火種は燃え広がった
珍しく、騎士服をまとったハリーが領主館に現れた。
「双子を連れて、すぐに王都へ来て欲しい」
以前クローク国へ支援物資を送る代わりに軍を貸し出せと言った大国が、諦めきれずに攻め込む算段をしていると情報が入った。
クローク国はフェリシティー国だけに塩を渡すことに決めた代わりに、同盟を結ぶことが決まっていた。両国が挟み込めばかなりの強敵になる。脅威となる前に大国カステルが動きだした。
「ウィステリア騎士団、バーデット辺境伯率いる騎士団にお力添えいただきたいのです」
ハリーは父クローク国王からの嘆願書を手渡した。
中を改めた後に、別室で話し合いが行われた。
口火を切ったのはレイ。
「同盟を結ぶ以上ここは出ますよ。バーデット辺境伯もいいかな」
「レイモンド様とともに参ります」
こうしている間にもクローク国が危ない。
すぐさま団は編成され、出陣が決まった。
「僕だって双子を狙った。安全を考えて王都に残って欲しい。人質になるかもしれない。双子が領から離れることで領民の安全にもつながる。ソフィア様は早急にオルレアンに移そう」
ハリーからの提案で双子は王都に残る。
「お父様、必ず戻ってきてね」
アナベルは涙を見せず、気丈にふるまった。
「僕も鍛錬していつかお父様の隣に並びたいです」
ルーカスは、アナベルは必ず僕が守ると誓った。
レイは以前子どもたちの手を胸にあてさせ、母はここにいると言ったことを思い出した。
目の前の子どもらの青紫の瞳から、オリビアが自分を見ているように感じた。
「大丈夫。父様は負けないよ」
妻と子どもたちに見送られるなら、大丈夫。
レイは晴れやかな笑顔で行ってくると馬に跨った。
クローク国まで馬でずっと走り続けるわけにはいかない。野営をしながら国境に近づく。
途中で何度もカステル軍の待ち伏せがあり、応戦しながら進んだ。
「随分と兵を出してきたね。数が勝負ではないけど分散しすぎないよう進もう」
大所帯を分断するように攻めてくるのだ。本陣についたら味方が少数だったになりかねない。
カステル軍との戦いは熾烈を極めた。それぞれが持ち場を死守し、死傷者が双方に出たものの、カステルは白旗を上げた。
だが、互いの使者との話し合いの最中にそれは起きた。
カステルがクロークの使者をいきなり斬りつけたのだ。
フェリシティー側の大所帯に一時的な乱れが生じた。
レイが一閃でなぎ倒す。
エリオットが援護し、セオとトーマスもレイを狙う敵を寄せ付けない。
後方にいたヴィンが駆け付けた時には混乱もおさまり、カステルの使者は捕縛されていた。
だが、どこからか矢が飛んできた。
レイを狙って。
トーマスの短剣が矢を打ち落とした。
エリオットが矢を放つが、敵は逃亡。
ヴィンは追いかけた。
自分の命よりも大切な主を、友を狙ったのだから、許せるはずがない。
冷静ではいられなかった。
「ヴィン戻れ!!」
レイの声が耳に入るが、届いていない。
ヴィンは深追いしてしまった。
どこを走っているのかもわからず、ひたすら敵を追った。
森の奥に進むと、そこにいてはいけないはずのクロークの領民がいた。
敵兵の前でおびえて立ちすくんでいたのは子ども。親らしき男はすでにこと切れていた。
敵は射手と剣士の二人。先に射手を倒し、剣士も追い詰めたが、剣を捨てた敵ともみ合いになり、足場の悪いところで転がり落ちた。
落ちた先は冷たい急流だった。
(寒い、痛い。ここはどこだ……)
「良かった。三日も目覚めなくて心配したのよ」
「君は……あれ、俺は……」
落ちた衝撃のせいなのか、記憶を失っていた。
ヴィンの捜索は難航した。足跡を追い、父親らしき亡骸の側で泣き続ける子どもをみつけた。その先で射手もみつかった。谷底に落ちたのか、なにかが滑ったような形跡がある。
レイは谷底の川を睨みつけていた。
「必ず見つけるから」
ヴィンが目覚めたのは、キャロルと名乗る若い女性の家だった。夫はいない。三歳の男の子オリバーと一歳になる女の子サリー、祖父の四人暮らし。村の食堂で働いていた。
魚を釣りに行ったら倒れている男を見つけ、戸板にのせて、どうにか家まで連れ帰った。
ベッドの上に持ち上げるのはさすがに諦め、戸板に布団を敷き寝かせていた。
「板の上でごめんなさい。背中の傷以外でも痛くさせたかしら。薬を塗るから横に向いてくれる?」
まだ声がうまく出せない。うなづき、横を向く。
とても大切なことを忘れている。
自分の名ではない、もっと大切な何かを。
キャロルはいつも歌ってる。嬉しい時も、悲しい時も歌うのだという。
オリバーはキャロルが仕事の時間、耳の遠いひいじいちゃんと幼い妹と三人だったが、今はもう一人いる。
楽しそうに、返事の覚束ない男に話しかける。
「あのね、母さんが歌うと僕も嬉しくなるの。石ころ拾うのが好き。摘んだ花は母さんにあげるんだ」
たわいない話にヴィンはかわいいなと思う。
その時、頭の中に子どもが二人現れた。じゃれつく二人を同時にかかえあげる自分。
自分には子どもがいたのだろうか。
「母さんだ! お帰り!」
キャロルが帰り夕飯となる。温かいが具が少ないスープと固いパンだけ。女一人の稼ぎでは大変なのだろう。
夜、皆が寝静まると祖父が独り言のように口を開く。
「また悲しいことになる」
ひと月がたち、起き上がれるようになると、薪でも割ろうと手伝いを申し出た。
「すごい! すごい! 一回で割れちゃった」
オリバーが手を叩く。
また二人の子どもが頭に浮かぶ。
おとしゃまがいちばん、と手を叩いている。
俺なのか。
違う。子どもは俺を見てない。
ふと視線に気づき顔を上げると、キャロルがこちらを見ていた。
「どうした? 他に手伝うことはあるか?」
「違うの。黒髪が。あなたとオリバーが似てるなって。……変なこと言ってごめんなさい」
キャロルは小屋の中に戻ってしまった。
ぼんやりと暮れていく空を見上げた。
赤から紫へ少しずつ色を変え、夕闇が訪れる。
ひどく懐かしく、無性に帰りたい気持ちになった。
どこへ? ただ帰りたい。
戸口からキャロルがじっと見ていた。
毎日夕暮れを見て、朝焼けをみ見て、心が壊れそうだった。
「ねぇ、ずっとここに住まない? オリバーも懐いているし、あなたがどこの誰でも構わないから、ここに居て欲しい」
キャロルが泣き出しそうな顔で、ヴィンに懇願する。
穏やかな生活がここにある。
でも違う。俺は知らなくてはならない。
この心に空いた穴を埋めるものを。
遊びに外へ出ていたオリバーが戻ってきた。
「母さんにお土産、すみれの花だよ。母さん好きでしょ」
すみれ……。すみれ……どこかで。
頭の中に、白い閃光が何かを斬り裂く光景がよぎる。
誰だ…… 顔がみたい。
すみれの花を見つめながら、いつの間にか涙を流していた。
キャロルは歌わなくなった。
「お願い、ひとりにしないで」
そればかり考えていた。
会話もなく食卓は寂しいものだった。
時折オリバーが何か話すが、ヴィンは返事ができなかった。
いつもぼんやりしている祖父が、ある夜キャロルの目を見て、話しかけてきた。
「人にはいるべき場所がある。もう返しておあげ」
「嫌よ。もう、ひとりは嫌なの」
孫娘が泣いている。
黒髪の男から逃れてきたときのように。
キャロルが食堂に行くと、騎士服を着た男らが人を探していると訪ねて来た。
「黒髪黒目、身長は……」
キャロルは知らないと首を振り、具合が悪いと家に帰った。
「隠さなくちゃ。誰にもとられたくない」
フードを深くかぶった男たちがつけているとは気付かなかった。
「主、どうする? あの女は何か隠している」
声を落としたセオがレイを窺う。
「もしヴィンが幸せに暮らしてるなら、声はかけない」
二ケ月近く探し続けた。国には戻っていない。
双子には手紙で、必ずヴィンを連れ帰るから待っていてと書いた。
ヴィンを失いたくないと先にエリオットを返し、護衛三人と探し続けた。
ハリーの手も借りて、やっと川下のこの村へたどり着いた。
夕日を見ながらぼんやりしている男が見えた。
駆け寄る女が中へ入るように腕を引っ張っている。
レイはその様子をじっと見ていたが、男の手元にすみれの花が見えた。
レイがたまらず駆けだした。
「待って、話をさせて」
「お帰り下さい。私の家族に、騎士様が何のご用ですか」
女が睨みつけるが、フードを取り払ったレイが男に話しかける。
「ヴィン! ヴィンセント!」
ヴィンが振り向くと、そこに白銀の髪の男がいた。
「すみれ……」
「そうだよ。銀のすみれ姫を忘れた?」
急に立っていられないくらいに、頭が割れそうなほどの痛みがヴィンを襲う。
「ヴィン!!」
セオとトーマスが飛び出し、ヴィンを支えた。
「中へ入れていただけませんか」
「……どうぞ」
レイが頭をさげると、女はうなだれて扉を開けた。
ぽつりぽつりとキャロルと名乗る女が話し始めた。
川岸で見つけたこと。大怪我をしていたこと。記憶を失くしていたこと。貴族だろうと思ったこと。
誰かが探しに来るのを、自分がおびえていたこと。
見つけた時に身につけていた服をレイに前に置いた。
川底で擦り切れたのか、ボロボロだがきれいに洗い、繕ってあった。
レイが与えた〈夜明けの空〉もあった。
最後に、いつも夕焼けと朝焼け。すみれの花を見て、悲しそうにしていた、と。
そしてキャロルはレイの瞳を見つめながら言った。
「彼が求めていたのは、あなた様だったんですね」
レイはもう一度キャロルに頭を下げた。
「私の大切な友人を救ってくれてありがとう」
目覚めたヴィンはまだ困惑していた。
だが、心の穴が埋まっていくのがわかった。
「帰ろう、僕たちの家に。双子も待っているよ」
すみれの花のような青紫の瞳がとてもきれいだ。
白銀の髪が自分の頬に、肩に触れる。
どこか懐かしい匂いがして、これは好きな匂いだとわかる。
レイは、どこか大きな子猫のように見えた。
男が去った後、キャロルが口ずさむ。悲しい時は歌うと少し元気が出るから。
いつも自分に歌って微笑んでくれた人がいた。ひとりなのは騎士と共に去って行ったあの人のせいじゃない。黒髪のあの人のせいでも、誰のせいでもない。自分で選んだ。
あんなにオリバーが産まれた時は喜んだのに。二人目だって喜ぶと思ったのに。
小さな命を失いたくなくて、疎遠にしていた祖父の家に身を寄せた。
黒髪のあの人はもう少しだけ待ってくれと言った。
山火事で仕事を失くし、君たちを飢えさせたくない、愛だけでは食べていけない、と。
なのに自分は家を出た。
寂しくなっても自分が選んだのだ。
手には迎えに来た騎士が置いていった、数年働かなくてもいいような額のお金。
「どうしようかな。もう疲れちゃった」
戸口に立ち、空を見上げていたら、髪の黒い男が手を振りながらこちらに駆けてくる。
あれは、誰なの?
「キャロル探したよ! オリバーも無事でよかった! 戦争に巻き込まれていないか、心配であちこち探し回ったんだ」
オリバーが父さんだと腰にしがみついた。
我が子を抱き上げ涙ぐむ男。
「さあ今日は何の歌が聴きたい? 母さんが好きな陽気な歌でも、ぐっすり眠れる子守歌でもいいぞ」
キャロルは村のちょっといいご飯屋に5人で行こうと笑った。




