第17話:会話ストレージの浮遊と、死者に手向ける静寂
王城地下の大牢獄、その最深部。
俺とシルフィアは、底の見えない巨大な縦穴、奈落の断崖絶壁に突き当たっていた。
(ここから向こう岸の王城地下宝物庫までは、直線距離で約百メートル。正規ルートなら、壁沿いの細い足場をアスレチックみたいに三十分かけて進むクソ長いエリアだ)
俺は崖下を覗き込むシルフィアの横を通り抜け、崖の縁に力なく座り込んでいる一人のNPCに近づいた。
ボロボロの鎧を着た、息も絶え絶えの老騎士だ。
「主様、あの方は……王都の紋章を身につけておられます。なぜこのような地下深くに……」
「イベント用の配置キャラだ。話しかけると長々と身の上話を語って、最後に鍵を渡して事切れる」
俺は老騎士の真正面に立ち、彼に向かって決定ボタンを押した。
「おお……誰か、そこにいるのか……。頼む、私の言葉を……」
老騎士の頭上にテキストボックスが出現し、ゆっくりとした文字送りで台詞が表示され始める。
それを確認した瞬間、俺は会話をスキップすることなく、テキストボックスを開きっぱなしにした状態のまま、後ろ向きにスッと歩き出した。
そして、そのまま断崖絶壁の虚空へと足を踏み出す。
「主様ッ!?」
シルフィアが悲鳴を上げた。
だが、俺の身体は奈落へと落ちない。
足元に一切の足場が存在しない空中を、まるで透明な床があるかのように、スライド移動でスルスルと向こう岸へ向かって後退していく。
(よし、会話状態のZ軸固定バグ、成功だ)
ゲームのプログラムにおいて、NPCとの会話イベント中はプレイヤーが画面外に消えないよう、システムが強制的に高度を固定する処理が働く。本来なら会話中は移動操作を受け付けないはずだが、特定の入力を重ねることで、高度を固定したまま水平移動だけが可能になるのだ。
俺は遠く離れていく老騎士のテキストボックスの文字送りを眺めながら、虚空をカニ歩きで突き進む。
シルフィアは、その場に立ち尽くしていた。
彼女の目には、俺がただバグで浮いているようには見えていない。
(主様は、落ちない。この絶対の死を呼ぶ奈落の上を、一歩も沈むことなく歩いておられる。まるで、この空間そのものが主様の歩みを支えているかのように)
シルフィアの視線が、崖の縁で言葉を紡ぎ続ける老騎士へと向く。
(……そうか。主様は、あの老いぼれた騎士の最期の言葉を、魂の叫びを、一つ残らず聞き届けるために……あえて世界の理たる重力すらも一時的に停止させたのだ!)
老騎士の言葉は、崖の反対側へと遠ざかっていく俺の耳にも届くように、なぜか空間を無視して響き渡っていた。これも会話イベント中のシステム的な仕様なのだが、シルフィアにとっては奇跡以外の何物でもない。
(死にゆく者の魂を重んじ、その言葉が終わるまで、決して地に足を着けず、虚空で静寂を守り続ける。ああ……なんという慈悲。なんという美しき葬送……!)
シルフィアは胸の前で両手を組み、空を歩く俺の背中に向かって深く祈りを捧げた。
「……頼む、この鍵を……王女殿下に……」
老騎士の最後のテキストが表示されきった。
俺は向こう岸の地面にちょうど足が着いたのを確認し、閉じるボタンを連打してテキストボックスを消去した。
チリン、とインベントリに宝物庫の鍵が追加される音が鳴る。
同時に、役目を終えた老騎士は静かに息を引き取り、光の粒子となって消滅した。
「よし、鍵の遠隔回収とショートカット完了。おいNPC、お前も早くこっちへ来い。お前のジャンプ力なら壁沿いの足場をスキップしてこれるだろ」
「はいっ! ただ今!」
シルフィアは涙ぐんだ目を拭い、壁際の細い足場を凄まじい跳躍力で蹴り渡り、俺の横に着地した。
「主様。あの老騎士の魂は、貴方様の御心によって救われました。最期の願いを背負う貴方様の御姿、このシルフィアの胸に深く刻み込まれました」
「ん? ああ、アイテムさえもらえばアイツ用済みだからな。鍵穴が開けばなんでもいい」
俺はシルフィアの壮大な解釈を適当に受け流し、手に入れたばかりの鍵を、目の前にそびえる宝物庫の巨大な扉に差し込んだ。
重厚な扉が開く。
そこは、王城の内部へと続く、黄金の階段だった。
いよいよ、王国の心臓部へのバグの侵略が本格的に始まろうとしていた。




