第18話:聖剣スルーと、欠けた茶碗のオーバーフロー
黄金の階段を上り切った先には、王国の歴史そのものを閉じ込めたような壮麗な宝物庫が広がっていた。
壁一面に並べられた宝石、伝説の魔獣の素材、そしてミスリルで鍛えられた武具の数々。並の盗賊であれば、一生遊んで暮らせる富を前に正気を失うだろう。
だが、俺にとってここはただの通過点に過ぎない。
「主様……ここは王城の地下宝物庫。本来なら、王族しか立ち入ることを許されない神聖な秘匿領域です」
シルフィアが周囲の眩い輝きに目を細めながら、宝物庫の最奥を指さした。
部屋の最奥には、神々しい光を放つ台座があり、そこに一本の剣が深々と突き刺さっている。そしてその奥には、王城の中枢へと続く巨大な白銀の扉が鎮座していた。
「あの台座に眠るのは、初代国王が神から授かったとされる建国の聖剣。伝承によれば、あの聖剣を引き抜くことのできる真の勇者のみが、奥の扉を開く資格を得ると言われております」
(出たよ。中盤の強制イベント、聖剣の引き抜き。あれを抜くと五分間もスキップ不可能な長ったらしい歴史解説ムービーが流れるんだよな。しかも、手に入る聖剣は重量判定が重すぎて、移動速度が落ちるだけの完全なゴミ装備だ)
俺は心の中で毒づきながら、光り輝く聖剣の台座を完全に無視して、宝物庫の薄暗い隅っこへと向かった。
「……主様? 聖剣はあちらですが」
シルフィアが怪訝な顔で首を傾げる。
俺は宝物庫の隅に積まれていたガラクタの山を漁り、一つのアイテムを拾い上げた。
それは、かつての王族が使い捨てたであろう、縁が欠けて黒ずんだただの茶碗だった。ステータス補正ゼロ、売却価格ゼロの、インベントリの邪魔になるだけの完全なフレーバーアイテムだ。
(よし、欠けた茶碗を見つけた。ここからフラグの書き換え作業に入るぞ)
俺は壁の隅に向かってピタリと立ち、拾ったばかりの欠けた茶碗を床に捨てた。
そして、捨てた瞬間に拾い上げ、再び捨てる。
拾う、捨てる。拾う、捨てる。拾う、捨てる。
カチャカチャカチャカチャッ!
俺の指が限界を超えた速度でコントローラーのボタンを弾き続ける。
現実の肉体は微動だにせず、ただ腕の残像だけが欠けた茶碗を高速で上下させている。
「しゅ、主様……? 一体何を……」
(このゲームのプログラムは、同じエリアでアイテムのドロップと回収を連続で行うと、メモリの処理領域に一時的な負荷がかかる。それを二百五十五回連続で繰り返すと、数値がオーバーフローを起こして、隣接するイベントフラグの数値をゼロから一に強制的に書き換えてしまうんだ!)
カチャカチャカチャカチャカチャカチャッ!!
俺は一切の表情を変えず、ただひたすらに、壁に向かって欠けた茶碗を高速で出し入れし続けた。
その姿は、常人から見れば狂気に憑りつかれた男にしか見えないだろう。
しかし、背後でその光景を見つめていたシルフィアの震える瞳には、全く別の、あまりにも神聖な儀式として映っていた。
(主様は、建国の聖剣を……王族たちが何百年も縋ってきた権威の象徴を、見向きもせずに通り過ぎた。そして、あえて誰にも見向きもされない、捨てられた欠けた茶碗を手に取られたのだ)
シルフィアは胸に手を当て、熱い吐息を漏らす。
(権力者たちが血を流して奪い合う鋭き剣など、主様にとっては道端の石ころ以下の価値もない。主様が真に慈しみ、救い上げようとしているのは……あの茶碗のように傷つき、欠け、世界から見捨てられた弱き者たちなのだ!)
彼女の脳内で、俺の高速の反復動作が、深遠な祈りの儀式へと変換されていく。
(落としては拾い上げ、落としては拾い上げる。何度地に落ちようとも、決して見捨てないという主様の御意志。欠けた器にこそ、魂の真実が宿るのだと、無言の背中で私に教えてくださっている……!)
「二百五十四……二百五十五! よし、値がカンストした!」
俺が二百五十五回目の回収を終え、インベントリを閉じたその瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
宝物庫の最奥。俺が一切触れていない台座の奥で、真の勇者しか開けられないはずの白銀の扉が、凄まじい地響きと共に独りでに開き始めた。
「……っ!!」
シルフィアはその場に崩れ落ち、両手で顔を覆って号泣し始めた。
(開いた……! 勇者の力も、聖剣の威光も必要なかった! 主様がたった一つの欠けた茶碗に注いだ底知れぬ慈愛が、神の定めた絶対の扉すらも打ち砕いたのだ!)
シルフィアにとって、それは完全なる思想の勝利だった。
暴力や権力ではなく、見捨てられた者への愛こそが世界を開く鍵なのだという、究極の救済の証明。
(ああ、私はどこまで浅はかだったのか。力こそがすべてだと信じていた暗殺者の私を、主様はあの茶碗のように拾い上げてくださった。この御恩、この魂が砕け散るまで決して忘れません……!)
「よしよし、ムービー五分スキップ成功だ。これで大幅なタイム短縮になる」
俺は白銀の扉が完全に開ききる前に、できたばかりの隙間に身体をねじ込んで先へ進む準備をした。
「おいNPC、いつまで泣いてるんだ。バフの時間がもったいないから早く来い。ここから先は王城の内周、敵のレベルが一気に跳ね上がるぞ」
「はいっ! この欠けた茶碗の如き矮小な命、すべて主様のために使い果たしてみせます!!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにした最強の暗殺者が、かつてないほどの輝かしい笑顔で立ち上がり、俺の背中を追う。
俺のただのメモリ破壊工作は、こうして世界にまた一つの恐るべき狂信の教義を刻み込んだ。
聖剣を放置し、茶碗で扉を開けた異常なRTA走者は、いよいよ王城の心臓部へと向かって背中歩きで突撃していくのだった。




