屋を用意させる」
「温情に感謝いたします」
憔悴したセイラがメイドに連れられ出て行った。
「どう思う?」
「つけていた傭兵が、セイラは元バーデットで滞在していた館近くの宿でハロルドの帰りを待っていたと報告してきた。これ報告書。言っていることと違うな」
「たまに商人から買い物するくらいで誰とも会わずって、おかしな話だな」
ドンッ――!
報告書を手にしたレイがもう一度話を聞こうと立ち上がったその時、階下で爆発音がした。
ヴィンが見に行くとメイドの休憩室から、黒い煙が上がっていた。
先ほど案内したメイドが、セイラから礼にもらった瓶を開けた瞬間、爆発した。
メイドは火傷を負い、床にはガラスの破片が飛び散っていた。
セオがセイラの部屋の扉を開けると、セイラは大きな瓶を震えながら持っていた。
「近づいたらこれを投げ捨てます。先ほどより被害は大きいですよ」
ハリーを連れたレイが扉に近づく。
「主、近づくな」
「話をするだけ」
セオとハリーがレイの前に立ち壁を作った。
「誰かに脅されているのか」
「ハロルド様が人質に。お命がかかっています」
「取引には何を」
「あなた様です」
震え声のセイラが、縋るようにレイを見た。
「国境近くに馬車が止めてあります。それに乗ってください」
「断ったら?」
「乗って下さい。領内のあちこちに瓶を持った者がいます」
「そうか、少し時間が欲しい。別れの時間くらいいいだろう?」
「……お急ぎくださいませ」
「行かせない。殺されに行くだけだ」
「領民が危ない」
「今探させているから、待ってくれ」
「時間がない。馬車に乗る。後のことはヴィンに任せる。ハリーも鳩飛ばしてアガサスの動きをヴィンに。あとエリオットをここに呼んでおいて」
レイはセオを連れて国境へと馬を走らせた。
馬車からハロルドが降りて来た。
「お迎えが君とはね。セイラが心配しているよ。この馬で戻るかい?」
「セイラ? いなくなった女の子かな。僕はレイモンド様と行く」
「好きにしなさい」
「レイモンド様はやっぱり優しいな」
うつろな目をしたハロルドが、何かを地面にぱらりと捨てた。
馬車は窓が塞がれていた。
揺れが小さいうちは整備された大きな街道、大きくなれば脇道にでも入ったのだろう。
「ハロルドはどこにいたの?」
「知らない大きな部屋。今日は外出できて嬉しい。ずっと同じ部屋で退屈してた」
……移動していない?
「これをあげる」
ハロルドが差し出したのは黒い馬の毛。
丸一日馬車に揺られ、目隠しされて降ろされた。
「腰が痛い。横になりたいな」
「お客様をお連れしろ」
途中あちこちで馬のいななく声がした。
ここは多分バーデットの館。連れ去りはなかったって事か。
部屋に入ると目隠しは外された。
見覚えのない部屋。窓からは深い森しか見えない。
「晩餐には主がご挨拶したいと」
「着替えある? これでは失礼でしょ。湯あみもしたい」
レイはいつもの木綿の服。
どうせ取り上げられると、剣も、いつも仕込んでいるナイフ類も持たないで来た。
食堂へ行くと貴婦人が微笑んでいた。
「ようこそ。我が国にお招きしたいけど、六ヶ国で攻め込まれても困るから、ここをお借りしているわ」
「アガサスの女王がご滞在中とは存じませんでした。おもてなしも出来ず残念です」
「嬉しいな。レイモンド様と一緒に食事なんて何年ぶりだろう」
「そうだね。いつ以来かな」
「仲がよろしいのね。グレイソンがいたら妬いてしまうわ」
「彼はここにいないのですか」
「アレス国って怖いわね。足腰立たなくなるまで責め立てて尋問なんてするから、使い物にならなくなったわ」
「それで」
「もう要らないから捨てたの」
「あの人は怖かったから、僕は会いたくない」
「坊やにはレイモンド様が一番ね。今夜は一緒にいるといいわ」
「嬉しい。サンドラありがとう」
女王の目は、ルビーのような赤だった。
外交の場に一切出ず、美しいという話も噂でしかなかった。
胸元で、変色する宝石が静かに光っていた。
唯一彼女の象徴として知られている石。
蝋燭の下では赤紫に、昼は暗緑色に輝く。
「毒は入れてないわ。あなたをそんなもので殺したりしないから、安心して召し上がれ」
大きな部屋にレイはハロルドと二人にされた。
「ねえカードでもしない? ずっと寂しかったんだ」
ハロルドがレイの前に座りカードを配り始めた。
気づけば、クイーンとジャックだけが、床に捨てられていた。
ハロルドがレイをじっと見つめていた。
「上がりにはまだ早いよ。もう少し続けよう」
ハロルドは一体、何を知らせたいのだろう。
「レイモンド様。一緒に休もうよ」
寝台は一台。
「仕方がない。おやすみ」
明かりを消し、レイの横にハロルドが横たわるとすり寄ってきた。
硬く冷たいものが手にあたる。
ハロルドが隠していたナイフをレイに握らせた。
「君は……」
「おやすみなさい」
ハロルドはレイに背を向け、闇をじっと見つめていた。
セオは馬車を追った。
途中何度も邪魔が入ったが、ことごとく蹴散らした。
主を見失うことだけはできない。
遠回りしているがウィステリアからそう離れていないようだ。
ハロルドが落とした馬の毛は居場所を表すものに違いない。
ハリーの鳩をつかい、ヴィンに知らせる。
ハリーも騎士団が動き出したと、ヴィンに伝えた。
ヴィンはエリオットを通じて出させた王国騎士団とウィステリア騎士団を引き連れ、バーデットに入った。
「外が随分とにぎやかね。大勢のお客様であふれかえっているわ」
「あなたが呼び寄せたのでしょう」
「そうね。駒は多い方が楽しいわ」
「何が欲しい」
「何もいらない。退屈しのぎかしら。カステルの前王とそこだけは気が合ったわね」
「サンドラ、もう二人にしてくれないかな。レイモンド様とまだ遊び足りない」
ハロルドがレイに抱き着く。
「坊や、薬はほどほどにね。白銀を壊さないでちょうだい。私もそろそろ外へ遊びに出かけるわ」
サンドラが出ていくと、体を離したハロルドがこっちと暖炉の前でレイを手招きする。
貴族の館には外へ逃げ出せるような仕掛けがいくつかある。ハロルドがそのひとつ見つけていた。
「ここから出られる」
「君はどうして僕を助けてくれるの」
「僕は……あなたに、取り返しのつかない罪を犯した」
いつの、何を言っているんだ。
「もう君の右手が使えないくらいに罰したけど、まだ足りない?」
「あれから何度も後悔した。あの時、旅の一座を村へ行かせたのは僕だ」
「何だって? もう一度言って」
「レイモンド様とご家族を喜ばせようと送ったのに、あんなことになってしまって」
「まさか……そんな。君が……?」
レイの声が震えた。
「病のことは本当に知らなかった。でも……オリビア様が亡くなった……。僕は許されないことをしたんだ」
ハロルドが嗚咽をこぼす。今まで誰にも言えずに胸にため込んでいたのだろう。
罪を贖うために、嫌われることばかりして、レイに殺されに行っていた。
役立たずと薬漬けにされても、会いたい、殺されたいと、レイモンドだけを求め続けた。
「君はずっと変わらないね。本音を言わずに、わけのわからないことばかりする。嫌われるようなことしなくていい。ただ会いに来ればよかったのに。友達でしょ?」
「さぁ早く行って。サンドラのもうひとつの顔に気を付けるんだ。これも持って行って」
渡されたのはレイが好んで使う、細く軽い剣。
「後で迎えに来るよ。一緒に帰ろう」
ハロルドは笑みを浮かべるが、返事はしなかった。
外へ這い出るとアガサス軍とヴィン達騎士団が交戦中だった。
ヴィンがいち早くレイを見つける。
「無事で良かった。どうやって抜け出した?」
「話はあとだ。曲者の正体はアガサスの女王サンドラだ。黒い髪に真っ赤な瞳。見つけ次第、僕がやる」
「待て。ひとりで行くな」
「今回はヴィンにも力を借りる。僕ひとりでは無理だ」
「そうだな。あいつらの鉄の鎧は簡単には斬れない」
「ふたり一組にして確実に倒そう」
「わかった。おい、伝令!!」
レイもひとりでも多く倒そうと剣を振るっていた時。
その中に見つけた。
「全身すすだらけだね、坊やが逃がしたのかな。お仕置きが必要だ」
「ここは社交場ではないよ。あなたこそ随分と雰囲気が違う。今は誰?」
「さすがだね。もうばれているのか。今のわたしは女王じゃない」
さっきまでの女とは別人のようだった。
男のなりで黒髪をひとつに結び、白い肌と赤い目だけが女王サンドラと一緒。
「ヴィン! 一緒に頼む!」
「ねぇ。レイモンド様は女を斬れるのかしら」
瞬間。表情も声音も入れ変わる。
「斬れるさ」
レイが纏う空気を変える。
サンドラもまた違うものに入れ替わる。
強固な鎧にレイの剣が折れそうだった。
ヴィンも隙をみて大剣を振り下ろすが弾かれた。
そこへふらふらとハロルドが近づいてきた。
「何しに来た! 下がれ、殺されるぞ!」
レイが叫ぶ。
「君だけは……守りたい」
ハロルドはレイを思い切り突き飛ばした。
それをヴィンが両腕で受け止めた。
どこにそんな力が残っていたのか、不思議なくらいだった。
「心をふたつ持った可哀そうなサンドラ。レイモンド様には触れさせない」
ハロルドがサンドラに何かを投げつけた。
……この匂いは、媚薬。
サンドラが思わず鼻に手をあてた。
「可哀そうだって? お前はいよいよおかしくなったね」
「ヴィンセント、走れ! レイモンド様を離すな!」
「待て、何をする気だ!」
ハロルドがサンドラに抱き着く。
左手に持つ小さな瓶の蓋を咥えて外そうとしていた。
サンドラがもがき、逃げ出そうとするが、ハロルドは不自由な右腕でも離さない。
「おい、待て!!」
レイがヴィンの腕から抜け出し、ヴィンの大剣を拾い上げ、走り出す。
そしてハロルドの手から瓶を奪う。
「伏せろ!!」
レイが瓶を空に向かってなげると、大剣を大きく振り抜いた。
瓶が彼方へ飛ばされた。
大きな放物線を描いて落ちていくと爆発音がした。
少量の火薬でも、無事では済まない。
サンドラはヴィンによって殴り飛ばされた。
男の中でも大きな体のヴィンに、本気で殴られては敵わなかった。
ハリーも駆け付け、縄で拘束した。
バチンとレイがハロルドの頬を打つ。
「馬鹿! やっぱりお前なんて大嫌いだ! 友達が目の前で死ぬのなんて見たくない! 僕の前で死ぬな!」
しゃがみ込んだハロルドの目から、涙が零れ落ちた。




