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バグだらけのVRクソゲーでRTA走ってたら、なぜか現実の異世界だった件 ~「壁抜けカニ歩き」で魔王城をショートカットしたら、神の如き空間跳躍の使い手だと勘違いされています~  作者: 伊桜 瑠夏詩
第2章:魔王領シーケンスブレイクと、システム外の温もり

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第51話:読み取り専用の記憶領域と、葬影の少女(前編)

心理迷宮ファントム・ホロウ。その最奥に鎮座する、鉄と凍りついた血の匂いを放つ巨大な扉。

俺たちがその重厚な取っ手に手をかけ、境界線を越えた瞬間、世界は静かに、しかし決定的な音を立てて崩落を始めた。

視界を埋め尽くしていた鏡面の水面が、ドロドロとした黒い澱みに溶けていく。

フルダイブ型VRの演算装置が、シルフィアという一人のキャラクターの深層心理に刻み込まれた最悪の記憶を読み取り、超高解像度のテクスチャとして俺たちの周囲に強制的に再構築していく。

(……空気が重い。肺の奥が焼けるような、鉄錆と腐敗の匂いだ)

暗転が明けた時、俺たちが立っていたのは、陽の光を完全に拒絶した地下深くの巨大な空洞だった。

そこは、暗殺教団『虚無の洗礼……ゼロ・ルクス』の秘密練武場、通称『骸の檻……ムクロノオリ』。

公式設定資料集の片隅に、彼女の初期ステータスの由来として、わずか数行の冷徹なテキストで記述されていた場所。だが、今、目の前に広がる光景は、文字という情報が抱えきれる範疇を遥かに超えた、生々しい絶望そのものだった。

壁には無数の爪痕と、いつのものかも知れないどす黒い血痕がこびりついている。

天井からは冷たい地下水が絶え間なく滴り、石畳の床を不気味な鏡のように濡らしていた。

その静寂を切り裂くように、幼い子供たちの悲鳴と、肉を断つ鈍い音が反響している。

「……あ、あ……嫌……来ないで……見ないでください……っ」

俺のすぐ隣で、シルフィアが自身の肩を強く抱き、狂ったように首を横に振っていた。

彼女の金色の瞳は完全に焦点が合わず、ガタガタと震える唇からは、吐息というよりも悲鳴に近い掠れた音が漏れている。普段の凜とした暗殺者の面影や、俺に甘えて頬を染めていた可憐な少女の姿はどこにもない。

そこにあるのは、過去という名の鎖に縛り付けられ、再び幼児退行を引き起こしかけている、一人の壊れかけた少女の姿だった。

「主様……いえ、クロ様。これは、シルフィア殿の過去の残滓というわけですな。あまりに凄惨……。戦場で散るよりも、はるかに残酷な光景だ」

レオンが沈痛な面持ちで、大盾アイギスを低く構えた。

敵はいない。だが、この空間に満ちる『負の残留思念』そのものが、俺たちの精神を削り取る強力な継続ダメージ判定として機能しているのを、俺はシステムのログから読み取っていた。

俺たちの視線の先。

淡く発光する記憶の残滓が、当時の情景を鮮明に映し出している。

中心に立っているのは、返り血で銀色の髪をどす黒く染めた、十歳にも満たない少女だった。

初期識別番号、六番。後のシルフィアだ。

彼女の足元には、数分前まで同じ硬いパンを分け合い、泥水をすすりながら共に明日を夢見ていたはずの同世代の少年少女たちが、物言わぬ肉塊となって転がっている。

そして彼女の目の前には、腹部から大量の血を流し、力なく膝をつく一人の少年の姿があった。

『……ごめんな、六番。俺、やっぱりお前を、刺せなかったよ……』

少年は血を吐きながら、それでも幼いシルフィアに向けて、優しく、ひどく悲しそうな微笑みを向けた。

少年の手から滑り落ちた短剣は、一度も振るわれた形跡がない。彼は最初から、自分が生き残ることを放棄し、彼女を生かすためにその身を差し出したのだ。

『泣くなよ、六番。お前は……生きて、いつか、ここから……』

少年の言葉は最後まで続かなかった。

教官の『殺せ』という冷酷な命令プロトコルに従い、幼いシルフィアの手が、一切の躊躇なく自身の半身とも言える少年の喉笛を短剣で掻き切ったからだ。

赤い飛沫が、空間に舞う。

笑いながら死んでいった少年の温かい血が、彼女の顔を真っ赤に染め上げた。

『おめでとう、六番。これで残ったのはお前一人だ』

闇の奥から、仮面を被った教官らしき大男がゆっくりと姿を現し、血まみれの少女の頭を無造作に撫でた。

『痛みを感じるか? 悲しみを感じるか? ……いや、お前にはもう、そんな無駄な感情データは残っていない。友を殺し、心を捨て、主の命を執行するだけの完璧な関数。お前は今日、ようやく人間という名のバグを克服したのだ』

幼いシルフィアは、表情を一切変えることなく、ただ人形のように「御意」とだけ答えた。

その瞳には光がなく、広大な地下空洞の闇と同じ、底なしの虚無だけが湛えられている。

(……感情を殺すための、システマチックな破壊。これが彼女の『初期設定』の正体か。システムが用意した、あまりにも悪趣味で残酷なキャラクタービルドの記録だ)

俺は奥歯を強く噛み締めた。

RTA走者として、効率的にステータスを上げるための通過儀礼としてしか見ていなかった彼女の過去。だが、その裏側には、これほどまでに執拗で、容赦のない人間性の剥奪デリートがあったのだ。

「……違う……私は……私は……っ!」

現在のシルフィアが、耐えきれないというように叫び、その場に激しく膝をついた。

彼女の細い指先が、冷たい石畳を壊さんばかりに掻き毟り、その爪の間から血が滲む。

「クロ様……これが、私の正体です。貴方様が隣に立つことを許してくださった私は、偽物の……化け物なんです。私は、たった一人の友であったアルディの喉を、何の感情も持たずに掻き切った。……あんなに優しく笑ってくれた、あの温かい身体を……私が……っ!!」

シルフィアの告白は、喉の奥から肉を削り出すような、絶望に満ちた絶叫だった。

彼女の流す涙は、もはや止まらなかった。銀色の髪が床の澱みに浸り、彼女の誇りであった暗殺者の衣装が、過去の罪という名の重圧に耐えかねて、黒い砂のように崩れ落ちていく。

「こんな私を……主の命令一つで、誰の命でも奪えるように調整されただけの……『壊れた道具』を……。私が、クロ様に触れていいはずがなかった……。私なんかが、クロ様を好きになっていいはずが、なかったんです……っ」

彼女の言葉は、自己嫌悪と呪詛の塊となって、この地下空間の闇へと溶けていく。

夢魔の胞子は、彼女の心の奥底にある最大の恐怖――『本当の自分を知られたら、クロに嫌われ、捨てられる』という絶対的な不安を、容赦なく限界まで増幅させていた。

「シルフィア。待て、お前は……」

俺はたまらず一歩前に踏み出し、彼女の肩を掴もうと手を伸ばした。

だが、俺の手が彼女に触れる直前。

ガキィィィンッ!!という金属音が響き、目に見えない強固なシステムプロテクトが俺の手を激しく弾き返した。

(……なんだと!? 物理法則を無視した、強制的なイベントの進行ロックか!)

俺は虚空に展開したシステムログを睨みつけた。

現在、このインスタンス領域は『シルフィアのトラウマ同期フェーズ』として、システムの最上位権限によって処理されている。つまり、外部からのプレイヤーの介入――俺の言葉や接触による慰めを、システムが強制的にエラーとして弾いているのだ。

彼女の過去は、俺が言葉で簡単に救えるような、安いフラグではなかった。

「……クロ、様。お願いです。もう、私を見ないでください」

弾かれた俺の手を見て、シルフィアはついに絶望の底へと完全に沈み込んだ。

彼女はゆっくりと顔を上げたが、その金色の瞳からは光が完全に失われていた。俺に向けられているその眼差しは、愛する男を見る少女のものではない。

感情を殺し、ただの刃として完成された、あの過去の幻影『六番』と全く同じ、底なしの虚無の瞳だった。

「私を、置いていってください。私はここで……この暗い場所で、永遠に罪を償い続けるしかない、汚れた泥なのですから」

シルフィアは、自身の両腕を抱きしめたまま、ずるずると闇の奥底へと後退していく。

俺の言葉は届かない。俺の手は、システムに阻まれて彼女に触れることができない。

「シルフィアお姉ちゃん……そんなこと言わないでよ……っ」

リナリーの悲痛な声すらも、冷たい地下空洞の反響音に掻き消されていく。

絶望という名の致死性の毒が、俺たちのパーティの絆を完全に侵食し始めていた。

効率と論理だけで世界を蹂躙してきた俺のRTAは今、愛する戦友の心が砕け散る様を、ただ外側から見せつけられるという、かつてない最悪の進行不能バグ(ソフトロック)に陥っていた。

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