【118本目】拳精(1978年・香)
アメトーークのジャッキー芸人で次課長井上だかが昔のブラウン管テレビだと豹拳の精だけフレームからはみ出して見えなかった、みたいな話してたな。
【感想】
ジャッキー映画にハマり出した時くらいに見て、【あ、創作ってこんな自由でいいんだ!!】って思わせてくれた映画の一つでいきます。
70年代後半のジャッキー・チェンは次世代のスターとして売り出されながらも興行成績が振るわず、自身もブルース・リーの影響という呪縛に苦しめられた時期にありました。そんな彼も1977年頃に【スネ―キー・モンキー 蛇拳】や【カンニング・モンキー 天中拳】でようやく三枚目コメディ路線という独自のスタイルを確立しつつありました。【拳精】は、そんな時期に上映されたカンフー映画+ファンタジーの異色作です。ちなみに香港ではこの映画の一か月後にかの【ドランク・モンキー 酔拳】が上映されています。
開始20分くらい前までは、普通のカンフー映画のノリが続きます。少林寺で修行に励む拳法家たち、盗まれる秘伝の書、イタズラしたりサボったりしてお仕置きされるなど、普通のジャッキー映画って感じなんです。
ところが20分強くらいに、突然隕石が少林寺に衝突します(マジ)。その隕石の衝撃で現れた(?)五体の精霊がジャッキーや寺の僧たちににイタズラするドタバタコメディが唐突にスタートして、【え、俺ら一体何を見せられてるの?】とあっけにとられることになります。で、そんなトンデモなノリをやっておいて、悪者が次々と拳法家を殺す、ヒロインの父親も殺される、少林寺の身内が暗殺者として疑われる、といったシリアス展開が次々に挟まれることになり、我々視聴者の感情も迷子になります。
なんでこんなトンデモ映画が作られたのかというと、70年代後半当時のジャッキーと彼を取り囲む人間関係が影響しています。当時ジャッキーは若いスタッフたちと【カンニング・モンキー 天中拳】を製作したりなんかして、コメディ路線を確立しつつありました。同時期にジャッキーを厳しく指導していたロー・ウェイ(ブルース・リーの映画も手掛けたすごい映画監督)がそれに【そんなにコメディがやりたいなら、俺が真のコメディを教えてやる!】と海原雄山的なキレ方をして作られたのがこの映画、なわけです。
とはいえコメディは緩急の歯切れが悪かったり、後半で急にシリアスなノリになったりと、【やっぱ俺シリアスの方が好きなんだよなぁ】というロー・ウェイの欲求みたいなのが見え隠れしてて、どうしても直後に上映される【酔拳】などの後のジャッキー映画とは、個人的な好き嫌いはともかくコメディ映画としては優れているとはいいがたい出来になっています。
そういった荒唐無稽な脚本、意に添わなかった製作事情ゆえに当のジャッキーはこの映画を今でも【とにかくひどい映画だ】嫌っているようです(特に精霊におしっこひっかけるシーンが嫌いらしい)。
色んな意味で、ブルース・リーの死後続出したそっくりさん映画のような、時代のうねりからうまれた怪作と言っていいでしょう。
しかしそんなコメディ、ファンタジー、カンフーアクションといったいろんな要素を取り入れた結果、当時のカンフーアクション映画とは一線を画する味わいを見せてくれます。だあKら個人的な好き嫌いで言えばジャッキー映画の中でもかなり上位ですし、この映画が当時の香港でロー・ウェイ監督のジャッキー映画としては最高の興収をたたき出し、日本でも大ヒットした、という経緯を知ると、【創作って俺らが思ってる以上に自由につくっていいんだな!】と勇気づけてくれる映画でもあるんです。
【好きなシーン】
なんだかんだ言ってカンフー映画やっていたところに急に隕石が衝突して5体のカンフーオバケが現れるシーンは、ある種の感動を覚えさせてくれますね。この映画の自由奔放さを象徴するシーンだし、いい意味で【裏切られた!!】と思わせてくれるんで。正であれ負であれ、カンフー映画を見慣れていればいるほど衝撃を受けるシーンだと思います。
あと少林寺の副総長(白目)っぽい人が、総長の人よりもずっと総長っぽいビジュアルだったことがちゃんと伏線になってた終盤の展開には普通に感心しました。




