第4話:移動時間は「無」であり、NPCは「足場」である
「……よし、所持金カンスト、フラグ回収完了。ルーツの街に用はねえ。次に行くぞ、NPC」
俺は、伝説の10万本の剣が突き刺さる広場で、呆然と立ち尽くす街の人々や跪くシルフィアを急かした。
RTAにおいて、街に滞在する時間は「ロス」以外の何物でもない。本来ならここで装備を整え、宿屋に泊まって英気を養うのが王道だが、俺のHPは初期状態のままだ。
「主様……。もはや、この街に留まる必要はないと? 救済は、この一瞬で終わったというのですか……」
「救済? ああ、イベントが終わったって意味ならそうだな。次は隣国『アングリア』との国境にある『断絶の絶壁』を目指す」
「だ、断絶の絶壁!? あそこは険しい山脈に阻まれ、歩けば一週間はかかります! 馬車の手配を——」
「馬車? 遅すぎるだろ。……お、ちょうどいいところに『動く足場』が来たな」
俺の視線の先には、街の外へと続く門を護衛するために、慌てて駆けつけてきた自衛団の騎士たちがいた。
彼らは馬に乗り、重厚な鎧に身を包んでいる。
「待て! 先ほどの爆発と、この剣の山は貴様の仕業か! 説明を——」
「(話しかけられると会話ウィンドウが出るから、接触する前に飛ぶか)」
俺は返事をする代わりに、頭のフライパンの位置をミリ単位で調整した。
そして、突っ込んできた馬の鼻先に向かって、正面から全速力で駆け出す。
「な、何をする! 正面衝突する気か!?」
騎士が驚き、馬を止めようとする。だが、俺の狙いは馬ではない。
馬の「当たり判定」の端っこだ。
俺は馬の鼻先に触れる直前、空中で不自然に「しゃがみ入力」を連打した。
このゲームの物理エンジンには、『高速で移動するオブジェクトと、しゃがみ状態のプレイヤーが重なると、座標が大きく弾き出される』という有名なバグがある。通称『人馬跳び(ホース・カタパルト)』だ。
ガガガガガガガッ!!!
「ひぃっ!? 身体が、バラバラになる……っ!!」
小脇に抱えたシルフィアが悲鳴を上げる。俺と馬の判定が多重衝突し、凄まじい衝撃波が周囲に吹き荒れた。
ズバァァァン!!
次の瞬間、俺たちの身体は音速を超え、空高くへと射出された。
眼下には、一瞬で豆粒のようになったルーツの街と、10万本の剣が放つ異常な輝きが見える。
「……あ、あ、あああああ……っ!!」
シルフィアは、あまりの高度と速度に意識を飛ばしかけていた。
彼女の視点ではこうだ。
あのお方は、立ち塞がる騎士たちの「戦意」をそのまま「跳躍の力」へと変換し、一瞬にして空を翔けた。
地を這う凡俗な移動手段を捨て、神の視座から世界を見下ろしている。
(……この方は、歩むことすら拒むのか。重力、距離、時間。そのすべてを、ただの『概念』として踏み越えていく……!)
「(よし、いい角度だ。このまま慣性を維持して絶壁まで飛ぶぞ)」
俺は空中で不自然に「剣を振るアクション」を繰り返した。
攻撃動作を行うことで、空中の移動慣性をリセットさせず、滞空時間を強引に伸ばす『スイング・グライド』だ。
頭にフライパンを乗せた男が、絶叫する美少女を抱え、空中でひのきの棒をブンブン振り回しながら、水平に飛んでいく。
その姿は、地上でそれを見上げた人々にとって、恐怖を通り越した「天変地異」にしか見えなかった。
◆ ◆ ◆
数分後。
本来なら一週間かかる道のりを数分で踏破し、俺たちは隣国との境界、標高三千メートルを超える『断絶の絶壁』の頂上へと着地(着地寸前にメニュー画面を開閉して落下ダメージを無効化)した。
「ふぅ。1フレ遅れたが、まあ許容範囲内だな」
俺はパンパンと手の埃を払い、地面にへたり込んだシルフィアを立たせた。
「……主様。ここは、いったい……」
「国境だ。ここを降りれば隣国だが……正規の登山道は敵が多いからな。ショートカットするぞ」
俺が見つめるのは、切り立った垂直の崖だ。
普通なら、ロープを使い、数日かけて慎重に降りる場所。
「ショートカット……。やはり、また空を飛ぶのですか?」
シルフィアが期待と恐怖が混じった目で俺を見る。
「いや、落下は時間がかかる。ここは『裏側』を通る」
俺は崖の壁面に近づいた。
そこには、テクスチャ(見た目)が不自然に引き伸ばされ、線が入っている箇所がある。
「この角にフライパンを引っ掛けて……後ろ向きに高速屈伸だ」
ガガガガガガガッ!!
「……っ!? 壁が、消えた……?」
シルフィアは、自分の目を疑った。
あのお方が崖に向かって卑猥な動き(※ただの屈伸連打)を始めたかと思うと、鉄壁を誇るはずの岩肌が、まるで「薄い膜」のようにペラリと剥がれ、その向こう側に**「漆黒の暗黒空間」**が広がったのだ。
「よし、クリッピング(壁抜け)成功。ここはマップの裏側だからな、足場がない場所は落ちるなよ」
俺は、唖然とするシルフィアの手を掴み、物理法則が崩壊した「世界の裏側」へと足を踏み入れた。
そこは、未完成のデータや、描画されていない虚無が広がる、この世界の「楽屋裏」だった。
「主様……。ここは、神が世界を創るのを諦めた、虚無の領域……?」
シルフィアの声が震える。
(あのお方は、世界の『表側』というまやかしを捨て、剥き出しの『真理』の中を歩んでいる……。この虚空を歩けるのは、あのお方が世界の創造主、あるいはそれを超える者だからだ……!)
「(ここを真っ直ぐ走れば王都の地下まで直通だ。エンカウントもゼロ。最高だな)」
俺は暗闇の中、唯一の道しるべである「デバッグ用の光」を頼りに、フライパンを被ったまま無表情で走り続けた。
まさか、この「世界の裏側」を歩く俺の足音が、天界に住まう『創造神(管理AI)』のサーバーに「重大なシステムエラー」として警告を鳴らしまくっているなんて、俺は1ミリも考えていなかった。




