ヴィンセントの望むもの
「ほら、選んで」
目の前には大量の釣書。
ヴィンは今、猛烈にレイに怒っている。
「もう構わないでくれ」
「構うさ。君の幸せを考えるのも主の役目だ。結婚して自領に戻るのでもいい」
「本当にそう考えているのか」
ヴィンは目の前の机を叩き割りたい気持ちを抑え込んだ。
「そうだ! ヴィンも母上の新作パーティーへ行こう。令嬢方が大勢参加する」
「行かない」
「君は僕の護衛を放棄するの?」
「くそ、行きゃいいんだろ」
グレースの新作パーティーはとても華やかで、国中の女性の憧れであった。
グレースのドレスショップや、各自がお気に入りデザイナーのドレスに身を包み競い合う。
レイも毎年母の自信作で参加していた。
「今日の一推しはここ」
銀の千鳥縫いが施されたいつもより丈の短い上着。
長い足がさらに長くみえる。レイのためにあつらえた一品。
「エスコートよろしく」
「さっさと歩け」
「何怒ってるの? 冷たいなー」
今日も全身真っ黒のヴィンがレイの背中をぐいぐいと押した。
ドレスの裾を翻しダンスに興じる者、お互いのドレスを見せ合う者、それぞれが楽しんでいた。
「あれはスカーレット様じゃなくて」
遅れてやってきたのは、青いドレスをまとうスカーレット・アクトン伯爵夫人。昨年、未亡人となったが久々に社交界に顔をだした。
「スカーレット、よく来てくれたわ」
グレースも親しく声をかけている。
「ご無沙汰しておりました。喪があけましたのでこうして出てまいりましたの」
「もう一年たつのね。元気を出してちょうだい」
「お気遣いありがとうございます」
「楽しんで行って」
グラスを手にしたレイは会場を見渡していた。
「彼女なんてどう?」
「あの青か」
「未亡人だけど年も近いし、美人。父親は財務省の役人で身元は確か」
「じゃあ、お前がもらえ」
「嫌だよ。僕にはオリビアだけだ」
ヴィンを引っ張り、レイがスカーレットに声をかけた。
「こんばんは。青いドレスがよくお似合いだ。母の新作だね」
「おい、お前はその気もないのに気安く声かけるな」
「レイモンド様、大変ご無沙汰しております」
「来てくれて嬉しいよ。パーティーが華やぐ」
「お世辞でも嬉しいですわ。お隣はどなた?」
「お初に目にかかります。ヴィンセント・バーデットです」
「あなたが噂のレイモンド様のご愛人?」
「どこの誰だろうね。そんな噂流したのは」
会場の隅にいたイザベルが、冷たい視線にとっさに隠れた。
「ヴィンセント、どうだろう。スカーレットをダンスにお誘いしたら?」
眉間にしわを寄せていたヴィンが、突然笑顔になる。
「そうですね。この機会は逃せません。ぜひお願いします」
微笑むスカーレットの手を取りヴィンが広間の中央に進み出る。
「ヴィンのダンス初めて見たな。いいじゃないか」
背も高く、引き締まった体に端整な顔だ。少々足運びがおぼつかなくても、皆が見惚れた。
レイもつい目で追ってしまう。
「ヴィンセント様、とても楽しかったですわ。王都にご滞在中、我が家にも足を運んでくださいませ」
「喜んでお伺いします」
パーティーもお開きになり、自室に戻ったレイはヴィンの感想を聞きたがったが、ヴィンは何も答えない。
「良い感じに見えたよ。気が合いそうで僕も嬉しい」
「レイモンド様、お休みなさいませ」
素っ気なくそれだけ言うとヴィンは与えられた部屋へ行ってしまった。
「あれって、どうなのさ」
「初恋の人に嫁探せって言われたら、ああなるだろう」
ハリーとセオが、ヴィンのお怒りに触れないよう、柱の陰でこそこそ話をする。
「何それ、初耳なんだけど」
セオが、オルレアン領で二人が子どもの頃に出会っていたとハリーに聞かせた。
「それは姐さんが悪いわ。ヴィンが可哀そうすぎる」
「まぁ、どうにかなるだろ」
お気楽な二人は知らない。想像以上にヴィンがレイに腹を立てていることに。
翌日ヴィンはスカーレットの屋敷を訪れた。用意した手土産はレイのお気に入りティーサロンのもの。
悔しいが他を知らない。
当たり障りなく天気の話に始まり、馬やウィステリアの観光名所など、ヴィンにしては途切れることなく会話が続いた。
スカーレットがうまく相槌を打つので話しやすい。
たしかに気は合いそうだ。
スカーレットから王都で興行されている剣舞を見に行こうと誘われ、次の約束を交わした。
何回か会ううちに、やけになっていたヴィンはスカーレットに求婚し、その場で承諾された。
その足でレイに報告へ行く事になった。
「早い展開に驚きもするけど良かった、おめでとう」
レイは満面の笑みで祝福する。
エリオットがちょっと待てとレイを止めるが、レイは聞いていない。
「婚姻後はバーデットに戻るのかな?」
「その前に。ひとつお願いがあります」
「お祝いに何か欲しいの?」
「真剣勝負をしていただきたい。そしてあなたに勝ったらもうひとつ願いを聞いていただく」
「いいよ。明日、近衛の演習場を借りよう」
翌日、近衛隊の演習場に向かうとレイが先に来ていた。
騎士服ではなく、身軽な練習着。
グレースの着せる豪奢な服よりも、何倍もレイの整った容姿を引きだす。
そういえば戦場の美神だったな、とヴィンは思い出した。
初めて白銀の一閃を見たのは遠目からだった。
神業ともいえる速さで敵を地に伏せる。
とにかく、凄いとしか言えなかった。
憧れの人に拾われここまで来た。
だがその人は、差しのべた手を離そうとする。
許さない。
「お願いします」
ヴィンはレイの前に立ち、構える。
「今日は本気出すよ。真剣勝負しよう」
審判はいない。広い演習場に二人きり。
レイの表情が一瞬消え、何か得体のしれないものへと変貌していく。
集中しているのだろう。
誰をも寄せ付けず、その場を支配する異形のものが、ヴィンの目の前に立っていた。
それが口元に笑みを浮かべるのを見て、ヴィンの背筋が凍っていく。
美神じゃない、これは死神だ。
同時に剣を抜き、打ち合う。
「速い!!」
目の前の剣が追いきれない。レイが立ち位置を変え、動き回り、前に後ろにとヴィンは翻弄される。
暴風雨にさらされているようだ。
「重い!!」
ヴィンが一太刀打てば、レイの腕は折れそうだった。避けきれなければ一瞬で終わるだろう。
長いのか短いのか分からない打ち合いが続く。
荒い息遣いだけが聞こえる。
レイが今までで一番の速さで斬り込むと、ヴィンは自分の剣を投げ捨てた。
レイが振り出した剣を止めようとして、バランスを崩す。
倒れかけたその身体を、ヴィンが受け止めるように下へ滑り込み、レイの頭を抱えた。
「はぁ、痛いんだけど」
「俺の方が痛い」
いつものレイに戻っていた。
ヴィンの顔の真横にレイの頭がある。
普段は好んで汗なんてかきたくないとごねるレイが、汗まみれになっていた。
汗の匂いといつもの甘い匂いが混じり合うが不快に思わない。
ヴィンは深く吸い込み、心の奥深くに刻み込む。
今日を忘れないために。
本気で自分に向き合ってくれた。
それだけで胸はいっぱいだ。
「勝ったのは俺だ」
「願いは何?」
「俺がお前の元を去るというまで、お前は俺を離すな」
「……」
「だから覚悟しておけ。バーデットは兄貴に継がせる。俺は絶対に主君から離れない」
「お願い、増えてない?」
クスクスとレイが笑う。
ヴィンはレイの背中に回した手の力を強める。
「こんな細い身体のどこにあんな馬鹿力があるんだろうな。とんでもないじゃじゃ馬だ」
「馬鹿って言わないでよ。それにこの前は猫って言ってた」
「どっちでもいいさ。どっちもお前だよ」
ふと、肩に触れていたレイの手に、力が入った気がした。
「僕は君にこれ以上何も与えられないよ。それでもいいの?」
「いらない。俺が自分の好き勝手にしたいだけだ。嫌になったら馬鹿王子なんて、こっちから捨ててやるさ」
「それ、酷くない? でもまた君が黙っていなくなったら、地獄の底でも探してあげる」
「それも嫌だな」
「我儘がすぎるとエリオットに怒られるよ」
ヴィンがそうだなと笑う。
「スカーレット様に謝らないと」
「一緒に謝ってあげる」
「心強いな」
レイが顔を上げないのをいいことに、ヴィンはレイの髪にそっと唇を寄せた。
「私、わかっていました。ヴィンセント様はずっとレイモンド様のお話ばかり。苦手な食べ物まで」
「それは恥ずかしいな」
スカーレットは王宮のレイの私室に呼ばれ、今は二人きりで話をしている。
「夫が亡くなり寂しくて、誠実な方であればと承諾しました。今でもヴィンセント様が良ければ、ご縁を失いたくないです。……でも正直に結婚できないと言われました」
「あなたを傷つけてしまい、申し訳なかった」
「いえ、ひとときでも楽しい夢を見られましたから、よいのです」
「君とならヴィンはきっと良い家庭が築けただろうな」
「本当に愛人ではなかったのですね。でも主従とは恋愛にも似ているのだと羨ましく思いました。ヴィンセント様は四六時中、恋慕うようにあなた様を大事に思っていたわ」
「お互いを求め、信頼し、守り合ったり、道を外さないように諫めたり。私は最高の臣であり、友を得ました」
笑ったレイは、とても幸せそうだった。
「何も与えられないって嘘でした。重要な仕事を与えます」
「だから、お前は自分でやれよ」
「エリオットの分。不在の時はヴィンの仕事。書類仕事もこなせる男にしてあげようという心遣いを無駄にしないで」
「またやってるよ」
セオとハリーがやれやれと呆れていた。
前にエリオットに言われたことがある。
「もしレイが本気をだしたら、巻き込まれないよう味方を近づけさせるな。あれは誰にも止められない」
白銀の一閃はレイのトランス状態が引き起こすものなのだろう。
畏敬の念を抱くほどに、ただただ気高く、美しかった。
そしてあれを止められるのは、自分だけでありたいとヴィンは願う。
レイに聞くと涼しい顔で答える。
「いつの間にか出来るようになっていた」
天賦の才能と並外れた努力の賜物なのだろう。




