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名のない者

 リリアとモリーナは温泉村を満喫して帰って行った。


「セオも冷たいな。見送りくらいしてあげなよ」


 レイはペンを走らせていた。


「無理。俺は自由を愛する男だからな」


「セオって、おばちゃんたちにものすごく好かれてるよな」


 ヴィンは山積みの書類を眺めながら、剣の手入れをしていた。


「それ、嬉しいの?」


 ハリーは「手伝う」と山積みの書類から一枚抜きとった。


「妖艶な熟女なら歓迎したいけど、いないな。おばちゃんはみんなご飯くれるから、大事にしてる」


「お前、餌付けされてんのか」


「羨ましいだろ」


 セオも駆り出され、仕分けを手伝っていた。


「リアンは令嬢たちから、猛攻撃を受けてるらしいよ」


「わかる。騎士団長で主にちょい似だしな」


「トーマスは?」


「子どもから大人気だね」


 そんな話をしながら、領主館では溜まった書類と格闘していた。


 そこへ、リアンが血相を変えて飛び込んできた。


「やられた。ハロルドが連れ去られた」


「いつ?」


「昨夜だ。早馬で知らせがきた」


「アガサスが入り込んだのはまずいな」


「追うにしても、もう国境を越えているだろう」


「今は警備を強化するしかない。王都にも早馬を出して」


 アレス国でもグレイソンが脱走していた。


 領主館にハロルドを探し出して欲しいと、セイラがレイに面会を求めてきた。


「そこまでするつもりはない。探すならベネノンから人を出せばいい」


「無理です。廃嫡されてから、誰もハロルド様をお助けしようなどという者はいません」


「自業自得だ。我が国の騎士団を出してまで助ける理由がない」


「あれほど慕われていたのに」


「迷惑でしかなかったよ。話は終わりだ。君も実家に戻りなさい」


 レイが動かないことがわかり、セイラは黙って領主館を後にした。


「戻りそうにないな。誰か、つけておいて」


 レイはせめてセイラの身の危険だけは回避しようと、傭兵に護衛を頼んだ。



 あれ、……ここはどこだ。


 ハロルドはぼんやりした頭で考えた。


 今は朝か、昼か、夜か。


 服は着ていなかった。


 誰かが隣にいたようだが、今はいない。


 いつからか、自分自身がわからなくなっていた。


 生きているのか、死んでいるか。


 どこにいるのか、何をしてるのか。


 女が泣きながら見ていたのは覚えている。


 薬が抜けるまでの辛抱だと、体を拘束され、やっと解放された。


 久々に外の空気を吸いに出たところで、また、記憶が途切れた。


 また……彼に嫌われる。


 願いはその手で罰して欲しい。


 この罪だけは許されない。


 最初の出会いは、まだ幼い七歳。


 フェリシティ国へは、祝典に招かれた両親に連れて行ってもらえた。


 顔を合わせればもっと鍛えろ、努力が足りないと罵倒されたが、あの頃はまだ父王とも話をしていた。


 隙を見てつまらないお茶会を抜け出した先の、森のような場所に彼はいた。


「何をしているの? 迷子? みんなの所まで案内しようか」


 上から声をかけられ、見上げると、木の枝に同じ年くらいの少年が座っていた。


 白銀の髪に青紫の瞳。


 たしか、第三王子だっけ?


「君こそ何をしているの?」


「遊んでるだけ」


「遊ぶ? どうして」


「遊ぶのに理由があるの? おかしなことを言うね。面白い子だ」


 枝から飛び降り、こっちにおいでと少年が誘う。


 木にするすると上り、林檎をふたつもぎ取ってきた。


「これは皮がついたままだし、毒見もしてないよ」


「皮に栄養があるんだ。先に食べるから、僕が平気なら君も食べなよ」


 口を大きくあけ、白い歯でがぶりとかじるのを見て、初めて林檎を皮ごと食べた。


 少し硬くて、甘い林檎だった。


 それから二人は、お互いが同じ立場と知り、いろいろな話をした。


「王子様なんて言われるけど、命狙われるし、勉強ばかりだし、良いこと少ないよね」


「僕は自由な時間が全然ない。こうして抜け出せたのは幸運だった。少しでもあるのかな」


「大図書館の本が読み放題。僕は薬草士になりたいから良いことだね」


「王子なのに、なぜ薬草士になりたいの?」


「兄上の体が弱いからお助けしたい。お医者には時間が足りなくてなれそうにないけど、薬草士でもみんなの助けになれるよ」


「いいな。僕にはやりたいことを何も選べない、言えない。今日は抜け出したからすごく叱られる」


「僕が勝手に連れ出したって言うよ。きっと大丈夫」


 輝くような笑顔を向けてくれた。


 すごく嬉しかった。


 城ではみんなご機嫌伺いか、怖い顔。


 拾った木の枝で打ち合いの真似事をした。


 いつもはひとりで鍛えているそうだ。格好いいと思った。


 滞在中は客室まで迎えに来てくれて、短いけれど楽しい時間を過ごせた。


 父王からは少しは見習え、第三王子でありながら勉学も教養も剣術も並外れた才がある。


 それに加え、端整な顔立ちだ。王座に座ればさぞ映えるだろう。


 我が国の王太子として、お前と交換したいくらいだと言われた。


 別に悔しくもない。


 彼にはそれだけの価値がある。


 僕が憧れる王子様。


 友達って言ってくれたけど、信じていいのかな。


 全部は真似できないけど、少しでも近づきたい。


 それからは勉学に加え剣術も薬草学も学んだ。


 彼が苦手と言った音楽は好きだから、次に会ったら聴かせようと、ピアノとヴァイオリン、他に絵画を習った。


 だが、父にすべて不要だと取り上げられた。


 早く会いたい。ずっと一緒にいたい。


 でも、許されなかった。


 忍んでフェリシティ国へ行き、彼を探し、遠くから姿を見るのが楽しみだった。


 会いたい。でも今はダメだ。


 あいつが狙ってる。


 ハロルドはまたぼんやりと、意識が薄れていった。



 激務の合間でも、子どもの相手には手は抜かない。


 今日はルーカスを前に乗せ、馬を走らせていた。


「お父様、高くて怖いけど、気持ちいいね」


「大丈夫、慣れだよ。きっとひとりで乗りこなせるようになるからね」


 ヴィンもミアも微笑ましく、小公爵を見ていた。


 ……ドサリ


 突然、レイがルーカスを抱きかかえ、馬から転げ落ちた。


「主!!」


 背中を強打したが、馬には踏まれずに済んだ。


「矢がルーを狙っていた。追うな。今は戻ろう」


 周囲を警戒しながらソフィアの屋敷に戻った。


「お父様が落馬だなんて……」


「ルー、父様は大丈夫だ。怖がらせて悪かったね」


 レイは肩から背中にかけて、ひどい擦傷と青あざができていた。


 ルーは父の傍で、ずっと震えていた。


「父様はまた、よその国へ行くお仕事ができたから、メイベルのところへ行っておいで」


「……お父様、早く帰って来てね」


「約束してほしい。ルーは決してミアとトーマスから離れないで。アナもフローレンスとリアンといつも一緒にいるんだよ」


「わかったわ。約束します」


 双子は厳重な警護のもと、王宮へ向かった。


「あの矢は脅しだろう。本気で当てる気ではなかったように思う」


 レイは皆を集め、これからのことを相談していた。


「レイ最大の弱点狙いか。平常心でいてくれて助かるよ」


「どこが?」


 ペンが、音を立てて折れた。


「とにかくもう見過ごせないところまで来た。ハリー、何かわかったことは?」


「グレイソンの一番の腹心は正体不明。剣も弓も隠密行動もこなす。性別も不明」


「男じゃないのか?」


「姐さんと一緒で化けるらしい。素顔を見た者がいないんだ」


「呼び名くらいあるだろう」


「それもまちまちで、定まってない」


「影」「カラス」「リコリス」「蜘蛛」


「……黒、赤……蜘蛛はなんだろう」


 レイが連想ゲームのように言葉を続けた。


「だいたい容姿にちなんだ名をつける事が多い。攪乱かもしれないが……」


「あの時、暗闇でルビーのような赤を見た気がする。……頭は覆われていたな」


 ヴィンが記憶を探る。


「やけに身軽だったが、ヴィンの剣を受けてたよな。やっぱり男か女かまではわからない」


 ハリーが頭をかきむしる。


「とにかく、瞳の色が赤い者がいたら要注意だな」


 これといった決め手もなく、ただ日々が過ぎていった。


 アガサス国は大国カステルに付き従うかのように見せかけ、密かにカステルの内部へ入り込んでいた。


 国土は狭いが鉄鉱山があり、カステルに鉄を上納する代わりに、近隣国からの侵略から守られていた。


 カステルの武器はアガサスに作らせていたが、実は粗悪品。


 兵の数では勝っていたが、レイ率いるクロークとの同盟軍に勝てなかった。


 折れた剣では戦えず、逃げ出すしかない。


 カステルの前王は、勝ち負けにはこだわるが、戦法、武器にも興味がない。


 サイラスは王の器ではなく、アガサスはここぞとばかりに攻め込み、あっけなく開城。


 自国の王子と王女を婚姻させ、カステルを吸収しようとしたところで邪魔が入った。


 フェリシティ国第三王子 レイモンド・ウィステリア公爵。


 次期フェリシティ国王もその弟も手強いが、先にレイモンドを倒さねば、アガサスが危ない。


 アガサスの女王が、誰ひとりいない部屋で呟く。


「白銀の一閃に招待状は必要かしら」


「ここに来る前に仕留める」


 どこからか声がする。


「一度くらいは会いたいわ」


「わかった」


 もう、声の主はいない。


「今度は楽しめそうね。さて、坊やはどうしているかしら」


 女王は、壁にかかった大きな鏡の後ろへ消えた。

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