静かな夜に
「そろそろ美姫って呼ばれるの卒業したいな」
突然、レイが言い出した。
「エリザベスもブリジットもいるし、オリビア似のアナベルだっているし、おかしいよね」
この男、今さら何言ってるんだ?
今まで受け入れてたってことか。
「それなら、そんな手入れは必要ないだろう」
ヴィンが呆れている。
レイはハリー王子の送ってきた白樺樹液のサンプルでパック中。手には馬油のハンドクリーム。部屋中に柑橘系のよい香りが漂う。
「お手入れは必要だよ。人前に出るし、ザラザラじゃ双子に嫌われてしまうよ」
だから男には必要ないんだ、と強くは言えない。
「勝手にしろ」
あくびを噛み殺しヴィンは書類仕事に戻った。週末双子と過ごしたため、週明けは夜更けまで領主館で仕事している。
「まずい! おふくろがくる!!」
突然手紙を手に立ち上がったヴィンを、パックを外したレイが面白そうに見た。
「来訪の目的は? 観光じゃないでしょ」
「兄貴たちも結婚して、あとは領に戻らない名前だけ当主の俺が気にかかるって事らしい」
「まあ当分領に戻らないっていうのが罰だからな。後継者をどうするか気にかかるんだろう」
さすが我が主は鋭い。エリオットも最近事務官補佐のエレノアと婚約が調い、余裕綽綽だ。
「結婚したいの? したくないの?」
「わからん。考えたことない」
「もしかしてヴィンはまだ……」
「黙れ! おまえの口から聞きたくない!」
エリオットに口を塞がれた。
俺だって傭兵時代に娼館へ連れて行かれたさ。酒だけ飲んで帰ってきたけど。
オニキスが化粧の匂いを嫌がるからだという言い訳を、誰に言うでもなく心の中でつぶやいた。
「一度くらい考えてみたらいいさ。愛する妻を持ってごらん。世界が変わるから」
レイが愛妻の話をしだすと長くなる。
「でもどうしても断りたいなら、策はあるし協力するよ」
絶対ろくなことを考えていないと断言できる。
「可愛い系と美人系どっちが好み?」
レイが小首をかしげてヴィンに聞く。
結局、女装したレイが恋人役を務めることになった。
「可愛い系でお願いします」
「まかせて。ダーリン」
レイが着替えに私室に戻った。
ヴィンは深いため息しか出ない。
カランカラン。
黒髪黒目の気の強そうな夫人が入ってきた。
「こちらに愚息ヴィンセントが身を寄せていると聞いて参りました」
「母さん、久しぶり」
「あらヴィンいたのね。領主様にもご挨拶に行きたいから案内するんですよ」
「それはいい」
「旦那様の事ではあなたに本当に悪いことをしたと思っているの。話をきちんと聞かずに愚かな母だった。許してくれなくてもいいから、領に戻れないの?」
「それはレイモンド様がお決めになることだから。それに母さんは領を出るときに金を持たせてくれて心配してくれただろう。今でも感謝してる」
「優しい子ね。だから次は早く結婚して孫の顔を見せて頂戴な」
「その事なんだが……」
「ヴィンセント様、お客様でしたの? 気づかなくてごめんなさい」
扉が静かに開き、令嬢が入ってきた。
さすがに首元は高い襟で隠し、手袋をしている。声は隠せないから風邪声って事にした。
うつむき加減に謝る姿がいじらしい。
「ヴィオラ、起きてきて良かったのか?」
震えそうになる声を必死におさえた。
「大丈夫。熱は下がったみたい。心配してくれて嬉しい」
見上げる笑顔がまた可愛らしい。
「こちらのご令嬢はどなたなのかしら」
バーデット夫人が、まあと目を輝かせた。
「初めまして。戦禍を逃れ、隣国から参りましたヴィオラと申します。こちらで困っているところをお優しいヴィンセント様に助けていただいた者です。コホンコホン」
わざとらしい咳をしても、バーデット夫人は疑わない。
「まあそれは大変でしたね。隣国はいつもきな臭くてバーデットも気が抜けませんよ。椅子にお座りになって。ヴィン早く飲み物を持ってきなさい」
「お気遣いありがとうございます」
ぱちりと目を瞬かせて、ヴィオラが頭を下げた。
完璧に女子だ。女子以外に見えない。
知っていても騙される。
「もう婚約はすんでいるのかしら」
夫人はもう結婚式の段取りを頭に描いている。
歳、好きな色、好みの家具は? 子どもは?
馬が好きか……これ重要。息つく暇も与えず、聞いていた。
「まだだよ。ご家族がこちらに逃れてくるまでは婚約はしない。御父上にお許しいただかないとな」
「それでこそバーデットの当主です。手順はきちんと守らなくてはね。さぁ早く領に帰って準備しなくては。領主様にはあなたからこれ渡してちょうだいね」
やたらと大きな菓子箱を渡された。
夫人はご機嫌で帰って行く。
滞在時間は2時間。
「ずいぶんとせっかちな方だね」
ヴィオラは呆気にとられ、ぽかん顔だ。
それでも超美人、美人はなにやっても美人。
「昔から人の話を聞かないんだよ。悪気はないんだけどな。親父も母さんだけは御せないって、たまにこぼしてた」
最近旦那様から手紙がきたの。元々年齢の割に体力があり、大好きな馬の好物の塩くらい重労働だろうと苦にならない。同じ罪人や監視まで世話を焼いているうちに周りから頼られているという話もあの人らしいと母は笑っていた。
もうしばらくは出せないけど、恩赦もありかなとレイは思う。
「いつか親孝行しないとね」
「土産どうぞ」
大きくずっしりした菓子箱をレイに渡す。
とりあえずヴィンの婚約問題は先延ばしになった。
「いやー。見たかったな。姐さんの艶姿」
ヴィンの結婚騒動を聞いてハリーが残念がっていた。同年齢なんだが十一カ月違いとわかりハリーはレイを姐さんと呼んでいる。
あれからすぐ来る。
用があるのかないのかわからないが来る。
「君は本当に暇だね」
レイも呆れ顔だが、追い出しはしない。
「特別顧問になってくれたレオン様に人材派遣してもらったから、親父達に任せて来た。俺もたまには帰るけど、当分は好きにするよ」
顧問料はしっかりとるレオン。他国の情報が手に取るようにわかり諜報員いらずだ。
それもわかっていてハリーは全幅の信頼を寄せている。
「少しは働きなよ。これ発注するから見積お願い」
温泉村の宿泊施設に、クローク国の木材を使用した丸太の小屋を作ることになった。
長く泊まるにも、一泊だけでも貴族は案外こじんまりとした山小屋風を喜ぶ。のんびり過ごしたいのだろう。
「ますます温泉村は賑わいそうですね」
案をだした事務官補佐のエレノアが嬉しそうだ。あと少しでオルレアン領に嫁ぐ。式までには完成させたい。
「さて。雑貨屋に戻るよ」
レイの一言に一緒に行こうと立ち上がるハリーの頭をヴィンが小突く。
「おまえは宿に帰れよ」
「自分だけずるくないか。俺だって姐さんと一緒にいたいよ」
わーわー騒ぐ二人をおいて、レイはさっさと帰った。
ハリーは周辺国の情報を常にもっていて、レイも自由にさせている。悪ささえしなければ、あの強さだ。味方にしておきたい。
ただなんというかうるさい。牢で話した時はもう少し落ち着いていたのに。
雑貨屋では静かに暮らしたいのだ。
夜間は立ち入り禁止を言い渡している。ヴィンもそれならと、日中うるさいのには多少の我慢はしている。
「やっと帰ったな」
ハリーは玄関の前で泊めろと騒ぎだし、レイに追い帰された。
ヴィンがやれやれと首を回す。
「肩こりなの? これ貼りなよ。効くよ」
レイが湿布をヴィンに渡す。
静かな夜だった。突然レイがつぶやく。
「ヴィンは最初何かを探りに来たのかなって思った。けど、君が本当に偶然店の前で倒れていたとわかって安心した」
「そうか」
「君、高位貴族の子息のくせに僕の髪色と目の色見ても全然王子って気づかないし、知った後も気は遣わないし、横柄だし。きっと僕はそんな友人みたいな君を好きなんだろうね」
突然の告白にヴィンは驚きで声が出ない。
「芸術祭の時も、君が止めてくれるって信じていたのかもって、今ならわかる」
「暴れ馬には慣れているからな」
「ふふ。僕を暴れ馬なんて面と向かって言うのは君だけだよ」
「みたいじゃなく、友達……だからな」
ヴィンが小さな声で答える。
「なら僕は最高の友達を得たわけだ。これからもよろしく頼むよ」
にこっと笑って、おやすみと自室へレイは行ってしまった。
「なんだあれ……」
ヴィンは嬉しさで叫び出したいが、ぐっと腹に力を込めてこらえた。
「おやすみ」
レイの部屋へ向かって囁いた。
次の日。
カランカラン、カランカラン……。
何度も鳴らすな!!
ハリーが朝早くからやってきた。
「姐さん、おはよーす」
「うるせーよ」
今日もにぎやかな一日が始まる。




