おかえり
ハリーに礼を伝え、レイたちは帰国の途についた。
急な雨雲に急ぎテントを張った。
普段レイはテントを一人で使うが、ヴィンと一緒がいいと言い出した。
大怪我のあとで心配なのだろうと、護衛たちはそれぞれテントと見張りに散る。
狭いテントに男が二人、少々狭い。
「おやすみ」
「ああ。おやすみ」
夜半から雷の音がして、つい体がびくっとなる。隣に眠るレイに少し寄った。
雷が鳴るたびに寄るが、さすがに体をくっつけるわけにはいかない。
背をむけていたレイが寝返りをうった。
「大丈夫」
目を閉じたままレイは、ヴィンの背中をトントンする。
俺は子どもかよ。
ヴィンは目を閉じた。
ヴィンの寝息をきき、レイが目を開ける。
変わらないね、ヴィンは。
レイも目を閉じた。
翌朝は晴れ渡り、何事もなかったかのようにレイがおはようという。
オニキスという黒い馬が自分の愛馬だと聞いた。たしかに迷うことなく世話ができた。オニキスも長く不在だった主人に心配していたよと言うように、頭をすり寄せてくる。
「主、今日は近くの村で朝飯にしようよ」
テントをたたみながらセオが腹が減ったと騒ぐ。
「ゆっくり食べたいよね」
昨夜は火が熾せず、ハリーが持たせた塩辛い瓶詰めの魚をレイは残していた。
「おばちゃん、なんでもいいから急いで五人分!」
トーマスが飯屋の女主人に注文した。
「何でもっていいって。主の嫌いな緑の豆がでてきたらどうするんですか」
リアンがトーマスに気が利かないとぶつぶつ言っている。
気兼ねのいらないやり取りが心地いい。
「大丈夫。ヴィンが食べてくれるから」
見るからに高貴そうな方のために、少しでも見栄えよくしたかったのか、それは出てきた。
レイが唯一食べられない小さな緑の豆。
それも大好物のオムレツの上に鎮座していた。
彩りはきれいなんだけど苦手だ、とレイが皿をヴィンに寄せる。
「ヴィン、お願い」
「まったくお前はいつも……」
いつも?
手の止まったヴィンの皿に、レイは豆をうつす。
「大丈夫。君が僕らを忘れても、僕らは君を覚えているから」
青紫の瞳が笑う。
王宮に着くと双子が駆け寄ってくる。
「お父様! おかえりなさい」
双子がレイに抱き着く。
幾度か頭に浮かんだ子どもはこの二人だったのか。
自分の子ではないとわかっていても、顔を見るとほっとした。
ヴィンはブリジットの診療室へ連れていかれた。
「無理に思い出そうとするのは良くないわ。戻るかどうかはわからないけど、レイ様の側でお世話できているなら大丈夫。とにかく深呼吸でもしてゆっくり休みなさい」
何が大丈夫かはわからないが、気長に行けということだろう。
休むことなくウィステリアに戻ることになった。もう四カ月近く領を空けていて、さすがに疲れたなどと言ってはいられない。
「ただいまー」
レイが雑貨屋の扉を開ける。
教会の子どもらがきちんと店番してくれていた。土産をカウンターに置くと、さすがに疲れた、寝よ寝よと一人で寝室へ行ってしまった。
薬草と精油の匂いがする店内を見渡しても、特に思い出せそうにない。
ヴィンも自室と言われた部屋へ入った。
なんとなく落ち着く。横になると翌朝までぐっすりと眠ってしまった。
目覚めたヴィンが水を飲みに台所へ入ると、エプロンをつけた中年の女が立っていた。
「スープを持ってきたよ」
鍋からいい匂いがする。覚えはないが飯屋の者だろう。なぜ店に居るのがわかったのか聞けば、「札が見えたから。いつも通りよ」と笑われる。
そういえば、店に入る前にレイが札をかけていた。
「レイちゃんの好きないつもの特製ハーブ入り鶏団子のスープと、ヴィンさんの好きなソーセージも焼いてきたから残すんじゃないよ」
女将は手をふって去っていく。
次に子どもらが卵を抱えやってきた。
「ヴィンさんおはよう。今日も四つでいいかな」
「いいと思う。まだレイモンド様は寝てるから静かにな」
「レイモンド様だって。ヴィンさん、貴族みたい。おかしいや」
自分は貴族と聞いているが、何がおかしいのだろうか。
子どもらが、また明日と帰っていく。
卵を手にヴィンは、飯作るかと火を熾す。
手が勝手に動く。
フライパンの場所がわかる。
油も塩も胡椒も迷わず手に取れる。
卵を割り、かき混ぜ、フライパンに流し入れた。
ジュッと焼けるいい匂いがした。
「オムレツ……」
どうして俺はオムレツ作っている?
大好物でもないのに。
その時、唐突に思い出した。
『ねえ、オムレツ焼いてよ』と甘くねだる声がして、幸せそうに食べる顔が浮かぶ。
棚に並べた薬の数字と効能。解毒剤の番号を忘れてなくて良かったと安堵したあの日。
すみれ色の瞳をした、金と銀の髪の、二人の少女。
黒い馬に跨り、白銀の髪をなびかせ、細剣をふるう憧れの〈白銀の一閃〉。
友達と呼んでくれた青紫の瞳。
ふわりと甘い精油の匂いがした。
その場に座り込み、嗚咽をこぼすヴィンの背後から、静かな声がした。
そこに以前より少し痩せたレイが立っていた。
「オリビアにやきもちを妬かれたことはないけど、一度くらいはしてして欲しかったな」
レイが近づく。
「おかえり、ヴィン」
レイがヴィンの頬にキスをした。
ヴィンの記憶回復の話を聞いたブリジットは、人の嗅覚ってすごいわ、論文が書けそうと喜んでいた。
領主館に行くと書類が山のように積んであった。
これ終わるのか……先が見えない。
当分は馬車馬のように働くしかない。
「ヴィンの記憶が戻ってよかったよ。忘れたとは言わせない。これ処理して」
容赦なくレイがヴィンに書類の束を渡す。
夜半にやっと雑貨屋に戻った二人は椅子に座り込んだ。
「無理、疲れた。肩マッサージ」
「お茶だけで勘弁してくれ」
「温泉村へ行きたい」
「ほら木桶の足湯で我慢しろ」
「面倒見いいよね。ヴィンのそんなところが大好き」
「〇×△!!」
「本当に君は僕の母性本能くすぐるの上手だよね」
「お前はすぐ俺をからかいやがって。表出ろ、叩きのめす」
日常は戻った。




